↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いずれ空へと続く道  作者: 白銀スーニャ
第2章:東の死と不死と未来
93/105

第54話

 リュウガは東部領の空気を吸った瞬間、王都で押し込めていたものが胸の奥でほどけるのを感じた。

 懐かしさではない。

 安堵でもない。

 ここは自分の生まれた土地であり、いずれ背負うべき場所だ。帰ってきたという感覚はある。だが同時に、帰ってきてしまったという重さもあった。

 駅の屋根は反りの強い瓦で覆われ、柱には龍と狐を象った彫り物が施されている。王都の石造りとは違い、木と朱色と黒鉄が目立つ。線路沿いには東部領式の魔力灯が並び、風鈴に似た小さな魔導具が風に揺れて、細い音を立てていた。

 音も匂いも、王都とは違う。

 香辛料の混じった湯気、焼いた米粉の匂い、川魚を炙る煙。駅前の通りには和装に近い服を着た者もいれば、裾の長い中華風の衣をまとった者、南方の布を重ねた軽装の者もいる。角、尾、獣耳、鱗。東部領の種族は一つの形に収まらない。

 アイギスが隣で周囲を見ていた。

「文化がかなり混ざっているな」

「東部領はそういう土地だ。東の人間界に近い地域の妖魔由来の種が多い。古い時代から混ざって、こうなった」

「武芸が盛んなのも、その影響か」

「それもある。代表に武力が求められるから、強い者を尊ぶ風潮が残っている」

 説明しながら、リュウガは自分の言葉が少し硬いことに気づいた。

 アイギスは観光客ではない。自分を見ている。東部領を背負うと言いながら焦りで倒れ、サニーに鍛え直されている男が、故郷でどんな顔をするのか見ている。

 見られて困るものではない。

 そう思いたい。

「まず宿ではないの?」

 サニーが背後で言った。彼女は駅の柱に寄りかかるように立ち、荷物を片手で持っている。監督役というより、面倒な出張に来た大人に見える。

「迎えが来ています。そこへ荷物を預けた後、少し街を回る予定です。決定戦前に、東部領の空気を見てもらいたいので」

「それ、観光って言うのよ」

「……監督役への説明も兼ねています」

「はいはい」

 サニーは興味なさそうに手を振ったが、目は街路の奥を見ていた。黒い化け物の報告がある以上、ただの観光として歩くつもりはないのだろう。

 駅前から伸びる大通りは、緩い坂になっている。遠くには城郭の屋根が見えた。王都の城とは違う。高い石壁で囲むのではなく、複数の門と曲がった通りで敵を迷わせる構造だ。城下町そのものが、防衛と生活を兼ねている。

 リュウガは案内役として歩いた。

 露店の前を通ると、店主が顔を上げる。

「若様、お帰りなさいませ」

「ああ。世話になる」

 何度も言われる。

 若様。

 その呼び方が、今日は少し重い。

 龍真が生きていた頃、自分へ向けられるそれは、弟としての呼び方だった。期待はあったが、中心ではなかった。今は違う。兄がいない。代わりに自分が見られている。

 リュウガは露店で蒸した饅頭を三つ買い、アイギスとサニーへ渡した。

「東部領の軽食です。中身は肉と香草」

「ありがとう」

 アイギスは素直に受け取る。

 サニーは包み紙を見て、少しだけ眉を上げた。

「昔より種類が増えた?」

「来たことが?」

「仕事で何度かね」

 それ以上は言わなかった。

 サニーがどこで何をしてきたのか、リュウガは詳しく知らない。だが、彼女はいつも、こちらが想像するより多くを知っている。

 通りを進むうち、アイギスが一軒の店の前で足を止めた。

 店先に掛けられた布看板には、魔界語と飾り文字で「KOTOKO」と書かれている。占いの店にしては、外装が妙に洗練されていた。黒と白の布が揺れ、金色の細い鈴が戸口に吊るされている。予約表らしき札はほとんど埋まっており、店の前には順番待ちの客が数人いた。

「有名なのか」

 アイギスが尋ねる。

「……ああ」

 リュウガは短く答えた。

 喉の奥が少し詰まる。

 古都子。

 兄の婚約者になるはずだった人。自分が近づいてはいけないと思っている相手。

 表向きは占い師KOTOKOとして知られている。東部領では、よく当たる占い師として評判で、その名の方がずっと通りがいい。予約は取りにくく、恋愛相談から商売の見通し、旅の吉凶まで幅広く受ける。本人はあの名を恥ずかしがっていたはずだが、今では店の看板になっている。

 サニーが看板を見上げた。

「変な名前」

「本人もそう思っているはずです」

「知り合い?」

 リュウガは答えるまでに一拍置いた。

「兄の知人です」

 嘘ではない。

 だが、正確でもない。

 アイギスがこちらを見た。追及はしない。ただ、今の言い方が足りないことには気づいている。

 店の戸が開いた。

 中から出てきた客が、どこか安心したような顔で頭を下げて去っていく。その奥に、黒い髪が一瞬見えた。白と黒が半分ずつに分かれた和装。金の瞳。狐耳の先が、戸の影でわずかに動く。

 古都子だった。

 彼女はこちらに気づいた。

 目が合う。

 リュウガは、咄嗟に礼だけをした。

 古都子も静かに頭を下げる。占い師として客へ向ける礼ではなく、昔を知る者へ向ける、少しだけ重い礼だった。

 それ以上は近づかない。

 近づけなかった。

「挨拶しなくていいのか」

 アイギスが聞いた。

「今はいい」

「そうか」

 アイギスはそれだけで引いた。

 ありがたいと思う反面、情けなくもあった。自分が距離を置いているのは、古都子を責めたいからではない。責める資格がないからだ。兄は自分を庇って死んだ。古都子はその場にいて、何かを知っていた。そう思い続けているのに、何も聞けずにいる。

 聞いたら、兄の死に向き合わなければならない。

 自分が兄を死なせたという言葉から、逃げられなくなる。

 サニーが饅頭を食べ終え、包み紙を丸めた。

「で、次は?」

「武闘会場の下見です。決定戦の武闘部門が行われます」

「観光の次にそれね」

「東部領では、十分観光になります」

「嫌な観光地」

 軽い言葉だったが、リュウガは笑えなかった。

 武闘会場へ向かう道は、城へ続く道とも重なっている。通りの奥に、代表決定戦の幟が並んでいた。予定より早まった日程。まだ街は平静を装っているが、空気の端には落ち着かない熱がある。

 伯耀側の工作。

 表向きには何も乱れていない。むしろ整いすぎている。出場者の調整、会場整備、観客席の案内、警備の配置。すべてが通常通り進んでいるからこそ、不自然だった。

 リュウガは拳を握りかけ、途中で力を抜いた。

 サニーに叩き込まれたことを思い出す。派手な技へ逃げる前に、足腰、呼吸、判断を整えろと言われた。面白みのない基礎ほど、崩れた時に最後まで残る。

 焦って倒れるためにここへ来たわけではない。

 アイギスが隣へ並ぶ。

「リュウガ」

「何だ」

「ここで見るべきものは、敵だけではないはずだ」

 言葉は静かだった。

 リュウガは少し遅れて頷く。

「分かっている」

 見なければならないものは多い。東部領の街、領民の顔、自分へ向けられる期待、古都子の沈黙、伯耀の気配。そして何より、兄のいない場所で自分がどう立つのかを、リュウガ自身が見届けなければならない。

 武闘会場の門が近づく。

 その向こうから、訓練用の木剣がぶつかる音が聞こえた。

 リュウガは背筋を伸ばした。

 逃げるなら、来るべきではなかった。

 来た以上、見る。

 たとえ、見たくないものが待っているとしても。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。