EX37
リリーは、第3班の研究室に戻るなり、会議用の顔を外した。
資料を机に置き、椅子に座って、深く息を吐く。そこまでしてから、ようやく自分の中で暴れ始めていた好奇心に、少しだけ場所を譲った。
「厄介だねえ」
近くの机で記録を整理していた研究員が、顔を上げた。
「隊長、笑っています」
「笑ってないよ」
「口元が」
「研究対象として厄介なものを厄介だと言う時、人は多少こういう顔になるものだよ」
「そういうものですか」
「研究者なら、そういうもの」
言い切ると、研究員は納得したような、していないような顔で資料へ戻った。
第3班の研究室には、会議室とは違う空気がある。魔導具の測定音、紙をめくる音、記録用端末の淡い光。元魔法研究所の者もいれば、もともと軍属の研究畑にいた者もいる。厄介なものを前にした時の目だけはよく似ていた。
家庭の事情により人間界側の駐在を外されたコーイチも、第3班の身内として資料の山に埋もれている。
彼は魔界側の軍属らしい顔をしようとして、半分ほど失敗していた。人間界で事務所を構えていた時の癖が抜けないのか、紙束の置き方だけ妙に現実的だ。
「で、どこから見る?」
コーイチが聞いた。
「アンチ・マジックそのものは、もう公的報告に回した範囲で十分。あれは忌々しいけど、既知の失敗研究の系譜だよ」
リリーは資料を一枚抜いた。
魔法無効化装置。
研究者や軍の大人たちは、来歴を知るほどアンチ・マジックと呼ぶ時に顔をしかめる。不滅の魔石を壊すために作られ、結局は魔石を壊せず、魔法を使う者を殺すために有用な道具だけが残った。
失敗研究としては、最悪の部類だ。
リリーは椅子の背にもたれた。
「問題は、不滅の魔石がどこから来ているのか」
「旧魔法研究所の記録から追う?」
「そこが出発点になる。少なくとも、旧魔法研究所に不滅の魔石が持ち込まれ、破壊方法の研究が行われていたことは確認できる。誰が持ち込んだのか、どの経路で運び込まれたのかは、記録上かなりぼかされているけどね」
コーイチが資料へ目を落とす。
「そこから横に流れた分が、今出回っている?」
「旧魔法研究所から横流しされた分は、まず疑っていい。西部領で使われた分、教団側に流れていた分、北部領から資金が入った分。全部が同じ場所から出たとは限らないけど、少なくとも研究所由来の流通経路は洗う必要がある」
研究室の空気が少し静かになる。
リリーはその沈黙を嫌いではなかった。危険な仮説が出た時、まともな研究者は一度黙る。面白がる前に、怖がる。怖がったうえで、それでも見る。
「不滅の魔石は、名前の通り不滅性を持つ。通常の魔石とは違う。壊そうとすれば魔術式の循環が戻る。削っても性質が残る。だから過去の研究者は、魔術式そのものを成立させない場を作ればいいと考えた」
「それがアンチ・マジック」
「そう。だけど、肝心の不滅の魔石には決定打にならなかった。魔法を無効化する装置だけが残った」
「嫌な話だ」
「嫌な話だよ。しかも、それを人の体に埋め込んで運用した」
リリーの声が少し低くなる。
研究は危うい。
彼女自身、それを否定する気はない。倫理観を横へ置きたくなる瞬間があることも知っている。未知のものがあれば見たい。仕組みを知りたい。できるかどうかを確かめたい。
だからこそ、どこで止まれなくなるのかも分かる。
止まれなかった研究の残骸が、今回の装置だった。
「東部領の黒い化け物については」
別の研究員が慎重に口を開いた。
「現時点では、ルシアンと同系統の強化術と見てよいのでしょうか」
「公的にはね」
リリーは答えた。
「黒い体色、思想への固執、理性を保ったまま歪む変質。不滅の魔石を身体に入れた影響として説明できる範囲はある。説明しきれない部分もあるけど、今ここで飛びすぎた仮説を出すと、調査班が困る」
「隊長がそれを言いますか」
「私だって公的報告では抑えるよ」
研究員の視線が少し疑わしい。
リリーは咳払いした。
「少なくとも、これ以上踏み込んだ応用を確定事項として扱う段階ではない。そこは伏せる。断片だけで名前をつけると、後で見誤る」
コーイチが頷いた。
「じゃあ、ここで掘るのは魔石の由来か」
「そう」
リリーは新しい紙を出した。
不滅の魔石。
その下に、旧魔法研究所、持ち込み記録、横流し、流通、破壊研究、アンチ・マジック、と書く。
「アンチ・マジックは枝葉。忌々しい枝葉だけど、枝葉は枝葉。本体は不滅の魔石そのもの。なぜ壊れないのか。なぜ魔力循環が戻るのか。なぜ破壊研究が魔法無効化へ逸れたのか。そこを見ないと、同じものが何度でも出る」
「北部領が資金を出した理由にも繋がる?」
「繋がる。ダニエル・ヴァーミリオンが何を欲しがったのか。不滅性か、兵器化か、魔法への対抗手段か。たぶん全部だろうけど」
研究室の端で、誰かが小さく呻いた。
全部、という言葉は重い。
だが、不滅の魔石にはそれだけの誘惑がある。壊れない力。死を拒む性質。魔法を否定する装置を生むほどの異常性。領地を背負う者、軍備を増強したい者、死を恐れる者、神を崇める者。誰が触れても、欲望の形に合わせて歪む。
「隊長」
コーイチが言った。
「神威の残滓とは別件として扱う?」
リリーの目が少しだけ輝いた。
研究員たちが一斉に警戒した。
「別件だけど、完全に別とは限らない」
「ほら始まった」
「まだ始まってない」
「始まる時の顔をしています」
リリーは心外そうに眉を上げた。
だが、反論はしなかった。
魔力でも気でもない残滓。観測しているはずなのに、逆に観測され返すような違和感。あれはあれで、今すぐ机に広げたい。だが、今日の主題は不滅の魔石だ。ここで飛びつけば、全員で徹夜になる。
それはそれで悪くない。
悪くないが、たぶん怒られる。
「今日は魔石」
リリーは自分に言い聞かせるように言った。
「アンチ・マジックがどこから枝分かれしたのか。不滅の魔石の由来を洗う。旧魔法研究所への持ち込み記録、過去の破壊研究、北部領への資金経路、教団への流出経路。全部並べるよ」
「徹夜ですか」
「今日はまだ帰れる時間に帰る努力をする」
「努力」
「努力は大事」
コーイチが資料をまとめ直す。
研究員たちも、それぞれの端末を開いた。
リリーは机の中央に置かれた不滅の魔石の写しを見た。実物ではない。ただの記録画像だ。それでも、琥珀色に濁った石の像は、画面越しにこちらを見返してくるような気配があった。
壊れない石。
壊すために生まれた失敗研究。
失敗から生まれた魔法無効化。
そして、それを使う者たち。
研究は真実へ近づくためのものだ。
けれど、真実へ近づくほど、人が何を欲しがったのかも見えてしまう。
リリーはペンを取った。
不滅の魔石の由来。
その見出しの下に、最初の仮説を書き始めた。




