表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法少女だった私は、すべてを奪われて侵略者になった  作者: 摩利
1章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/21

加害者と被害者


 医療区画は、消毒液の匂いがした。

 白いベッド。薄いカーテン。魔力回路を測定する小さな機械音。低く抑えられた職員たちの声。

 廊下を行き来する足音は慌ただしいのに、この区画だけは妙に静かだった。

 戦闘直後の熱が、白い壁と白い布に吸い取られていくような場所だった。


 そこに、先日の襲撃で負傷した魔法少女たちがいた。

 腕に包帯を巻いた子。足を固定されている子。魔力回路の検査装置につながれて、ベッドの上で眠っている子。

 命に関わるような重傷者はいない。肉体的な傷だけを見れば、そこまで深くはなかった。

 けれど、だから大丈夫だとは言えなかった。

 赫塵かくじんを受けた子たちは、まだ変身できずにいた。


「魔力の流れが、痺れているような状態です」


 医療担当者は、端末に表示された検査結果を見ながら説明した。

 画面には、魔力回路を示す青い線が映っている。本来なら滑らかに流れているはずの光が、ところどころで途切れ、赤く乱れていた。


「肉体の損傷は軽微です。数日安静にしていれば、体の方は問題なく回復するでしょう」


「魔力の方は?」


 結衣が問うと、医療担当者は少しだけ眉を寄せた。


「個人差があります。赫塵の残留は薄れていますが、魔力の流れに乱れが残っている。変身しようとすると、その乱れが本人の感覚に強く出るようです」


「感覚……」


「はい。本人たちにとっては恐怖でしょう」


 医療担当者は静かに言った。


「自分の魔力が、自分のものではないように感じるはずです。手を伸ばそうとしたら、手が自分の意思と違う方向に動くようなものです。魔法少女にとっては、かなり不安定で怖い状態です」


 結衣は、拳を握った。


 祈の魔法。


 訓練場で、何度も見た赤い雷。あの頃、祈自身もその力を怖がっていた。


 味方の魔力まで乱してしまうことを気にしていた。

 連携訓練で誰かの魔法陣を崩してしまうたび、申し訳なさそうに笑っていた。

 自分でも抑えきれない時があるのだと、不安を吐露していた。


 それでも、祈は誰かを守ろうとしていた。その力で、異形を止めようとしていた。

 なのに今、その赤い雷は後輩たちを怯えさせている。

 魔法少女であることを、奪うための力になっている。

 結衣の胸の奥が、鈍く痛んだ。


「結衣先輩」


 呼ばれて、結衣は顔を上げた。

 薄いカーテンの向こう。ベッドの上に、三枝さえぐさ ミナが座っていた。

 新人の魔法少女。ライブ襲撃の日、結衣の話を真剣な顔で聞いていた後輩の一人だった。


 あの時、結衣は彼女たちへ言った。


 魔法少女は敵を倒すだけでは駄目だ。

 怖がっている人、不安な人、追い詰められている人に寄り添うことも大切だと。

 今思えば、どの口で言っていたのだろうと思う。

 祈が一番追い詰められていた時、寄り添えなかった自分が。


 結衣は、胸の痛みを押し込めてミナのベッドへ近づいた。


「ミナ。起きてて大丈夫?」


「はい。体は平気です」


 ミナは笑った。いつものように明るくしようとしているのが分かった。

 けれど、その笑顔はぎこちなかった。唇の端が少し震えている。

 膝の上に置かれた手は、シーツをぎゅっと掴んでいた。


「でも、変身しようとすると……怖くて」


 彼女は自分の手を見つめた。

 小さな手。まだ新人らしい、傷の少ない手。その指先が、微かに震えている。


「魔力が、途中でばらばらになる感じがするんです」


 ミナは、ゆっくりと言葉を探すように話した。


「胸の奥から出てくるはずのものが、どこかで引っかかって、散って、分からなくなるんです。いつもなら、変身って……怖い時でも、体の中から光が広がって、自分が魔法少女になるって分かるんですけど」


 彼女は、俯いた。


「今は、その光が途中で消えちゃう感じがして」


 結衣は何も言えなかった。

 変身できない。魔法少女にとって、それはただ戦えないというだけではない。

 自分が自分でいられない。守ると決めたものの前に立てない。逃げることしかできなくなる。

 その恐怖を、結衣は痛いほど想像できた。


「すみません、結衣先輩」


「謝らないで」


 結衣は即座に言った。少し強い声になってしまった。

 ミナが驚いたように顔を上げる。

 結衣は、少しだけ声をやわらげた。


「あなたは悪くない。怖かったのに、ちゃんと戦ってた」


「でも、私、逃げました」


「変身が解けたんだよ。逃げるしかなかった」


「でも」


「逃げるしかない時に逃げるのは、悪いことじゃないよ」


 結衣は言った。それは、後輩に言い聞かせる言葉だった。

 同時に、自分に言い聞かせる言葉でもあった。

 逃げるしかない時。本当にそうだったのか。

 二年前の自分は、本当に逃げるしかなかったのか。

 その問いが胸を刺す。


 ミナは、しばらく自分の手を見つめていた。それから、ぽつりと言った。


「じゃあ」


 結衣は、ミナを見る。ミナも、結衣を見た。不安そうな目だった。責める目ではない。

 ただ、答えが欲しい子どものような目。


「悪いのは、オブスキュリテですか?」


 結衣の呼吸が止まった。

 答えるべきだった。そうだよ、と。

 彼女は敵だ。魔法少女を傷つけた。あなたを怖がらせた。このシティを危険に晒した。

 だから、止めなければならない。

 そう言うべきだった。


 それが、エースとしての答えだった。

 後輩を安心させるための答えだった。

 魔法少女として正しい答えだった。

 けれど、言えなかった。


 オブスキュリテ。


 赤羽 祈。


 世界に見捨てられた親友。

 二年前、助けを求めていたのに自分が手を伸ばせなかった少女。


 祈は悪い。今の祈は、誰かを傷つけている。

 それは事実だ。

 でも、祈だけが悪いと言ってしまったら。自分はまた、祈一人に全部を背負わせることになるのではないか。二年前と同じように。


 結衣は、言葉を探した。何か言わなければならない。

 ミナは答えを待っている。怖かった後輩が、自分の恐怖に名前をつけようとしている。

 誰が悪かったのか。自分は何に怯えているのか。それを知ろうとしている。

 なのに、結衣はすぐに答えられなかった。


 沈黙が落ちる。

 その沈黙は、ミナにも伝わった。彼女は少しだけ目を伏せた。


「……すみません」


「ミナ」


「変なこと聞きました」


「違う」


 結衣は首を横に振った。


「変じゃない。あなたが聞くのは、当然だよ」


 そう言いながらも、答えはまだ出ていなかった。

 オブスキュリテは悪い。

 祈は傷ついた。祈は被害者だった。

 でも今、ミナは祈に傷つけられた。

 その事実から、結衣は目を逸らすことができなかった。


 ミナは、少しだけ目を伏せた。何かを言うべきか迷っているようだった。

 けれど、やがて小さく息を吸う。


「ネットで、見ました」


 結衣の胸が、嫌な音を立てた。


「オブスキュリテって、赤羽 祈さんなんじゃないかって」


「ミナ」


 思わず名前を呼んだ。

 止めようとしたのか。これ以上聞きたくなかったのか。結衣自身にも分からなかった。

 ミナは、布団の上で指を握りしめる。


「ごめんなさい。勝手に調べたりして」


「……ううん」


「でも、見ちゃったんです。動画とか、昔の記事とか、二年前の事件のまとめとか」


 ミナの声は、少しずつ震えていった。


「赤羽さんのことも、少し調べました」


 結衣は、何も言えなかった。


 赤羽 祈。


 その名前が、後輩の口から出る。それだけで胸が痛む。


「ひどいことをされた人なんだと思います」


 ミナは言った。


「事件の時、先輩魔法少女が亡くなって、たくさんの被害が出て、それで赤羽さんが責められて。学校でも、家でも、ネットでも、ずっと叩かれて」


 結衣の視界が、わずかに揺れた。


 あの頃のニュース。見出し。コメント欄。祈の家に向けられたカメラ。

 返信できなかったメッセージ。

 全部が、一瞬で蘇る。


「誰も守ってくれなかったんだと思います」


 ミナの声は、責めるものではなかった。

 ただ、調べた事実を、どう受け止めればいいのか分からない子の声だった。


「かわいそうだって、思いました」


 結衣の胸が痛む。

 そうだ。祈はかわいそうだった。

 そんな一言で済ませられるものではないけれど、でも確かに、祈はあまりにもひどい目に遭った。


 守られるべきだった。誰かが手を伸ばすべきだった。

 自分が、手を伸ばすべきだった。


「でも」


 ミナは、布団を握りしめた。指が白くなるほど強く。


「それでも、私は怖かったです」


 その一言は、結衣の胸に静かに突き刺さった。

 鋭く叫ばれたわけではない。責められたわけでもない。

 ただ、怖かったと告げられただけだった。

 それなのに、結衣は息が詰まった。


「変身が解けて」


 ミナの声が震える。


「足に力が入らなくなって、魔力がぐちゃぐちゃになって、自分が魔法少女じゃなくなっていく感じがして」


 彼女の瞳が、あの日の恐怖を映す。


「異形が近づいてきて、周りの音が遠くなって、もう死ぬんだって思いました」


 結衣は、ミナの手元を見た。布団を掴む指が震えている。

 その震えは、戦闘が終わった今も消えていない。


「オブスキュリテがどれだけ傷ついていたとしても」


 ミナは、泣きそうな顔で言った。


「私は、あの人が怖いです」


 結衣は、何も言えなかった。

 祈は被害者だった。それはたぶん、本当だ。

 二年前、祈は守られなかった。世間に責められ、局にも守られず、親友にも手を伸ばしてもらえなかった。

 その痛みは本物だ。


 でも。


 今ここにいるミナもまた、被害者だった。

 祈に傷つけられた少女だった。赫塵を受け、変身を剥がされ、死の恐怖を味わった後輩だった。


 どちらか一方だけを見てはいけない。

 祈の痛みを見たいなら、祈が与えた痛みも見なければならない。

 そうでなければ、また誰かを見捨てることになる。


「結衣先輩」


 ミナは、ゆっくり顔を上げた。目元が赤い。

 けれど、涙はまだこぼれていなかった。


「次にあの人が来たら、先輩は……戦ってくれますか?」


 結衣の喉が震えた。


 すぐに「もちろん」と言えなかった。言うべきだった。

 後輩を安心させるために。エースとして。魔法少女として。


 けれど、言葉が出なかった。


 祈と戦う。

 赤羽 祈に拳を向ける。

 あの日、助けられなかった親友を、今度は敵として止める。

 それがどういうことなのか、結衣にはまだ怖かった。


 その沈黙で、ミナの顔が少しだけ曇る。


「あ……」


 ミナは慌てたように笑おうとした。


「すみません。困らせるつもりじゃなくて」


 その気遣いが、余計に痛かった。


 怖がっているのはミナの方なのに。

 傷つけられたのはミナの方なのに。

 それでも彼女は、結衣を困らせたことを謝ろうとしている。


 結衣は、自分の弱さを呪った。ここで言えなければ、また同じだ。

 また誰かを不安にさせる。また誰かを見捨てる。二年前の祈のように。

 今度は、目の前の後輩を。


 結衣は、拳を握った。右手の爪が掌に食い込む。

 痛みがあった。その痛みで、ようやく声を絞り出せた。


「……戦う」


 声は小さかった。けれど、逃げなかった。

 ミナが、結衣を見る。


「まだ、どうすればいいのか全部は分からない」


 結衣は正直に言った。


「オブスキュリテをどう止めればいいのか。祈に何を言えばいいのか。私があの子に許してほしいだけなのか、それとも本当に救いたいのか。まだ、全部は分からない」


 言いながら、自分の胸の奥が痛んだ。けれど、言葉を濁さなかった。


「でも」


 結衣は、ミナの目を見た。


「次にオブスキュリテが誰かを傷つけようとしたら、私は止める」


 ミナは、じっと結衣を見た。その目は、まだ不安を残している。

 でも、先ほどより少しだけ強かった。


「赤羽 祈さんでも?」


 結衣の胸が、痛んだ。

 その名前。もう何度も聞いているはずなのに。自分でも何度も呼んできたはずなのに。

 今この場で、後輩に問われると、喉が焼けるようだった。


 赤羽 祈でも。

 親友でも。

 二年前に手を伸ばせなかった相手でも。


 祈が誰かを傷つけるなら。これ以上、誰かを怖がらせるなら。

 そして何より、祈自身が戻れない場所まで進もうとするなら。

 止めなければならない。


 結衣は、息を吸った。痛い。苦しい。

 でも、答えた。


「うん」


 声はかすれていた。それでも、確かに言った。


「赤羽 祈でも」


 ミナは、しばらく何も言わなかった。それから、ゆっくりと息を吐く。


「……よかった」


 小さな声だった。


「すみません。こんなこと、聞いて」


「謝らないで」


 結衣は首を横に振った。


「聞いてくれて、ありがとう」


「え?」


「私、ちゃんと言葉にしなきゃいけなかったから」


 ミナが少し驚いたように瞬きをする。

 結衣は、ベッドのそばに立ったまま、静かに言った。


「あなたが怖かったことを、なかったことにはしない。オブスキュリテが傷ついていたとしても、あなたが傷ついたことも本当だから」


 ミナの目が揺れる。


「だから、次は止める」


 結衣は、自分にも言い聞かせるように続けた。


「祈を憎むためじゃない。あなたたちを守るために。祈に、これ以上誰かを傷つけさせないために」


 ミナの手から、少しだけ力が抜けた。

 布団の皺が、ゆっくりと戻っていく。


「……結衣先輩」


「うん」


「私、また変身できるようになりますか」


 結衣は、今度は迷わず答えた。


「なるよ」


 ミナは不安そうに結衣を見る。


「本当に?」


「うん。医療担当の人も、時間はかかるけど回復するって言ってた。焦らなくていい。怖いなら怖いままでいい。戻る時は、私も一緒に訓練する」


 ミナの表情が、ほんの少しだけ緩んだ。


「……お願いします」


「うん」


 結衣は笑った。今度は、少しだけ自然に笑えた気がした。

 医療区画の白い光の中で、ミナはまだ震えていた。

 それでも、その震えを一人で抱えなくていいのだと、少しだけ思えたように見えた。


 結衣は、胸の奥で静かに誓う。


 祈。


 あなたの痛みも、見なかったことにはしない。

 でも、あなたが傷つけた人の痛みも、なかったことにはしない。


 どちらかだけを選ぶのではなく。

 どちらからも逃げずに。

 私は、あなたを止める。


 そう思った時、奈央の言葉が胸に蘇った。


 許されたいのか。止めたいのか。救いたいのか。償いたいのか。


 まだ答えは、完全には出ていない。

 けれど少なくとも一つ。今の結衣には、はっきり言えることがあった。


 次にオブスキュリテが誰かを傷つけようとするなら。


 自分は、戦う。たとえ相手が、赤羽 祈でも。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ