第47話
サニーは治療室の椅子に腰を下ろし、ベッドの上のリュウガを眺めた。
医療担当者からの報告は聞いている。内側で魔力と別系統の力が反発し、胸部から腹部にかけて負荷が出た。吐血、筋組織の損傷、魔力循環の一時的な乱れ。数日は安静。無理に回復魔法を流し込めば、かえって反発が広がる可能性がある。
面倒な壊れ方だった。
死にかけるほどではない。
だが、放っておけば次はもう少し深く壊れる。
「強くなるために訓練しているのに、倒れてどうする」
サニーは言った。
リュウガは目を逸らさなかった。
そこは褒めてもいい。痛みと恥を抱えたまま、逃げる目ではなかった。
「返す言葉もない」
「あるなら聞くわ」
「ない」
「でしょうね」
サニーは足を組んだ。
怒鳴るつもりはなかった。怒鳴れば、相手は反省した気になれる。反省した気になれば、次も同じことをする。こういう手合いには、感情ではなく構造を潰す方が効く。
「気、だったかしら」
「東部領ではそう呼ぶ」
「黒峰でもそう呼んでいるらしいわね」
リュウガの表情がわずかに動く。
桐子のことを考えたのだろう。
サニーはそこを追わなかった。今は桐子の話ではない。桐子には桐子で釘を刺した。あの子は聞き分けが良いようで、必要だと思えば一線を踏む。むしろリュウガより厄介なところがある。
今は、目の前の少年だ。
「その技法は、お前が勝ち上がるために必要なの?」
サニーは聞いた。
リュウガはすぐには答えなかった。
傷が痛むのか、呼吸が少し浅い。だが、沈黙の理由は痛みだけではない。
「必要だと思った」
「思った、ではなく、必要なのかと聞いている」
「……分からない」
「分からないものを、夜中に一人で試した」
「ああ」
「馬鹿ね」
「二度目だ」
「何度でも言うわ」
リュウガの眉が少し寄る。
サニーは淡々と続けた。
「勝つために手札を増やすのは悪くない。相手が想定していない技法を持つのも悪くない。でも、それが本当に勝利条件に関わるかを見ずに飛びつくなら、ただの焦りよ」
リュウガは黙っている。
兄の死因について、サニーは詳しく知らない。
知ろうとも思っていない。必要なら調べるが、今の訓練に必要なのは死因ではなく、リュウガが何に追われているかだった。
兄の代わり。
その言葉が、この少年の背中に張り付いていることくらいは分かる。
だが、そこを不用意に剥がす気はなかった。傷口の場所も知らずに刃を入れる趣味はない。
「代表決定戦が早まったそうね」
「知っていたのか」
「報告は上がる。お前が休暇中、休むふりをして鍛錬していたことも」
リュウガは少し気まずそうにした。
「東部領の話は、いずれお前が自分で片付けることになる。けれど、今ここで身体を壊せば、その場に立つことすらできない」
「分かっている」
「分かっていてやったなら、なお悪い」
サニーは立ち上がった。
窓の外には訓練場が見える。夜中に彼が倒れた場所だ。今は昼の光の下で、別の生徒たちが基礎訓練をしている。誰もが強くなりたい。誰もが何かを背負っている。だが、背負うものを理由に壊れていい者はいない。
「罰則は出さない」
サニーが言うと、リュウガが意外そうな顔をした。
「出さないのか」
「出したところで意味がない。お前は罰を受ければ済んだと思うでしょう」
「そこまで単純ではない」
「かなり単純よ」
リュウガは言い返しかけ、やめた。
少しは学習している。
「代わりに、自主訓練の制度を変える」
サニーは端末を取り出し、既に作っておいた申請文を見せた。
「特別クラスに限らず、夜間および高負荷訓練は申請と許可が必要。訓練場は常時監視。危険判定が出た場合、即時停止。医療班と教官へ通知。今日中に通す」
「早いな」
「馬鹿が出た時は、馬鹿が二人目になる前に塞ぐ」
「俺が制度改正の理由か」
「名誉ね」
「不名誉だ」
「分かっているならいい」
リュウガは天井を見た。
悔しそうだった。
それでいい。悔しさは残っていい。ただし、次の行動へ変える形を教えなければならない。
「それと」
サニーは続けた。
「お前はしばらく、私が見る」
「つきっきりか」
「ええ」
「そこまでする必要が」
「ある。お前は目を離すと、また別の方法で壊れに行く」
リュウガは否定しなかった。
素直ではないが、自覚はあるらしい。
サニーは少しだけ肩の力を抜いた。根が悪いわけではない。むしろ真面目で、責任感が強く、東部領の次代として立とうとしている。その真面目さが、自分の身体を消耗品のように扱わせている。
そういう人間は、戦場では役に立つ。
そして、早く死ぬ。
サニーはそれを何度も見てきた。
自分自身も、似たようなものだ。
だからこそ、他人には言える。
「今日から数日は安静。動けるようになったら、基礎からやり直す」
「気は」
「使わせない」
「だろうな」
「お前が今やるべきなのは、使えない切り札を増やすことではなく、使える手札の精度を上げることよ。身体強化、武器の切り替え、間合い管理、味方との連携。全部、中途半端に伸ばしている」
「中途半端か」
「強いけれど、中途半端」
リュウガは目を細めた。
そこで怒るなら、まだ余裕がある。
「お前は何でも扱える。だから、何でも扱えることに甘えている。相手の不得手へ合わせるのはいい。でも、自分の芯が揺れていれば、相手に合わせる前に崩れる」
サニーはベッドの脇に立った。
「東部領で勝つために必要なのは、兄の代わりになることではない」
言ってから、少しだけ踏み込みすぎたかと思った。
リュウガの顔が硬くなる。
だが、ここは引かない。
「お前が、お前として立つことよ」
治療室が静かになった。
リュウガはしばらく何も言わなかった。
サニーも待った。
今すぐ飲み込める言葉ではない。おそらく、東部領の問題を片付けるまで、本当の意味では届かない。それでも、今のうちに刺しておく必要があった。
「……簡単に言う」
リュウガがようやく言った。
「簡単ではないから、訓練するの」
「それ、黒峰の親父みたいなことを言うな」
「徹心? 嫌なところを似ているって言うわね」
「知ってるのか」
「昔、少しね。知らない方が楽な相手よ」
* * *
リュウガが動けるようになったのは、数日後だった。
訓練場の使用申請制度は、その間に正式に通った。生徒たちからは不満も出たが、夜間に特別クラスの生徒が血を吐いたという噂の説得力は強かった。誰も大声では文句を言えない。
サニーは訓練場の端で、リュウガの動きを見ていた。
剣、短剣、槍、棍、手斧。
リュウガは一通り扱える。持ち替えは早い。身体能力も高い。だが、疲労が入ると選択が荒くなる。早く勝とうとする。決め急ぐ。
「遅い」
サニーは短く言った。
リュウガが踏み込みを止める。
「今の切り替えは早かったはずだ」
「手は早い。判断が遅い」
「同じでは」
「違う」
サニーは木剣を拾った。
軽く振る。
リュウガが構えた瞬間、サニーは踏み込んだ。
実戦速度ではない。殺す速度でもない。それでも、リュウガの防御は一拍遅れた。木剣の先が喉元で止まる。
「相手が何を嫌がるかを考える前に、自分が何をしたいかが出ている」
サニーは木剣を下ろした。
「もう一度」
リュウガは息を整え、構え直す。
少し離れた場所で、桐子が見ていた。
彼女は今日、別の訓練枠だったはずだ。だが、気の話が出てから、リュウガの訓練を気にしている。目が真面目すぎる。自分も同じ穴へ落ちかねないと分かっている目だ。
「桐子」
サニーは呼んだ。
桐子がびくりとする。
「見ているだけならいい。真似はしない」
「はい」
「返事はいいけど、目がやりたそう」
「……はい」
「そこは否定しなさい」
「嘘になるので」
リュウガが苦い顔で笑いかけ、胸の痛みを思い出したのか顔をしかめた。
サニーはため息をついた。
焦る少年と、誘惑に気づいてしまった少女。
面倒な組み合わせだった。
だが、面倒だからこそ放っておけない。
「二人とも聞きなさい」
サニーは木剣を肩に乗せた。
「強くなる方法は一つではない。危ない道を見つけた時、それが近道に見えることはある。でも、近道に見える道の多くは、崖に向かっている」
桐子が真剣に頷く。
リュウガは目を伏せる。
「だから、今は足元を見る。基礎を積む。使えるものを増やすより、使えるものを間違えないようにする」
サニーはリュウガへ木剣を向けた。
「もう一度。今度は、武器を替える前に相手の足を見なさい」
「分かった」
「桐子は、見るだけ」
「分かってます」
「本当に?」
「……分かってます」
怪しい。
非常に怪しい。
それでも、今はこれでいい。
火を完全に消すことはできない。リュウガの焦りも、桐子の内側に残る黒峰の流れも、なかったことにはできない。できるのは、燃え広がる前に囲いを作ることだけだ。
サニーは木剣を構えたリュウガを見た。
そして、少し離れて拳を握っている桐子を見た。
どちらもまだ若い。
どちらも、放っておけば自分を削って前へ出る。
教官という仕事は、思っていたより面倒だ。
そう思いながら、サニーはリュウガへもう一度踏み込ませた。




