第52話
ステラは、行政施設内の会議室に入った瞬間、今日の報告が軍だけで収まる話ではないことを改めて理解した。
長い机の上には、複数の資料が揃えられている。西部領で回収された体内埋め込み型の魔法無効化装置、照明型装置の残骸、教団兵の装備記録、資金の流れを示す写し。軍の内部報告なら、もう少し荒い紙束でも済んだだろう。
だが、今日は違う。
行政側の人員がいる。進行役も行政側だが、名乗りは簡素で、名前を覚えさせるための場ではなかった。第4班から第6班の王都駐在員も席についている。彼らは各地方本隊との連絡役であり、基本的に報告を受け、必要な事実確認を本隊へ回すためにいる。
報告者はリリー・セヴァライド。
第3班隊長として、彼女は机の前に立っている。普段の軽さは薄く、研究者としての興味と軍属としての責任を、どうにか一つの顔に収めていた。
ステラの隣には、レイヴンがいる。
少し離れてナタリー。
さらにその先にサニーが座っていた。
サニーは椅子に深く腰掛け、腕を組んでいる。退屈そうにも見える。面倒そうにも見える。だが、ステラには分かる。彼女は退屈しているのではない。話を聞く前から、嫌な予感が当たることを知っている顔だった。
その横顔を見ると、ステラの胸の奥がわずかに痛む。
サニーに対して、何かを言わなければならない気がずっとしている。
けれど、言葉にできない。
何を謝るべきなのか、どこから謝るべきなのか、自分でもまだ整理できていない。
だから今日も、ステラは会議の場にふさわしい顔を作った。
「それでは、第3班より解析結果を報告します」
行政側の進行役が短く告げる。
リリーが頷いた。
「西部領で回収された魔法無効化装置、通称アンチ・マジックについて、現時点で確認できた内容を共有します」
アンチ・マジック。
その言葉が会議室に落ちた瞬間、何人かの表情がわずかに変わった。
来歴を知る者ほど、その呼び方を好まない。
魔法を無効化する技術。
魔術式の構築を阻害し、発動済みの魔法さえ打ち消す装置。西部領の城内では照明に紛れた据え置き型として使われ、教団兵の一部には体内埋め込み型が施されていた。
ステラは資料へ目を落とす。
そこには、体内から取り出された小型装置の図があった。手術痕は服の下に隠れ、外見では分からない。装置の有効範囲は肉体とほぼ同一で、触れるか触れないかの距離に限られる。だが、近接戦闘に持ち込めば、魔法を頼る者には十分な脅威になる。
「結論から言うと、これは新規技術ではありません」
リリーは言った。
「過去に存在した、不滅の魔石破壊研究の系譜に連なる産物です」
会議室が静かになる。
不滅の魔石。
その名が出るだけで、空気は重くなる。
リリーは資料をめくった。
「不滅の魔石は、通常の手段では破壊が困難です。過去の研究では、魔術式そのものを成立させない場を局所的に作ることで、魔石の再生性や魔力循環を阻害できないか試みた形跡があります。結果から言えば、肝心の不滅の魔石には有効ではありませんでした」
「失敗研究の副産物、ということですか」
行政側の一人が確認する。
リリーは頷く。
「はい。ただし、副産物としては非常に厄介です。魔法を使う者、魔導具に依存する設備、魔術式による防衛機構に対しては有効でした。西部領の城内襲撃は、その特性を前提に組まれています」
第4班の王都駐在員が資料を確認する。
「西部領以外での同型装置確認は」
「現時点では限定的です」
リリーが答える。
「ただし、照明型と体内埋め込み型の二系統がある以上、単発の流出ではなく、一定数を量産する前提で準備されていたと見るべきです」
第5班の駐在員が短く言った。
「北部側への確認が必要になります」
その言葉に、レイヴンの指がわずかに動いた。
ステラは隣の夫を見る。
レイヴンは表情を崩していない。だが、目元に重さが出ている。ヴァーミリオン家の名が出る前から、彼は何かを覚悟していたのかもしれない。
リリーは次の資料を出した。
「資金の流れについてです。装置の再構築、素材調達、手術設備、教団兵への施術に関わる資金の一部が、北部領ヴァーミリオン家から出ています」
会議室の空気が、さらに一段重くなる。
ナタリーが息を止めた。
レイヴンは目を閉じる。
ステラは、自分の手が資料の端を強く押さえていることに気づいた。
北部領ヴァーミリオン家。
その現当主は、ダニエル・ヴァーミリオン。
レイヴンの兄であり、ナタリーの異母兄であり、ステラにとっても過去の因縁から切り離せない名だった。
「現当主ダニエルの関与まで見ていいのか」
レイヴンが低く問う。
声は荒れていない。
だからこそ、重い。
リリーは逃げずに答えた。
「資金提供元として、現当主の承認なしに動く規模ではありません。現時点で、本人の直接指示を示す文書は確認中です。ただし、少なくとも北部領ヴァーミリオン家の中枢が関与していると見るべきです」
ナタリーが膝の上で拳を握った。
普段ならサニーのことになると騒がしい彼女が、今は黙っている。同じ血筋の名が、敵対軸として会議室に置かれた。その重さを、彼女も理解している。
サニーが小さく息を吐いた。
「いつかこういうことが起きるとは思っていたけど」
全員の視線が少しだけ彼女へ向く。
「面倒ね」
言葉は軽い。
だが、目は笑っていない。
「早く片付けたい。今からでも北部にカチコミに行ってやろうか」
「サニー」
ステラは思わず名を呼んだ。
サニーはこちらを見ない。
「冗談よ」
冗談に聞こえなかった。
少なくとも、半分は本気だ。
行政側の進行役が咳払いした。
「現時点では、正式な調査と各領への情報照会が優先されます」
「分かっているわ」
サニーは面倒そうに答える。
「だから座っている」
それだけで十分我慢している、という声だった。
ステラは胸の奥の痛みを抑えた。
サニーはいつもそうだ。
面倒だと言いながら、必要なら誰より早く前へ出る。壊れることを恐れず、切るべきものを切る。それが彼女の強さであり、危うさでもある。
ステラはそれを、ただ眺めてきたわけではない。
なのに、どこかで自分だけが安全な場所に立っているような後ろめたさがある。
それが何なのか、まだ言葉にならない。
「続けます」
リリーが言った。
「東部領で報告されている黒い化け物についても、同系統の研究派生物である可能性があります」
第6班の王都駐在員が顔を上げた。
「東部本隊からは、まだ断片的な報告しか上がっていません」
「承知しています。現時点では断定しません。ただ、西部領で確認されたルシアンの変質、黒い体色、理性を保ったまま思想へ固執する変化と、東部領側の未確認事例に共通する表現がある」
リリーは資料の一部を示す。
「不滅の魔石を体内に取り込む、あるいは死体や肉体組織へ応用する研究が並行している可能性があります」
死体。
その言葉に、ステラはわずかに眉を動かした。
東部領で何が起きるのか、まだこの場では全貌が見えていない。だが、死者の身体を利用する研究というだけで、十分に忌まわしい。
レイヴンが静かに言う。
「兄がそこまで踏み込んでいるなら、北部はもう内側から腐っている」
ナタリーが顔を上げた。
「レイヴン兄様」
「分かっている」
レイヴンは短く答えた。
「感情で動くつもりはない」
その言葉は、ナタリーへ向けたものでもあり、自分自身へ向けたものでもあった。
ステラは夫の横顔を見た。
彼はヴァーミリオン本家と決別した。だが、血が消えるわけではない。兄弟であった事実も、北部領の歪みを見て育った記憶も、消えない。
「今後の対応として」
行政側の進行役が資料をまとめる。
「北部領への照会、東部領本隊との情報共有、西部領事件の残存資料の再精査を行います。第3班は装置解析を継続。第7班は回収経路と現場情報の補足。各地方担当班は、本隊へ警戒情報を回してください」
第4班から第6班の駐在員がそれぞれ頷いた。
発言は少ないが、これで北部領、東部領、西部領へ情報が走る。
事件はもう、一つの領地の問題ではなくなっていた。
リリーが最後の資料を閉じる。
「以上が、現時点での解析結果です。個人的には、装置そのものより、これを量産するための資金と、使う前提で人間界側の人員を改造した運用思想の方が危険だと見ています」
「研究者らしくないまとめね」
サニーが言う。
「研究者としても同じ結論だよ。技術は悪用される。だから、誰が何のために使ったかを見ないといけない」
「正論」
「珍しく褒めた?」
「褒めてはいない」
短いやり取りだった。
それでも、ステラには少しだけ空気が緩んだように感じた。
だが、すぐに重さは戻る。ダニエル、北部領、不滅の魔石、アンチ・マジック、東部領の黒い化け物。
それらはすべて、これから起きる何かへ繋がっている。
会議が終わった後も、ステラはしばらく席を立てなかった。
レイヴンは資料を閉じ、ナタリーはいつもの明るさを取り戻せずにいる。サニーは椅子から立ち上がり、面倒そうに伸びをした。
「サニー」
ステラは声をかけた。
呼んでから、続く言葉が見つからなかった。
サニーが振り返った。
「何?」
「……いえ」
言葉が喉で止まる。
無事でいて、無茶をしないで、私が何かできるなら言って。
どれも違う気がした。
サニーは少しだけこちらを見て、それから肩をすくめた。
「北部に行く時は、ちゃんと手順を踏むわよ。たぶん」
「たぶん、はやめてください」
「努力する」
その返事も信用できない。
けれど、今はそれ以上言えなかった。
サニーは会議室を出ていく。
ナタリーが慌てて追いかけかけ、途中で一度レイヴンを見る。レイヴンは小さく頷いた。ナタリーはそれを受け、サニーの後を追った。
ステラは残された資料に目を落とす。
北部領の名が、黒い文字でそこにある。
いずれ向き合わなければならないと思っていた。
だが、いずれは、いつも思っているより早く来る。
ステラは静かに息を吸った。
来るべき犠牲の気配が、まだ形を持たないまま、会議室の空気に残っていた。




