表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法少女だった私は、すべてを奪われて侵略者になった  作者: 摩利
2章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
34/48

天上院 瑠璃姫


 会議が終わったあと、結衣とオブスキュリテは第一会議室を出た。

 扉が閉まる。厚い扉越しにも、まだ中から幹部たちの低い声が漏れていた。


 追加資料の確認。避難計画の修正。対空戦力の再配置。竜王級出現時の対応。


 会議は一応終わった。けれど、本当の意味で終わったわけではない。

 むしろ、始まったばかりだった。


 廊下の空気は、会議室よりも少し冷えていた。白い照明が、磨かれた床に反射している。

 職員たちが慌ただしく行き交い、通信端末を片手に指示を飛ばしている。

 誰も大声は出していない。それでも、局全体が緊張していることは分かった。


 ゲオルギアス。


 竜の星。


 二十年前に多くの民間人を殺した侵略者。魔力核を狩りの証として扱う竜種。

 飛行する軍勢。そして、竜王。

 会議室で聞いた言葉が、結衣の胸に重く沈んでいた。


 次に来る戦いは、決して軽くない。小規模ゲートの処理とは違う。

 赤雷で異形を痺れさせ、結衣と麗奈が処理して終わるような戦いではない。


 結界はまだ完全に修復されていない。魔法少女たちの疲弊も抜けきっていない。

 負傷者もいる。候補生たちの不安も広がっている。

 その状況で、飛行能力を持つ竜種が来る。しかも、高魔力者を狙う。


 考えなければならないことは山ほどあった。

 自分はどこに配置されるのか。左腕はもつのか。

 オブスキュリテは、どこまで戦場に出されるのか。


 結衣は無意識に、隣を歩く少女を見る。

 オブスキュリテは、相変わらず退屈そうな顔をしていた。

 会議室で竜王の話をした時も。魔力核の話をした時も。防衛線の欠陥を指摘した時も。

 彼女の顔は、ほとんど変わらなかった。

 今も同じだ。


 黒い拘束衣。両手首の腕輪。歩くたびに、金属の輪が小さく音を立てる。

 それが、彼女が自由ではないことを告げている。


 敵だった少女。囚人。

 情報源。限定協力戦力。


 どの言葉も正しい。

 けれど、結衣にとっては、それだけではなかった。


 ふと、オブスキュリテが口を開く。


「私も、ゲオルギアスとの戦闘に出していいの?」


 結衣は横を見る。

 オブスキュリテは前を向いたままだった。表情は読めない。声も平坦だった。

 けれど、どこか試すような響きがあった。


「どさくさに紛れて逃げるかもしれないわよ」


 挑発するような声。冗談のようにも聞こえる。嫌味のようにも聞こえる。

 自分を信用するなと、わざわざ念を押しているようにも聞こえた。


 結衣はすぐには答えなかった。

 廊下を歩きながら、少しだけ考える。

 その問いが本気なのか、ただの嫌味なのか。たぶん、両方だ。


 オブスキュリテは、自分がどう扱われているか分かっている。

 戦力として必要とされている。でも、信用されてはいない。

 逃亡の危険がある存在として、拘束具をつけられている。


 それを誰よりも理解しているからこそ、自分から口にする。

 どさくさに紛れて逃げるかもしれない。裏切るかもしれない。

 だから、信じるな。

 そう言っているようだった。


 結衣は静かに息を吸う。

 そして、前を見たまま言った。


「祈は、そんなことしないでしょ」


 オブスキュリテの足が、一瞬だけ止まりかけた。

 ほんのわずか。普通なら気づかないほどの乱れ。


 けれど、結衣には分かった。

 すぐに彼女は歩調を戻す。


「オブスキュリテよ」


 いつもの訂正。冷たい声。拒むための名前。


「祈でも、オブスキュリテでも」


 結衣は、まっすぐ前を見たまま続けた。


「そういうことはしないでしょ」


 オブスキュリテが横目で結衣を見る。

 その目は冷たい。鋭く、突き放すようだった。


「何を知ったような口を」


「知ってるよ」


 結衣は答えた。迷わなかった。


「あなたの親友だから」


 廊下に、わずかな沈黙が落ちる。


 職員たちの足音。遠くの通信音。空調の低い唸り。端末の通知音。

 その全部が、少しだけ遠のいたように感じた。


 オブスキュリテは、しばらく何も言わなかった。

 横顔から感情は読めない。


 怒ったのか。呆れたのか。傷ついたのか。

 それとも、何も感じていないのか。

 結衣には分からなかった。


 でも、言葉を撤回するつもりはなかった。


 親友。


 そう呼ぶ資格が、今の自分にあるのかは分からない。

 二年前、祈の手を取れなかった。祈が一番苦しかった時、そばにいなかった。

 会いに行かなかった。謝罪も受け取ってもらえなかった。


 それでも。


 結衣にとって、赤羽 祈は親友だった。

 過去形にはしたくなかった。


 オブスキュリテがどれほど拒んでも。

 その名を訂正されても。謝罪を拒まれても。

 結衣は、勝手にそう思い続ける。


 やがて、オブスキュリテは小さく息を吐いた。


「……勝手にそう思っていなさい」


「うん」


 結衣は頷いた。


「勝手にそう思ってる」


「本当に、昔から図々しいわね」


「そうかな」


「そうよ」


 オブスキュリテは吐き捨てるように言った。


 けれど、結衣には分かった。

 今の声には、いつものような鋭い棘が少しだけ足りなかった。

 怒っているようで。突き放しているようで。

 それでも、完全には拒みきれていない。

 そんな響きだった。


 結衣の胸が、ほんの少しだけ痛くなる。

 嬉しいと言うには、あまりに苦しい。

 でも、何もないよりはずっといい。

 それだけで、少しだけ息がしやすくなった。


「それに」


 結衣は小さく続けた。


「逃げるなら、もっと別のタイミングを選ぶと思う」


 オブスキュリテが眉をひそめる。


「そこ?」


「うん」


「親友だから分かる、じゃなくて?」


「それもあるけど」


 結衣は少しだけ苦笑した。


「祈は、変なところで律儀だから」


 オブスキュリテの目が細くなる。


「……訂正しなさい」


「オブスキュリテは、変なところで律儀だから」


「そういう問題じゃないわ」


「でも、逃げるにしても、自分が逃げたせいで誰かが死ぬようなタイミングは選ばない」


 結衣の声が、少しだけ真面目になる。


「そういうことをする人じゃない」


 オブスキュリテは黙った。今度は、すぐに皮肉が返ってこなかった。

 廊下の先で、職員が二人、資料を抱えて走っていく。

 その背中を見送りながら、オブスキュリテは低く言った。


「ずいぶん都合のいい解釈ね」


「そうかも」


「私はシティを壊そうとしたのよ」


「知ってる」


「魔法少女たちを傷つけた」


「知ってる」


「あなたも、殺そうとした」


 結衣は一瞬だけ足を止めかけた。

 でも、止まらなかった。


「うん」


 静かに答える。


「それも、知ってる」


 オブスキュリテの横顔が、わずかに硬くなる。

 結衣は続けた。


「それでも、あなたはさっき逃げなかった。ゲートの時も、ちゃんと戦った。会議でも、必要なことを話した」


「利用価値があるからでしょう」


「そう言うと思った」


「なら言わせないで」


「でも、それだけじゃないと思ってる」


「勝手に?」


「うん。勝手に」


 結衣は少しだけ笑った。

 強がりではない。泣きそうな笑顔でもない。

 ほんの少し、昔に近い笑顔だった。


 オブスキュリテはそれを見て、すぐに視線を逸らした。


「本当に、腹が立つ」


「ごめん」


「謝罪は不要」


「それも、言うと思った」


「……あなたね」


 呆れたような声だった。けれど、やはり棘は浅かった。


 二人はそのままエントランスへ向かう。

 会議室のある管理区画を抜けると、廊下の先に広い吹き抜けが見えてきた。

 エントランスには、行き交う職員や魔法少女たちの姿がある。誰もが忙しそうだった。


 モニターには警戒レベルの表示。ゲオルギアス接近に伴う注意喚起。外縁結界の補修状況。

 次々に情報が流れている。


 その中を、結衣とオブスキュリテは並んで歩いた。周囲の視線が向けられる。

 当然だった。


 エースの白瀬 結衣。

 拘束具付きのオブスキュリテ。

 その二人が並んでいるだけで、目立たないはずがない。


 ざわめきが起こる。誰かが小さく囁く。

 警戒する者。怯える者。露骨に顔をしかめる者。

 オブスキュリテは気にしない。

 少なくとも、そう見えるように歩いていた。


 結衣は、その横顔を見た。

 本当に気にしていないのか。

 それとも、気にしていないふりをしているだけなのか。

 今の結衣には、後者のように思えた。


 だから、ほんの少しだけ歩幅を合わせる。

 近づきすぎず。離れすぎず。隣にいる、と分かる距離で。

 オブスキュリテが、横目で結衣を見る。


「何」


「何でもない」


「なら見ないで」


「見てないよ」


「見てたわ」


「じゃあ、ちょっと見てた」


「本当に図々しい」


 そう言いながらも、オブスキュリテは歩幅を変えなかった。

 金属の腕輪が、小さく鳴る。その音は、まだ彼女が囚人であることを告げている。

 けれど結衣には、それだけではない音にも聞こえた。

 壊れた関係が、少しずつ軋みながら動き出す音。


 遠く、エントランスの大型モニターに、赤黒い星の警戒情報が映っている。


 ゲオルギアス。


 竜の星。


 次の戦いは、もう近い。

 それでも結衣は、隣を歩く少女へもう一度だけ目を向けた。

 信じる、と言えば、オブスキュリテはきっと拒む。

 だから、今は言わない。


 けれど、心の中ではもう決めていた。

 逃げないと。裏切らないと。そう信じるのではなく。

 そういう逃げ方をする人じゃないと、知っている。

 たとえ本人が、赤羽 祈は死んだと言い続けても。

 結衣は、勝手にそう思い続ける。


 

 結衣は足を止めた。エントランスが、妙に騒がしい。

 職員たちが集まり、魔法少女たちも何人か顔を出している。


 ざわめき。歓声。どこか浮き立った空気。


 ゲオルギアスの接近が発表されて以来、局内に漂っていたのは緊張と疲労ばかりだった。

 誰もが忙しそうに歩き、誰もが端末を見つめ、誰もが次の脅威に備えていた。

 だからこそ、今のような明るいざわめきは、ひどく珍しかった。


「何かあったのかな」


 結衣が呟く。

 その時、エントランスの端にいた麗奈が二人に気づき、歩み寄ってきた。


「結衣先輩」


「麗奈ちゃん。これ、どうしたの?」


 結衣が人だかりを示す。

 麗奈は少しだけ表情を引き締めたまま答えた。


「他シティに援軍へ行っていた方たちが帰還したようです」


「ああ、そっか」


 結衣の顔が少し明るくなる。


「いいタイミングだね。よかった」


 ゲオルギアスの接近を考えれば、戦力は少しでも多い方がいい。

 特に、他シティへ派遣されるような実力者たちならなおさらだ。


 現場経験もある。大規模戦闘にも慣れている。

 疲弊したシティにとっては、何より心強い帰還だった。


 人だかりの中心には、数人の魔法少女がいた。

 派手な衣装。大きな荷物。肩にかけた遠征用の装備。

 帰還直後らしく、局員たちから次々に声をかけられている。


 おかえりなさい。

 お疲れ様です。

 向こうはどうでしたか。

 怪我はありませんか。


 そんな声が重なっている。


 その中心にいた一人が、ふと結衣に気づいた。

 長い縦ロールの髪。宝石のように飾られた髪留め。

 白と金を基調にした、やたらと華やかな衣装。


 レース。フリル。金糸の刺繍。背中に広がる小さなマント。

 立っているだけで、自分が中心だと言わんばかりの存在感。


 その少女は、結衣を見つけた瞬間、扇子を広げた。


「おーっほっほっほ!」


 高らかな笑い声が、エントランスに響き渡る。

 周囲の職員が何人か振り返った。

 魔法少女たちの中には、慣れているのか苦笑する者もいる。


 結衣は、ああ、と小さく息を吐いた。それから、苦笑する。

 懐かしい。そして、相変わらずだ。


 少女は堂々とした足取りで、結衣たちの方へ近づいてきた。

 まるで凱旋パレードの主役のような歩き方だった。


「白瀬さん!」


 少女は扇子を口元に添え、胸を張る。


「侵略者に後れを取ったようですわね!」


 麗奈の眉がぴくりと動いた。

 その言葉が誰を指すのか、考えるまでもない。

 オブスキュリテも、わずかに目を細める。

 周囲の空気が一瞬だけ固くなった。


 しかし、少女はまるで悪意なく続けた。


「でも大丈夫。この真のエース、天上院てんじょういん 瑠璃姫るりひめが戻ったからには、もう安心ですわ!」


 高らかに言い切る。あまりにも自信満々だった。

 自分の発言が周囲をどう揺らしたのか、気づいていないようにも見える。

 あるいは、気づいた上で気にしていないのかもしれない。

 結衣は怒るでもなく、ただ懐かしそうに笑った。


「相変わらずだね、天上院さん」


「当然ですわ。わたくしがわたくしでなくなったら、世界の損失ですもの」


「そこまで言い切れるの、ほんとすごいと思う」


「褒め言葉として受け取っておきますわ」


 瑠璃姫は満足げに頷いた。

 結衣は苦笑するしかない。


 天上院 瑠璃姫。


 白瀬結衣と同世代の魔法少女。

 実力は高い。華もある。支援者も多い。


 そして、自己肯定感が常に限界突破している。


 候補生時代からこうだった。勝っても負けても堂々としている。

 褒められれば当然と受け取り、注意されても自分への期待だと変換する。

 ある意味、無敵の人だった。


 その横にいた少女が、慌てて頭を下げる。

 落ち着いた雰囲気であるが、どこか気だるげな様子だった。

 肩までの柔らかい髪をひとつにまとめ、ゆるい表情をしている。


「ごめんねー、白瀬さん。姫ちゃんはちょっと今テンションが高いんです」


「姫って呼んでるんだ」


「本人がそう呼べと」


「呼び名とは、ふさわしい者に自然と定着するものですわ」


 瑠璃姫は当然のように言った。


「強制ではありませんの。運命ですわ」


「本人が一番強制してるけどねー」


 気だるげな少女が小さく言う。

 結衣は困ったように笑うしかなかった。


 さらに、瑠璃姫の後ろから短髪の少女が顔を出す。

 快活そうな顔立ちで、遠征用のバッグを肩にかけている。表情には疲れがあるが、目は明るい。


「ただいま、白瀬さん。こっちも大変だったみたいだね」


「おかえり。そっちもお疲れ様」


「うん。まあ、姫がずっとこの調子だったから、別の意味でも疲れたけど」


「聞こえていますわよ」


「聞こえるように言ったよ」


 短髪の少女は、悪びれずに笑う。

 瑠璃姫は扇子を揺らしながら、ふふんと鼻を鳴らした。


 そのやり取りだけで、遠征組の空気が少し分かる。

 中心に瑠璃姫がいて。周囲がそれを支え、突っ込み、諦めながら受け止めている。

 騒がしいが、不思議とまとまりがあった。


 その時、瑠璃姫の視線が結衣の隣へ移った。

 そして、彼女はぱっと顔を明るくする。


「あら」


 扇子を畳み、優雅に一礼した。


「そちらにいるのは、赤羽さんではありませんか」


 結衣の表情が強張る。麗奈も反応した。

 空気が一瞬で変わる。周囲にいた職員たちも、わずかにざわついた。


 オブスキュリテは、明らかに顔をしかめた。

 その目が冷える。


 けれど、瑠璃姫は気づかない。

 いや、気づいていても気にしていないのかもしれない。


「ごきげんよう。お久しぶりですわ」


 瑠璃姫は、昔とまったく変わらない調子で言う。

 声は明るい。態度は堂々としている。そこには、嫌悪も恐怖もなかった。


「息災でしたか?」


 あまりにも普通だった。まるで、二年間の空白などなかったかのように。

 まるで、赤羽祈が失踪し、オブスキュリテとなり、シティを壊そうとしたことなど、些細な寄り道でしかないかのように。

 オブスキュリテの目が冷える。


「……」


 口を開くより早く、瑠璃姫の横にいた短髪の少女が慌てて口を挟んだ。


「姫、赤羽さんじゃなくてオブスキュリテ。局から通達あったよ」


 困ったように笑いながらも、明らかに瑠璃姫の扱いに慣れている。

 気だるげな少女も、小さくうなずいた。


「そうそう。今は一応そう呼んだ方がいいやつだと思うよー」


 瑠璃姫は扇子を開いた。


「おーっほっほっほ!」


 また笑う。


「わたくしが赤羽さんと見なすのですから、赤羽さんですわ」


「いや、そういう問題じゃなくて」


「このわたくしに強制できるのは、天上院 瑠璃姫だけ」


 瑠璃姫は、堂々と自分を指差した。


「つまり、わたくしだけですわ!」


 言い切った。あまりにも意味不明で、あまりにも堂々としていた。

 短髪の少女は頭を抱える。


「そういうところだよ、姫」


「どのようなところですの?」


「全部」


 気だるげな少女がぼそっと言う。

 それから、短髪の少女はオブスキュリテへ向き直って頭を下げた。


「ごめんね、オブスキュリテさん。悪気はないんだけど、姫はこういう人だから」


「謝る必要はないわ」


 オブスキュリテは冷たく言った。視線は瑠璃姫に向けたまま。


「昔から変わってないわね」


 吐き捨てるような声だった。

 瑠璃姫は、しかしまったく怯まない。


「ええ、もちろん」


 むしろ誇らしげに胸を張る。


「変わらぬ美しさ、変わらぬ気高さ、変わらぬ天上院 瑠璃姫ですわ」


「そこを褒めてないと思うよ、姫ちゃん」


 気だるげな少女が小声で言う。


「褒めていなくとも、わたくしは褒め言葉に変換できますの」


「無敵だね……」


 結衣は苦笑した。

 だが、胸の奥には別の感情もあった。

 瑠璃姫は変わっていない。あまりにも変わっていない。

 だからこそ、この場の空気が少しだけ歪んでいる。


 赤羽 祈と呼ばれて、オブスキュリテは顔をしかめた。

 けれど、結衣には分かる。

 その拒絶は、いつもの拒絶とは少し違っていた。


 瑠璃姫の言葉には、悪意がない。

 罪を責めるものでもない。同情でもない。赦しでもない。

 ただ、昔知っていた相手に、昔と同じ呼び方をしただけ。

 それが、かえって刺さる。


「で」


 瑠璃姫は改めてオブスキュリテを見る。

 扇子を口元に添え、興味深そうに目を細めている。


 警戒ではない。嫌悪でもない。

 面白いものを見つけた、という顔だった。


「赤羽さん。あなた、ずいぶんと面白い立場になっているようですわね」


「面白い?」


 オブスキュリテの声が低くなる。その呼び方に反応したのか。

 それとも、面白いという言葉に反応したのか。

 おそらく両方だった。


「ええ」


 瑠璃姫は堂々と頷く。


「囚人であり、協力者であり、元侵略者であり、元魔法少女」


 彼女は扇子で口元を隠した。

 目だけが、きらきらと楽しげに光っている。


「属性が渋滞しておりますわ」


「本当に失礼ね、あなた」


「お褒めにあずかり光栄ですわ」


「褒めてないわ」


「褒めていなくとも、わたくしは褒め言葉に変換できますの」


「……会話にならない」


 オブスキュリテは心底面倒そうに吐き捨てた。

 結衣は思わず少しだけ笑ってしまった。

 こんなふうに、オブスキュリテが会話の主導権を奪われる場面は珍しい。

 いつもなら、相手の痛いところを突き、皮肉で距離を取る。

 けれど瑠璃姫には、その皮肉がほとんど効いていない。


 受け止める。変換する。

 勝手に自分の都合のいい意味へ書き換える。

 それはある意味、オブスキュリテの天敵のようだった。

 オブスキュリテが結衣を睨む。


「何がおかしいの」


「いや、懐かしいなって」


「私は少しも懐かしくないわ」


「そう?」


「そうよ」


 即答だった。

 けれど、そのやり取りを見て、瑠璃姫は満足げに頷いた。


「よろしいですわね」


「何が?」


 結衣が聞く。


「何がと言われても、何となくですわ」


「何となくなんだ……」


 短髪の少女が苦笑する。


「姫の直感はだいたいそんな感じだからね」


「凛さん、聞こえていますわよ」


「聞こえるように言ったよ」


 瑠璃姫は扇子を揺らしながら、ふふんと笑った。

 その横で、麗奈はずっと複雑な顔をしていた。突然現れた濃すぎる先輩。

 オブスキュリテを赤羽 祈と呼ぶ無神経さ。

 しかし、誰も本気で怒っていない空気。

 そのどれにもついていけていないようだった。


 麗奈の中では、オブスキュリテは姉の死と結びついた危険人物だ。

 警戒すべき相手。許してはいけない相手。

 そんな相手を、目の前の瑠璃姫はあまりにも普通に扱っている。


 しかも、赤羽さんと呼ぶ。

 まるで、二年前の時間がまだどこかで続いているように。

 結衣は麗奈に小声で言う。


「びっくりした?」


「……かなり」


 麗奈は正直に答えた。

 視線は瑠璃姫から離れていない。


「天上院さんは昔からああなんだ」


「そうですか」


 麗奈は瑠璃姫を見た。

 瑠璃姫は扇子を広げて、まだ堂々と立っている。

 エントランスの中心にいるのが当然だと言わんばかりの姿だった。


「昔から、ですか」


「うん」


 結衣は苦笑した。


「良くも悪くも、変わらない人」


 オブスキュリテが小さく舌打ちする。


「変わらないというのも、時には罪ね」


 その声には、皮肉だけではないものが混じっていた。

 結衣はそれに気づいたが、何も言わなかった。


 変わらない瑠璃姫。

 変わってしまった祈。

 変わらざるを得なかった自分たち。

 その差が、今のオブスキュリテには痛いのかもしれない。


 エントランスには、帰還した魔法少女たちの声が満ちている。

 戦力が戻った。シティにとっては、明るい知らせだった。

 だが、その中に混じる懐かしい名前と懐かしい顔は、オブスキュリテにとって過去を突きつけるものでもあった。


 天上院 瑠璃姫は、そんな空気など知らない顔で高らかに告げる。


「さあ、白瀬さん。赤羽さん。そして皆様」


 扇子を閉じ、びしりと前へ向ける。


「竜だか何だか知りませんが、この天上院 瑠璃姫が戻ったからには、シティの空は一枚たりとも奴らの鱗で汚させませんわ!」


 その声は、やかましいほど明るかった。

 エントランスに響き渡り、職員たちの視線を集める。

 けれど、確かに頼もしくもあった。

 結衣は小さく笑い、頷く。


「うん。頼りにしてるよ、天上院さん」


「もっと頼ってよろしくてよ!」


 瑠璃姫が胸を張る。

 オブスキュリテはその横で、心底うんざりしたように呟いた。


「本当に、昔から変わってないわね」


 それでも。

 その声の奥にほんのわずかだけ混じった懐かしさを、結衣だけは聞き逃さなかった。


 天上院 瑠璃姫。


 自称、白瀬結衣のライバル。

 自称、真のエース。

 自称、次代の魔法少女界に燦然と輝く一番星。


 そのすべてが、本人の口から出るとひどく胡散臭く聞こえる。

 だが、その自称に見合うだけの実力を、彼女は確かに持っていた。

 他シティへ援軍として派遣され、その部隊の代表格として戻ってくる程度には。

 派手な言動に反して、戦場での判断は速い。


 空間制圧。遠距離火力。味方への鼓舞。

 そして何より、折れない。

 天上院 瑠璃姫は、どれだけ不利な状況でも自分を疑わない。

 その自信は時に周囲を振り回すが、同時に仲間を支える柱にもなっていた。


 結衣は、それを知っている。だからこそ、彼女の帰還は素直に心強かった。

 オブスキュリテは、そんな瑠璃姫の横に立つ二人の少女へ視線を向けた。


「あなたたちも、相変わらずこの子のそばにいるのね」


 皮肉とも、呆れともつかない声だった。

 瑠璃姫の右側にいたボーイッシュな少女が、にっと笑う。

 短く切った髪。少年のような軽やかな身のこなし。

 制服の着崩し方もどこか自然で、肩の力が抜けている。立ち姿は気軽なのに、隙は少ない。


「ボクらは姫の従者なので」


 ひいらぎ りん


 天上院瑠璃姫の側近の一人。本人曰く、従者。

 瑠璃姫の無茶を横で笑いながら受け止め、時には先回りして場を整える少女だった。


 その横で、けだるそうな少女が小さくため息をついた。

 長めの髪を緩くまとめ、半分眠そうな目をしている。立ち方もどこか気だるい。

 けれど、その目は周囲をよく見ていた。


 エントランスの人の流れ。

 結衣の表情。麗奈の警戒。オブスキュリテの拘束具。

 すべてを眠そうな顔のまま観察している。


「不本意ながらね」


 百乃瀬もものせ 彩奈あやな


 同じく、瑠璃姫の側近。

 凛が前に出て場を動かすなら、彩奈は後ろから全体を見るタイプだった。

 瑠璃姫は扇子を広げ、満足げに頷く。


「おーっほっほっほ! わたくしほどの者に従者がいるのは当然ですわ!」


「従者って自称するのもどうかと思うけどね」


 彩奈がぼそりと言う。


「でも、姫ちゃんが一人で暴走すると困るし」


「彩奈さん? 今、何か失礼なことを言いませんでしたこと?」


「事実確認」


「事実が一番失礼な時もありますのよ」


 いつものやり取りなのだろう。

 凛は楽しそうに笑い、結衣は苦笑した。麗奈はまだ少し困惑している。

 オブスキュリテは、その様子をつまらなそうに見ていたが、ふと凛へ視線を戻した。


「あなたは、昔は天上院を嫌っていたと思うけど」


 その一言で、ほんの少しだけ空気が変わった。

 瑠璃姫も、扇子を動かす手を一瞬だけ止める。

 結衣は凛を見た。


 昔。候補生時代。確かに凛は、瑠璃姫の派手な態度を苦手にしていた。

 いや、苦手というより、反発していた。


 何でも自信満々に言い切る瑠璃姫。

 周囲を巻き込み、自分を中心に場を動かそうとする瑠璃姫。

 凛はそういうものを嫌っていたはずだった。


 自分の力で立つことにこだわり、誰かの後ろにいることを嫌っていた。

 従者などと名乗るような少女ではなかった。


 けれど、今の凛は瑠璃姫の隣にいる。従者だと、自分で名乗っている。

 凛は、あはは、と軽く笑った。


「昔のことは忘れたよ」


「都合のいい記憶力ね」


「そうかもね」


 凛は否定しなかった。軽い口調だった。

 けれど、目は笑っていなかった。それから、少しだけ目を細める。


「でも、今のボクは姫の従者」


 凛は自分の胸に軽く手を当てる。


「そう決めたんだ」


 言葉は明るい。

 けれど、その奥には揺らがないものがあった。


「君が君なようにね」


 オブスキュリテの表情が、わずかに止まった。


 君が君なように。


 赤羽 祈ではなく、オブスキュリテだと名乗る彼女に向けて。

 それは、責める言葉ではなかった。否定でもない。

 ただ、凛は今の自分をそう決めた。

 そして、オブスキュリテがオブスキュリテを名乗ることも、同じように見ている。


 変わったことを責めない。

 変わらないことを強制しない。

 今そこにいる相手を、今そこにいる相手として見る。

 その言葉は、瑠璃姫の強引な「赤羽さん」とはまた違う形で、オブスキュリテの逃げ道を塞いだ。


 オブスキュリテは、少しの沈黙の後、目を逸らした。


「……そう」


 それ以上は言わなかった。

 凛も追及しない。ただ、軽く笑って肩をすくめる。


「まあ、姫の従者は大変だよ。毎日うるさいし、目立つし、勝手に突っ走るし」


「凛さん?」


 瑠璃姫がにこやかに声を上げる。


「今、わたくしの長所を並べていましたの?」


「うん、姫の長所はだいたい短所と表裏一体だから」


「なるほど。深いですわね」


「そこ納得するんだ……」


 結衣が思わず呟く。

 彩奈が眠そうに頷いた。


「姫ちゃん、都合のいい解釈力だけは世界一だから」


「だけ、とは何ですの」


「そこは聞き逃さないんだね」


 凛が笑う。

 場の空気が、また少しだけ緩んだ。


 けれど、結衣はオブスキュリテの横顔を見ていた。

 凛の言葉を聞いたあと、彼女はほんの少し黙っている。

 いつものように皮肉を返さない。


 赤羽 祈と呼ばれることへの拒絶。

 オブスキュリテと名乗ることへの固執。

 その全部を、凛は否定せずに受け止めた。

 それがオブスキュリテにどう響いたのかは分からない。


 ただ、結衣には分かった。

 この帰還組は、ただ騒がしいだけではない。


 瑠璃姫は過去を過去のまま大切にする。

 凛は今を今として認める。

 彩奈は、その両方を眠そうに見ながら支えている。


 この三人は、きっと戦場でもそうなのだろう。

 派手で。うるさくて。少し変で。

 でも、折れない。


 瑠璃姫は、そんな空気など気にせず、扇子をばさりと開いた。

 白と金の衣装が、エントランスの照明を受けてきらきらと光る。

 彼女が一歩前へ出るだけで、周囲の視線が自然と集まった。

 本人は、それを当然のように受け止めている。


「新たな侵略者が接近しているそうですけれど」


 瑠璃姫は胸を張る。不安など欠片もない顔だった。


「この真のエースたるわたくしに任せれば、取るに足りませんわ!」


「さすが姫」


 凛が即座に拍手する。慣れたものだった。

 タイミングも、声の弾ませ方も、まるで何度も繰り返してきた舞台上の合いの手のようだった。


「空の竜だろうと、姫の輝きには勝てないね」


「当然ですわ!」


 瑠璃姫は満足げに頷く。

 だが、その横で彩奈が冷静に突っ込んだ。


「いや、まだエースじゃないでしょ」


 眠そうな声だった。しかし、言っていることは容赦ない。


「白瀬さんもいるし、大和君もいるし」


 結衣は苦笑した。


「私は別に、誰がエースとか気にしてないけど」


「白瀬さんはそういうところが余計にエースっぽいんだよね」


 彩奈がぼそっと言う。

 結衣は困ったように眉を下げた。


「そうかな……」


「そういうところですわ!」


 瑠璃姫が扇子を閉じて、びしっと結衣を指した。


「そういう自然体の余裕が、わたくしのライバルにふさわしいのですわ!」


「ライバル認定は続いてるんだ」


「当然ですわ。白瀬さんは、わたくしが真のエースとなるために越えるべき壁ですもの」


「壁……」


「安心なさい。越えたあとも丁重に飾っておきますわ」


「それ、私どういう扱いなの?」


 結衣が困ったように笑う。

 瑠璃姫は真剣な顔で頷いた。


「偉大なる踏破記念碑ですわ」


「もっと分からなくなった」


「姫ちゃん、たぶん褒めてるよ」


 凛が笑いながら補足する。


「褒め方が独特すぎるだけで」


「当然ですわ。わたくしの賛辞は唯一無二ですもの」


「そこ誇るところなんだ……」


 彩奈が小さくため息をついた。

 オブスキュリテは、心底面倒そうに息を吐いた。


「相変わらず、会話の密度が無駄に高いわね」


「赤羽さんも、いずれこの高貴な会話に慣れますわ」


「慣れたくないわ」


「おーっほっほっほ! 遠慮はいりませんことよ!」


「遠慮じゃなくて拒否よ」


 オブスキュリテの声は冷たい。

 だが、瑠璃姫はまったく怯まない。


 拒否すらも、独自の解釈で正面から受け止める。

 凛が楽しそうに笑う。

 彩奈はふと壁の時計を見た。


「姫ちゃん。そろそろ桐生さんに帰還報告しないと」


「おっと、そうでしたわ」


 瑠璃姫ははっとしたように扇子を畳んだ。


「危うく、白瀬さんとの感動の再会と、赤羽さんとの麗しき邂逅に時間を使いすぎるところでしたわ」


「赤羽さんじゃなくて、オブスキュリテさんね」


 凛が補足する。


「わたくしの中では赤羽さんですわ」


「姫ちゃん、そういうところ」


「大丈夫。あとでボクらが怒られるから」


「私らも巻き添えなんだ」


 彩奈がまたため息をついた。

 オブスキュリテは冷たく言う。


「あなたたちも苦労しているのね」


「まあね」


 彩奈は眠そうな顔で答える。


「でも、慣れると案外楽しいよ」


「そう。重症ね」


「かもね」


 彩奈は否定しなかった。

 その横で凛も笑っている。


「姫の隣にいると退屈しないからね」


「それを幸福と呼びますのよ」


「たぶん違う」


「凛さん?」


「幸福です」


「よろしい」


 瑠璃姫は満足げに頷いた。

 その姿を見て、結衣は少しだけ笑った。

 この三人の空気は、不思議だった。


 瑠璃姫が前に出る。

 凛が軽く支える。

 彩奈が後ろから冷静に整える。


 騒がしくて、少しおかしくて、けれど崩れない。

 遠征先でも、この調子で場を動かしてきたのだろう。


 瑠璃姫は再び胸を張る。


「では皆様、ごきげんよう!」


 高らかに言うと、彼女は踵を返した。

 その歩き方まで、まるで舞台の上にいるかのようだった。

 エントランスの床を進むだけなのに、なぜか花道を歩いているように見える。


 凛が軽く手を振る。


「またね、白瀬さん。オブスキュリテさん」


 彩奈も小さく会釈する。


「失礼します。姫ちゃんが暴走する前に連れていくので」


「もうしてると思うけど」


 結衣が小さく言う。


「だよね」


 彩奈は諦めたように頷いた。


「でも、これ以上ひどくなる前に」


「聞こえていますわよ、彩奈さん!」


「聞こえるように言ったから」


「皆さん、本当に遠慮がなくなりましたわね!」


「姫相手に遠慮してたら身が持たないんだよ」


 凛が笑う。


 三人はエントランスを横切って、桐生のいる執務区画へ向かっていく。

 瑠璃姫の高笑いが、廊下の奥まで響いていた。

 その声が遠ざかってから、オブスキュリテは吐き捨てるように言った。


「本当に騒がしい女」


「でも、強いよ」


 結衣が言う。


「知っているわ」


 オブスキュリテは即答した。少しの間もなかった。

 その声には、嫌悪だけではないものが混じっていた。


 認めている。悔しいほどに。


「昔から、嫌になるくらい目立っていたもの」


 結衣はオブスキュリテを見る。

 その横顔は、いつものように冷たい。けれど、完全に無関心ではなかった。


 天上院 瑠璃姫。


 柊 凛。


 百乃瀬 彩奈。


 彼女たちは、祈の過去を知っている。

 候補生時代の赤羽 祈を知っている。

 結衣と一緒にいた祈を知っている。


 孤立気味で、扱いづらい魔法を持ち、それでも正式魔法少女になろうとしていた少女を知っている。

 彼女たちが戻ってきたことで、オブスキュリテの周囲にはまた一つ、過去が増えた。


 赤羽 祈を知る人間が増える。

 オブスキュリテとして振る舞おうとする彼女に、否応なく昔の名前を突きつける人たちが。

 それは救いなのかもしれない。あるいは、傷口を開く刃なのかもしれない。

 結衣には、それが良いことなのか悪いことなのか、まだ分からなかった。


 ただ、オブスキュリテの横顔が少しだけ苦しそうに見えた。

 懐かしい。けれど、懐かしんではいけない。

 そう自分に言い聞かせているようにも見えた。


「……戻ろうか」


 結衣が言う。


「ええ」


 オブスキュリテは短く答える。

 エントランスには、帰還した援軍を迎える明るいざわめきが残っている。


 職員たちの声。

 遠征組を迎える拍手。

 瑠璃姫の高笑いの余韻。

 大型モニターに流れ続けるゲオルギアスの警戒情報。

 そのすべてが、同じ空間にあった。


 明るい知らせと、迫る脅威。

 希望と不安。過去と現在。

 それらが、局のエントランスで混ざり合っている。


 結衣は一度、瑠璃姫たちが消えた廊下の奥を見た。

 戦力が戻った。それは確かに大きい。

 ゲオルギアスを前にしたシティにとって、瑠璃姫たちの帰還は間違いなく朗報だった。


 騒がしくて。派手で。空気を勝手に変えてしまうような存在。

 その明るさは、今のシティに必要なものだった。


 そして。


 結衣は隣を見る。

 オブスキュリテは、もう瑠璃姫たちの方を見ていなかった。

 前を向き、いつものように歩き出している。金属の腕輪が、小さく鳴る。

 その音に混じって、結衣はさっきの声を思い出した。


 本当に、昔から変わってないわね。


 吐き捨てるような言葉。

 けれど、その奥にあったほんのわずかな懐かしさ。

 結衣だけは、それを聞き逃さなかった。


「天上院さん達が戻ってきて、よかったね」


 結衣は小さく言った。

 オブスキュリテはすぐには答えない。数歩歩いてから、低く返す。


「よかったのは、シティの戦力としてでしょう」


「それもあるけど」


「他に何があるの」


「ううん」


 結衣は少しだけ笑った。


「なんでもない」


「また勝手に何か考えている顔ね」


「そう?」


「そうよ」


 オブスキュリテはうんざりしたように言った。

 でも、そこで会話を切ることはしなかった。

 結衣はそれだけで、少しだけ胸が軽くなる。


 遠くで、また瑠璃姫の声が響いた。


「桐生さん! この天上院 瑠璃姫、華麗に帰還いたしましたわ!」


 執務区画の方から、誰かが驚いたような声を上げる。


 凛の笑い声。

 彩奈のため息。

 そして、瑠璃姫の高笑い。


 オブスキュリテは足を止めずに呟いた。


「……本当にうるさい」


「賑やか、でしょ」


 結衣が言う。

 オブスキュリテは横目で結衣を見た。


「あなたまで感染したの?」


「ちょっとだけ」


「重症ね」


「そうかも」


 結衣は笑った。

 オブスキュリテは呆れたように息を吐いた。

 それでも、ほんの一瞬だけ。口元が、わずかに緩んだように見えた。


 エントランスには、帰還した援軍を迎える明るいざわめきが残っている。

 その明るさは、迫る竜の星を前にしたシティにとって、確かに必要なものだった。

 そして、赤羽 祈を失ったと言い張る少女にも。


 ほんの少しだけ、必要なものだったのかもしれない。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ