EX33
アイギスは訓練場の端で、リュウガが何度も土を踏み直す姿を見ていた。
サニーの訓練は派手ではない。少なくとも、見ているだけならそう見える。巨大な魔法が飛ぶわけでも、珍しい武器が並ぶわけでもない。踏み込み、崩され、止まり、やり直す。その繰り返しだった。
だが、退屈ではなかった。
リュウガの足が少しずつ変わっていく。最初は焦りが前へ出すぎていた。相手を倒すための踏み込みというより、何かに追いつくための踏み込みだった。サニーはそれを容赦なく潰す。潰されるたび、リュウガは顔をしかめ、それでもまた立つ。
アイギスは、盾を出していない自分の手を見た。
盾役であることに、不満はない。
誰かの前に立つことは怖くない。攻撃を受け止めることも、痛みを引き受けることも、役割として理解している。西部領の城で魔法を封じられ、盾を失った時も、役目を手放す選択肢はなかった。家具でも、建材でも、そこにあるものを使えば守れる。母からの返信にも、そう書かれていた。
だが、最近は別の問いが残るようになった。
自分が危険に晒されるのは、厭わない。
では、自分がこの手で守りたいものは、一体なんなのか。
クロエは西部領を守りたかった。
あの城で、魔法を封じられ、吸血鬼としての力を削られても、彼女は最後まで自分の領地を見捨てなかった。恐怖も屈辱もあったはずだ。それでも、ルシアンを止めてほしいと桐子へ託した声には、領主としての重さがあった。
桐子は、選んで死地へ入っていく。
本人は巻き込まれていると言う。確かに、異界へ飛ばされ、魔法を覚えさせられ、戦場に立たされた部分はある。けれど、最後の一歩はいつも自分で出している。ルシアンを殺した時も、クロエの声を受け、アイギスの背中を見て、自分で決めた。
リュウガも同じだ。
東部領を背負うために、兄の影を追い、焦り、自分の身体を壊しかけた。それは褒められることではない。サニーにも叱られた。だが、逃げようとしているわけではない。前へ出る理由を失わないために、間違った方向へ走っていただけだ。
なぜ、三人とも自分から危険な場所へ向かうのか。
アイギスには、まだ完全には分からない。
守るべき誰かがいるからだろうか。
帰るべき場所があるからだろうか。
それとも、自分がそうしなければならないと決めたからだろうか。
訓練場で、リュウガがまた崩された。今度は膝をつかない。足裏で踏み止まり、体勢を戻す。ほんの少しだけ、前より良い。
サニーが何かを言う。
距離があるため言葉までは聞こえない。リュウガは短く頷いた。
その横顔に、焦りはまだ残っている。けれど、最初よりは目の位置が定まっていた。遠くの何かではなく、目の前の一歩を見ている。
アイギスは胸の奥に、静かな引っかかりを覚えた。
自分は、何を見ているのだろう。
リュウガの焦りか。
サニーの強さか。
それとも、東部領へ向かう道の先か。
西部領を見た。
城下町、葡萄畑、港、歓楽街、森林エリア。事件現場としてではなく、人が暮らし、直そうとしている場所として見た。クロエが守りたかったものは、抽象的な領地ではなかった。そこには菓子の匂いがあり、海風があり、怒る領民がいて、帰ってきたローザへ泣き笑いで文句を言う人たちがいた。
東部領にも、そういうものがあるのだろう。
リュウガが背負いたいと言う場所。
兄の代わりではなく、自分自身として立たなければならない場所。
そこを見れば、アイギスにも分かるかもしれない。
盾として守る、という言葉の中身が。
誰かの前に立つだけではなく、自分が何を守りたいのか。
訓練が一段落したのか、リュウガが膝に手を置いて息を整えている。サニーは容赦なく次の指示を出しているようだった。周囲で見ていた生徒たちは、少しずつ散り始めている。期待していたような派手な技は見られなかったからだろう。
アイギスは動かなかった。
リュウガが顔を上げ、こちらに気づいた。
目が合う。
彼は一瞬だけ気まずそうにし、それからすぐに表情を整えた。強がりの癖はまだ抜けていない。だが、その強がりが完全に嘘ではないことも、アイギスには分かる。
アイギスは小さく頷いた。
リュウガも頷き返す。
それだけだった。
それだけで十分だった。
東部領へ同行しよう。
アイギスは静かに決めた。
リュウガを守るためだけではない。彼が背負おうとしているものを見るために。クロエが守ろうとした西部領を見て、自分の中に生まれた問いの続きを探すために。
恋ではない。
少なくとも、今のアイギスにはそういう名前をつける段階ではなかった。
もっと手前にあるものだ。
盾である自分が、何の前に立ちたいのか。
その答えを探すため、アイギスは東へ向かう理由を得た。




