EX35
その生徒は、特別クラスの模擬戦を見に行くつもりなどなかった。
授業後の訓練場は、たいてい誰かが使っている。三年目の生徒ともなれば、自主訓練の時間は貴重だ。卒業後の配属先を考えれば、他人の試合を眺めている余裕など本来はない。
それでも足が向いたのは、噂が流れていたからだ。
サニー・アージェント立ち会いの特別クラス模擬戦。
西部領の事件を解決した白銀桐子。
次期領主たちと、アージェント家の娘。
そういう言葉が廊下を通り、食堂を通り、訓練場へ向かう生徒の背中を押していた。
その生徒も、押された一人だった。
訓練場には、すでに人が集まっている。公式試合のような賭けの熱はない。だが、見物人の視線には期待があった。特別クラスとは何か。なぜ通常クラスとは別に扱われるのか。その答えを見たいという期待だ。
白銀桐子について、彼が知っていることは多くない。
後見人がサニー・アージェントであること。
出自がよく分からないこと。
西部領の事件解決に関わり、かなり大きな役割を果たしたらしいこと。
それくらいだ。
城で何が起きたのか、どこまで桐子がやったのかも知らない。噂はいつも大げさになる。特に、サニーが後見人という時点で、尾ひれはいくらでもつく。
だから、彼は半分疑っていた。
だが、試合が始まってすぐ、その疑いは別の形に変わった。
近距離では桐子とリュウガがぶつかった。東部領の次期領主候補であるリュウガは、見た目より重い。踏み込みの角度、武器の持ち替え、身体の使い方。通常クラスの生徒が相手なら、最初の数合で崩されるだろう。
桐子は崩れなかった。
槍を作る。まだ完全な美しさはない。だが、武器としては成立している。距離を取るために使い、失えば身体で詰める。槍術だけではない。足の入り方が違う。武器を持っているのに、素手でも同じように戦える者の動きだった。
遠距離ではクロエとアイギスが向き合っている。
クロエの雷撃は派手だ。けれど、派手なだけではない。撃つ場所、間隔、相手の盾を動かすための誘導。アイギスはそれを盾で受け、流し、時には地面へ落とす。彼女の周囲に浮かぶ盾は、壁ではなく線のように配置されていた。
盾役がいるというのは、ああいうことか。
その生徒は、少し遅れて理解した。
単に攻撃を防ぐのではない。味方の行動範囲を作り、相手の射線を切り、危ない場所に先に壁を置く。アイギスが一人いるだけで、戦場の形が変わっている。
そして、リュウガが桐子を抜いた。
観覧側から小さなどよめきが起きる。
リュウガは後衛のクロエを狙った。正しい判断だった。遠距離の火力を潰せば、戦況は傾く。クロエが逃げ切る前に、刃が届く。試合用の結界があるとはいえ、痛みはある。彼女の腕から血が散った。
普通なら、そこで終わりだ。
吸血鬼に傷を負わせた。
そう思った者は、彼だけではなかったはずだ。
クロエは退かなかった。
流れた血が、武器になった。
赤い線が空中で固まり、刃となり、リュウガの踏み込みを阻む。雷撃で距離を作る魔法使いだと思っていた相手が、自分の血で近接の隙を埋めた。その瞬間、訓練場の空気が変わる。
吸血鬼に傷を負わせたとて、油断するな。
誰かが小さく呟いた。教師か、上級生か、分からない。
桐子が戻り、戦況は挟撃に変わった。
リュウガは粘った。武器を変え、体勢を落とし、片方を受けながらもう片方を牽制する。だが、クロエの血の刃と桐子の踏み込みが重なった瞬間、逃げ場が消えた。試合官が停止を告げる。
リュウガが落ちた。
残ったアイギスは、最後まで盾を崩さなかった。だが、攻撃役を失った状態で、桐子とクロエを同時に止め続けるのは難しい。何度か押し返し、配置を変え、観覧席から見ても分かるほど粘った後、彼女は降参を選んだ。
歓声が上がった。
その生徒は拍手をしながら、少しだけ寒さを覚えていた。
強い。
それは間違いない。
だが、華やかさだけでは済まない強さだった。
特別クラスの面々は、ただ才能があるから別扱いされているのではない。必要だから、そう扱われている。西部領の事件、アンチ・マジック、北部領の名が出た報告。教員たちが口を濁す不穏な話は、すでに生徒たちの耳にも届き始めている。
自分たちは卒業すれば、どこかへ配属される。
地方担当班か、各領軍か、行政寄りの部署か。まだ確定していない者も多い。それでも、今の世界が穏やかなままではないことくらいは分かる。
あの四人が必要になる状況とは、どんな状況なのか。
その問いが、拍手の中で消えずに残った。
白銀桐子が仲間と笑っている。
クロエが腕の治療を受けながら、品よく取り繕っている。
リュウガは悔しそうだが、倒れた時の噂に比べればずっと目が生きている。
アイギスは降参した後も、盾の配置を確認していた。
同じ養成所の生徒。
だが、距離はある。
彼らは近くにいるのに、もう普通の訓練だけを見ているわけではない。戦場が、事件が、領地が、彼らを先へ押している。
その生徒は、自分の手を見た。
拍手を終えた手は、少しだけ汗ばんでいた。
憧れだけで見ていられる時間は、たぶん短い。
いずれ自分も、どこかで選ばなければならない。
その時、今日見たものを思い出すのだろうと思った。




