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魔法少女だった私は、すべてを奪われて侵略者になった  作者: 摩利
序章

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1/9

赤羽 祈

私なりの曇らせ物書いてみました。これを曇らせと言っていいのかわかりませんが。

最初ゆっくりと展開しますので、温かい目で見ていただければ幸いです。





 赤羽(あかば) (いのり)

 それが、私の名前だった。

 初めて自分の名前を文字で書けるようになった日のことを、今でも少しだけ覚えている。

 丸っこい字で、何度も何度も練習帳に書いた。

 赤。

 羽。

 祈。


 まだ漢字の意味なんて、ほとんど分かっていなかった。けれど、祈、という字だけはなんとなく特別に見えた。

 手を合わせて、何かを願う字。誰かの無事を願う時。誰かが幸せでありますようにと願う時。どうか届いてほしいと、胸の奥から思う時。そこにある言葉。

 それが、私の名前だった。


「祈れば、どんな人にだって真心は通じる」


 小さい頃、母はそう言っていた。

 もちろん、ただ願うだけで何もかも叶うという意味ではない。

 黙っていれば誰かが助けてくれるとか、空から奇跡が降ってくるとか、そういうことでもない。

 人を信じること。言葉を尽くすこと。相手の痛みに寄り添うこと。自分の気持ちを、諦めずに差し出すこと。


 そういう心を忘れない子になってほしい。

 誰かと心を通わせられる子になってほしい。


 そんな願いを込めて、両親は私にこの名前をつけたらしい。

 私は、その話を聞くのが好きだった。

 何度聞いても、少し照れくさくて、少し嬉しかった。

 名前なんて、自分で選んだものじゃない。

 生まれた時に、勝手に与えられたものだ。

 それでも、そこに願いが込められていると知るだけで、自分という存在が少しだけ大事なものに思えた。


 赤羽 祈。


 誰かと心を通わせるための名前。

 誰かの痛みに手を伸ばすための名前。

 私は、この名前が好きだった。

 祈という響きも。

 赤羽という名字も。

 誰かに呼ばれるたび、胸の奥がほんの少しあたたかくなるところも。


 学校で先生に名前を呼ばれた時。

 友達に「祈」と呼ばれた時。

 ステージの上でファンの人たちが私の名前を叫んでくれた時。


 そのたびに、私は少しだけ背筋を伸ばしたくなった。

 この名前に恥じない自分でいたい。


 誰かを傷つけるより、誰かを助けられる人になりたい。

 誰かを疑うより、まずは信じられる人でいたい。

 簡単に諦めるより、ちゃんと向き合える人でありたい。


 そう思っていた。

 だって、信じていたから。言葉を尽くせば、いつか分かり合える。

 相手が怒っていても。誤解されても。すぐには届かなくても。


 ちゃんと向き合って、ちゃんと伝えれば、いつかは届く。真心を向ければ、いつかは返ってくる。世界はそこまで冷たくない。

 そう信じていた。


 魔法少女になったのも、たぶん同じ理由だった。

 誰かを守りたかった。


 泣いている人に、大丈夫だと言いたかった。怖がっている人の前に立って、私がいるからと言いたかった。

 ステージの上で笑うことで、ほんの少しでも誰かの明日を明るくできるなら、それはとても素敵なことだと思った。


 魔法少女は、戦うだけの存在じゃない。

 歌って、踊って、笑って、手を振って。人々に希望を見せる存在。私はそれが好きだった。


 華やかな衣装も。眩しいライトも。客席を埋めるペンライトの海も。名前を呼んでくれる声も。

 その全部が、私にこう言ってくれている気がした。


 あなたは、誰かのためになれている。あなたの祈りは、ちゃんと届いている。


 だから私は笑った。怖くても笑った。疲れていても笑った。失敗して落ち込んだ日も、ステージに立てば笑った。


 誰かが私を見て、少しでも安心してくれるなら。

 誰かが私の名前を呼んで、少しでも元気になってくれるなら。

 それだけで、私はここにいていい気がした。


 私は、赤羽 祈だから。

 祈ることを諦めない子でいたかった。本気で、そう思っていた。


 あの事件が起きるまでは。





 その日、私はライブのステージに立っていた。

 会場を埋め尽くす歓声が、足元から体を震わせてくる。


 客席には、色とりどりのペンライトが揺れていた。

 青。

 白。

 桃色。

 金色。

 魔法少女ごとに決められたイメージカラーが、波みたいに広がっている。


 天井から降り注ぐ照明は眩しくて、熱い。

 ステージの床には魔法陣を模した光のラインが走り、私たちの動きに合わせて色を変えていく。


 身にまとった衣装は、魔法で編まれたステージ用のものだった。

 薄く、軽く、けれど少しの動きにも光を返す。

 スカートの裾が跳ねるたび、星屑みたいな粒子が散る。

 胸元のリボンには小さな魔石が埋め込まれていて、歌声に反応して淡く光る。

 普通のアイドル衣装とは違う。

 これは、私たちが魔法少女である証でもあった。


 魔法少女は、人を守るだけの存在じゃない。

 異形と戦い、街を守る。災害現場に駆けつけ、逃げ遅れた人を助ける。

 それが一番大切な役目なのは間違いない。


 でも、それだけじゃなかった。


 歌って、踊って、笑顔を届ける。

 怖いことばかりの世界で、それでも大丈夫だと伝える。

 子どもたちに夢を見せて、明日も頑張ろうと思ってもらう。

 そうして人々に希望を見せるのも、私たちの仕事だった。

 だからステージの上では、どれだけ息が苦しくても笑う。


 足が震えても、振り付けを間違えない。汗が頬を伝っても、顔は上げる。観客の前では、怖い顔なんて見せない。

 魔法少女は、希望だから。


 その中心に立っていたのが、四条 瑠香(しじょう るか)先輩だった。

 今日のセンター。

 現役トップクラスの人気と実力を持つ、誰もが認めるエース。

 ステージ名を呼ぶ歓声だけで、会場の空気が変わる人。


 先輩が一歩前に出るだけで、照明がそこに吸い寄せられるように見えた。

 指先を伸ばせば、客席のペンライトが波打つ。

 笑えば歓声が一段高くなる。

 歌えば、ざわめきすら溶けていく。

 歌えて、踊れて、戦える。


 言葉にすると簡単だけど、その全部を高い次元で成り立たせるのは、きっと想像もできないほど大変なことだ。

 けれど先輩は、それを当然のようにやってのける。


 どんなに激しい振り付けのあとでも、息を乱さずに笑う。

 カメラが向けば、完璧な角度で視線を返す。

 後輩が立ち位置を間違えれば、さりげなく自分の動きでフォローする。

 そして戦えば、どんな異形も迷いなく斬り伏せる。


 私は、そんな先輩に憧れていた。

 かっこいいと思った。綺麗だと思った。あんなふうになりたいと思った。


 もちろん、今日の私はまだ脇の方だ。

 センターからは遠い。ステージの端に近い位置。メインカメラに抜かれる回数も少ない。

 スポットライトの熱も、歓声の中心も、まだ私のものじゃない。


 それでもよかった。焦らなくていい。

 今はまだ、精いっぱいやれることをやるだけでいい。

 いつか、絶対にセンターに立つ。

 結衣と一緒に。ほんの少し前、そう誓い合ったばかりだった。


 白瀬 結衣(しらせ ゆい)

 私の親友。

 魔法少女候補生の中でも、才能がある方ではなかった。

 魔力量は少なくて、魔法も身体強化だけ。

 本人もそれを分かっていて、それでも誰よりも努力していた。


 私は、そんな結衣が好きだった。

 倒れても立つところ。悔しくても笑おうとするところ。

 弱い自分をちゃんと分かった上で、それでも諦めないところ。


 私の魔法は、扱いづらいものだった。だから連携訓練では嫌がられることも多かった。

 でも結衣は、私を怖がらなかった。だから私たちは、すぐに仲良くなった。


 いつか二人でセンターに立とう。周りを見返してやろう。私たちだって、ちゃんと魔法少女になれるんだって証明しよう。

 そう言って、何度も一緒に練習した。


 今日、結衣は客席ではなく関係者席にいる。

 正式な出演メンバーではないけれど、候補生として見学に来ているはずだった。

 見てくれているかな。そう思うと、胸の奥が少し熱くなった。


 激しい振り付けに、息が上がる。けれど、笑顔は崩さない。

 息を吸うタイミングも、足を運ぶ位置も、指先の角度も、全部決められている。


 一つ間違えれば、隣の魔法少女とぶつかる。

 隊列が崩れれば、ステージ全体の美しさが壊れる。

 だから、私は集中した。


 視界の端で先輩の動きを追いながら、決められた位置へ移動する。

 ステージの床に走る光のラインを踏み越え、ターン。スカートの裾がふわりと広がる。

 客席から歓声が上がる。


 嬉しかった。

 私を見てくれている人がいる。私の名前を呼んでくれる人がいる。

 まだ端っこでも、私はちゃんと魔法少女としてここに立っている。そう思えた。


 次は、先輩のソロパートだった。曲の中でも一番盛り上がる場所。

 瑠香先輩が一人でステージ中央へ進み、私たち後輩組は少し下がって、彼女を引き立てる立ち位置につく。

 ここで、ようやく一息つける。そう思った。

 その瞬間だった。


 観客席の上空で、空間が歪んだ。

 最初は、光の演出かと思った。ステージではよくあることだ。

 魔法陣を投影したり、空中に花火みたいな光を咲かせたり、異世界の扉が開くような演出をしたり。

 実際、観客の何人かは歓声を上げた。


「すごい!」

「新演出?」

「やば、かっこいい!」


 そんな声が、音楽の合間にかすかに聞こえた気がした。

 でも、私はすぐに違和感を覚えた。

 演出用の魔法なら、ステージ側の魔法陣が反応する。照明班の合図も入る。

 防御機構との同期を示す青いラインが、天井付近に走るはずだった。

 それがない。


 なのに、空間だけが歪んでいる。水面に黒い墨を落としたみたいに、景色がぐにゃりと曲がっていた。

 次の瞬間、先輩の顔色が変わった。


 それまで観客へ向けていた完璧な笑顔が、一瞬で消える。

 瞳が鋭くなる。顎がわずかに引かれ、重心が落ちる。

 ステージの上にいたアイドルではなく、戦場に立つ魔法少女の顔だった。

 先輩の体を、光が包む。迷いのない変身だった。


 ステージ衣装がほどけ、戦闘用の魔法衣装へ切り替わる。

 腰に剣が現れ、先輩の手がそれを抜く。

 すべてが一瞬だった。


 歪んだ空間から、異形が落ちてくる。

 灰色の皮膚。長すぎる腕。裂けた口。人の形に似ているのに、人ではないもの。

 それが観客席へ落ちるよりも早く、先輩が跳んだ。



 空中で刃が閃く。異形の胴体が、一閃された。

 黒い体液が散る前に、魔力の光がそれを焼き消す。異形の残骸は観客に届くことなく、粒子になって消えた。


 一拍遅れて、悲鳴が上がった。それまで歓声だったものが、恐怖の声に変わっていく。

 会場全体がざわめき出した。

 立ち上がる人。何が起きたのか分からず周囲を見る人。スマホを向ける人。子どもを抱き寄せる親。


 演出ではない。本物だ。ようやく、みんながそれを理解し始めた。

 先輩は観客席とステージの間に着地すると、マイクを通さずに声を張った。


「安全上の観点から、本日のライブはここで中止します。皆さん、係員の指示に従って――」


 その声は落ち着いていた。焦りも、恐怖も、ほとんど感じさせない。

 だからこそ、観客のざわめきが一瞬だけ収まりかける。

 さすがだ、と思った。

 こんな状況でも、先輩は人々を安心させられる。魔法少女として、何をすべきか一瞬で判断できる。


 私も動かなきゃ。そう思った。

 でも、体が遅れた。何が起きたのか。他にも敵がいるのか。

 観客を避難させるべきか、ステージを守るべきか。

 いくつもの考えが頭の中でぶつかって、足が一瞬止まった。


 その一瞬だった。空間が、いくつも裂けた。一つじゃない。二つでもない。

 観客席の上。

 ステージ脇。

 天井付近。

 非常口のそば。

 機材ブースの近く。

 関係者席の横。


 黒い亀裂が、次々と開いていく。まるで会場そのものが内側から割れていくみたいだった。

 無数のゲートが、同時に開いていく。そこから異形たちが現れた。


 大きいもの。小さいもの。四つ足で這うもの。鳥みたいに翼を広げるもの。人の腕だけを何本もつけたようなもの。


 悲鳴が爆発した。観客が一斉に動き出す。

 逃げようとする人の流れがぶつかり、転びそうになる子どもが見えた。

 非常口の誘導灯が点滅する。

 けれど、そこにもゲートが開いている。防御機構は、まだ作動しない。


 どうして。どうして動かないの。

 そんな疑問が浮かぶより早く、先輩の声が響いた。


「みんな!」


 鋭い声だった。その一言で、私たちはようやく我に返った。

 私は息を呑む。

 隣にいた魔法少女も、後方に下がっていた後輩たちも、一瞬遅れて先輩を見る。

 先輩は剣を構えたまま、観客席を背にして立っていた。その背中は大きかった。


 大丈夫。私たちは魔法少女だ。ここで動かなきゃ、誰が動くの。


 そう言われた気がした。

 私は震える指を握りしめた。恐怖はあった。

 でも、それ以上に、動かなければならないと思った。

 私たちは魔法少女なのだから。


 光が弾けた。

 ステージ衣装が、戦闘用の魔法衣装へと変わっていく。

 薄く光を返していたフリルがほどけ、魔力で編まれた防護布へ組み替わる。

 胸元のリボンが小さく脈打ち、手首と足首に魔法陣が走った。

 スカートの裾から舞っていた星屑のような粒子は、今は防御術式の光になって私の体を包んでいる。


 さっきまで会場を満たしていた歓声は、もうどこにもなかった。

 悲鳴。怒号。走る足音。

 倒れる椅子の音。係員の誘導する声。泣き叫ぶ子どもの声。

 ペンライトの海は、逃げ惑う人の波へ変わっていた。

 つい数秒前まで、ここはステージだった。歌って、踊って、笑顔を届ける場所だった。


 でも今は違う。戦場だ。


「誰の被害も出さないわよ!」


 瑠香先輩が叫んだ。

 その声は、悲鳴だらけの会場でもはっきり届いた。

 強くて、迷いがなくて、聞いた人の背筋を伸ばさせる声。

 この人がいるなら大丈夫だと、そう思わせる声だった。


 先輩が駆ける。

 ステージを蹴り、観客席の方へ跳ぶ。その動きに無駄はなかった。

 異形の位置、逃げる観客の流れ、開いたゲートの場所、その全部を一瞬で見ているみたいだった。

 先輩の刃が振るわれるたび、異形が粒子になって消えていく。

 私たちも、慌ててそれに続いた。


 でも、私は少しだけみんなから距離を取った。

 怖かったわけじゃない。いや、怖くなかったと言えば嘘になる。

 でもそれ以上に、私は自分の魔法がどういうものか分かっていた。


 私の魔法は、連携向きじゃない。

 下手に味方の近くで使えば、味方の魔力まで乱してしまう。

 防御結界を揺らすかもしれない。

 誰かの魔法陣を崩してしまうかもしれない。


 訓練でも、何度もそうなった。だから私は、一人で戦う。いつも通り。


 少し離れた場所で。誰の邪魔にもならない位置で。私にできるやり方で。赤い火花が、指先に集まる。

 呼吸を整える。狙いを絞る。観客に近づこうとする異形へ、魔力を流す。

 私の雷は、肉体を焼くものじゃない。

 扱いづらい。でも、使い方さえ間違えなければ、きっと誰かを守れる。

 そう信じていた。


 その時だった。


「防御機構が作動しない!」


 誰かが叫んだ。耳を疑った。

 防御機構が、作動しない? そんなはずがない。

 この会場は、魔法少女ライブ用に作られた大型施設だ。

 観客を守るための結界。異形の侵入を感知する警報。

 避難経路へ人を誘導する魔法灯。逃げ遅れた人を安全圏へ運ぶ転移補助。

 魔法少女の戦闘を支援するための足場生成術式。

 全部、備わっているはずだった。

 万が一の襲撃に備えて、何重にも安全対策が施されている。


 だからライブができる。だから観客を入れられる。だから私たちは、ステージの上で笑っていられる。

 それなのに。何も動いていない。

 天井に走るはずの防御結界の青い光はない。

 非常口へ伸びる誘導ラインも点かない。

 観客席を包む安全膜も展開されない。

 悲鳴だけが大きくなる。


 なんで。どうして。


 誰かが止めたの?

 機械トラブル?

 魔法障害?

 敵の妨害?


 疑問が、頭の中を一瞬だけ埋め尽くした。その一瞬が、致命的だった。

 背後の空間が裂ける音に、反応が遅れた。

 死角から現れた異形の腕が、私の体をまともに打ち抜いた。


 衝撃。


 何かが折れる音が、自分の体の内側から聞こえた気がした。


「祈!」


 誰かが叫んだ。それすら分からなかった。

 返事なんてできなかった。


 視界が跳ねる。床と天井がぐちゃぐちゃに入れ替わる。

 照明の白い光と、客席の赤い非常灯と、逃げる人影が滲んで混ざる。

 体がステージを転がった。


 肩を打つ。腰を打つ。背中を何か硬いものに叩きつけられる。息が、できない。

 喉がひゅっと鳴った。吸おうとしても、空気が入ってこない。

 頭がぐらぐら揺れている。

 額から流れた血が、片目に入った。視界の半分が赤く染まる。口の中は鉄の味でいっぱいだった。


 立たなきゃ。そう思った。立たなきゃ。動かなきゃ。観客がいる。

 先輩が戦っている。みんなが戦っている。私だけ倒れているわけにはいかない。

 そう思うのに、体が動かない。


 指先に力を入れようとしても、震えるだけだった。

 膝を立てようとしても、足が自分のものじゃないみたいだった。


 魔法を使おうとする。赤い雷を集めようとする。

 けれど、意識がまとまらない。

 魔力が指先まで流れない。集めたはずの力が、霧みたいにほどけていく。


 駄目。こんなところで。こんなところで、倒れている場合じゃない。

 その間にも、異形は近づいてきた。さっき私を吹き飛ばした個体だった。


 長い腕。裂けた口。何本もの指。人間を人間として見ていない、濁った目。

 その巨大な腕が、ゆっくりと振り上げられる。


 避けなきゃ。でも、体が動かない。


 防がなきゃ。でも、魔法がまとまらない。


 誰かを呼ばなきゃ。でも、声が出ない。


 ああ。死ぬ。そう思った。

 不思議と、その瞬間だけは静かだった。悲鳴も、異形の咆哮も、ステージの崩れる音も、遠くなった。

 私、ここで死ぬんだ。そう思った。


 結衣と一緒にセンターに立つ約束も。先輩みたいな魔法少女になる夢も。誰かと心を通わせたいという名前の願いも。

 全部、ここで終わるんだ。そう思った。


 けれど、その一撃は私には届かなかった。誰かが、私の前に立っていた。

 瑠香先輩だった。

 異形の腕が、先輩の体を貫いていた。


「……せん、ぱい?」


 声にならない声が、喉から漏れた。先輩の背中が見える。

 さっきまでステージ中央で光を浴びていた背中。

 誰よりも綺麗で、誰よりも強くて、誰もが憧れた魔法少女の背中。


 その胸元から、異形の腕が突き出していた。血が落ちる。

 魔法衣装の光が、かすかに揺れる。

 見るからに致命傷だった。


 助からない。そんなこと、考えたくないのに分かってしまった。

 それなのに、先輩は膝をつかなかった。


 笑いもしなかった。泣きもしなかった。弱音も吐かなかった。

 ただ、いつものように強く、まっすぐ立っていた。

 観客を背に。私を背に。異形の前に。


「私の後輩に」


 先輩の声が聞こえた。低く、静かで、それでもはっきりと響く声だった。

 先輩の刃が、赤く濡れたまま光を帯びる。

 手が震えているはずなのに。体はもう限界のはずなのに。その剣筋に迷いはなかった。


「手出しはさせない」


 次の瞬間、光が走った。異形の体が、縦に斬り裂かれる。黒い残骸が崩れ、粒子になって散っていく。

 先輩は、それを最後まで見届けた。

 そして、ほんの少しだけこちらを振り向いた気がした。その顔は、よく見えなかった。


 血で視界が滲んでいたから。

 涙なのか、額の血なのかも分からないもので、片目が塞がっていたから。

 でも、先輩の口元が少しだけ動いた。何かを言ったのかもしれない。


 大丈夫。

 立って。

 生きて。


 何だったのか、分からない。

 分からないまま、私の意識は闇に沈んだ。





 次に目を覚ました時、私は病院のベッドにいた。白い天井。消毒液の匂い。体中に巻かれた包帯。点滴の針。動かない右腕。痛みでうまく吸えない呼吸。


 最初に思ったのは、生きている、だった。

 次に思ったのは、先輩は、だった。

 声を出そうとした。でも喉が渇いていて、うまく言葉にならなかった。


 そばにいた職員が、目を伏せた。その表情だけで、分かってしまった。

 瑠香先輩は、もういなかった。


 観客にも、魔法少女にも、大勢の犠牲が出ていた。

 防御機構は最後まで正常に作動しなかったらしい。避難誘導は遅れた。

 ゲートの発生数は想定を大きく超えていた。会場は半壊し、ライブは史上最悪の惨事として報道された。


 それでも、私は生き残った。瑠香先輩に庇われて。先輩の命と引き換えに。

 私は生き残ってしまった。


 そして。生き残った私に向けられたのは、心配でも、慰めでも、労りでもなかった。

 最初は、小さな声だった。病室の外で、誰かが言っていた。


 ――あの子が隙を見せたんでしょう?


 次に、ニュースが言った。


 ――四条 瑠香さんは、後輩魔法少女を庇い殉職。


 ネットが言った。


 ――あいつがいなければ、瑠香は死ななかった。


 学校が言った。


 ――人殺し。


 街が言った。


 ――どうしてお前が生きている。


 それは、たぶん誰か一人の声ではなかった。

 いろんな人の声が混ざって、膨らんで、濁って、やがて一つの巨大な声になった。

 どうしてお前が生きている。その声だった。


 あの日、私は命を失わなかった。

 瑠香先輩が守ってくれたから。瑠香先輩が、私の前に立ってくれたから。私は、生き残った。


 でも。いっそ失うのが命だったなら、まだよかったのかもしれない。

 だって、生き残った私を待っていたのは、救いではなかった。


 祈れば届くと信じていた心が。

 誰かと分かり合えると信じていた名前が。

 魔法少女として守りたかった世界が。


 全部、私を責め始めた。生き残ってから、私の地獄は始まった。

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