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魔法少女だった私は、すべてを奪われて侵略者になった  作者: 摩利
1章

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20/21

戦場では

 オブスキュリテは、結衣を見下ろしたまま通信を開いた。

 指先の赤い雷が、通信端末の表面を走る。端末に刻まれた異形側の魔法回路が、赫塵かくじんに反応して赤黒く明滅した。


「ストレガ」


『おや。終わりましたか?』


 湿った声が、端末越しに響く。

 いつもの調子だった。軽く、薄く、どこか楽しげで。

 まるで今この瞬間にもシティが崩壊しかけていることなど、舞台の幕が上がる前の余興でしかないと言わんばかりの声。


 オブスキュリテは、血の混じった唾を飲み込んだ。

 口の中が鉄臭い。舌で切れた唇の内側に触れると、鋭い痛みが走った。


「ええ。ちょっと苦戦したけど、問題ないわ」


 そう言った直後、膝が揺れた。視界がわずかに傾く。

 オブスキュリテは咄嗟に壁へ手をついた。指先から赤い雷が壁の魔法回路へ走り、青い光が一瞬だけ乱れる。


 息が荒い。胸が上下する。

 側頭部はまだ鈍く痛んでいた。ブラジリアンキックを受けた場所が、脈打つたびに疼く。


 脇腹も痛い。

 結衣のローキックを受けた脚も重い。

 腕も、肩も、背中も、投げられ、蹴られ、殴られた衝撃で悲鳴を上げている。


 勝った。

 確かに、結衣は倒した。

 白瀬 結衣は床に伏している。変身も解けている。もう拳を構えることもできない。

 けれど、それは余裕の勝利ではなかった。


 あと一手、間違えていたら。

 あの罠に結衣がかからなかったら。

 右手を掴むのが一瞬遅れていたら。

 ヘッドバッドの直後にもう一撃入れられていたら。

 倒れていたのは、自分だったかもしれない。


 オブスキュリテは奥歯を噛んだ。

 悔しい。憎い。

 それなのに、胸の奥に別の感情が混じりそうになる。

 やっぱり結衣は強い。そんな、赤羽祈だった頃の感情が。


 オブスキュリテは、それを認めなかった。認めてはいけなかった。

 だから、変身は解かない。赫塵の赤い雷を、全身にまとい続ける。


 体が悲鳴を上げていても。

 魔力回路が熱を持っていても。

 血の味で吐き気がしても。

 ここで止まるわけにはいかなかった。


 ここまで来たのだ。

 二年前に壊された自分のために。

 誰にも届かなかった怒りのために。

 踏みにじられた名前のために。

 赤羽 祈という祈りを、今度こそ終わらせるために。

 宿願のために。


「今から結界を壊す」


 オブスキュリテは言った。


「軍勢の準備を」


『承知しました』


 ストレガの声には、隠しきれない愉悦が滲んでいた。


『結界崩壊と同時に、外縁部から異形兵を流し込みましょう。いやはや、歴史的瞬間ですねぇ』


「余計なことを喋らないで」


『失礼。ですが、つい感慨深くなりまして』


 くつくつと、湿った笑い声が端末から漏れる。


『守る者として生まれた魔法少女が、街を守る結界を内側から破壊する。実に美しい反転です。あなたを招いた甲斐がありましたよ、オブスキュリテ』


 オブスキュリテの眉が、わずかに動いた。


「私は、あなたたちのためにやっているんじゃない」


『ええ、もちろん。あなたはあなたの復讐のために。我々は我々の侵攻のために。実に健全な相互利用です』


「分かっているなら黙って」


『では、ご武運を』


 通信が切れる。端末の赤黒い光が消えた。

 制御室には、警告音だけが残る。

 オブスキュリテは、ふらつきながら中枢制御核へ歩いた。一歩踏み出すたび、脇腹に痛みが走る。息を吸うたび、胸の奥が軋む。

 それでも止まらない。


 目の前には、青い光を放つ巨大な結晶柱がある。

 シティ全体を守る結界の心臓。淡い青の光が、内部で幾重にも重なり、回転している。

 美しい光だった。穏やかで、清らかで、誰かを守るために存在する光。

 その眩しさに、オブスキュリテは一瞬だけ目を細めた。

 昔の自分なら、きっとこの光を綺麗だと思っただろう。

 守りたいと思っただろう。

 結衣と二人で、この光を背負えるくらい強くなろうと笑っただろう。


 オブスキュリテは、ゆっくりと手を伸ばした。黒い手袋に包まれた指先が、青い結晶柱の表面に触れる。

 冷たい。けれど、その奥には膨大な魔力の脈動があった。

 街全体を巡り、人々を守り、異形を拒み続けてきた魔力。

 オブスキュリテは、その上に赤い雷を重ねた。


赫塵かくじん斬虚雷業ざんきょらいごう


 声は静かだった。

 だが、そこには確かな殺意があった。


 次の瞬間、赤い雷が制御核へ流れ込んだ。青い光が激しく揺らぐ。

 結晶柱の内部を回転していた魔法式が乱れ、いくつもの層が赤く染まる。

 制御室全体に警告音が鳴り響いた。


『中枢制御核、異常干渉』


『結界出力、急速低下』


『異常反応、内部流路へ侵入』


『第一から第四防衛層、維持困難』


 床の魔法陣が明滅する。天井から垂れる魔力ケーブルが震える。管の中を流れる青い光が、赤い濁流に侵されていく。

 制御核は抵抗していた。シティを守るために作られた巨大な魔法機構。

 数えきれないほどの術式が重なり、何重もの防衛層を形成し、外部からの干渉を拒む結界の心臓。

 そう簡単には落ちない。


 青い光が赤い雷を押し返そうとする。制御核の内部で、修復術式が起動する。

 侵食された流路を切り離し、新しい魔力経路を開こうとする。


 だが、赫塵はそこへ食い込んだ。

 魔力回路を痺れさせる。伝達を乱す。修復の指令を途中で途切れさせる。

 結界の維持術式を、内側から少しずつ蝕んでいく。


「この結界も、頑丈ね」


 オブスキュリテは笑った。

 笑ったつもりだった。

 けれど、その声はわずかに掠れていた。


「でも、時間の問題よ」


 掌から赤い雷を流し続ける。出力を上げる。体内の魔力が削られていく。

 赫塵を全力で維持し続ける負荷に、オブスキュリテの肩が震えた。


 それでも止めない。

 ここで止めれば、すべてが無駄になる。

 あの日から積み重ねた怒りも。

 組織で過ごした二年間も。

 オブスキュリテという名前も。

 全部が、中途半端なまま残ってしまう。


 だから壊す。

 この青い光を。この街を。赤羽 祈が守りたいと願ったものを。




 床に横たわる結衣は、それを見ていることしかできなかった。


 体が動かない。

 変身は解けている。

 魔力は痺れている。

 腹の奥が焼けるように痛い。

 呼吸をするたび、喉の奥から鉄の味が上がってくる。

 視界はぼやけ、耳鳴りが消えない。


 それでも、警告音だけは聞こえた。

 制御核の悲鳴のような警告。結界が落ちていく音。シティが壊れようとしている音。


 立たなきゃ。止めなきゃ。

 結衣は床に爪を立てた。

 指先が震える。膝を動かそうとする。

 動かない。


 胸の奥へ意識を向ける。魔力を練ろうとする。

 だが、赫塵の痺れがまだ残っている。光を集めようとすれば、途中で散る。変身の核へ繋げようとすれば、赤い残滓が邪魔をする。


 手足が重い。体が、自分のものではないみたいだった。

 赤い雷が、青い光を侵していく。


 祈が。


 オブスキュリテが。


 本当に、シティを壊そうとしている。





「結界機能、さらに低下!」


 臨時管制室に、オペレーターの悲鳴に近い声が響いた。

 その瞬間、室内の空気が一段階重くなる。

 壁一面のモニターには、シティ全域の状況が映し出されていた。


 防御機構中枢施設。

 各ゲート発生予測地点。

 避難区域。

 魔法少女部隊の配置。

 負傷者搬送ルート。


 そして、シティ全体を覆う結界の状態。

 その結界図が、青から赤へと侵されていく。


「中枢制御核への赫塵侵入を確認! 第三防衛層、維持不能! 第四、第五防衛層も連鎖的に出力低下!」


「修復は」


 桐生が即座に問う。声は低く、抑えられていた。

 しかし、その横顔には明らかな緊張があった。


「止まりません!」


 オペレーターが叫ぶ。


「修復術式を流しても、赤雷に乱されます! 中枢側からの干渉が強すぎます!」


 大型モニターの一角に、シティ結界の損傷率が表示されていた。


 三十パーセント。


 三十八。


 四十二。


 数字が、じわじわと上がっていく。上がるたびに、室内の誰かが息を呑む。

 先ほどまでは、損傷を想定地点へ誘導できていた。結界にあえて弱い流路を作り、ゲートが開く場所を制御する。危険な賭けではあったが、作戦は機能していた。


 しかし今は違う。

 中枢制御核そのものに赫塵が入り込んでいる。

 結界の外側ではなく、心臓部から侵されている。

 これでは、損傷の流れを制御しきれない。


「白瀬隊員が、やられたのか……」


 幹部の一人が、青ざめた顔で呟いた。声は大きくなかった。

 だが、管制室の空気にはっきりと落ちた。

 誰もが、その可能性を考えていた。


 中枢への赫塵侵入。

 止まらない出力低下。

 そして、白瀬 結衣からの通信途絶。


 最悪の想像をするなという方が無理だった。


「やはり、彼女一人に任せるには荷が重かったのでは」


 別の幹部が、絞り出すように言った。


「相手はオブスキュリテです。元魔法少女で、こちらの施設構造にも詳しい。あの赤雷は魔法少女にとって天敵だ。いくら白瀬隊員がエースとはいえ――」


 その声に、管制室の何人かが反応する。

 否定したい。

 だが、否定しきれない。


 白瀬 結衣一人に、あまりにも重い役目を背負わせたのではないか。

 そう思った者は、一人ではなかった。


 しかし、桐生は振り向かなかった。

 視線をモニターから外さないまま、低く言う。


「どの道、白瀬隊員以外にオブスキュリテの魔法に対抗できる者はいない」


 その言葉は冷静だった。残酷なほどに現実的だった。


「魔力出力の高い魔法少女ほど、赫塵の影響を大きく受ける。複数名で突入させれば、まとめて変身を剥がされる危険がある。防衛装備も、魔動機械も、相手の赤雷には相性が悪い」


 桐生は拳を握った。


「中枢に最後の防壁を置くなら、白瀬隊員しかいなかった」


「しかし――」


「我々は、彼女を信じるしかない」


 低い声だった。迷いを押し殺した声だった。

 管制室に、短い沈黙が落ちる。


 桐生自身、分かっていた。

 信じるしかない、などという言葉は、指揮官としてはあまりにも頼りない。

 だが、今この場で現場に走ることはできない。

 自分が拳を振るうことはできない。

 中枢制御室でオブスキュリテと向き合っているのは、白瀬 結衣だ。


 ならば、ここにいる者たちがすべきことは一つだった。

 彼女が立ち上がる時間を稼ぐ。シティを少しでも長く持たせる。現場を支える。


「シティ側のゲートはどうなっている」


 桐生は話を切った。

 オペレーターが慌てて端末を操作する。


「指定ポイント以外にも、ゲート発生の兆候あり!」


「数は」


「増加中です! 結界損傷に伴い、誘導しきれなくなっています!」


 大型モニター上に、新たな赤い点がいくつも浮かんだ。

 これまで想定地点に集中していたゲート反応が、徐々に別の区域へ広がり始めている。

 旧商業区画。廃棄倉庫街。避難済みの学校周辺。

 そこまではまだいい。

 だが、次に表示された地点に、オペレーターの声が詰まった。


「第七避難区域近辺に、小規模ゲート反応……!」


 管制室に緊張が走る。


「避難状況は」


「八割完了。ですが、病院搬送班と高齢者施設の一部がまだ移動中です!」


 桐生は拳を握った。


「遊撃の魔法少女部隊を向かわせろ」


「了解!」


「避難区域に近いものを最優先で潰せ。赤雷個体が確認された場合は交戦を避け、遠距離班が到着するまで足止めに徹しろ」


「はい!」


「近接班だけで無理に処理するな。足止めでいい。市民との間に壁を作れ」


「了解!」


 指示は飛ぶ。

 オペレーターたちは必死に端末へ向かう。通信回線が次々と開かれ、現場の魔法少女たちへ座標が送られていく。

 だが、管制室の空気は重かった。


 誰もが、同じ想像をしていた。


 このまま結界が落ちれば。ゲートが無秩序に開けば。異形の群れがシティへ流れ込めば。

 避難は完了しているとはいえ、全員を完全に逃がせたわけではない。

 病院には、動かせない患者がいる。

 避難に遅れた高齢者もいる。

 家族を探して戻ろうとする者もいるだろう。


 荷物を取りに戻る者。

 ペットを探す者。

 家族と連絡が取れず、避難所を飛び出す者。


 恐怖と混乱の中で、人は必ずしも合理的には動けない。その一人一人を、完全に守りきれる保証などない。


 シティは、持たない。

 その暗い想像が、管制室全体を押し潰そうとしていた。


 その時だった。


「顔を上げろ」


 桐生の声が響いた。大声ではなかった。けれど、不思議とよく通った。

 端末に向かっていたオペレーターたちが、はっと顔を上げる。

 桐生は、大型モニターを見据えたまま続けた。


「白瀬隊員を信じるんだ」


 その言葉に、何人かが息を呑む。


「彼女はまだ負けたと決まったわけではない」


 桐生は言った。


「通信が途絶えた。中枢に赫塵が侵入した。状況は最悪に近い。だが、白瀬隊員が完全に倒れたという報告はまだない」


 誰も、何も言えなかった。


「こちらが諦めれば、その時点で終わる」


 桐生の声が、少しだけ強くなる。


「中枢制御室で戦っている白瀬隊員も、各地点で異形を止めている魔法少女たちも、避難誘導を続けている職員たちも、まだ諦めていない。なら、管制室が先に諦めるな」


 オペレーターたちの表情が、少しずつ変わっていく。

 恐怖は消えない。不安も残っている。

 それでも、桐生の言葉が、沈みかけていた意識を引き戻した。


「中枢の回復支援を継続。ゲート誘導は可能な限り維持。想定外地点には遊撃部隊を回せ。市民避難と各防衛地点への支援を続けろ」


 桐生は、管制室の全員へ向けて言った。


「上が先に折れるな」


 管制室に、短い沈黙が落ちる。

 次の瞬間、オペレーターたちが再び端末へ向き直った。


「了解!」


「中枢への修復術式、再送します!」


「第七避難区域、遊撃班へ連絡!」


「想定外ゲート、座標送信!」


「第三防衛地点、遠距離班に支援要請!」


「避難バスのルート変更、交通管理局へ送ります!」


「医療搬送班に警告! 第七区域を迂回!」


 声が戻る。管制室が再び動き出す。

 誰も余裕などなかった。誰も楽観などしていない。

 それでも、動く。


 まだ終わっていない。

 誰もが、そう自分に言い聞かせるように動き続けた。




 シティ東部、第三想定ゲート地点。

 そこは、避難区域から少し離れた旧物流エリアだった。


 巨大な倉庫が並び、広い道路が交差し、普段なら大型輸送車が行き交う場所。

 だが今は、すべての建物が閉鎖され、人の気配はない。


 その代わりに、黒い亀裂が空間を裂いていた。


 ゲート。


 結界の乱れによって開いた異形の侵入口。魔法少女たちは、その前に防衛線を敷いていた。


 近接班が前に出る。

 防御班が左右に結界を張る。

 遠距離班は倉庫の屋上や後方の臨時足場から、赤雷個体を狙う。


 何度も確認した陣形だった。

 けれど、戦いが始まってから、もうどれくらい経ったのか分からない。

 倒しても、倒しても、異形は現れる。


 黒い体が地面を踏む。

 濁った目がこちらを見る。

 歪んだ顎が開く。


 そのたびに、魔法少女たちは前に出た。


「別地点にゲート出現!」


 通信を受けた魔法少女が叫んだ。

 前線にいた魔法少女たちの顔に、焦りが走る。


「こっちだけじゃないの!?」


「結界、そんなにまずいの?」


「待って、じゃあ避難区域の方は?」


 声が乱れる。ほんの一瞬。けれど戦場では、その一瞬が命取りになる。

 ゲートの奥から、新たな異形が這い出そうとしていた。


「落ち着け!」


 鋭い声が、混乱を断ち切った。声を飛ばしたのは、森山 奈央だった。

 戦闘用の魔法衣装ではない。奈央はもう、前線で戦える魔法少女ではない。


 かつては異形を斬り伏せ、後輩たちの前に立っていた。

 仲間を守り、戦場を駆け、魔法少女として名を知られていた。


 けれど今は違う。

 力のピークは過ぎた。変身できても、短時間。

 武器を出せても、かつてのようには振るえない。

 異形相手にまともに立ち回ることは、もうできなかった。


 それでも奈央は、この場にいた。

 魔法少女たちの指揮官として。

 後輩たちを見ているだけではいられなかった。


 自分にはもう、剣を振る力はない。

 だが、戦場を見る目はある。


 どこが崩れかけているか。

 誰が限界に近いか。

 どの敵を優先して落とすべきか。

 誰に声をかければ、あと一歩踏みとどまれるか。

 そういうことなら、まだ分かる。


 判断を下す経験はある。

 後輩たちの恐怖を受け止めることはできる。

 だから志願した。


 若い魔法少女たちが死力を尽くす中で、ただ安全な場所から見ていることなどできなかった。


「慌てるな!」


 奈央は通信端末を握りしめた。


「別地点のゲートには遊撃部隊が向かっている。お前たちは、この場を抑えることだけを考えろ!」


「でも、もし抜かれたら――」


「抜かせないために、今ここにいるんだろう」


 奈央の声は鋭かった。それは怒鳴りつけるための声ではない。

 恐怖で散りかけた意識を、もう一度前へ向けさせるための声だった。


「消耗した奴はいったん下がって交代! 変身が不安定な子は前に出るな! 赤雷個体は近接で受けるな、遠距離班に回せ!」


「はい!」


「防御班、右側が薄い! 結界を一枚追加!」


「了解!」


「ミオ、前に出すぎるな! 通常個体だけを止めろ!」


「分かってます!」


 三枝ミオは、剣を握り直した。

 腕が重い。肩も痛い。

 剣を振るたび、魔力が少しずつ削れていくのが分かる。


 それでも、まだ戦える。

 まだ変身は維持できている。

 まだ剣は握れている。


「次、来ます!」


 ゲートが開く。黒い亀裂が広がり、そこから異形が這い出してきた。

 通常の異形が二体。長い腕と歪んだ爪を持つ個体。

 その奥に、赤い雷をまとった個体が一体。


 赤い火花が爪の先で弾けた瞬間、前線の魔法少女たちの体が強張る。

 あの雷に触れれば、魔力が乱れる。変身が剥がれる。ただの少女として、異形の前に放り出される。

 その恐怖を、誰も忘れていなかった。


「近接班、通常個体を止めろ! 赤雷個体は通すな、でも触るな!」


 奈央の指示が飛ぶ。

 ミオは通常個体へ駆けた。剣に魔力を流す。

 息を吐く。怖さを押し込める。


 一体目の爪が振り下ろされる。

 ミオは横へ踏み込み、腕の内側へ入った。


「はあっ!」


 剣が異形の胴を裂く。黒い体が粒子になって崩れた。


 二体目が横から飛びかかる。

 ミオは後ろへ跳ぶ。爪が目の前を通り過ぎた。


 仲間の魔法弾が異形の肩を撃つ。動きが止まる。

 その隙に、ミオとも麗奈が左右から挟み込んだ。

 斬撃が交差する。二体目も崩れた。


 その奥から、赤雷個体が前へ出る。

 ミオたちは一斉に下がった。

 逃げたのではない。作戦通りだった。

 近接班が下がる。

 防御班が薄い結界を一瞬だけ張って進路を絞る。

 遠距離班が照準を合わせる。


「今!」


 奈央の声と同時に、後方から魔法弾が集中した。


 光弾と氷槍。

 魔力矢と圧縮された衝撃波。


 赤雷個体へ、遠距離攻撃が一斉に叩き込まれる。


 異形は爪を振るおうとした。しかし届かない。

 距離を詰める前に、胴を撃ち抜かれ、脚を砕かれ、頭部を貫かれた。

 赤い雷が散る。黒い体が崩れた。


「倒した!」


「次、来るよ!」


 いける。まだ、いける。

 ミオは自分にそう言い聞かせた。


 だが、ゲートの数が増えていた。一つ閉じる前に、次が開く。

 倒しても、倒しても、異形は途切れない。

 防御班の子が膝をついた。


「変身が、ちょっと……!」


「下がれ!」


 奈央が即座に叫ぶ。


「交代! 予備防御班、前へ!」


「はい!」


 別の魔法少女が走る。

 膝をついた子を後ろへ引き、代わりに結界を張る。


 連携は崩れていない。

 だが、消耗は確実に積み重なっていた。


 魔法少女たちの顔に、焦りと絶望が滲み始める。


「奈央さん……!」


 一人が振り返った。

 額には汗が浮かび、肩で息をしている。


「このままだと、魔力が――」


「分かってる」


 奈央は即座に答えた。

 分かっている。彼女たちの限界が近いことくらい、見れば分かる。


 剣を振る速度が落ちている。

 魔法弾の密度が薄くなっている。

 防御結界の展開が一拍遅れている。

 変身衣装の光が、何人か不安定になっている。


 それでも、今は止まれない。


「交代まであと二分。そこまで持たせろ」


「二分……!」


 その二分が、永遠のように重い。


 ミオの喉が鳴った。

 腕はもう重い。脚も震えている。

 目の前のゲートは、まだ閉じない。次の異形が、もう見えている。


「持つ」


 奈央は断言した。それは保証ではない。根拠のある安全宣言でもない。

 だが、ここで指揮官が迷えば、前線は折れる。

 だから言い切った。


「お前たちは持つ。今までの訓練はそのためにあった。怖いのは分かってる。でも、足を止めるな」


 彼女は前線の魔法少女たちを見た。


 震えている。

 疲れている。

 傷も増えている。


 それでも、逃げていない。


 その姿に、奈央の胸が痛んだ。

 本当なら、自分が前に立ちたい。


 守りたい。

 盾になりたい。

 赤雷個体が出たなら、自分が引き受けたかった。

 若い子たちにこんな顔をさせたくなかった。


 けれど、それはもうできない。

 今の自分が前に出ても、足手まといになるだけだ。

 守るつもりで、逆に守られる側になる。

 その現実が悔しい。

 歯がゆい。胸の奥を焼くほどに。


 だからせめて、声を出す。


 彼女たちが折れないように。

 恐怖に呑まれないように。

 次の一歩を間違えないように。


「落ち着け!」


 奈央は叫ぶ。


「結衣を、エースを信じろ!」


 その言葉に、魔法少女たちが顔を上げた。


 白瀬 結衣。


 中枢制御室で、オブスキュリテと向き合っている少女。

 自分たちの前で、オブスキュリテは私が止めると言ったエース。

 怖くても逃げないと宣言した先輩。


「あいつが必ず解決してくれる!」


 奈央は言った。そう言い切った。言い切らなければならなかった。

 けれど、心の中では祈っていた。


 結衣。頼む。今度こそ、間に合ってくれ。

 あの子を止めてくれ。


 このシティも。

 魔法少女たちも。

 そして、赤羽 祈も。

 もう誰も、これ以上壊れないように。


 遠くで、結界の空が赤く揺れた。まるで、シティ全体が悲鳴を上げているようだった。

 それでも、第三想定ゲート地点の魔法少女たちは、まだ立っていた。

 その中心で、奈央は戦えない体のまま、誰よりも戦場に声を張り続けていた。


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