戦場では
オブスキュリテは、結衣を見下ろしたまま通信を開いた。
指先の赤い雷が、通信端末の表面を走る。端末に刻まれた異形側の魔法回路が、赫塵に反応して赤黒く明滅した。
「ストレガ」
『おや。終わりましたか?』
湿った声が、端末越しに響く。
いつもの調子だった。軽く、薄く、どこか楽しげで。
まるで今この瞬間にもシティが崩壊しかけていることなど、舞台の幕が上がる前の余興でしかないと言わんばかりの声。
オブスキュリテは、血の混じった唾を飲み込んだ。
口の中が鉄臭い。舌で切れた唇の内側に触れると、鋭い痛みが走った。
「ええ。ちょっと苦戦したけど、問題ないわ」
そう言った直後、膝が揺れた。視界がわずかに傾く。
オブスキュリテは咄嗟に壁へ手をついた。指先から赤い雷が壁の魔法回路へ走り、青い光が一瞬だけ乱れる。
息が荒い。胸が上下する。
側頭部はまだ鈍く痛んでいた。ブラジリアンキックを受けた場所が、脈打つたびに疼く。
脇腹も痛い。
結衣のローキックを受けた脚も重い。
腕も、肩も、背中も、投げられ、蹴られ、殴られた衝撃で悲鳴を上げている。
勝った。
確かに、結衣は倒した。
白瀬 結衣は床に伏している。変身も解けている。もう拳を構えることもできない。
けれど、それは余裕の勝利ではなかった。
あと一手、間違えていたら。
あの罠に結衣がかからなかったら。
右手を掴むのが一瞬遅れていたら。
ヘッドバッドの直後にもう一撃入れられていたら。
倒れていたのは、自分だったかもしれない。
オブスキュリテは奥歯を噛んだ。
悔しい。憎い。
それなのに、胸の奥に別の感情が混じりそうになる。
やっぱり結衣は強い。そんな、赤羽祈だった頃の感情が。
オブスキュリテは、それを認めなかった。認めてはいけなかった。
だから、変身は解かない。赫塵の赤い雷を、全身にまとい続ける。
体が悲鳴を上げていても。
魔力回路が熱を持っていても。
血の味で吐き気がしても。
ここで止まるわけにはいかなかった。
ここまで来たのだ。
二年前に壊された自分のために。
誰にも届かなかった怒りのために。
踏みにじられた名前のために。
赤羽 祈という祈りを、今度こそ終わらせるために。
宿願のために。
「今から結界を壊す」
オブスキュリテは言った。
「軍勢の準備を」
『承知しました』
ストレガの声には、隠しきれない愉悦が滲んでいた。
『結界崩壊と同時に、外縁部から異形兵を流し込みましょう。いやはや、歴史的瞬間ですねぇ』
「余計なことを喋らないで」
『失礼。ですが、つい感慨深くなりまして』
くつくつと、湿った笑い声が端末から漏れる。
『守る者として生まれた魔法少女が、街を守る結界を内側から破壊する。実に美しい反転です。あなたを招いた甲斐がありましたよ、オブスキュリテ』
オブスキュリテの眉が、わずかに動いた。
「私は、あなたたちのためにやっているんじゃない」
『ええ、もちろん。あなたはあなたの復讐のために。我々は我々の侵攻のために。実に健全な相互利用です』
「分かっているなら黙って」
『では、ご武運を』
通信が切れる。端末の赤黒い光が消えた。
制御室には、警告音だけが残る。
オブスキュリテは、ふらつきながら中枢制御核へ歩いた。一歩踏み出すたび、脇腹に痛みが走る。息を吸うたび、胸の奥が軋む。
それでも止まらない。
目の前には、青い光を放つ巨大な結晶柱がある。
シティ全体を守る結界の心臓。淡い青の光が、内部で幾重にも重なり、回転している。
美しい光だった。穏やかで、清らかで、誰かを守るために存在する光。
その眩しさに、オブスキュリテは一瞬だけ目を細めた。
昔の自分なら、きっとこの光を綺麗だと思っただろう。
守りたいと思っただろう。
結衣と二人で、この光を背負えるくらい強くなろうと笑っただろう。
オブスキュリテは、ゆっくりと手を伸ばした。黒い手袋に包まれた指先が、青い結晶柱の表面に触れる。
冷たい。けれど、その奥には膨大な魔力の脈動があった。
街全体を巡り、人々を守り、異形を拒み続けてきた魔力。
オブスキュリテは、その上に赤い雷を重ねた。
「赫塵・斬虚雷業」
声は静かだった。
だが、そこには確かな殺意があった。
次の瞬間、赤い雷が制御核へ流れ込んだ。青い光が激しく揺らぐ。
結晶柱の内部を回転していた魔法式が乱れ、いくつもの層が赤く染まる。
制御室全体に警告音が鳴り響いた。
『中枢制御核、異常干渉』
『結界出力、急速低下』
『異常反応、内部流路へ侵入』
『第一から第四防衛層、維持困難』
床の魔法陣が明滅する。天井から垂れる魔力ケーブルが震える。管の中を流れる青い光が、赤い濁流に侵されていく。
制御核は抵抗していた。シティを守るために作られた巨大な魔法機構。
数えきれないほどの術式が重なり、何重もの防衛層を形成し、外部からの干渉を拒む結界の心臓。
そう簡単には落ちない。
青い光が赤い雷を押し返そうとする。制御核の内部で、修復術式が起動する。
侵食された流路を切り離し、新しい魔力経路を開こうとする。
だが、赫塵はそこへ食い込んだ。
魔力回路を痺れさせる。伝達を乱す。修復の指令を途中で途切れさせる。
結界の維持術式を、内側から少しずつ蝕んでいく。
「この結界も、頑丈ね」
オブスキュリテは笑った。
笑ったつもりだった。
けれど、その声はわずかに掠れていた。
「でも、時間の問題よ」
掌から赤い雷を流し続ける。出力を上げる。体内の魔力が削られていく。
赫塵を全力で維持し続ける負荷に、オブスキュリテの肩が震えた。
それでも止めない。
ここで止めれば、すべてが無駄になる。
あの日から積み重ねた怒りも。
組織で過ごした二年間も。
オブスキュリテという名前も。
全部が、中途半端なまま残ってしまう。
だから壊す。
この青い光を。この街を。赤羽 祈が守りたいと願ったものを。
床に横たわる結衣は、それを見ていることしかできなかった。
体が動かない。
変身は解けている。
魔力は痺れている。
腹の奥が焼けるように痛い。
呼吸をするたび、喉の奥から鉄の味が上がってくる。
視界はぼやけ、耳鳴りが消えない。
それでも、警告音だけは聞こえた。
制御核の悲鳴のような警告。結界が落ちていく音。シティが壊れようとしている音。
立たなきゃ。止めなきゃ。
結衣は床に爪を立てた。
指先が震える。膝を動かそうとする。
動かない。
胸の奥へ意識を向ける。魔力を練ろうとする。
だが、赫塵の痺れがまだ残っている。光を集めようとすれば、途中で散る。変身の核へ繋げようとすれば、赤い残滓が邪魔をする。
手足が重い。体が、自分のものではないみたいだった。
赤い雷が、青い光を侵していく。
祈が。
オブスキュリテが。
本当に、シティを壊そうとしている。
「結界機能、さらに低下!」
臨時管制室に、オペレーターの悲鳴に近い声が響いた。
その瞬間、室内の空気が一段階重くなる。
壁一面のモニターには、シティ全域の状況が映し出されていた。
防御機構中枢施設。
各ゲート発生予測地点。
避難区域。
魔法少女部隊の配置。
負傷者搬送ルート。
そして、シティ全体を覆う結界の状態。
その結界図が、青から赤へと侵されていく。
「中枢制御核への赫塵侵入を確認! 第三防衛層、維持不能! 第四、第五防衛層も連鎖的に出力低下!」
「修復は」
桐生が即座に問う。声は低く、抑えられていた。
しかし、その横顔には明らかな緊張があった。
「止まりません!」
オペレーターが叫ぶ。
「修復術式を流しても、赤雷に乱されます! 中枢側からの干渉が強すぎます!」
大型モニターの一角に、シティ結界の損傷率が表示されていた。
三十パーセント。
三十八。
四十二。
数字が、じわじわと上がっていく。上がるたびに、室内の誰かが息を呑む。
先ほどまでは、損傷を想定地点へ誘導できていた。結界にあえて弱い流路を作り、ゲートが開く場所を制御する。危険な賭けではあったが、作戦は機能していた。
しかし今は違う。
中枢制御核そのものに赫塵が入り込んでいる。
結界の外側ではなく、心臓部から侵されている。
これでは、損傷の流れを制御しきれない。
「白瀬隊員が、やられたのか……」
幹部の一人が、青ざめた顔で呟いた。声は大きくなかった。
だが、管制室の空気にはっきりと落ちた。
誰もが、その可能性を考えていた。
中枢への赫塵侵入。
止まらない出力低下。
そして、白瀬 結衣からの通信途絶。
最悪の想像をするなという方が無理だった。
「やはり、彼女一人に任せるには荷が重かったのでは」
別の幹部が、絞り出すように言った。
「相手はオブスキュリテです。元魔法少女で、こちらの施設構造にも詳しい。あの赤雷は魔法少女にとって天敵だ。いくら白瀬隊員がエースとはいえ――」
その声に、管制室の何人かが反応する。
否定したい。
だが、否定しきれない。
白瀬 結衣一人に、あまりにも重い役目を背負わせたのではないか。
そう思った者は、一人ではなかった。
しかし、桐生は振り向かなかった。
視線をモニターから外さないまま、低く言う。
「どの道、白瀬隊員以外にオブスキュリテの魔法に対抗できる者はいない」
その言葉は冷静だった。残酷なほどに現実的だった。
「魔力出力の高い魔法少女ほど、赫塵の影響を大きく受ける。複数名で突入させれば、まとめて変身を剥がされる危険がある。防衛装備も、魔動機械も、相手の赤雷には相性が悪い」
桐生は拳を握った。
「中枢に最後の防壁を置くなら、白瀬隊員しかいなかった」
「しかし――」
「我々は、彼女を信じるしかない」
低い声だった。迷いを押し殺した声だった。
管制室に、短い沈黙が落ちる。
桐生自身、分かっていた。
信じるしかない、などという言葉は、指揮官としてはあまりにも頼りない。
だが、今この場で現場に走ることはできない。
自分が拳を振るうことはできない。
中枢制御室でオブスキュリテと向き合っているのは、白瀬 結衣だ。
ならば、ここにいる者たちがすべきことは一つだった。
彼女が立ち上がる時間を稼ぐ。シティを少しでも長く持たせる。現場を支える。
「シティ側のゲートはどうなっている」
桐生は話を切った。
オペレーターが慌てて端末を操作する。
「指定ポイント以外にも、ゲート発生の兆候あり!」
「数は」
「増加中です! 結界損傷に伴い、誘導しきれなくなっています!」
大型モニター上に、新たな赤い点がいくつも浮かんだ。
これまで想定地点に集中していたゲート反応が、徐々に別の区域へ広がり始めている。
旧商業区画。廃棄倉庫街。避難済みの学校周辺。
そこまではまだいい。
だが、次に表示された地点に、オペレーターの声が詰まった。
「第七避難区域近辺に、小規模ゲート反応……!」
管制室に緊張が走る。
「避難状況は」
「八割完了。ですが、病院搬送班と高齢者施設の一部がまだ移動中です!」
桐生は拳を握った。
「遊撃の魔法少女部隊を向かわせろ」
「了解!」
「避難区域に近いものを最優先で潰せ。赤雷個体が確認された場合は交戦を避け、遠距離班が到着するまで足止めに徹しろ」
「はい!」
「近接班だけで無理に処理するな。足止めでいい。市民との間に壁を作れ」
「了解!」
指示は飛ぶ。
オペレーターたちは必死に端末へ向かう。通信回線が次々と開かれ、現場の魔法少女たちへ座標が送られていく。
だが、管制室の空気は重かった。
誰もが、同じ想像をしていた。
このまま結界が落ちれば。ゲートが無秩序に開けば。異形の群れがシティへ流れ込めば。
避難は完了しているとはいえ、全員を完全に逃がせたわけではない。
病院には、動かせない患者がいる。
避難に遅れた高齢者もいる。
家族を探して戻ろうとする者もいるだろう。
荷物を取りに戻る者。
ペットを探す者。
家族と連絡が取れず、避難所を飛び出す者。
恐怖と混乱の中で、人は必ずしも合理的には動けない。その一人一人を、完全に守りきれる保証などない。
シティは、持たない。
その暗い想像が、管制室全体を押し潰そうとしていた。
その時だった。
「顔を上げろ」
桐生の声が響いた。大声ではなかった。けれど、不思議とよく通った。
端末に向かっていたオペレーターたちが、はっと顔を上げる。
桐生は、大型モニターを見据えたまま続けた。
「白瀬隊員を信じるんだ」
その言葉に、何人かが息を呑む。
「彼女はまだ負けたと決まったわけではない」
桐生は言った。
「通信が途絶えた。中枢に赫塵が侵入した。状況は最悪に近い。だが、白瀬隊員が完全に倒れたという報告はまだない」
誰も、何も言えなかった。
「こちらが諦めれば、その時点で終わる」
桐生の声が、少しだけ強くなる。
「中枢制御室で戦っている白瀬隊員も、各地点で異形を止めている魔法少女たちも、避難誘導を続けている職員たちも、まだ諦めていない。なら、管制室が先に諦めるな」
オペレーターたちの表情が、少しずつ変わっていく。
恐怖は消えない。不安も残っている。
それでも、桐生の言葉が、沈みかけていた意識を引き戻した。
「中枢の回復支援を継続。ゲート誘導は可能な限り維持。想定外地点には遊撃部隊を回せ。市民避難と各防衛地点への支援を続けろ」
桐生は、管制室の全員へ向けて言った。
「上が先に折れるな」
管制室に、短い沈黙が落ちる。
次の瞬間、オペレーターたちが再び端末へ向き直った。
「了解!」
「中枢への修復術式、再送します!」
「第七避難区域、遊撃班へ連絡!」
「想定外ゲート、座標送信!」
「第三防衛地点、遠距離班に支援要請!」
「避難バスのルート変更、交通管理局へ送ります!」
「医療搬送班に警告! 第七区域を迂回!」
声が戻る。管制室が再び動き出す。
誰も余裕などなかった。誰も楽観などしていない。
それでも、動く。
まだ終わっていない。
誰もが、そう自分に言い聞かせるように動き続けた。
シティ東部、第三想定ゲート地点。
そこは、避難区域から少し離れた旧物流エリアだった。
巨大な倉庫が並び、広い道路が交差し、普段なら大型輸送車が行き交う場所。
だが今は、すべての建物が閉鎖され、人の気配はない。
その代わりに、黒い亀裂が空間を裂いていた。
ゲート。
結界の乱れによって開いた異形の侵入口。魔法少女たちは、その前に防衛線を敷いていた。
近接班が前に出る。
防御班が左右に結界を張る。
遠距離班は倉庫の屋上や後方の臨時足場から、赤雷個体を狙う。
何度も確認した陣形だった。
けれど、戦いが始まってから、もうどれくらい経ったのか分からない。
倒しても、倒しても、異形は現れる。
黒い体が地面を踏む。
濁った目がこちらを見る。
歪んだ顎が開く。
そのたびに、魔法少女たちは前に出た。
「別地点にゲート出現!」
通信を受けた魔法少女が叫んだ。
前線にいた魔法少女たちの顔に、焦りが走る。
「こっちだけじゃないの!?」
「結界、そんなにまずいの?」
「待って、じゃあ避難区域の方は?」
声が乱れる。ほんの一瞬。けれど戦場では、その一瞬が命取りになる。
ゲートの奥から、新たな異形が這い出そうとしていた。
「落ち着け!」
鋭い声が、混乱を断ち切った。声を飛ばしたのは、森山 奈央だった。
戦闘用の魔法衣装ではない。奈央はもう、前線で戦える魔法少女ではない。
かつては異形を斬り伏せ、後輩たちの前に立っていた。
仲間を守り、戦場を駆け、魔法少女として名を知られていた。
けれど今は違う。
力のピークは過ぎた。変身できても、短時間。
武器を出せても、かつてのようには振るえない。
異形相手にまともに立ち回ることは、もうできなかった。
それでも奈央は、この場にいた。
魔法少女たちの指揮官として。
後輩たちを見ているだけではいられなかった。
自分にはもう、剣を振る力はない。
だが、戦場を見る目はある。
どこが崩れかけているか。
誰が限界に近いか。
どの敵を優先して落とすべきか。
誰に声をかければ、あと一歩踏みとどまれるか。
そういうことなら、まだ分かる。
判断を下す経験はある。
後輩たちの恐怖を受け止めることはできる。
だから志願した。
若い魔法少女たちが死力を尽くす中で、ただ安全な場所から見ていることなどできなかった。
「慌てるな!」
奈央は通信端末を握りしめた。
「別地点のゲートには遊撃部隊が向かっている。お前たちは、この場を抑えることだけを考えろ!」
「でも、もし抜かれたら――」
「抜かせないために、今ここにいるんだろう」
奈央の声は鋭かった。それは怒鳴りつけるための声ではない。
恐怖で散りかけた意識を、もう一度前へ向けさせるための声だった。
「消耗した奴はいったん下がって交代! 変身が不安定な子は前に出るな! 赤雷個体は近接で受けるな、遠距離班に回せ!」
「はい!」
「防御班、右側が薄い! 結界を一枚追加!」
「了解!」
「ミオ、前に出すぎるな! 通常個体だけを止めろ!」
「分かってます!」
三枝ミオは、剣を握り直した。
腕が重い。肩も痛い。
剣を振るたび、魔力が少しずつ削れていくのが分かる。
それでも、まだ戦える。
まだ変身は維持できている。
まだ剣は握れている。
「次、来ます!」
ゲートが開く。黒い亀裂が広がり、そこから異形が這い出してきた。
通常の異形が二体。長い腕と歪んだ爪を持つ個体。
その奥に、赤い雷をまとった個体が一体。
赤い火花が爪の先で弾けた瞬間、前線の魔法少女たちの体が強張る。
あの雷に触れれば、魔力が乱れる。変身が剥がれる。ただの少女として、異形の前に放り出される。
その恐怖を、誰も忘れていなかった。
「近接班、通常個体を止めろ! 赤雷個体は通すな、でも触るな!」
奈央の指示が飛ぶ。
ミオは通常個体へ駆けた。剣に魔力を流す。
息を吐く。怖さを押し込める。
一体目の爪が振り下ろされる。
ミオは横へ踏み込み、腕の内側へ入った。
「はあっ!」
剣が異形の胴を裂く。黒い体が粒子になって崩れた。
二体目が横から飛びかかる。
ミオは後ろへ跳ぶ。爪が目の前を通り過ぎた。
仲間の魔法弾が異形の肩を撃つ。動きが止まる。
その隙に、ミオとも麗奈が左右から挟み込んだ。
斬撃が交差する。二体目も崩れた。
その奥から、赤雷個体が前へ出る。
ミオたちは一斉に下がった。
逃げたのではない。作戦通りだった。
近接班が下がる。
防御班が薄い結界を一瞬だけ張って進路を絞る。
遠距離班が照準を合わせる。
「今!」
奈央の声と同時に、後方から魔法弾が集中した。
光弾と氷槍。
魔力矢と圧縮された衝撃波。
赤雷個体へ、遠距離攻撃が一斉に叩き込まれる。
異形は爪を振るおうとした。しかし届かない。
距離を詰める前に、胴を撃ち抜かれ、脚を砕かれ、頭部を貫かれた。
赤い雷が散る。黒い体が崩れた。
「倒した!」
「次、来るよ!」
いける。まだ、いける。
ミオは自分にそう言い聞かせた。
だが、ゲートの数が増えていた。一つ閉じる前に、次が開く。
倒しても、倒しても、異形は途切れない。
防御班の子が膝をついた。
「変身が、ちょっと……!」
「下がれ!」
奈央が即座に叫ぶ。
「交代! 予備防御班、前へ!」
「はい!」
別の魔法少女が走る。
膝をついた子を後ろへ引き、代わりに結界を張る。
連携は崩れていない。
だが、消耗は確実に積み重なっていた。
魔法少女たちの顔に、焦りと絶望が滲み始める。
「奈央さん……!」
一人が振り返った。
額には汗が浮かび、肩で息をしている。
「このままだと、魔力が――」
「分かってる」
奈央は即座に答えた。
分かっている。彼女たちの限界が近いことくらい、見れば分かる。
剣を振る速度が落ちている。
魔法弾の密度が薄くなっている。
防御結界の展開が一拍遅れている。
変身衣装の光が、何人か不安定になっている。
それでも、今は止まれない。
「交代まであと二分。そこまで持たせろ」
「二分……!」
その二分が、永遠のように重い。
ミオの喉が鳴った。
腕はもう重い。脚も震えている。
目の前のゲートは、まだ閉じない。次の異形が、もう見えている。
「持つ」
奈央は断言した。それは保証ではない。根拠のある安全宣言でもない。
だが、ここで指揮官が迷えば、前線は折れる。
だから言い切った。
「お前たちは持つ。今までの訓練はそのためにあった。怖いのは分かってる。でも、足を止めるな」
彼女は前線の魔法少女たちを見た。
震えている。
疲れている。
傷も増えている。
それでも、逃げていない。
その姿に、奈央の胸が痛んだ。
本当なら、自分が前に立ちたい。
守りたい。
盾になりたい。
赤雷個体が出たなら、自分が引き受けたかった。
若い子たちにこんな顔をさせたくなかった。
けれど、それはもうできない。
今の自分が前に出ても、足手まといになるだけだ。
守るつもりで、逆に守られる側になる。
その現実が悔しい。
歯がゆい。胸の奥を焼くほどに。
だからせめて、声を出す。
彼女たちが折れないように。
恐怖に呑まれないように。
次の一歩を間違えないように。
「落ち着け!」
奈央は叫ぶ。
「結衣を、エースを信じろ!」
その言葉に、魔法少女たちが顔を上げた。
白瀬 結衣。
中枢制御室で、オブスキュリテと向き合っている少女。
自分たちの前で、オブスキュリテは私が止めると言ったエース。
怖くても逃げないと宣言した先輩。
「あいつが必ず解決してくれる!」
奈央は言った。そう言い切った。言い切らなければならなかった。
けれど、心の中では祈っていた。
結衣。頼む。今度こそ、間に合ってくれ。
あの子を止めてくれ。
このシティも。
魔法少女たちも。
そして、赤羽 祈も。
もう誰も、これ以上壊れないように。
遠くで、結界の空が赤く揺れた。まるで、シティ全体が悲鳴を上げているようだった。
それでも、第三想定ゲート地点の魔法少女たちは、まだ立っていた。
その中心で、奈央は戦えない体のまま、誰よりも戦場に声を張り続けていた。




