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魔法少女だった私は、すべてを奪われて侵略者になった  作者: 摩利
1章

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15/21

開戦



 夢を見ていた。二年前の夢だった。

 まだ、赤羽 祈だった頃の夢。まだ世界を信じていた頃の記憶。


 訓練場の床は、夕方の光を受けて淡く赤く染まっていた。

 窓の外では、シティのビル群が夕焼けに溶けている。

 高い建物の輪郭が橙色に滲み、遠くの防御結界が、空の端でうっすらと光っていた。


 訓練を終えた候補生たちは、ほとんど帰ってしまっていた。

 ロッカーの閉まる音も、誰かの笑い声も、もう聞こえない。

 広い訓練場には、二人分の足音と、荒い呼吸だけが残っている。


 残っているのは、祈と結衣だけ。

 いつものことだった。


 結衣は正式な魔法少女になるために、人一倍練習しなければならなかった。

 祈は自分の魔法を制御するために、人のいない時間を選ばなければならなかった。

 だから、自然と二人は最後まで残るようになった。


 弱すぎて輪に入れなかった結衣。

 強すぎる魔法のせいで輪から外れた祈。

 違う理由で一人ぼっちだった二人が、同じ訓練場に残っている。それが、いつの間にか当たり前になっていた。


「行くよ、祈!」


 結衣が床を蹴る。


 速い。


 魔法少女候補生として見れば、結衣の魔力量は低い。使える魔法も身体強化だけ。しかも出力は控えめで、派手な技は何一つない。

 けれど、近づかれると厄介だった。

 結衣は、少ない魔力を無駄にしない。


 腕に流す。脚に流す。踏み込む一瞬だけ、必要な場所へ必要な分だけ通す。

 全身を派手に輝かせる才能はない。

 けれど、その分だけ、結衣の動きは鋭かった。


 祈は指先に赤い火花を灯す。


「来なさい!」


 声と同時に、赤い雷が訓練場を走った。

 赫塵かくじん。祈の魔法。

 敵の魔力を痺れさせ、術式を乱す赤い雷。候補生の中では、かなり強力な魔法だった。けれど、扱いが難しすぎた。


 味方の魔法まで乱す。結界を不安定にする。近くにいるだけで、他の候補生の魔力操作を邪魔することもある。


 だから、祈はいつも距離を取っていた。

 誰かを巻き込まないように。誰かに嫌な顔をされないように。


 でも、結衣は違った。

 祈の赤い雷を見ても、怖がらなかった。


 避ける。


 かわす。


 隙間を見つけて、まっすぐ踏み込んでくる。

 結衣は横へ跳び、一本目の雷を避けた。


 祈は続けて二本目を放つ。

 結衣は足を止めない。床を蹴るタイミングをずらし、雷の軌道から体を逃がす。


 三本目。


 今度は低く走らせる。

 結衣は跳んだ。夕焼けの光を背に、結衣の体が宙を舞う。


 祈は歯を食いしばる。遠距離なら、祈の方が有利だった。

 結衣は魔法弾を撃てない。結界も張れない。空中で自在に軌道を変える魔法もない。だから距離を保てば、祈は結衣を抑え込める。


 それは分かっている。分かっているのに。いつも、最後には詰められる。

 結衣は赤い雷の隙間を縫うように踏み込む。


 一歩。


 二歩。


 低く沈み、床を蹴り、祈の懐へ潜り込む。


「あっ」


 気づいた時には、結衣の手刀が祈の首元で止まっていた。ほんの少し触れるだけで一本。

 訓練用の模擬戦なら、それで決着だった。


「私の勝ちだね」


 結衣が、にっと笑った。

 汗で額に髪が張りついている。息も上がっている。肩も上下している。

 それでも、嬉しそうに笑っていた。


 その笑顔が、祈は少し悔しかった。

 そして、それ以上に好きだった。結衣は勝っても、祈を見下さない。

 祈の魔法を怖がらない。またやろう、と当然のように言ってくれる。

 それが、どれだけ嬉しいことか。

 結衣はたぶん、分かっていない。


 祈は唇を尖らせた。


「もう一回よ。次は私が勝つから」


「えー、もう三回もやったよ?」


「三回とも負けたから、もう一回」


「それ、勝つまでやめないやつじゃん」


「そうよ」


 祈が胸を張ると、結衣は呆れたように笑った。

 でも、断らなかった。

 結衣はいつだってそうだった。文句を言いながら、最後には付き合ってくれる。


「じゃあ、あと一回だけね」


「うん。次で勝つ」


「毎回それ言ってる」


「今度こそ」


「はいはい」


 結衣は笑いながら距離を取った。

 祈も構え直す。赤い火花が、指先で小さく弾ける。


 祈は真剣だった。悔しかった。

 白兵戦では、一度も結衣から一本を取ったことがない。


 結衣は、自分には才能がないと言っていた。身体強化しかできないと笑っていた。魔力量も少ないし、候補生になれたのも奇跡だと言っていた。


 でも、近づいた時の結衣は本当に強かった。

 祈の雷を怖がらない。祈の魔法を避けて、踏み込んでくる。

 何度倒れても、何度でも立ち上がる。転んでも笑う。

 息が切れても拳を構える。痛いと言いながら、それでももう一回と立ち上がる。

 その姿を見るたびに、祈は思う。


 結衣は弱くなんかない。

 少なくとも、祈にはそう見えなかった。


 魔力量が少なくても。魔法が地味でも。誰もが無理だと言っても。

 結衣は、祈の赤い雷の中へ踏み込んでくる。

 それがどれだけすごいことか。

 きっと、結衣自身が一番分かっていない。


 悔しい。

 でも、楽しい。

 勝ちたい。

 でも、結衣がまっすぐ向かってきてくれることが嬉しい。


 いつか一度くらい、結衣に勝ちたい。そう思っていた。

 たった一度でいい。結衣の驚いた顔が見たい。

 結衣に「祈、強いじゃん」と笑ってほしい。


 そして二人でまた、訓練場の床に座り込んで笑いたい。

 休憩しながら、購買で買った安い飲み物を分け合いたい。

 高台へ行って、シティの明かりを見たい。

 いつか二人でエースになろうと、また馬鹿みたいに大きな夢を語りたい。


 遠い記憶。

 もう戻らない日々。

 夢の中の結衣が、拳を構える。


「行くよ、祈」


 夕焼けの中で、結衣が笑っている。赤羽 祈の名前を、当たり前みたいに呼んでいる。

 その声が、胸の奥をあたためる。

 夢の中の祈は笑った。


「来なさい、結衣」


 赤い雷が弾ける。

 結衣が踏み込む。

 祈は今度こそ勝つつもりで、指先に魔力を込める。


 勝ちたかった。認められたかった。

 隣に立ちたかった。同じ場所を目指したかった。

 その全部が、まだまっすぐな願いだった。


 そこで、夢は途切れた。





 オブスキュリテは目を覚ました。視界に入ったのは、黒い天井だった。

 夕焼けに染まる訓練場ではない。白い照明の下にある魔法少女局の施設でもない。


 侵略組織の拠点。冷たい寝台。壁に走る赤黒い魔力回路。

 遠くから聞こえる、異形兵の低い唸り声。

 空気は湿っていて、わずかに鉄の匂いが混じっていた。

 どこまでも現実的で、冷たく、暗い場所。


 いつの間にか眠っていたらしい。オブスキュリテは、ゆっくりと体を起こした。

 指先に、まだ夢の感触が残っている気がした。


 訓練場の床。夕焼け。

 汗で額に髪を張りつかせた結衣。

 私の勝ちだね、と笑う声。

 祈、と当たり前のように呼ぶ声。

 そのすべてが、目覚めた後も胸の奥に残っていた。


 オブスキュリテは、目を細める。

 くだらない。そう思おうとした。


 過去だ。終わったことだ。もう二度と戻らない日々だ。

 赤羽 祈はもういない。


 あの訓練場で、結衣に勝ちたいと悔しがっていた少女も。

 赤い雷を怖がりながら、それでも誰かを守りたいと思っていた少女も。

 シティの明かりを見て、守るものの大きさに震えていた少女も。

 全部、死んだ。


 死んだはずだった。なのに、胸の奥がかすかに痛んだ。

 夢の中の結衣の笑顔を思い出すたび、何かがきしむ。

 苛立たしい。不愉快だ。

 今さら、そんなものを見せられてどうしろというのか。


 オブスキュリテは、寝台の横に置いてあった手袋を手に取った。

 指を通す。ゆっくりと、一つずつ。

 布が肌を覆っていく。裸の手が隠れる。

 赤羽 祈だった頃の手が、オブスキュリテの手になっていく。

 そう思うと、少しだけ呼吸が楽になった。


 襲撃時刻までは、もう少し。

 防御機構中枢施設。シティ全体を守る結界の要。そこを破壊すれば、街は無防備になる。

 異形の侵入を防ぐ大結界は崩れ、多くの人間が危険に晒される。

 避難が完了しているとしても、被害は出るだろう。


 逃げ遅れる者もいる。

 怪我人も出る。

 下手をすれば、死者も出る。


 それでいい。


 オブスキュリテは、そう自分に言い聞かせた。


 それでいい。守る価値などない。

 あの街は、自分を守らなかった。

 あの街は、赤羽 祈を踏みつけた。

 自分たちが守られていることも知らず、都合のいい時だけ魔法少女を持ち上げ、失敗した瞬間に石を投げた。


 ならば、今度は自分たちが思い知ればいい。

 結界があることの意味を。

 魔法少女が前に立つことの意味を。

 赤羽 祈を壊したことの意味を。


 これまでの作戦で、オブスキュリテは何度も線を引いてきた。


 虐殺は目的ではない。

 必要以上の死者は出さない。

 魔法少女局と大衆の権威を壊すことが目的だ。

 殺すよりも、無力を晒す方が効果的だ。


 そう言ってきた。

 ストレガにも、他の構成員にも、そう説明してきた。


 実際、それは間違いではなかった。

 魔法少女を殺すより、変身を剥がし、怯える姿を中継させた方が効果的だった。

 魔法少女局の本部を破壊し尽くすより、資料庫に侵入し、局の内側に傷をつけた方が効果的だった。

 合理性はあった。戦略として成立していた。

 けれど本当は、違ったのかもしれない。


 オブスキュリテは、自分の手を見下ろした。

 黒い手袋に包まれた指先。そこに赤い火花が、小さく灯る。

 本当は、どこかでまだ踏み越えられなかった。


 人を殺すこと。

 街を壊すこと。

 無関係な誰かを巻き込むこと。


 それを、完全には選べなかった。

 赤羽 祈だった頃の何かが、まだ足を掴んでいた。


 誰かを守りたいと願った心。

 このシティを見下ろして、守るものの大きさに震えていた記憶。

 結衣と二人で、いつかエースになろうと笑った日々。

 瑠香先輩の背中に憧れたこと。

 ステージの端でも、いつか中央に立ちたいと願ったこと。

 結衣に一度でいいから勝ちたいと思ったこと。

 結衣に、祈は強いじゃん、と笑ってほしかったこと。


 そういう、もう不要なもの。

 捨てたはずのもの。殺したはずのもの。

 それが、まだ胸の奥に残っていた。

 それが、まだ自分を鈍らせていた。

 オブスキュリテは、奥歯を噛む。


 だが、もう終わりだ。


 先日の高台での会話。

 結衣は言った。

 誰かを傷つけるなら、止めると。

 

 あの日、何もしなかった自分を認めて。

 返事をしなかったことを。

 会いに来なかったことを。

 自分を守ったことを。

 赤羽 祈を一人にしたことを。


 その全部を認めた上で、今度こそ止めると言った。必要なら、殴ってでも。

 あの言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが揺れた。


 怒りだった。今さら何を言っているのかという怒り。

 遅すぎるという怒り。

 結衣だけが前へ進もうとしていることへの怒り。


 けれど、それだけではなかった。

 ほんの一瞬、昔の自分が顔を出しそうになった。


 止めてくれるのか。今度こそ。


 そんな、惨めで、情けなくて、吐き気がするような期待が。

 だからこそ、踏み潰さなければならない。


 オブスキュリテは立ち上がった。寝台のそばに掛けてあった黒い上着を羽織る。

 留め具を一つずつ閉じる。赤黒い魔力回路が、衣装の内側で低く脈打つ。

 鏡代わりの黒い壁面に、自分の姿が映った。


 黒い衣装。


 白い顔。


 赤い雷。


 そこに赤羽 祈はいない。いるのは、オブスキュリテ。

 世界を壊すもの。そうでなければならない。


 なら、自分も決めなければならない。

 結衣が止めると決めたように。

 自分も、壊すと決めなければならない。


 オブスキュリテとして。世界を壊すものとして。

 赤羽 祈の残骸を、今度こそ踏み潰さなければならない。


 もう迷わない。

 もう守らない。

 もう、昔の夢に縋らない。


 あの高台で二人で見た光も。

 訓練場で交わした笑い声も。

 いつか二人でエースになろうと語った夢も。


 全部、壊す。街ごと。

 結衣ごと。自分ごと。


 オブスキュリテは、指先に赤い雷を灯した。赤い光が、黒い部屋の中を一瞬だけ照らす。

 夢の残滓は、もうどこにもなかった。そう思いたかった。



「おや」


 背後から、湿った声がした。


「お目覚めでしたか」


 オブスキュリテは振り向かなかった。

 その声の主が誰かなど、確認するまでもない。ストレガだった。


 液体状の布を被った男が、壁の影からぬるりと現れる。

 床に垂れた布の裾が、水を含んだようにうねり、形を持たない影がその下で蠢いていた。

 人間の姿をしている。だが、人間ではない。

 立っているのか、浮いているのかさえ曖昧な輪郭。顔の位置にある布の奥からは、湿った笑みだけが感じられた。


「悪い夢でも見ましたか?」


 ストレガは、からかうように言った。


「あなたに話すことじゃないわ」


「それは残念」


 ストレガは楽しげに笑った。

 その笑い声は、壁を這う水音のように耳に残る。


「私は、あなたの夢にも少し興味があるのですが」


「気味が悪いわね」


「よく言われます」


 悪びれない声だった。

 オブスキュリテは黒い上着の留め具を確認する。魔力回路は正常。赫塵の出力も安定している。

 ストレガは、そんな彼女の背中を眺めながら言う。


「しかし、わざわざ襲撃を知らせる意味はなかったのでは?」


 オブスキュリテの指が、わずかに止まる。


「奇襲の方が成功率は高かったでしょうに」


 ストレガの声音は軽い。

 だが、その言葉の奥には観察するような冷たさがあった。彼は本気で疑問を口にしているわけではない。


 オブスキュリテの答えを聞きたがっている。

 彼女がどこまで壊れたのか。どこまで踏み越える気になったのか。

 それを確かめている。


 オブスキュリテは立ち上がった。黒い衣装を整え、腰の魔力装置を確認する。


「退路を断つためよ」


「退路?」


「局に知らせた。シティにも公表された。住民は避難する。魔法少女たちは中枢施設に集まる」


 指先に、赤い火花が灯る。ばちり、と小さく空気が弾けた。


「私はもう、引けない」


 ストレガは布の奥で笑った。


「なるほど。自分自身への宣戦布告ですか」


「そう思いたいなら、そう思えばいい」


 オブスキュリテは冷たく返す。口ではそう言いながら、自分でも分かっていた。

 ストレガの言葉は、外れていない。


 奇襲なら、もっと簡単だった。

 防御機構中枢施設に静かに侵入し、結界制御部へ赫塵を流し込む。

 防衛体制が整う前に終わらせる。

 その方が成功率は高かった。


 それでも、あえて知らせた。

 白瀬 結衣に。

 魔法少女局に。

 シティに。

 自分が何をするつもりなのかを、先に突きつけた。


 そうすれば、もう後戻りできない。

 結衣が止めると言った。

 なら、自分も壊すと言わなければならない。


 中途半端なままでは、あの夢の続きを見てしまう。

 夕焼けの訓練場。

 私の勝ちだね、と笑う声。

 そんなものに、また足を取られてしまう。


 だから、退路を断った。

 オブスキュリテとして、完全に踏み越えるために。


「この襲撃が成功すれば、多くの人間が犠牲になるでしょうね」


 ストレガの声は、どこか弾んでいた。

 楽しんでいる。そう分かる声だった。


「ええ」


 オブスキュリテは短く答えた。


「それでいい」


 言葉にすると、胸の奥が一瞬だけ軋んだ。


 街の明かり。

 高台から見下ろしたシティ。

 何も知らずに眠る子ども。

 祈を責めなかった人間。

 そんなものが、ほんの一瞬だけ頭をよぎる。


 だが、顔には出さない。出してはいけない。

 もう迷わないと決めた。


「今までのあなたなら、ここで何かと理由をつけて止めたでしょう」


 ストレガは言った。


「虐殺が目的ではない。被害を出しすぎれば逆効果だ。魔法少女局に正義の口実を与えるだけだ。そう言って」


 オブスキュリテは、ゆっくりとストレガへ視線を向けた。


「今は違う」


「ええ。実に素晴らしい変化です」


 ストレガは大げさに手を広げた。布の下で、輪郭の定まらない腕のようなものがぬるりと動く。


「白瀬 結衣との会話が、あなたにも良い影響を与えたようですね。彼女が踏ん切りをつけたように、あなたもまた踏ん切りがついた」


 オブスキュリテはストレガを睨んだ。


「余計な分析ね」


「職業病のようなものです」


 ストレガはくつくつと笑う。


「人が壊れる瞬間というのは、実に興味深い。まして、一度壊れたものが、さらに自分で自分を壊そうとする姿は、なかなか見られるものではありません」


「黙りなさい」


「おお、怖い」


 ストレガはわざとらしく肩をすくめた。


「まあ、あなたが結界襲撃に前向きになってくれたことで良しとしましょう」


 彼は壁に走る赤黒い魔力回路へ目を向ける。


「なにせ、あの施設には我々異形を弾く結界がありますのでね。この作戦は、あなたにしかできません」


 防御機構中枢施設。

 そこには、異形の侵入を拒む強力な結界が張られている。


 通常の異形兵では近づくことすら難しい。

 ゲートを開いても、内部へ安定して侵入させることはできない。

 無理に侵入させれば、結界に弾かれ、魔力構造ごと崩壊する。


 だが、オブスキュリテは違う。元魔法少女。

 人間の魔力波形を持ち、魔法少女局の施設に対する基本認証をすり抜けられる存在。

 そして、赫塵によって結界回路を痺れさせられる存在。

 彼女だけが、中枢へ入り、内部から防御機構を壊せる。


「あなたたちに都合がいいから、私を使う」


「ええ」


 ストレガは悪びれなかった。


「契約通りに」


 その潔さだけは、オブスキュリテにとって嫌いではなかった。

 同情するふりをしない。

 救うふりをしない。

 仲間だと美しい言葉で飾らない。


 利用する。利用される。それだけの関係。

 少なくとも、裏切られて傷つくような甘さはそこにない。


「私も、あなたたちを使う」


「ええ。実に公平です」


 ストレガは楽しげに頷いた。


「あなたは我々の兵と情報と拠点を使い、我々はあなたの魔法と憎悪を使う。分かりやすくて大変よろしい」


「憎悪を商品みたいに言うのね」


「商品より価値がありますよ。強い憎悪は、時に軍勢よりも役に立つ」


 オブスキュリテは、ストレガから視線を外した。それ以上相手をしても、こちらの内側を覗かれるだけだ。


 壁面の時計を見る。

 襲撃時刻。

 ゲートの起動準備は整っている。


 異形兵たちは、別動隊として待機している。中枢施設の外縁で魔法少女たちを足止めする役目だ。

 特に一部の異形には赫塵の残滓を付与してある。

 直接の出力は自分ほどではないが、触れた魔法少女の魔力を乱す程度なら十分だ。


 自分は単身で内部へ侵入する。防衛装備を無力化し、結界制御部へ到達する。

 そして、制御核へ赫塵を流し込む。


 作戦は単純だった。

 だからこそ、失敗は許されない。


 オブスキュリテは一歩前へ出る。

 足元に黒い亀裂が走った。ゲートが開く。

 空間が裂け、その向こう側に別の場所の光が見える。


 シティを守る施設の冷たい光。

 白い外壁。青い結界の反射。

 かつて自分も守る側として見ていたもの。

 今から自分が壊すもの。


 オブスキュリテは、ふと夢の中の結衣を思い出した。

 私の勝ちだね。にっと笑った、あの顔。


 白兵戦では、一度も勝てなかった。

 遠距離では自分が有利だったのに、近づかれるといつも負けた。


 悔しかった。

 でも、それは憎しみではなかった。せめて一度くらいは勝ちたかった。

 結衣に驚いてほしかった。

 祈、強いじゃんと笑ってほしかった。その願いは、まだ胸のどこかに残っていた。


 今度こそ。そんな言葉が浮かんだ。

 今度こそ、結衣に勝つ。

 今度こそ、あの時取れなかった一本を取る。


 その瞬間、オブスキュリテは胸の奥に残った甘さを握り潰す。


 違う。これは訓練ではない。

 勝ちたいのではない。壊すのだ。


 結衣に認められたいわけではない。

 結衣を驚かせたいわけでもない。


 結衣ごと、全部踏み越える。


「行ってくるわ」


 オブスキュリテは、ゲートへ向かって歩き出した。

 ストレガは、深々と頭を下げた。芝居がかった動作だった。


「ご武運をお祈りしています」


 祈り。その言葉を聞いて、オブスキュリテはわずかに目を細める。


 赤羽 祈。両親がつけた名前。

 祈れば、どんな人にでも真心は通じる。そんな願いを込められた名前。

 かつては好きだった名前。今は、呪いのように胸に残る名前。


「祈りなんて、いらないわ」


 赤い雷が弾ける。黒い亀裂の縁を、赫塵の光が赤く照らした。


「必要なのは、壊す力だけよ」


 そう言い残して、オブスキュリテはゲートへ踏み込んだ。黒い亀裂が閉じる。


 拠点の部屋には、ストレガだけが残された。

 しばらくの間、彼は何も言わなかった。閉じた空間の跡を眺める。

 赤い雷の残光が、空気の中で小さく弾けて消えていく。

 やがて、ストレガは布の奥で小さく笑った。


「ええ。そうですとも」


 誰に聞かせるでもなく、彼は呟いた。


「ですが、祈りを捨てた者ほど、最後まで何かを祈っているものですよ」


 その声は楽しげだった。

 同情ではない。憐れみでもない。

 ただ、これから起きる破滅と選択を楽しみにしている観察者の声だった。


 作戦開始の鐘が、拠点の奥で低く鳴った。

 異形兵たちが動き出す。魔力回路が脈打つ。

 黒いゲートが、次々と開いていく。

 シティを壊す戦いが、始まろうとしていた。





 オブスキュリテは、防御機構中枢施設の正門前に降り立った。

 背後で、空間の裂け目が閉じる。黒い亀裂が縫い合わされるように消え、残った赤い火花だけが夜気の中で散っていった。


 目の前には、巨大な施設がそびえている。

 シティ全体を覆う防御結界。その維持と制御を担う中枢施設。

 白い外壁には、いくつもの魔法回路が幾何学模様のように走っていた。

 壁面を這う青い光は、血管のように脈打ち、施設の奥へと魔力を運んでいる。

 塔のように伸びた中枢制御棟の上部では、淡い青い光がゆっくりと明滅していた。


 あれが、この街を守っている。

 かつて自分が守ろうとした街を。

 自分を守らなかった街を。


 オブスキュリテは、静かに目を細めた。

 防御機構中枢施設は、遠目に見るよりもずっと大きかった。


 シティの命綱。

 その名にふさわしく、施設全体からは強い魔力圧が漂っている。

 空気そのものが薄い膜に覆われているようだった。

 異形なら、この場に立つだけでも魔力構造を削られるだろう。


 だが、オブスキュリテには関係ない。

 彼女は人間の魔力波形を持っている。かつて魔法少女だった体を持っている。

 この結界は、彼女を完全には拒めない。

 それが、ひどく皮肉だった。


 施設周辺は、物理的に閉鎖されていた。

 道路には封鎖柵が並び、避難誘導用の魔法灯はすべて赤く点滅している。

 地面には臨時の誘導線が描かれ、緊急車両用の走行レーンだけが確保されていた。


 一般車両は一台もない。人の気配もない。

 近隣住民の避難は完了しているのだろう。

 窓の明かりも、生活音も、誰かの叫び声もない。

 あるのは、赤く明滅する警告灯と、遠くで鳴る避難アナウンスの残響だけだった。


 物理封鎖。

 厳重と言えば厳重だった。

 もっとも、魔法少女であれば楽々と突破できる程度のものにすぎない。まして、今のオブスキュリテにとっては障害にもならなかった。


 彼女は正門へ向かって歩き出した。


 一歩。


 二歩。


 靴音が、無人の道路にやけに大きく響く。

 数歩進んだところで、オブスキュリテは足を止めた。違和感があった。


 静かすぎる。


 ガードマンがいないのは、まだいい。

 魔動銃を持った警備員がいたところで、オブスキュリテの敵ではない。

 むしろ、余計な犠牲者になるだけだ。

 局が彼らを退避させたというなら、それは正しい判断だった。

 人間の兵士など、この場では足止めにもならない。


 だが、防衛装備まで沈黙している。

 本来なら、この距離まで無断侵入者が近づけば、自動防衛の魔動機械が起動するはずだった。


 迎撃用の小型砲台。

 拘束魔法を放つ防衛端末。

 侵入者の魔力波形を解析し、足止めする術式の網。

 地面に仕込まれた拘束陣。

 空中から侵入者の動きを制限する迎撃結界。

 魔法少女局の重要施設らしく、ここにはいくつもの防衛設備が存在する。


 候補生時代の祈でさえ、その概要は学んでいた。

 正面から侵入すれば、まず警告。次に拘束。それでも止まらなければ、制圧。

 そのはずだった。なのに、何も起きない。


 音もない。魔力の動きもない。警告すらない。


 沈黙。完全な沈黙。

 まるで、施設そのものが息を潜めているようだった。


 オブスキュリテは、ゆっくりと周囲へ視線を巡らせる。

 正門脇の監視塔。防衛端末が設置されているはずの壁面。地面の魔法陣。

 すべてが静かだった。

 あえて止めている。

 そう考えるのが自然だった。


 魔法で作動する防衛装備は、赫塵の前では不安定になる。

 下手に動かせば、逆に乗っ取られたり、暴走させられたりする危険がある。

 だから止めた。あるいは、止めたように見せている。


「……罠」


 ぽつりと呟く。そして、笑った。

 それならそれでいい。


 罠なら、壊せばいいだけだ。罠を見抜く必要はない。正体を探る必要もない。

 全部まとめて赤い雷で痺れさせればいい。


「マギア・エンジン起動」


 赤い火花が指先に灯る。胸の奥で、魔力炉が脈打つ。

 体内の魔力回路が開き、赤い雷が血流のように走り出す。


赫塵かくじん斬虚雷業ざんきょらいごう


 次の瞬間、赤い雷が彼女の全身を覆った。

 ばちり、と空気が弾ける。髪がふわりと浮き、黒い衣装の裾が赤い光に照らされた。


 オブスキュリテは片手を施設へ向ける。掌に集まった赫塵が、細い雷となって放たれた。

 赤い雷は正門を越え、地面を這い、白い外壁へ到達する。

 壁面の魔法回路へ流れ込んだ瞬間、施設全体がわずかに震えた。


 青い光の中へ、赤が混じる。防御術式が明滅する。

 外壁を覆う結界膜が、痺れたように波打った。


 施設全体に張り巡らされた魔法回路が、赫塵の侵入に反応して抵抗を始める。

 青い光が強まり、赤い雷を押し返そうとする。けれど、赫塵は魔力そのものに感電する雷だ。

 押し返そうとした魔力の流れが、逆に痺れる。回路の一部が乱れ、術式の連結が揺らぐ。

 施設上空に薄く展開されていた防御膜が、一瞬だけ歪んだ。

 空の一部が水面のように揺れる。遠くで、結界塔の青い光が乱れた。


 オブスキュリテは、さらに出力を上げる。

 赤い雷が太くなり、外壁の魔法回路を伝って広がっていく。施設の表面に、赤い亀裂のような光が走った。

 結界回路が痺れる。防衛術式が悲鳴を上げるように点滅する。


 だが。


 崩壊はしない。


 中枢施設は揺らいでも、まだ立っている。青い光は赤に侵されながらも、完全には消えない。

 施設の奥から、強い魔力が押し返してくる。


 シティ全体を守るために作られた結界。その心臓は、外側から軽く触れた程度で破壊できるほど脆くはなかった。


 オブスキュリテは舌打ちする。

 ストレガからの通信もない。

 もしこの一撃で十分な損傷を与えられたなら、外縁で待機している異形兵の動きに変化が出るはずだった。

 結界が崩れ、ゲートが開きやすくなれば、ストレガが報告してくる。


 それがない。つまり、これだけでは足りない。


 外側から赫塵を流し込むだけでは、シティ結界の中枢までは破壊できない。

 表面の防御術式は乱せる。周辺結界の出力は落とせる。

 だが、心臓部には届かない。

 やはり、中へ入るしかない。


「やっぱり、直接流し込むしかないのね」


 オブスキュリテは、赤い雷をまとったまま歩き出した。

 正門へ近づく。


 閉ざされた門の表面に手をかざす。赫塵が流れ込み、ロック用の術式が赤く明滅した。

 認証魔法が異常を検出し、警告を出そうとする。その前に、赤い雷が術式を痺れさせた。

 青い光がふつりと途切れる。次の瞬間、重い門が低い音を立てて開いた。

 まるで、施設そのものが彼女を招き入れるように。あるいは、奥へ誘い込むように。


 オブスキュリテは薄く笑った。


 どちらでもいい。

 罠でも構わない。

 待ち伏せでも構わない。


 壊すべきものは、この奥にある。


 中枢へ。この街を守る心臓部へ。

 かつて守ろうとしたものを、今度こそ自分の手で壊すために。

 オブスキュリテは、赤い雷を引き連れて施設の中へ踏み込んだ。


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