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魔法少女だった私は、すべてを奪われて侵略者になった  作者: 摩利
2章

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31/48

戦力


 オブスキュリテは再びバンに乗り込んだ。

 黒い拘束衣の肩は、雨で濡れていた。髪の先から、細い雫が落ちる。

 手首の拘束腕輪にも水滴がつき、車内灯を受けて鈍く光っていた。


 誰も、すぐには何も言わなかった。

 結衣も。麗奈も。前の座席に座る局員たちも。

 オブスキュリテが墓前で何をしたのか、ある程度は遠くから見えていた。


 花を供えたこと。線香をあげたこと。長く頭を下げていたこと。

 そして、しばらく動けずにいたこと。

 それでも、何を話したのかまでは分からない。


 聞いてはいけない。少なくとも結衣は、そう思った。

 バンのドアが閉まる。車はゆっくりと動き出し、墓地を後にした。

 本来なら、今日はこのまま魔法少女局へ戻る予定だった。


 オブスキュリテの外出許可は、四条 瑠香の墓参りまで。

 帰還後は拘束具を再確認し、局内の監視区域へ戻す。

 移送記録を残し、身体検査を行い、魔力制限具の動作ログを確認する。

 それだけのはずだった。


 戦闘任務ではない。実地運用でもない。

 外出許可の初日として、まずは短時間の移動と帰還を確認する。そういう段取りだった。


 車内は、来た時よりもさらに静かだった。

 結衣は窓の外を見ている。雨は、少しだけ強くなっていた。

 細かな滴が窓ガラスを叩き、いくつもの線になって流れていく。


 墓地の石壁が遠ざかる。濡れた木々が後ろへ流れる。古い参道が視界の端から消えていく。


 隣では、オブスキュリテが腕を組んで座っていた。いつも通りの無表情に戻っている。

 背筋も伸びている。顔も前を向いている。


 けれど、結衣には分かった。

 墓地へ向かう前とは少し違う。

 オブスキュリテの周囲にまとわりついていた棘が、ほんのわずかに濡れているように見えた。


 弱くなったわけではない。柔らかくなったわけでもない。

 ただ、先ほどまで墓前に立っていた赤羽 祈の気配が、完全には消えきっていない。


 だから結衣は、何も聞かなかった。

 聞きたいことはあった。何を話したの。

 でも、それは結衣が踏み込んでいいものではない。


 反対側では、麗奈が相変わらず背筋を伸ばして座っている。

 しかし、その横顔は墓地へ向かう前よりも硬かった。

 唇は強く結ばれている。膝の上に置かれた手にも力が入っていた。目は閉じている。

 けれど、眠っているわけではない。

 オブスキュリテの一挙手一投足を、目を閉じていても感じ取ろうとしているようだった。


 墓前で一人にしたことを、まだ納得していないのかもしれない。

 あるいは、遠くから見たオブスキュリテの姿に、何か思うところがあったのかもしれない。

 結衣には分からなかった。分からないまま、雨音だけが車内を満たしていく。

 そんな沈黙を破ったのは、助手席の通信機だった。


『緊急通達。第四区画東側にゲート発生予兆。周辺部隊、応答を』


 短く、硬い管制の声。それだけで、車内の空気が一変した。

 運転席の職員が息を呑む。

 助手席の職員がすぐに端末を確認した。地図データが小型画面に表示される。


 赤い点滅。現在地との距離。

 予測されるゲート展開までの時間。

 助手席の職員は、素早く情報を確認すると後部座席を振り返った。


「現在地から近いです」


 その声には迷いがあった。

 近い。それはつまり、この車両が初動対応に向かえる位置にいるということだ。

 だが、この車に乗っているのは通常の小隊ではない。


 白瀬 結衣。

 四条 麗奈。

 そして、オブスキュリテ。

 判断を迷うのも当然だった。


「白瀬隊員、対応可能ですか」


 結衣は一瞬だけ目を伏せた。

 左腕が、じくりと重くなる。治療は済んでいる。

 戦える。だが、まだ完全ではない。

 長時間の戦闘は避けるように言われている。

 魔力を流しすぎれば、痛みが戻る。

 無理をすれば、回復が遅れる。

 そんなことは分かっていた。


 だが、ゲートは待ってくれない。

 近くにいる魔法少女が動くしかない。

 それが、これまで何度も繰り返してきた現実だった。


「行けます」


 結衣は答えた。声に迷いはなかった。

 迷いを見せれば、車内全体が揺らぐ。今、自分が揺れてはいけない。

 そう分かっていた。


 オブスキュリテが、隣で小さく息を吐く。


「……仕方ないわね」


 まるで、面倒な用事を頼まれたような言い方だった。

 だが、その声に驚きはない。

 むしろ、こうなることを少し予想していたようにすら聞こえた。


 麗奈が目を開く。


「えっ、三人でですか」


 その声には、驚きと警戒が混じっていた。

 無理もない。

 普通、魔法少女は五人で小隊を組んで戦闘する。

 多すぎれば、人員を腐らせる。

 少なすぎれば、役割が足りず危険が増す。


 前衛。防御。遠距離。支援。予備。


 そのバランスを考慮した結果が、五人という人数だった。


 それに対して、今ここにいるのは三人。

 しかも一人は、拘束具付きの元敵幹部。

 もう一人は、監視役として同行している麗奈。


 正規の小隊とは、とても言えない。

 結衣は麗奈へ向き直った。


「大丈夫。私が前に出るから、麗奈ちゃんはサポートをお願い」


「ですが、規則では――」


「状況次第で、近隣部隊が合流するまでの初動対応は認められてる。無理に殲滅しなくていい。足止めだけでもいい」


 結衣はそう言ってから、隣のオブスキュリテをちらりと見る。


「……まあ、今回は足止めだけで終わらないかもしれないけど」


 オブスキュリテは薄く笑った。


「怖いのなら、車の中にいてもいいのよ」


 麗奈の眉が跳ねた。


「こ、怖いなんて言ってないでしょ。ただ、規則に則らなくていいのか気になっただけよ」


「そういうことにしておくわ」


 オブスキュリテは楽しげに言った。

 麗奈の額に青筋が浮かぶ。

 車内の緊張が、別の意味で危うくなった。

 結衣は慌てて両手を上げる。


「二人とも、現場に着く前から喧嘩しない」


「喧嘩ではありません」


 麗奈が即答する。


「からかわれて反応しているだけよ」


 オブスキュリテも淡々と言った。


「あなたがからかわなければいいでしょう!」


「それもそうね」


 あっさり認めるオブスキュリテに、麗奈がますます言葉を詰まらせる。


「なっ……認めるなら最初から――」


「でも、反応がいいから」


「この人、本当に再収監した方がいいのでは?」


「麗奈ちゃん、落ち着いて」


 結衣は小さくため息をついた。

 本当にこの三人で大丈夫なのだろうか。

 不安はある。かなりある。

 麗奈はオブスキュリテを信用していない。オブスキュリテはわざと麗奈を煽る。結衣はその間で胃を痛める。

 どう考えても理想的な小隊ではない。


 だが、今は行くしかない。

 助手席の職員が管制へ通信を入れる。


「こちら移送車両七号。第四区画東側ゲート予兆に対し、白瀬隊員および同行戦力で初動対応に向かいます。近隣部隊の合流を要請」


『了解。展開予測地点を送信します。なお、当該車両の限定協力戦力について、現場判断での拘束具一部解除を許可。最終判断は白瀬隊員に委任』


 結衣の表情がわずかに引き締まる。

 現場判断。つまり、必要ならオブスキュリテの力を使えということだ。

 そのために、彼女は外へ出された。

 その事実が、今はっきりと突きつけられた。

 オブスキュリテは窓の外を見て、薄く笑う。


「ほら。さっそく出番みたいよ」


 その声には、皮肉があった。

 だが、それだけではない。

 どこか、退屈な檻から外へ引きずり出された獣が、ようやく鎖の長さを試すような響きもあった。

 麗奈はその横顔を睨む。


「妙な真似をしたら、私が止めます」


「楽しみにしているわ」


「楽しみにしないで!」


「二人とも!」


 結衣の声が、今度は少し強くなった。

 オブスキュリテと麗奈が、同時に黙る。

 結衣は一度だけ深く息を吸う。そして、前を見た。


「今はゲート対応が先。私たちが揉めてる間にも、現場では誰かが巻き込まれるかもしれない」


 その言葉に、麗奈の表情が引き締まる。

 オブスキュリテの笑みも、わずかに薄れた。


「役割を確認するよ」


 結衣は続ける。


「私が前衛。麗奈ちゃんは中距離から支援と防御。オブスキュリテは、許可が出るまで魔法を使わない。解除後は、ゲートと異形の魔力阻害を優先。人員への干渉は禁止」


「はいはい」


「返事は一回」


「はい」


 オブスキュリテが面倒そうに答える。

 麗奈がむっとした顔をする。

 結衣は、もう一度だけため息を飲み込んだ。


 バンは速度を上げる。雨に濡れた道路を、タイヤが水を弾きながら進んでいく。

 窓の外で、住宅街の景色が流れていく。空は暗い。

 遠く、第四区画の方角に、薄い歪みが見えた。


 小規模ゲートの前兆。空間が、裂けようとしている。

 結衣は拳を握った。左腕に小さな痛みが走る。

 それでも、視線は逸らさない。


 初めての三人での出撃。

 親友だった敵。姉を失った後輩。そして、その間に立つ自分。

 不安は尽きない。


 けれど、今は進むしかない。

 バンは雨の中、ゲート発生地点へ向かって走っていった。






 現着した時、空間はすでに歪み始めていた。

 第四区画東側。閉鎖された小さな商業通り。

 以前は飲食店や雑貨店が並んでいたらしいが、結界損傷以降は避難区域に指定され、今はほとんど人通りがない。

 店のシャッターは下りている。看板は雨に濡れ、色褪せた文字が街灯の光を鈍く反射していた。


 それでも、避難誘導はまだ完了していないらしく、遠くで警報が鳴っている。

 赤い誘導灯が点滅し、路地の向こうから住民を避難させる職員の声がかすかに聞こえた。


 道路の中央に、黒い亀裂が浮かんでいた。まだ開いてはいない。

 だが、周囲の空気がねじれ、濁った魔力が漏れ出している。

 雨粒が、その周辺だけ不自然に軌道を変えていた。

 落ちるはずの雨が横へ流れ、あるものは亀裂に吸い寄せられるように曲がり、あるものは途中で蒸発したように消える。


 ゲート発生予兆。このまま放置すれば、異形が現れる。

 結衣はバンを降りるなり、通信端末を起動した。


「こちら白瀬。現着しました」


『白瀬隊員、確認。ゲート開通まで残りわずかです。近隣部隊が到着するまで、初動対応をお願いします』


「了解」


 短く答えながら、結衣は周囲を確認した。

 正面の亀裂。左右の路地。二階建ての店舗。避難誘導の方向。退路。民間人の気配。

 一瞬で視線を走らせ、戦場の形を頭に入れる。


 オブスキュリテも、続いてバンを降りた。雨を気にする様子もない。

 濡れた路面に黒い靴を置き、歪みかけた空間を見上げる。その顔に怯えはなかった。驚きもない。

 まるで、何度も見慣れた現象を確認しているだけのようだった。


「先に、これを外してちょうだい」


 オブスキュリテは両手首を軽く上げた。

 魔力封じの腕輪。これがある限り、彼女は魔力を使えない。


「あ、ごめん」


 結衣は急いで解除端末を取り出した。

 認証。承認。限定解除。

 端末に表示された警告文が、赤く点滅する。


 限定協力戦力。

 魔法使用許可。

 監視継続。

 制裁機能維持。


 結衣は確認し、承認を押した。


 腕輪の一つが、淡い音を立てて緩む。

 完全に外すわけではない。魔法使用を許可するだけだ。

 制裁用の腕輪と位置情報の拘束は、今も生きている。

 それでも、オブスキュリテの魔力は解放された。


 空気が変わる。

 雨に濡れた商業通りの中で、赤黒い魔力が微かに揺らいだ。


 麗奈が、わずかに構える。視線が鋭くなる。

 オブスキュリテがこの瞬間に何かするのではないか。

 解除された魔力で、結衣を攻撃するのではないか。逃げるのではないか。

 そう警戒しているのが、あからさまに分かった。


 オブスキュリテは、そんなものを気にしなかった。

 指先を軽く鳴らす。赤い火花が灯った。ぱちり、と乾いた音が雨音に混じる。

 麗奈の肩が、わずかに跳ねた。

 その反応を見て、オブスキュリテの口元が少しだけ緩む。


「そんなに驚かなくてもいいでしょう」


「驚いてません」


「そう」


 オブスキュリテは薄く笑った。


「ならいいけど」


 結衣は二人のやり取りに口を挟みかけたが、その前に通信が入った。


「通信。ゲート制御機構、解除します」


 助手席の職員が端末越しに報告する。


『周辺住民の退避誘導、継続中。開通後、速やかに異形を排除してください』


「了解」


 結衣は短く答え、前へ出た。

 空間の歪みが大きくなる。黒い亀裂が、濡れた道路の上で脈打つ。

 まるで、何かが内側から爪を立てているようだった。


『ゲート開通まで、残り十』


 カウントダウンが始まった。


『九』


 結衣は腰を落とす。

 左腕にはまだ不安がある。だが、右拳は握れる。

 脚も動く。足元の感覚も悪くない。前衛として動ける。


『八』


 麗奈が深く息を吸った。

 緊張が隠せていない。けれど、逃げなかった。左手は胸元へ。

 魔力を練る準備をしている。

 まだ動きは硬い。

 それでも、戦う意思はある。


『七』


 オブスキュリテは、だるそうに片手を突き出した。

 まるで、目の前の異常事態が些細な雑用でしかないかのように。

 だが、その指先には赤い火花がまとわりつき始めていた。

 細い雷が、爪先から手首へ、腕輪の周囲を避けるように走る。


『六』


 黒い亀裂が、さらに広がる。中心部から、濁った魔力が噴き出した。

 腐った鉄のような臭いが、雨の匂いに混じる。


『五』


 周囲の街灯が明滅する。

 看板の電光表示が乱れ、意味のない文字列を吐き出した。


『四』


 雨が、歪んだ空間に吸い込まれるように曲がった。

 足元の水たまりが震える。


『三』


 結衣が腰を落とす。

 白い魔力が脚へ集まる。

 必要最低限。無駄なく。

 いつでも飛び出せるように。


『二』


 麗奈が、ようやく自分の魔力を練り始める。

 周囲に小さな結晶片のような光が浮かぶ。


 紅。蒼。翠。黄。


 まだ完全な形にはならない。

 それでも、四つの属性を宿した魔力が彼女の周囲に揺れていた。


『一』


 オブスキュリテの指先で、赤い雷が跳ねた。

 その瞬間だけ、雨粒が赤く照らされる。


『ゲート開通』


 黒い亀裂が開いた。


 一つ。


 ではなかった。


 三つ。


 商業通りの中央。

 右側の細い路地。

 そして、建物の二階付近の空中。

 同時に、三つのゲートが口を開けた。

 空間が裂け、黒い穴の向こうから異形の気配が溢れ出す。


「三つも……!」


 麗奈が息を呑む。その反応は当然だった。

 エースの結衣がいるとはいえ、三人で処理するには多すぎる。

 しかも、うち一人は元敵幹部。

 五人小隊でも緊張する数だ。


 麗奈は思わず結衣の方を見た。

 どうするのか。撤退するのか。

 近隣部隊が到着するまで防御に徹するのか。

 無理に殲滅せず、足止めだけで済ませるのか。


 だが、結衣の表情は普段通りだった。

 怖がっていない。焦っていない。

 もう何度もこういう事態を見てきた者の顔だった。


 結衣は、短く言う。


「オブスキュリテ」


「わかってるわよ」


 オブスキュリテは、面倒そうに応じた。

 それでも、その指先にはすでに赤い雷が集まっている。

 雨音の中で、赤雷だけが乾いた音を立てる。


「マギア・エンジン始動」


 声は低く、静かだった。赤い火花が、全身へ走る。

 腕輪を中心に封印術式が警告するように淡く光ったが、限定解除の範囲内だと判断したのか、作動はしない。

 黒い拘束衣の周囲に、赤い稲妻がまとわりつく。


赫塵かくじん斬虚雷業ざんきょらいごう


 次の瞬間、オブスキュリテの全身から赤い雷が放たれた。

 かつて魔法少女たちを恐怖させた赤雷。

 変身を剥がし、魔力を乱し、戦場を支配した魔法。

 その雷が、今度はゲートから這い出してきた異形兵たちへ向けられる。

 赤い雷が、三つのゲートへ同時に走った。


 中央のゲートから伸びた異形の腕を貫く。

 右路地から飛び出しかけた異形の胸を貫く。

 二階付近の空中ゲートから落下しようとしていた異形の頭部を貫く。


 肉を焼く音ではない。骨を砕く音でもない。もっと内側。

 異形たちの体内を流れる魔力構造そのものが、無理やり断線させられるような音がした。

 異形兵たちが、糸の切れた人形のように震えた。


 動きが止まる。爪を振り上げた姿勢のまま。這い出そうとした体勢のまま。空中から飛びかかろうとした瞬間のまま。

 がたがたと痙攣し、動けなくなる。


 中央の異形は、口を開けたまま声にならない音を漏らした。

 路地の異形は、壁に爪を立てたまま崩れかける。

 空中の異形は、翼のような器官を広げた姿勢で硬直し、そのまま重力に負けて落下した。


 麗奈は目を見開いた。

 分かってはいた。資料で読んでいた。

 オブスキュリテの魔法は、異形にも有効だと聞かされていた。

 魔力を持つ対象の制御系を乱し、動きを封じる。

 ゲートから流れ込む魔力そのものにも干渉できる。

 そう説明されていた。


 けれど、実際に見るのと、文字で読むのとでは違った。

 あまりにも一方的だった。異形が襲いかかる前に、もう戦闘が終わりかけている。

 数で押し潰されるはずの三つのゲートが、赤い雷一本でまとめて止められている。

 それは味方にいれば頼もしい力だった。

 同時に、敵に回れば悪夢そのものだった。


 麗奈の喉が、かすかに鳴る。

 あの日、魔法少女たちがこの赤雷に怯えた理由が、少しだけ分かった。

 こんなものを向けられたら。自分の魔法が、自分の体が、自分の誇りが、内側から止められたら。

 恐怖しない方がおかしい。


「マギアエンジン起動──白獅踏天はくしとうてん


 結衣が床を蹴った。濡れた路面が、白い魔力の閃きとともに弾ける。

 赤雷で動きを止められた異形へ、一切の迷いなく踏み込んだ。

 異形は爪を振り上げた姿勢のまま硬直している。

 黒い体が痙攣し、体内を流れる濁った魔力が赤い雷に絡め取られていた。


 結衣は躊躇しなかった。

 右拳が、一体目の胴を貫く。鈍い破砕音。

 黒い体が内側からひしゃげ、粒子になって崩れる。


 続けて二体目。

 結衣は脚に魔力を通し、濡れたアスファルトを蹴って跳び上がった。

 空中ゲートから落ちかけていた異形の頭上へ回り込む。

 踵が、頭部を叩き割った。異形の体が雨の中で砕け、黒い霧になって散る。


 着地と同時に三体目へ接近。

 右拳。膝。裏拳。流れるような連撃だった。

 赤雷で動きを封じられた異形は、反撃すらできない。

 ただ、結衣の打撃を受けるだけだった。


「麗奈ちゃんも早く!」


 結衣の声で、麗奈は我に返った。


「は、はい!」


 慌てて魔力を練る。

 雨に濡れた商業通りの中、麗奈の足元に淡い光が広がる。


「マギア・エンジン起動!」


 瑠香とは違う。姉のような華やかな衣装ではない。

 けれど、どこか四条の血を感じさせる、凛とした姿だった。


 手には、細身の剣。刃は細いが、芯は強い。

 麗奈の周囲に、四つの小さな結晶が浮かぶ。


 紅晶。蒼晶。翠晶。黄晶。


 四つの属性を宿した結晶が、雨粒を弾きながら淡く光っていた。

 麗奈は一瞬だけ呼吸を整え、前へ出た。

 赤雷に痺れた異形へ、剣を振るう。最初の一撃は少し硬かった。

 肩に力が入っている。踏み込みも浅い。

 怒りと緊張が、動きをわずかに鈍らせていた。


 だが、敵は動かない。

 赤い雷に縫い止められたまま、黒い体を震わせているだけだ。

 刃が通る。異形の体が斜めに裂け、粒子となって崩れる。


「次、右!」


 結衣の指示が飛ぶ。


「分かっています!」


 麗奈は叫び返しながら、右の路地へ向かった。

 そこでも、異形は赤雷に縫い止められていた。

 壁に爪を立て、今にも飛び出そうとしていた姿勢のまま、動けずに痙攣している。


 麗奈は剣を構える。

 紅晶が前へ出た。小さな炎が刃に宿る。

 麗奈は踏み込み、異形の首元へ斬撃を叩き込んだ。黒い皮膚が裂け、炎が内側へ食い込む。

 異形が声にならない音を漏らし、崩れ落ちた。


 麗奈が斬る。

 結衣が砕く。

 オブスキュリテが動きを止める。

 それだけだった。


 結果を言えば、戦闘は驚くほど簡単に終わった。


 否。


 戦闘とすら呼べない、一方的な作業だった。


 ゲートから異形が出る。

 オブスキュリテの赫塵が、魔力構造を痺れさせる。

 動きの止まった個体を、結衣と麗奈が処理する。

 それを繰り返すだけ。


 異形は爪を振るえない。

 飛びかかれない。

 逃げることもできない。

 赤い雷に絡め取られ、黒い体を震わせるだけ。


 オブスキュリテは、中央で片手を上げたまま立っていた。

 派手に動いているわけではない。叫んでいるわけでもない。

 ただ、指先をわずかに動かし、赤雷の流れを調整している。


 どのゲートから何体出てくるか。

 どの個体が最初に動き出そうとしているか。

 結衣がどこへ踏み込むか。

 麗奈の剣がどのタイミングで届くか。

 それらを見ながら、必要な場所へ赤い雷を走らせる。


 ほんの一瞬だけ痺れさせる。必要以上には撃たない。

 相手を殺すためではなく、味方が倒しやすい形に整えるための赫塵。

 それは、敵として戦場を支配していた時とは違う使い方だった。


 麗奈は剣を振るいながら、背筋に冷たいものを感じていた。


 強い。


 分かっていた。

 資料で読んだ。映像も見た。結衣からも説明を受けた。

 でも、想像以上だった。

 これが、オブスキュリテ。

 姉を死なせた事件の中心にいて。シティを壊そうとして。今は味方としてここに立っている少女。


 味方である限り、これほど頼もしい魔法はない。

 だが、もしもう一度敵に回れば。

 もし、この赤い雷が異形ではなく、自分たちへ向けられれば。


 自分の四つの結晶は、動く前に痺れさせられるかもしれない。

 剣に魔力を通すこともできなくなるかもしれない。

 変身を剥がされ、ただの少女として雨の中に放り出されるかもしれない。

 その想像だけで、麗奈の手に汗が滲んだ。

 剣の柄が、少しだけ滑る。


「左、遅い」


 オブスキュリテの声が飛んだ。

 麗奈は反射的に左を見た。

 閉じかけたゲートの端から、細い異形が一体、這い出そうとしている。


「っ!」


 麗奈が向き直るより早く、赤雷がその異形を貫いた。

 異形の体がびくりと硬直する。

 オブスキュリテは退屈そうに言った。


「見落とし」


「分かっています!」


「分かっているなら動きなさい」


「言われなくても!」


 麗奈は踏み込み、剣を振るった。

 異形の首が飛ぶ。黒い粒子が、雨の中へ散った。

 苛立ちはある。悔しさもある。

 だが、助けられた。

 それも事実だった。


 麗奈は奥歯を噛みしめる。

 認めたくない。だが、認めざるを得ない。

 オブスキュリテは、危険だ。

 そして、有用だ。


 最後の異形が、結衣の拳で砕け散る。黒い粒子が雨の中へ消えた。

 同時に、三つのゲートの亀裂が不安定に揺れる。

 オブスキュリテが指を鳴らした。

 赤雷が細い糸のように伸び、ゲートの縁をなぞる。

 濁った魔力の流れが痺れ、膨張しかけていた亀裂が縮んでいく。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 ゲートが、順番に閉じた。商業通りに、再び雨音だけが戻る。

 結衣は息を吐き、通信端末を起動した。


「こちら白瀬。ゲート三つ、処理完了。異形の残存反応なし」


 少し間があった。

 管制側でも確認しているのだろう。


『確認しました。近隣部隊到着前に終息……? 早いですね』


「こっちに強力な助っ人がいるので」


 結衣がそう言うと、オブスキュリテは眉をひそめた。


「助っ人じゃないわ。囚人よ」


「助っ人だよ」


「……勝手になさい」


 オブスキュリテはつまらなそうに指先の赤雷を消した。赤い火花が雨粒の中に溶ける。

 周囲に残っていた痺れるような魔力の気配も、少しずつ薄れていった。


 麗奈は剣を下ろす。肩で息をするほどではない。

 戦闘時間は短かった。消耗も少ない。

 それなのに、胸の奥は妙にざわついている。


 通常なら、三つのゲートを相手にすればもっと苦戦する。

 防御を固め、避難誘導を確認し、近隣部隊の到着を待ち、役割を分担しながら慎重に処理する。

 それが当たり前だった。


 だが今回は違った。

 オブスキュリテが止めた。結衣が砕いた。麗奈が斬った。

 それだけで終わった。

 あまりにも簡単に。あまりにも短く。


 だからこそ、麗奈は怖かった。

 強い力が味方になることの安心よりも。

 そんな力を持つ者が隣にいる不気味さの方が、まだ大きかった。


 結衣は端末を閉じる。


「怪我は?」


「ありません」


 麗奈は短く答えた。


「オブスキュリテは?」


「見て分からない?」


「確認」


「ないわ」


 オブスキュリテは面倒そうに返す。

 結衣は小さく頷いた。


「じゃあ、近隣部隊が来たら引き継ごう」


 その言葉に、オブスキュリテは雨に濡れた商業通りを見渡した。

 閉じたシャッター。濡れた看板。警報灯。

 遠くで避難誘導を続ける職員たち。

 そして、今は何事もなかったかのように雨に打たれている道路。


「ずいぶん退屈な初仕事ね」


「退屈なくらいでいいよ」


 結衣は言った。


「誰も怪我しなかったんだから」


 オブスキュリテは答えなかった。ただ、少しだけ目を細めた。

 麗奈は、その横顔を見た。何を考えているのかは分からない。

 けれど、ほんの一瞬だけ。

 オブスキュリテが結衣の言葉を否定しなかったことだけは、分かった。


 雨はまだ降っている。

 赤雷はもう消えた。

 それでも、麗奈の目には先ほどの光景が焼きついていた。

 敵を縫い止める赤い雷。戦場を一方的に支配する魔法。

 そして、それを当然のように扱う黒衣の少女。


 この人を外へ出す意味は分かりました。


 麗奈は心の中でそう呟く。

 けれど同時に、拳を握った。


 危険性を再確認しただけです。


 その二つの感情は、どちらも本物だった。


 結衣はすぐに解除端末を取り出す。


「はい、腕輪戻すね」


「せっかちね」


「規則だから」


 拘束具の制限が再起動する。

 オブスキュリテの魔力の流れが閉じられた。

 麗奈は、その様子を黙って見ていた。胸の奥に、複雑な感情が渦巻いている。


 悔しい。怖い。認めたくない。


 それでも、今この場で自分たちが助かったのは事実だった。

 オブスキュリテがいなければ、三つのゲートを三人で処理するのは危険だった。

 それは、麗奈にも分かっていた。

 結衣が振り返る。


「麗奈ちゃん、大丈夫?」


「……問題ありません」


 麗奈は剣を消した。

 けれど、その視線はオブスキュリテから離れない。


「ですが、分かりました」


「何が?」


 結衣が尋ねる。

 麗奈は、低く言った。


「この人を外に出す意味は、分かりました」


 オブスキュリテは、薄く笑う。


「あら。少しは評価してくれたのかしら」


「勘違いしないでください」


 麗奈は即座に返した。


「危険性を再確認しただけです」


「そう」


 オブスキュリテは肩をすくめた。


「それで十分よ」


 雨が降っている。

 商業通りには、戦闘の跡と、消えかけた黒い粒子だけが残っていた。


 結衣は二人を見比べる。

 相性は最悪。信頼関係など、欠片もない。

 それでも、たった今、三人は確かに一つの戦場を処理した。


 不安は消えない。むしろ、増えた気さえする。


 けれど。この組み合わせは悪くない。

 そう思ってしまった自分に、結衣は少しだけ苦笑した。


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