会議
魔法少女局、第一会議室。そこには、局の職員たちが集められていた。
長い会議机。壁一面に表示されたシティ周辺の結界図。
複数のモニターには、観測衛星から送られてきた魔力波形、星間干渉値、ゲート発生予測地点が並んでいる。
青。赤。黄。
いくつもの線と数字が、絶えず更新され続けていた。そのどれもが、楽観できるものではない。
空気は重かった。
先日の結界襲撃事件が終わってから、まだ日が浅い。
シティ結界は復旧途中。外縁部には、いくつもの歪みが残っている。
魔法少女たちの疲弊も抜けきっていない。中枢施設の修復も完全ではない。
現場では、今も小規模ゲートへの対応が続いている。
それでも、次の脅威は待ってくれなかった。
結衣も、その場にいた。エースとして。
現場を知る魔法少女として。
そして、オブスキュリテの監視役として。
結衣の隣には、黒い拘束衣姿のオブスキュリテが座っている。
両手首には腕輪。魔力制限はかかったまま。位置情報の監視も継続中。
会議室の中には、対魔法拘束術式も展開されている。
床に刻まれた薄い光の線が、彼女の周囲を囲むように走っていた。
それでも、彼女の存在は異様だった。
つい三ヶ月前まで、局を襲撃し、シティを壊そうとした侵略組織の幹部。
ライブ会場を襲い、魔法少女たちの変身を剥がし、中枢制御核へ赫塵を流し込んだ少女。
その人物が、今は対侵略者会議の席に座っている。
当然、視線は集まった。
警戒。嫌悪。不信。
そして、期待。
組織にいた彼女の知識が、今後の防衛に役立つのではないか。
侵略者側の事情を知っている者として、情報提供させる価値があるのではないか。
その判断があったからこそ、オブスキュリテはこの場へ呼ばれていた。
本人は、ひどく面倒くさそうな顔をしていたが。
椅子に深く腰かけ、腕を組み、壁のモニターを眺めている。
まるで、自分には関係のない会議に無理やり参加させられたかのような態度だった。
それがまた、幹部たちの神経を逆撫でする。
結衣は、隣に座りながら少しだけ胃が痛くなった。
この状況で、オブスキュリテが余計な皮肉を言わないことを願うしかない。
「揃ったな」
桐生 聡が口を開いた。会議室のざわめきが静まる。
彼は会議机の端に立ち、出席者たちを一度見渡した。
現場指揮官。結界技術部門の責任者。医療班の代表。司法側の連絡員。上層部の幹部たち。
そして、結衣とオブスキュリテ。
誰もが、次に何を告げられるのか分かっているようで、分かりたくないような顔をしていた。
「それでは、対策会議を始めよう」
桐生が手元の端末を操作する。壁のモニターに、巨大な赤黒い星の立体映像が表示された。
会議室の照明が落ちる。赤黒い星が、暗い室内に浮かび上がった。
表面には、竜の鱗のような地形。大陸とも山脈ともつかない隆起が、鱗片のように重なっている。
周囲には、濃い魔力嵐。星そのものが、荒々しい魔力を放っているように見えた。
見るだけで、肌がざらつくような圧迫感がある。
「今回、接近が確認されている星は、ゲオルギアス」
桐生の声が低く響く。
「幾度もこの世界へ侵攻した記録を持つ、竜の星だ」
会議室の空気が、さらに重くなった。
竜。
その言葉だけで、何人かの幹部が表情を険しくした。
若い職員の一人は、思わず背筋を伸ばしている。
結界技術部門の責任者は、苦々しげに唇を結んだ。
竜という存在は、単なる異形とは違う。
高い魔力。飛行能力。頑強な肉体。火力のあるブレス。
そして、個体によっては知性と統率力を持つ。
低級異形の群れとは比較にならない脅威だった。
桐生は続ける。
「侵略者たちは、無秩序にこの世界へ現れているわけではない」
モニター上で、この世界を中心とした星間図が開く。
いくつもの星。いくつもの世界。それらを結ぶ、赤い干渉線。
「異なる星、異なる世界が、この世界と魔力的に接近した時、ゲートが開きやすくなる。その機会を利用して、彼らは侵攻してくる」
星々の間に、干渉域が表示される。
接近周期。干渉域。ゲート発生範囲。予測される開通時間。
情報が次々と展開される。
「侵略の目的は、多くの場合、高い魔力を持つ者の奪取だ。魔法少女、候補生、あるいは魔力資質の高い民間人。彼らはそうした存在を狙い、自分たちの世界へ連れ去ろうとする」
結衣は唇を引き結んだ。
誘拐。人間を資源として見る侵略者たち。
これまでも何度か聞いてきた話ではある。
けれど、改めて説明されると、背筋が冷える。
魔法少女は、この街を守る存在だ。
けれど侵略者から見れば、強い魔力を持つ獲物でもある。候補生も同じ。
まだ力を扱いきれない少女たちですら、彼らにとっては奪う価値のある資源なのだ。
「そういった点では」
桐生の視線が、一瞬だけオブスキュリテへ向いた。
「シティ内に常駐し、こちらの防御機構そのものを壊そうとする組織は異端と言える」
何人かの視線が、オブスキュリテに集中する。警戒と非難が混じった視線だった。
オブスキュリテは、気にした様子もなく椅子にもたれていた。
むしろ、少しだけ退屈そうに目を細めている。
結衣は少しだけ胃が痛くなった。お願いだから、今は何も言わないで。
そう思った瞬間。
オブスキュリテは、薄く口元を歪めた。
「異端、ね」
小さな声だった。
だが、会議室が静まり返っていたせいで、よく響いた。
結衣の肩がわずかに強張る。
桐生は視線だけを向ける。
「何か補足があるか」
「別に」
オブスキュリテは淡々と答えた。
「あなたたちから見れば異端でも、向こうから見れば効率的な侵攻方法だっただけよ。星の接近を待たず、内側に拠点を作り、防御機構を破壊する。成功すれば、後続の侵攻はずっと楽になる」
会議室の空気が、さらに冷えた。言っていることは理屈として正しい。
だからこそ、不快だった。
彼女はかつて、それを実行しようとした側だ。
「……その効率的な方法で、君はこのシティを壊そうとしたわけだ」
幹部の一人が低く言った。声には明確な嫌悪があった。
結衣は思わずそちらを見る。
オブスキュリテは、表情を変えない。
「ええ」
あっさり認めた。
「失敗したけれど」
会議室のどこかで、誰かが息を呑んだ。
結衣は胸の奥が冷えるのを感じた。
オブスキュリテは続けない。
謝罪もしない。
言い訳もしない。
ただ、事実として口にしただけだった。
桐生が咳払いをする。
「話を戻す」
その一言で、会議室の空気がわずかに戻った。戻っただけで、軽くはならない。
桐生はモニターを操作し、ゲオルギアスの拡大図を表示する。
「ゲオルギアスについての既存情報を共有する」
桐生の合図で、別の職員が端末を操作した。
壁面のモニターが切り替わる。
映し出されたのは、巨大な翼を持つ異形だった。
鱗。爪。角。硬質な尾。長い首。
赤黒く発光する眼。
人型に近いものもいれば、完全に竜と呼ぶべき姿のものもいる。
どれも共通して、強い魔力反応をまとっていた。
ただの獣ではない。
異形であり、侵略者であり、なおかつ戦闘種族。
その姿を見ただけで、会議室の空気がさらに重くなる。
「竜種は飛行能力を持ち、機動力が高いです」
分析担当の職員が説明する。若い女性職員だったが、声は落ち着いていた。
彼女の手元の端末操作に合わせて、映像が拡大される。
翼の構造。飛行中の魔力流。過去の戦闘記録。
竜たちが空を旋回し、防衛線を飛び越える映像が表示された。
「地上の防衛地点を飛び越え、後方や避難区域へ直接到達する可能性があります。特に中型以上の個体は、通常の障壁を突破する突進力も持っています」
映像の中で、竜が一体、結界の一部に激突した。
古い記録映像だ。画質は粗い。
それでも、障壁がたわみ、亀裂が走り、次の瞬間には砕け散る様子がはっきり映っていた。
「防衛線を固定するだけでは足りない、ということか」
幹部の一人が呟く。声には苦々しさがあった。
「飛行可能な魔法少女には、遊撃戦力として動いてもらう必要があるだろうな」
別の幹部が頷く。
「局でも対空砲台の準備が必要だ。結界修復用の魔力を食うが、背に腹は代えられん」
「移動型砲台はどれだけ出せる」
「整備中のものを含めれば八基。ただし、全てを稼働させれば結界修復速度がさらに落ちます」
「落ちても出せ。竜に上を取られたら意味がない」
意見が交わされる。どれも急を要する話だった。
結衣は黙って資料を見つめていた。
飛ぶ敵。
それだけで、通常の異形よりも厄介になる。
地上で待ち構えても、避難区域へ飛び込まれれば防衛線は意味を失う。空中で止める手段が必要になる。
そして、自分も、おそらく対空戦力として数えられている。
結衣は無意識に左腕へ意識を向けた。
痛みはない。今は。
けれど、長時間の高機動戦になればどうなるかは分からない。
「前回の侵攻は二十年前」
桐生が資料を切り替える。古い映像が表示された。
炎上する街区。崩れた建物。
空を飛ぶ竜の影。避難する人々。
壊れた橋。踏み潰された車両。
空へ向けて放たれる魔法の光。
それを突き破るように降ってくる、竜のブレス。
粗い記録映像だった。
音声も途切れ途切れで、ところどころ映像が乱れている。
それでも、惨状は十分に伝わった。
「その際は、多くの民間人が犠牲となった。防衛体制の未熟さ、対空戦力の不足、避難誘導の遅れ。理由はいくつもある」
桐生は会議室を見回す。
「今回は、その悲劇を繰り返してはいけない」
重い沈黙が落ちる。
結衣は映像から目を逸らさなかった。
二十年前の映像。自分が生まれる前の事件。
それでも、そこに映る恐怖は今と地続きだった。
人が逃げている。魔法少女が戦っている。空から、竜が降ってくる。
今度は自分たちが、それを防がなければならない。
そう思うと、胸の奥が冷たく引き締まる。
「しかし」
幹部の一人が口を開いた。年配の男だった。
灰色の髪を後ろへ撫でつけ、鋭い目をしている。
彼は資料から視線を外し、ゆっくりとオブスキュリテへ向けた。
「侵略者どもは、魔力の高い者を攫って軍事力を高めるのが目的なのだろう?」
その視線は、明らかにオブスキュリテへ向けられていた。
問いかけというより、尋問に近い口調だった。
「それなら、なぜ殺す。二十年前の資料では、攫うだけではなく、殺害された民間人も多い」
会議室の視線が、再びオブスキュリテに集まる。
警戒。不信。嫌悪。
それに混じって、情報を求める視線。
オブスキュリテは、面倒くさそうに目を細めた。
「私に聞くのね」
「君は侵略組織にいた」
男は言った。
「我々よりも、連中の文化に詳しい可能性がある」
「便利な時だけ、情報源扱い」
オブスキュリテは薄く笑う。
口元だけの笑みだった。
「本当に都合がいい人たち」
会議室の空気が少し尖る。
結衣は小さく息を呑んだ。
「オブスキュリテ」
結衣が小さくたしなめる。あまり強くは言わない。
けれど、今は必要以上に敵を増やす場面ではない。
オブスキュリテは肩をすくめた。
「分かっているわよ」
そう言って、彼女はモニターに映る竜の映像へ視線を戻した。
数秒の沈黙。それから、淡々と口を開く。
「あの星では、魔力核をトロフィーとして誇る文化があると聞いたことがあるわ」
「魔力核?」
渡会 源二が眉を上げる。
普段なら軽口の一つでも挟みそうな男だが、今の声には茶化しがなかった。
「人間の体内に備わる、魔力を生成・循環させる器官よ」
オブスキュリテは淡々と言った。
「魔法少女や高魔力資質者は、その核が発達している。もちろん、通常は肉眼で見えるものではないし、簡単に取り出せるものでもない。けれど、彼らはそれを狩りの証として扱うことがあるらしい」
会議室が静まり返る。
誰かが不快そうに息を吐いた。
結衣の膝の上で、手が強く握られる。
魔力核。自分たちの中にあるもの。魔法を使うための器官。
それを戦利品として扱う。
想像しただけで、吐き気がした。
「つまり」
桐生が低く言う。
「攫う価値のない相手、あるいは戦利品として扱う相手は殺すと」
「そうでしょうね」
オブスキュリテは答える。
「魔力の高い者を生きたまま連れ去ることもある。自分たちの世界で利用するために。繁殖、研究、儀式、兵力化。目的はいくつかあるでしょう」
言葉は淡々としていた。
だが、その内容はあまりに不快だった。
「けれど、強い相手を殺し、その核を奪うことも、あちらにとっては名誉になる。私が聞いた限りでは、そういう文化よ」
「胸糞の悪い話だねぇ」
渡会が低く呟いた。
普段の飄々とした調子が、少しだけ消えていた。
「竜などと名乗っても、中身は野蛮な狩人か」
「彼らは彼らで誇り高いつもりなのでしょう」
オブスキュリテは言う。
「強き者を狩る。獲物の核を飾る。戦士としての栄誉を示す。そういう価値観よ」
「こちらから見れば、ただの殺人だ」
年配の幹部が吐き捨てるように言った。
「ええ」
オブスキュリテは否定しなかった。
「こちらから見れば、ただの侵略者」
その言葉に、何人かが複雑な顔をした。
侵略者。その単語を、オブスキュリテが口にする。
自分もまた、その側にいた人間であることを、どこまで意識しているのか。
結衣には分からなかった。
オブスキュリテは、続ける。
「ただし、ゲオルギアスは無秩序な獣の群れではないわ。彼らには彼らなりの階級と誇りがある。下位個体は命令に従い、中位以上は戦功を求める。上位個体は、強い魔力を持つ標的を優先的に狙う可能性が高い」
「標的」
桐生が繰り返す。
「魔法少女、候補生、魔力資質者か」
「ええ。特に、戦場で目立つ高魔力者は狙われやすい」
オブスキュリテの視線が、ほんの一瞬だけ結衣へ向いた。
「エースなんて、格好の獲物でしょうね」
結衣はその視線を受け止めた。
格好の獲物。言い方は嫌だった。
けれど、戦術上は正しい。
自分は目立つ。竜たちが強者を狩りの対象にするなら、自分は確実に狙われる。
「白瀬隊員の配置は慎重に検討すべきだな」
桐生が言った。
「前線に出さざるを得ないが、単独で突出させるわけにはいかない」
「竜に空へ攫われたら終わりです」
分析担当の職員が続ける。
「捕獲目的で来る個体と、殺害目的で来る個体の識別も必要になります」
「識別などできるのか」
「魔力波形に差がある可能性はあります。ただし、実戦中に見分けるには補助システムが必要です」
会議室に再び議論が生まれる。
対空警戒。高魔力者の保護。候補生の避難。
魔法少女の分散配置。
竜種の捕獲行動と殺害行動の違い。
どれも緊急性が高い。
しかし、結衣の意識は少しだけオブスキュリテへ向いていた。
彼女は淡々と話している。まるで、自分とは無関係な情報を提示しているだけのように。
だが、結衣には分からなかった。
その冷静さが本物なのか。
それとも、自分も侵略者側にいた事実から目を逸らすための仮面なのか。
オブスキュリテは椅子にもたれ、赤黒い竜の映像を見上げていた。
その横顔は冷たい。
けれど、完全に無関心にも見えなかった。
「……オブスキュリテ」
結衣は小さく呼んだ。会議の声に紛れるほどの声だった。
オブスキュリテは視線だけを向ける。
「何」
「その魔力核って、奪われたら……」
「死ぬわ」
即答だった。迷いはない。
「魔法少女に限らず、人間の魔力循環の中枢だから。乱暴に抜かれれば死ぬ。生きたまま摘出する技術があるなら別だけど、ゲオルギアスの文化としては、おそらく殺して奪う方が主流でしょうね」
結衣の喉が詰まる。麗奈が同席していたら、きっと顔をしかめていただろう。
いや、ここにいる幹部たちも同じだ。誰もが、不快感を隠しきれていない。
「候補生の避難を最優先にするべきですね」
医療班の代表が言った。
「まだ戦えない子たちを狙われたら、ひとたまりもありません」
「同意する」
桐生は頷いた。
「候補生および高魔力資質者の避難計画を前倒しする。結界内であっても安全とは限らない」
会議室に緊張が走る。
次々に指示が飛ぶ。
だが、渡会だけは少しだけ椅子にもたれ、オブスキュリテを見ていた。
「懸念があるとすれば」
オブスキュリテは続けた。会議室の視線が、自然と彼女へ集まる。
先ほどまでの不信。嫌悪。警戒。
それらはまだ消えていない。
けれど今は、それだけではなかった。
彼女が何を知っているのか。その情報が、どれほどの意味を持つのか。
誰もが耳を傾けていた。
オブスキュリテは、壁面のモニターに映る赤黒い星を見上げたまま言う。
「竜王の存在でしょうね」
会議室の空気が変わった。
ほんの一言。それだけで、重さが増す。
「竜王?」
渡会が、わざと軽い調子で言った。
空気を少しでも柔らかくしようとしたのか。
それとも、あえて軽く聞くことで話を引き出そうとしたのか。
いつもの飄々とした口調だった。
「なんだか、とんでもない存在がいるようだねぇ」
「私も話に聞いただけよ」
オブスキュリテは言う。
「あの世界には、竜たちを統べる複数の存在がいる。竜王と呼ばれているわ」
その言葉に、何人かの幹部が無言で目を細めた。
モニターに表示された竜の映像が、急に小さなものに見えた。
先ほどまで脅威として説明されていた中型竜や大型竜。
空を飛び、防衛線を越え、魔力核を狩る侵略者たち。
その竜たちを統べる存在。竜の頂点に立つ者。
それがどれほどの力を持つのか、想像するだけで会議室の空気は重くなる。
「その竜王が、今回来るかもしれないってこと?」
結衣が問う。自分でも、声が少し硬くなっているのが分かった。
竜王。
名前だけで、嫌な圧力がある。ただの上位個体とは違う。
災害に近い存在のように聞こえた。
オブスキュリテは、少しだけ首を傾げた。
「分からないわ」
「分からない?」
「基本、引きこもった連中ですもの」
場違いなほど軽い言い方だった。
何人かの幹部が眉をひそめる。ここでそんな言い方をするのか、という視線だった。
けれど、オブスキュリテは気にしない。
「竜王は自分の領域から滅多に動かない。配下の竜たちを送り込むことはあっても、自ら侵攻に参加することは少ないと聞いているわ」
「では、可能性は低いと?」
桐生が確認する。
期待を込めた問いではない。最悪を見積もるための確認だった。
「低いとは思う」
オブスキュリテはそこで一度言葉を切った。
そのわずかな間が、会議室の全員に嫌な予感を抱かせた。
「ただし、来た場合は最悪よ」
会議室の空気が凍る。
先ほどまで端末へ入力していた職員の手が、一瞬止まった。
「竜王が一体でも現れれば、通常の魔法少女小隊では止まらない。五人小隊をいくつ並べても、相手によっては時間稼ぎにしかならないでしょうね」
淡々とした声。だからこそ、脅しではないと分かる。
「結界損傷中の今なら、シティ内部へ直接侵入される可能性もある。外縁で止める前提で組んだ防衛案は、その時点で崩れるわ」
「対抗手段は」
幹部の一人が問う。声が少し荒い。
「知っているなら教えろ」
オブスキュリテは、少しだけ笑った。
馬鹿にするような笑みではない。もっと乾いた、呆れに近い笑みだった。
「私は万能の辞書じゃないわ」
幹部の眉が動く。
だが、オブスキュリテはすぐに続けた。
「でも、傾向なら言える」
彼女は椅子にもたれたまま、赤黒い星の立体映像へ視線を戻す。
「竜種は誇りを重んじる。特に上位個体ほどその傾向が強い。単純な罠にはかからない。弱者を餌にした誘導にも乗らない可能性が高い」
「では、どう動く」
桐生が問う。
「挑発には乗ることがある」
オブスキュリテは言った。
「強者を狙う傾向もある。魔力の高い者、名のある魔法少女、目立つ戦力。自分の武勲になる相手を優先する」
結衣は、その言葉の意味を理解した。
喉の奥が、静かに詰まる。
「囮が必要になるかもしれないってこと?」
「そういうこと」
オブスキュリテの視線が、結衣へ向く。
真っ直ぐに。逃がさないように。
「エース様は、きっと人気者でしょうね」
皮肉めいた言い方だった。
だが、事実でもあった。
白瀬 結衣。
現役エース。中央ステージの顔。オブスキュリテを倒した魔法少女。
高い戦闘力と知名度を持ち、シティ側の象徴に近い存在。
竜が強者を狙うなら、結衣は確実に標的となる。
結衣は言い返さなかった。言い返せなかった。
自分が狙われること自体に恐怖がないわけではない。
けれど、それ以上に、もし自分を狙わせることで被害を減らせるなら、そうすべきではないかと考えてしまう。
その思考が浮かんだ瞬間、隣のオブスキュリテの目が少しだけ細くなった。
まるで、結衣が何を考えたのか見透かしたように。
桐生が眉を寄せる。
「囮作戦は最後の手段だ。白瀬隊員に負担を集中させる前提では組まない」
結衣は少しだけ顔を上げた。
桐生の声は硬かった。命令として、はっきり線を引いている。
「賢明ね」
オブスキュリテは退屈そうに言った。
「もっとも、戦場で敵が賢明な判断をしてくれるとは限らないけれど」
「分かっている」
桐生は端末を操作し、対策案の項目を表示する。
モニターの一部が切り替わり、箇条書きの防衛項目が並び始めた。
「飛行戦力の再編。対空砲台の準備。避難経路の再確認。竜種の魔力核奪取への対策。高魔力資質者の保護。竜王出現時の緊急対応」
項目が次々と追加されていく。
対空迎撃班の配置。飛行可能な魔法少女の遊撃運用。
竜王級出現時の隔離戦場候補地。上位竜種の魔力波形識別。
オブスキュリテの赫塵を用いた対空干渉網。
記録されるたび、会議は一気に現実味を帯びていった。
遠い星の話ではない。まだ見ぬ伝説の怪物の話でもない。
近い内に、このシティで起こりうる現実。
そう突きつけられていく。
結衣は、オブスキュリテを横目で見る。
彼女の情報は役に立つ。危険なほどに。
この場にいる誰もが、それを認めざるを得なかった。
さっきまで不快げに彼女を見ていた幹部たちでさえ、今は彼女の言葉を聞き漏らすまいとしている。
侵略者側の知識。敵の価値観。
竜の文化。星間侵攻の実態。
それらは、今の局にとって喉から手が出るほど必要な情報だった。
だが、同時に。
彼女が知っているのは、侵略者側の世界だ。
二年間、彼女はそこにいた。敵の中で生きていた。
局が知らない情報を知るほどに。
オブスキュリテは、こちら側から遠い場所へ行っていたのだ。
その事実が、結衣の胸に小さな痛みを残す。
オブスキュリテは、結衣の視線に気づいたのか、薄く笑った。
「何?」
「ううん」
結衣は首を振る。
「助かったと思って」
「利用価値があってよかったわね」
即座に返ってきた言葉に、結衣は眉を寄せた。
「そういう言い方しないで」
「事実でしょう」
オブスキュリテは、感情のない声で言う。
「私がここに呼ばれたのは、反省したからでも、赦されたからでもない。あなたたちにとって使い道があるからよ」
結衣は反論できなかった。
事実だからこそ、痛かった。
局はオブスキュリテを必要としている。
でも、それは彼女を信じたからではない。彼女を赦したからでもない。
情報源として。戦力として。
利用価値があるから、ここに座らせている。
それをオブスキュリテ自身が一番よく分かっている。
だから、傷つかないように先に言う。
利用されているだけだと。自分にはそれ以上の意味などないのだと。
結衣には、そう聞こえた。
「……私は」
結衣は小さく言いかけた。
けれど、会議中だ。ここで何かを言えば、またオブスキュリテは線を引くだろう。
結衣は言葉を飲み込んだ。
桐生の声が、再び会議室に響く。
「オブスキュリテ」
「何」
「竜王級が出現した場合、赫塵による飛行阻害は有効か」
オブスキュリテは少しだけ考えた。
「相手によるわ。竜王級は魔力量が桁違いでしょうから、低出力の広域干渉では弾かれる可能性が高い」
「高出力なら」
「当てられれば、多少は効くかもしれない。でも、私一人の赫塵で止められると思わない方がいい」
オブスキュリテは淡々と言った。
桐生は頷き、職員へ視線を向ける。
「記録。竜王級に対する赫塵は拘束ではなく、瞬間阻害として運用。主力攻撃班との連携必須」
「了解」
職員が入力する。
「白瀬隊員」
桐生の声が結衣へ向く。
「はい」
「君には、おそらく竜王級または上位竜種への対応班に入ってもらうことになる。ただし、左腕の状態を考慮し、単独運用はしない」
「分かりました」
結衣は頷いた。
怖さはある。けれど、役目から逃げるつもりはない。
オブスキュリテが、隣で小さく息を吐いた。
「相変わらず真面目ね」
「悪い?」
「別に」
オブスキュリテは視線をモニターへ戻す。
「死なない程度に頑張りなさい」
その言い方は冷たかった。
でも、結衣は一瞬だけ目を瞬かせた。
死なない程度に。
それは皮肉かもしれない。突き放す言葉かもしれない。
けれど、死ぬなと言われたようにも聞こえた。
結衣が何か返す前に、オブスキュリテはもう口を閉ざしていた。
会議室のモニターには、竜の星ゲオルギアスが赤黒く輝いている。
鱗のような地形。荒れ狂う魔力嵐。接近日を示す数字。
次に来る脅威は、もう近づいていた。
その赤い光が、会議室にいる全員の顔を照らしている。
幹部たちは、次々に指示を出す。職員たちは、対策項目を記録する。
渡会は腕を組み、険しい顔でモニターを見上げている。
桐生は淡々と議事を進めているが、その目には疲労が滲んでいた。
結衣は拳を握る。今度の戦いは、簡単には終わらない。
小規模ゲートのように、オブスキュリテの赫塵で動きを止めて処理するだけでは済まない。
空から竜が来る。高魔力者を狙う。魔力核を奪う。
そして、竜王が現れる可能性がある。
そんな戦いが、もう目の前に迫っている。
結衣は隣を見る。黒い拘束衣の少女。敵だった少女。
かつて親友だった少女。
今は、このシティを守るための情報を語っている少女。
その存在は、ひどく不安定だった。
危険で。
しかし必要で。
だけど遠くて。
それでも、手を伸ばしたくなる。
オブスキュリテは、結衣の視線を受けても何も言わない。
ただ、赤黒い星を見上げている。その横顔は、冷たい。
けれど、完全に無関心ではないように見えた。
結衣は静かに息を吸う。
利用価値。
オブスキュリテはそう言った。
確かに、局は彼女を利用している。
でも。
結衣は、心の中でだけ呟いた。それだけにはしたくない。
会議は続いていく。
竜の星ゲオルギアス。竜種の侵攻。竜王の可能性。
その全てが、シティの上に暗い影を落としていた。




