どうしてお前が生きている
引きこもって、どれくらい経ったのか分からない。
一週間かもしれない。一ヶ月かもしれない。もしかしたら、もっと長かったのかもしれない。
日付の感覚は、とうに消えていた。
カーテンを閉め切った部屋の中では、朝も夜も同じだった。
外が明るくなっても、私の部屋には薄暗い影しか落ちない。夜になっても、眠れるわけじゃない。
ただ、同じ天井を見上げて、呼吸だけを続けている。
スマホの電源は切っていた。最初は、何度も通知が鳴っていた。
メッセージ。着信。ニュースアプリの速報。知らないアカウントからの通知。見たこともない人間から送られてくる言葉。
怖くなって、電源を落とした。
テレビも見ない。リビングから漏れてくるニュース番組の音が聞こえるだけで、胃の奥が冷たくなった。
自分の名前が呼ばれるんじゃないかと思うだけで、手が震えた。画面の向こうに映る自分を想像するだけで、息が苦しくなった。
外の音も嫌だった。家の前を車が通る音。誰かの話し声。インターホン。シャッター音。遠くで笑う声。
その全部が、自分を責めているように聞こえた。
だから私は、布団の中に潜った。耳を塞いだ。目を閉じた。それでも、何も消えなかった。
けがが治った私を待っていたのは、拍手でも、心配でも、慰めでもなかった。
よく生きていたね、でもなかった。怖かったね、でもなかった。あなたのせいじゃない、でもなかった。
世間からのバッシングだった。
あの日のライブは、生中継されていた。
街中の大型ビジョンにも。配信サイトにも。ニュース番組にも。ファンのスマホにも。
私たちが歌っていたところも。
観客がペンライトを振っていたところも。
瑠香先輩がセンターで笑っていたところも。
そして、そのあとに起きた全部も。
私が異形の攻撃を受けて吹き飛ばされた瞬間。
床に転がって、立ち上がれなかった瞬間。
異形が私へとどめを刺そうとした瞬間。
瑠香先輩が私を庇って、致命傷を負った瞬間。
それでも最後まで立ち上がり、異形を斬り伏せた瞬間。
全部、映っていた。
誰もが見た。何度も見た。何度も切り抜かれた。
短い動画になって、拡散された。スロー再生されて、検証された。
赤い丸で私の位置が囲まれ、矢印で私の動きが示された。
字幕がつけられ、音楽がつけられ、知らない人たちが好き勝手に解説した。
『ここで赤羽 祈が反応できていれば』
『なぜ彼女は立ち止まったのか』
『四条 瑠香は本来なら避難誘導に回れたはず』
『この一瞬の判断ミスが悲劇を生んだ可能性』
専門家でもない人たちが、私の一瞬を何度も止めて、何度も戻して、何度も責めた。
私はベッドの上で、まともに起き上がることもできなかったのに。
世間は、とても分かりやすい答えを選んだ。
『赤羽 祈の判断ミスか』
『トップ魔法少女、後輩を庇い殉職』
『あの一瞬の隙がなければ被害は防げた?』
『防御機構不作動の中、若手魔法少女の未熟さが露呈』
『四条 瑠香を殺したのは誰なのか』
答えは、すぐに決まった。私だった。
防御機構が作動しなかったことも。無数のゲートが同時に開いたことも。
敵があまりにも周到に準備していたことも。観客席と非常口を同時に狙われたことも。
そういう難しい話は、すぐに後ろへ追いやられた。
多くの人にとって必要だったのは、原因ではなかった。
責める相手だった。そして私は、ちょうどよかった。
まだ若くて。まだ実績が少なくて。
映像の中で分かりやすく倒れていて。
瑠香先輩に守られて生き残ってしまった。
あの事件で出た犠牲も。瑠香先輩が死んだことも。
誰かの悲しみも。誰かの怒りも。
全部、私のせいだとされた。
最初は、そんなはずないと思った。
だって、私だって戦おうとした。私だって守ろうとした。 私だって、瑠香先輩に死んでほしくなんかなかった。
そう言いたかった。
でも、言えなかった。言ったところで、きっと誰も聞いてくれない。
言い訳だと言われる。反省していないと言われる。お前が死ねばよかったと言われる。
だから私は、口を閉じた。
黙っていれば、いつか分かってもらえるかもしれない。
調査が進めば、本当の原因が分かるかもしれない。
時間が経てば、みんな少しは落ち着くかもしれない。
そんなふうに、まだどこかで信じていた。
でも、違った。
時間が経つほど、言葉は増えた。怒りは強くなった。
私の名前は、事件の象徴みたいに扱われるようになった。
赤羽 祈。
その名前は、もう私のものではなかった。
ニュースの見出しになり、動画のタイトルになり、誰かの怒りのはけ口になった。
それからは、ひどいものだった。
学校に行けば、廊下で誰かがささやいた。
「人殺しが来た」
最初は、聞き間違いだと思った。そんなことを言われるはずがない。
同じ学校の生徒だ。
昨日まで、普通にすれ違っていた相手だ。文化祭の準備で一緒に段ボールを運んだ子もいる。
私のライブを見に来てくれた子もいる。魔法少女ってすごいね、と笑ってくれた子もいる。
だから、きっと聞き間違いだ。
そう思おうとした。けれど、次の日も聞こえた。
「よく学校来られるよね」
「瑠香さん、かわいそう」
「あいつが死ねばよかったのに」
声は、いつも小さかった。
私に直接ぶつけるほどの勇気はない。でも、聞こえないようにする優しさもない。
廊下を歩くだけで、視線が刺さった。
教室に入ると、会話が止まった。
席に着くと、誰かがわざとらしく椅子を引いた。
私が何か言えば、言い訳だと言われる気がした。黙っていれば、反省していないと言われる気がした。
だから私は、下を向いていた。
机の上には、赤いペンで文字が書かれていた。
人殺し。
教科書を開いても、同じ文字があった。
ノートの端にも。
プリントの裏にも。
ロッカーの扉にも。
上履きは何度も捨てられた。
ごみ箱の中。
校舎裏。
トイレの個室。
雨の日には、校庭の隅の泥の中に埋められていた。
机の中には、ぐしゃぐしゃに丸められた紙が詰め込まれていた。開く前から、そこに何が書かれているか分かった。
それでも捨てられなかった。捨てたら、また何かされる気がした。先生に言えば、もっと大事になって、もっと責められる気がした。
震える手で、一枚だけ開いた。
死ね。
次の紙には、消えろ、と書かれていた。
その次には、四条 瑠香を返せ。
それから先は、読めなかった。紙を握り潰しても、文字は消えない。目を閉じても、浮かんでくる。
死ね。
消えろ。
四条 瑠香を返せ。
私は、学校に行けなくなった。
でも、家も安心できる場所ではなかった。
連日、メディアが家の前に集まった。
朝から玄関先にカメラが並ぶ。見知らぬ記者がマイクを持って待っている。
宅配業者を装ってインターホンを押す人もいた。近所の人に話を聞いて回る人もいた。
知らない動画配信者が、勝手に家の前でカメラを回していた。
「四条 瑠香を死なせた魔法少女の自宅前に来ていまーす」
カーテンの隙間から見えたその顔は、楽しそうだった。
怒っているのでも、悲しんでいるのでもない。ただ、面白いものを見つけた人の顔だった。
インターホンは何度も鳴らされた。
母が出ないでいると、今度は電話が鳴った。
家の電話。母の携帯。父の携帯。知らない番号が、何度も何度も表示された。
夜になっても終わらなかった。むしろ、夜の方がひどかった。
名も知らない誰かが、塀にスプレーで文字を書いていった。
人殺し。
朝、母がそれを洗い流していた。
冷たい水をかけ、ブラシで何度もこすっていた。赤い塗料はなかなか落ちなかった。落ちたと思っても、薄く跡が残った。
まるで、家そのものに傷がついたみたいだった。
「お母さん、私も――」
手伝おうとした私に、母は振り向いた。笑っていた。
目の下に濃い隈を作って。髪も乱れて。手は赤く荒れて。
それでも、笑っていた。
「大丈夫。祈は部屋にいなさい」
大丈夫なわけがなかった。母の声はかすれていた。
父は朝から無言だった。妹は私と目を合わせなくなっていた。
家の中から、音が消えていった。前は、夕食の時にテレビがついていた。
父が仕事の愚痴をこぼして、母がそれをたしなめて、妹が学校の話をして、私は魔法少女の訓練の話をした。
そんな普通の音が、全部なくなった。食器の当たる音だけが、やけに大きく聞こえた。
最初に音を上げたのは、父だった。
ある日、いつものようにスーツを着て家を出た。
「行ってくる」
それが、父の最後の言葉だった。その日、父は帰ってこなかった。
会社にも行っていなかったらしい。電話は繋がらなかった。
警察にも相談した。魔法少女局にも連絡した。
でも、父は見つからなかった。
失踪。
その言葉を聞いた時、母はその場に座り込んだ。
私は、何も言えなかった。
父は逃げたのだろうか。私から。家から。世間から。責めることなんてできなかった。
だって、私だって逃げたかった。
次は妹だった。
妹は、私とは違って普通の子だった。
魔法少女でもない。事件に関係があるわけでもない。ただ、赤羽 祈の妹だった。
それだけで、学校でいじめられるようになった。
姉が人殺し。
お前の家、テレビで見た。
四条 瑠香を返せ。
そんな言葉を浴びせられたらしい。
ある日、妹は制服を着たまま玄関で立ち尽くしていた。靴を履こうとして、動けなくなっていた。そのまま、学校に行けなくなった。
私のせいで。私が赤羽 祈だったせいで。
そして、とうとう母が倒れた。
洗濯物を畳んでいる途中だった。ふらりと体が傾いて、そのまま床に崩れ落ちた。
病院へ運ばれる母を見ながら、私は思った。
私が生きているからだ。私がここにいるから、父はいなくなった。
妹は学校に行けなくなった。母は倒れた。
私が、赤羽 祈だから。
それでも、バッシングは止まらなかった。むしろ、家族のことまで話題になった。
『赤羽 祈の父、失踪か』
『妹も不登校との噂』
『家族は何を思うのか』
『母親が搬送? 現地から中継』
人は、どこまでも入ってくる。
家の中にも。学校にも。家族の傷にも。私の罪悪感にも。




