第8話
王都セレスタリアは、桐子の想像していた異世界の街とは違っていた。
遠目には、石造りの城壁と高い塔が目立つ。歴史の教科書や映画で見た古い都市に近い輪郭をしている。だが列車が駅へ滑り込むと、その印象はすぐに崩れた。
ホームには案内表示があり、改札のようなゲートがあり、行き交う人々は端末らしい魔導具を片手に予定を確認している。壁や柱は重厚なのに、内部の動きは人間界の大きな駅とそう変わらない。
似ている。
それなのに、決定的に違う。
すれ違う人々の気配が濃かった。空気には相変わらず魔力が満ちていて、駅員らしい制服の人間が何気なく指を動かすだけで、荷物台が床から浮き上がる。小さな子どもが親に手を引かれながら、窓の外に残った魔獣の血痕を珍しそうに見ていた。
桐子はその視線に、まだ慣れなかった。
「口開いてる」
サニーが言った。
桐子は慌てて口を閉じた。
「開いてません」
「開いてた」
「見てたなら先に言ってください」
「面白かったから」
ひどい。
そう思ったが、少しだけ息が抜けた。
駅を出ると、王都の街並みが広がっていた。石畳の道に、魔導具で動く車両が流れている。建物の外壁は古く見えるが、窓の奥には明るい照明があり、店の看板は光を帯びていた。空には細い軌道を描く小型の輸送具が走り、街角には魔王軍の制服を着た者たちが立っている。
異世界なのに、未開ではない。
現代なのに、桐子の知っている現代ではない。
その中を、サニーは慣れた足取りで進んだ。だるそうに見えるのに速い。人混みの流れを読むのが上手く、桐子は置いていかれないよう必死でついていくしかなかった。
「サニーさん」
「何」
「ここで、私が入る場所って」
「養成所」
短い答えだった。
「軍の学校みたいなものですか」
「近い。魔王軍の訓練機関。三年制で、戦闘、魔法、軍務、危険区域での生存、その他いろいろ」
「その他いろいろ」
「細かいのは入ってから覚えなさい」
サニーは振り返らない。
その背中を見ながら、桐子は手を握った。訓練着の袖の下、手のひらにはまだ武具創造の感触が残っている。歪な槍は、暴発ではなく自分の意思で出せた。だが、それだけだ。人を守れる力でも、自分の罪をどうにかできる力でもない。
養成所。
その言葉は、道場と少し似ていた。だが、ここで教えられるのは競技でも武術でもない。魔獣と戦い、魔法を使い、軍に属するための技術だ。
逃げたいかと聞かれれば、分からない。
帰りたいかと聞かれれば、帰りたい。
だが、帰って何をするのかと考えた時、桐子の中には真希の白い顔しか浮かばなかった。
大通りを抜けると、魔王軍本部の敷地が見えた。
建物は城に似ていた。けれど、門の横には受付端末があり、警備の兵士は身分証を魔導具にかざして入退場を管理している。古さと新しさが、無理やり混ざっているのではなく、最初からそういうものとして並んでいた。
サニーが通行証を見せると、警備の兵士が背筋を伸ばした。
「第七班長、お疲れ様です」
「手続き通してる?」
「はい。臨時保護対象の受付は完了しています」
桐子はサニーを見た。
「隊長なんですか」
「言ってなかった?」
「聞いてません」
「今言った」
サニーは悪びれなかった。
第七班長。
魔王軍。
その肩書きが、目の前のだるそうな銀髪の女にうまく重ならない。だが警備兵の態度を見る限り、冗談ではなかった。
「偉いんですか」
「面倒な立場ではある」
「偉いんですね」
「言い方」
サニーは嫌そうな顔をした。
建物の中へ入ると、外よりさらに現代的だった。広い廊下には案内板があり、各部署の表示が並んでいる。軍服の者、事務官らしい者、訓練生らしい若者たちが行き交っていた。
桐子は自分だけが場違いに思えた。
訓練着を着ているとはいえ、正式な生徒ではない。魔界の常識も、魔王軍の仕組みも知らない。未来から来たと言われ、自分が魔族だと告げられ、親友を刺した力の扱い方を一週間だけ教わっただけの人間だ。
いや、人間ではないのだと、サニーは言った。
魔族・人間種。
その言葉にも、まだ慣れない。
受付でいくつかの手続きを済ませた後、サニーは小さな面談室へ桐子を連れて行った。机の上には書類と薄い板状の魔導具が置かれている。
窓の外には、訓練場らしい広い敷地が見えた。遠くで生徒らしい集団が走り込みをしている。別の区画では、魔法の防壁のような光が立ち上がり、すぐに消えた。
ここでは、ああいう光景が日常なのだろう。
桐子は自分の手を見た。歪な槍を出すだけで息を乱していた自分が、あの中へ入る。
「特別クラス」
サニーは椅子に座るなり言った。
「あんたみたいに普通の枠へ入れにくいやつを、少人数で鍛えるための枠。形式上は養成所所属。実質、私が見る」
「私以外にもいるんですか」
「予定ではね。少なくとも一人、アイギス・アージェント」
アージェント。
桐子はその名前に反応した。
「親戚ですか」
「姪」
「姪」
「真面目で優秀。私よりよほどちゃんとしてる」
否定しづらかった。
サニーは書類を一枚、桐子の前へ滑らせた。
「入所の同意書。細かい保護規定は後で説明する。読めないところは聞きなさい」
桐子は書類を見下ろした。
文字は読める。理由は分からない。魔法なのか、送られた時に何かされたのか。考え始めるときりがないので、今は目の前の文章を追った。
魔王軍養成所。
特別クラス。
保護対象。
訓練義務。
危険性の説明。
どの言葉も重かった。
それは救済の書類ではなかった。
逃げ場のない少女を、安全な場所へ連れていくための書類でも、優しく保護するためだけの書類でもない。危険な力を持つ者を管理し、鍛え、使える形へ整えるための書類だった。
だからこそ、現実味があった。
「他に選択肢は」
桐子が聞くと、サニーはすぐ答えた。
「ない」
予想通りだった。
胸の奥が少し沈む。それでも、腹は立たなかった。選択肢がないことは、ここへ来るまでに分かっていた。
問題は、選べないことではない。
選べないまま流されることだった。
桐子は書類から顔を上げた。
「入ります」
サニーは黙っていた。
「この力を知らないまま、帰りたくないです。また誰かを傷つけるかもしれないまま、真希のところに戻りたくない」
言葉にすると、息が少し震えた。
真希の名前を出すだけで、まだ胸が痛む。だが、痛むからこそ逃げられなかった。
「だから、入ります。選択肢がないからじゃなくて、私がそうします」
サニーはしばらく桐子を見ていた。
赤い目は、からかう時より静かだった。
「なら、名前」
ペンが差し出される。
桐子はそれを受け取り、同意書の署名欄へ向かった。手は少し震えていたが、線は崩れなかった。
白銀桐子。
書き終えた文字を見た瞬間、自分がどこにも帰れていないことと、それでもここから始めるしかないことが、同時に胸へ落ちてきた。
サニーは書類を受け取った。
「ようこそ、地獄へ」
「歓迎の言葉、最悪ですね」
「嘘よりいいでしょ」
桐子は答えられなかった。
嘘ではない。
だから、立つしかなかった。




