今回も
申し訳ありません、だいぶ日が開いてしまいました。今更ですが投稿再開します。
よければ読んでいただけると幸いです。
結衣が踏み込んだ。
だが、その動きは鈍かった。さっきまでの鋭さはない。床を蹴る足は重く、踏み込みも浅い。
魔力の流れは途切れ途切れで、白い魔法衣装も今にもほどけそうに揺らいでいる。
裾は粒子になって崩れかけ、腕の術式もところどころ欠けていた。
胸元の魔石は弱く明滅し、変身を維持するだけで限界だと訴えている。
誰が見ても分かる。
今の白瀬 結衣は、もう戦える状態ではない。
それでも結衣は前へ出た。足を引きずるように。倒れそうな体を、意思だけで支えるように。
左腕を引く。
狙いは、ボディ。
オブスキュリテは、その一撃を冷たい目で見ていた。
遅い。軽い。見えすぎる。
さっきまでの結衣なら、踏み込みの瞬間に魔力が跳ね、拳が空気を裂いていた。
けれど今は違う。魔力は乱れ、体は限界で、拳にも力が乗っていない。
ただ、前に出ているだけ。
ただ、倒れないように足を動かしているだけ。
左の拳が、胴へ伸びてくる。オブスキュリテは、難なくそれを腕で受けた。
鈍い音。
しかし、重さはない。先ほどまでのように骨へ響く衝撃ではなかった。
オブスキュリテは、そのまま結衣の左腕を掴む。細い腕だった。
赫塵で痺れ、魔力の通りも悪くなり、今にも力を失いそうな腕。
「威勢のいいことを言っても」
オブスキュリテの手に、赤い雷が集まる。
結衣の変身衣装が、赤い光に照らされて揺らいだ。
「あなたはもう終わりなのよ」
勝った。
オブスキュリテは、そう確信した。
今の結衣には、もうまともな魔力は残っていない。
変身も不安定。
足も鈍い。
右手も痺れている。
左腕を掴まれた時点で、逃げ場はない。
赤い雷を流し込めば、今度こそ終わる。
変身は完全に剥がれ、二度と立てない。
それで終わり。
この勝負も。
このシティも。
赤羽 祈だった頃の未練も。
夕焼けの訓練場も。
あの日の約束も。
全部、ここで終わる。
「さよなら、結衣」
赫塵が流れ込む。
その瞬間だった。顎に、衝撃が走った。
「――っ!?」
視界が跳ねる。脳が揺れる。足元の感覚が、一瞬だけ消えた。
オブスキュリテの体がふらつく。
赤い雷が乱れ、制御室の床に散った。
何が起きたのか、分からなかった。
結衣は左腕を掴まれている。変身は崩れかけている。
右手は痺れて使い物にならないはずだった。
なのに。
結衣の右腕だけが、白い魔法衣装に包まれていた。
肩から先だけ。他の部分は崩れかけているのに、右腕だけが不自然なほど強く光っている。
白い手甲。
明滅する術式。
痺れに抗うように、無理やり一点へ集められた魔力。
結衣は、わざと左腕を掴ませた。
赤雷を流し込む瞬間、オブスキュリテの意識が攻撃に向くことを読んでいた。
終わりだと確信する一瞬。
赫塵を流し込むために、防御が薄くなる一瞬。
その一瞬だけでいい。痺れた魔力をかき集める。全身ではなく、右腕だけに流す。
変身を維持する範囲を、右腕だけに絞る。
魔法少女としての力を、たった一本の腕に集める。
それは、正しい魔法の使い方ではなかった。
安定性もない。
持続力もない。
体への負担も大きすぎる。
けれど、今の結衣に残された最後の手段だった。
そして、打ち抜いた。
「結衣……!」
オブスキュリテの口元から血が飛ぶ。顎を打ち上げられ、奥歯が軋む。視界が揺れる。
それでも彼女は倒れなかった。怒りに満ちた目で、結衣を睨む。
結衣は荒い息を吐いていた。
左腕は掴まれたまま。赫塵が流れ込み、魔力が乱れている。白い衣装は今にも消えそうに揺らいでいる。
それでも、右腕だけはまだ光っていた。
結衣は、その右腕を大きく振りかぶった。全身の力を、そこへ集める。右腕だけが、白く輝く。
それを見て、オブスキュリテは即座に踏み込んだ。
大振り。隙が大きい。
右腕を振りかぶった結衣は、今すぐ防御できない。
それに、他の部分はほとんど生身だ。変身は右腕に集中している。
胸も、腹も、脚も、ほとんど守られていない。なら、そこを潰せばいい。
オブスキュリテは、ためのない縦拳を放った。
狙いは胸元。最短距離。最小動作。
赤い雷をまとった拳が、結衣の体へ走る。
生身の体に、魔法少女の身体能力で放つ一撃。
直撃すれば、ただでは済まない。
肋骨が砕ける。
肺が潰れる。
心臓に届くかもしれない。
最悪、死ぬ。
それでも、オブスキュリテは止まらなかった。
止まらないはずだった。
だが、拳が届く寸前。
ほんの一瞬だけ、視界に夕焼けの訓練場がよぎった。
床で眠っていた結衣。
それを揺り起こす自分。
こんなこと頼めるの、結衣しかいないから。
あの時の自分の声が、胸の奥で鳴った。
拳が、わずかに鈍る。
その一瞬を、結衣は見逃さなかった。
掴まれていた左腕。赫塵を流し込まれ、魔力が乱れ、力などほとんど入らないはずの腕。
結衣は、それを無理やり引き戻して盾にしていた。
鈍い音が鳴る。
続いて、嫌な音がした。
何かが潰れる音。
砕ける音。
骨か。
関節か。
肉か。
オブスキュリテの目が見開かれる。
結衣の顔が苦痛に歪む。喉が震える。呼吸が詰まる。
視界が白く弾けるほどの痛みが、左腕から全身へ走った。
けれど、彼女は声を上げなかった。
左腕が壊れても。痛みに意識が飛びそうになっても。
右腕だけは、止まっていない。
「祈」
結衣が、かすれた声で呼んだ。
その名前に、オブスキュリテの呼吸が止まる。
赤羽 祈。
捨てたはずの名前。
終わらせるはずだった名前。
なのに、親友《結衣》はまだその名を呼ぶ。
壊れた左腕で拳を受け止めながら。
殺されかけながら。
それでも、呼ぶ。
「止めるって」
結衣の右腕に、残った魔力が集まっていく。白い光が強くなる。
制御室の青い光と、オブスキュリテの赤い雷の間で、その右腕だけがまっすぐに輝いていた。
「約束したから」
拳が振り下ろされる。
いや、振り抜かれる。
そこに込められていたのは、ただの魔力ではなかった。
二年前に伸ばせなかった手。
返せなかったメッセージ。
守れなかった親友。
後輩たちへの誓い。
奈央への答え。
桐生たちの信頼。
シティを守る責任。
そして、赤羽 祈にこれ以上罪を背負わせないという、白瀬 結衣の覚悟。
あの日、訓練場で交わした約束。
もしもの時は、私が止める。
こんなこと頼めるの、結衣しかいないから。
その声が、結衣の胸の奥で響いていた。
「私は――!」
結衣は踏み抜いた。床の魔法陣が割れるように光る。
体は限界だった。左腕は壊れている。
右腕も、この一撃を放てばもう動かないかもしれない。
変身は、次の瞬間にも解けるだろう。
それでもいい。この一撃だけ届けばいい。
右拳が、オブスキュリテの顔面に叩き込まれた。
「あなたを、止める!」
衝撃が制御室を震わせた。
赤い雷が弾け飛ぶ。赫塵の膜が砕け、赤い火花が四方へ散る。
オブスキュリテの体が宙に浮いた。黒い衣装の魔力回路が断ち切られ、赫塵の光が乱れる。
赤い雷が糸のようにほどけ、空中で消えていく。
彼女はそのまま吹き飛び、制御室の壁に叩きつけられた。
重い音が響く。壁に亀裂が走る。
オブスキュリテの体が、力を失ったように崩れ落ちた。
制御室に、数瞬の静寂が落ちる。
赤い雷が消えていく。黒い衣装がほどけ、光の粒になって散る。
魔力回路の赤い紋様が消え、赫塵の気配が薄れていく。
そこに倒れていたのは、オブスキュリテではなかった。
赤羽 祈だった。
傷だらけで。血に濡れて。意識を失った少女。
かつて結衣と一緒に訓練場で笑っていた少女。
自分の魔法を怖がり、それでも誰かを守りたいと願っていた少女。
結衣は、荒い息を吐きながら立っていた。
右腕は光を失い、白い手甲が粒子になって消えていく。魔法衣装は崩れていく。
左腕はだらりと下がり、もう動かない。
指先の感覚もない。
痛みすら遠い。
膝が震える。
今にも倒れそうだった。
それでも、結衣は祈を見た。
気を失っている。動かない。
けれど、胸がわずかに上下している。
呼吸はある。生きている。
結衣は、かすかに笑った。泣きそうな笑顔だった。
安堵と痛みと、どうしようもない懐かしさが混じった笑顔。
「今回も」
声は掠れていた。喉が焼けるように痛い。
それでも、昔みたいに言った。
「私の勝ちだね」
その言葉を最後に、結衣の変身も完全に解けた。




