表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いずれ空へと続く道  作者: 白銀スーニャ
第2章:東の死と不死と未来
74/93

第46話

 桐子がリュウガの自傷を知ったのは、食堂へ向かう途中だった。

 噂は、授業の連絡より早く広がる。夜の訓練場で特別クラスの生徒が倒れた。血を吐いたらしい。医療班が呼ばれた。サニー教官が現場にいた。そんな断片が廊下を流れていき、桐子は最初、それが誰の話なのか理解できなかった。

 リュウガだと聞いた瞬間、足が止まった。

「桐子?」

 アイギスが振り返る。

 彼女もすぐに事情を聞き、表情を硬くした。クロエは眉を寄せたが、騒がずに周囲の噂を拾っている。

「治療室」

 桐子はそれだけ言って歩き出した。

 走るな、と言われた気がする。だが、足は速くなった。訓練場で倒れ、血を吐き、数日は安静だという言葉が、頭の中で何度もぶつかった。

 リュウガは無茶をする。

 それは分かっていた。出会った頃から、兄の話題になると顔つきが変わった。西部領には同行せず東部領へ帰り、戻ってきてからもどこか焦っていた。アイギスが気づき、クロエも気づき、桐子も気づいていた。

 気づいていただけで、止められなかった。

 治療室の前には、数人の生徒がいた。特別クラスの生徒が倒れたということで、物見高い者も混ざっている。アイギスが無言で一歩前に出ると、自然に道が開いた。

 桐子は扉を叩き、許可を得て中へ入る。

 治療室の空気は薬草と消毒液の匂いがした。

 ベッドの上に、リュウガがいた。

 顔色は悪い。普段の強気な目つきは残っているが、身体が明らかに重そうだった。胸元には治療用の布が巻かれ、傍らの器には血を拭った跡がある。

 リュウガは桐子を見ると、苦い顔をした。

「来ると思った」

「来るでしょ」

「見世物じゃない」

「友人の見舞い」

 桐子は椅子を引いた。

 アイギスとクロエは少し離れた場所に立つ。入室の許可は下りたが、長居はできない空気だった。医療担当者は奥で記録をまとめている。サニーの姿はない。

「何したの」

 桐子は聞いた。

 リュウガは天井を見る。

「訓練」

「訓練で血を吐く?」

「吐くこともある」

「ないと思う」

「黒峰は違うのか」

 不意に出たその言葉に、桐子は一瞬黙った。

 リュウガの目がこちらへ戻る。

「お前の動きには、魔法だけじゃないものが混じっている」

「……黒峰流のこと?」

「半分はな」

 リュウガは息を吐いた。痛むのか、少し眉が動く。

「武術だけなら説明できる。重心、間合い、関節の使い方、呼吸。だが、お前の身体操作は時々、魔力の流れと合っていない。外から押す力じゃなく、内側から線を通しているように見える」

 桐子は手を握った。

 リュウガは、かまをかけている。

 そう分かった。

 だが、完全な当てずっぽうではない。黒峰流の体捌きを見て、彼は本当に何かを感じ取っている。東部領にも気の概念がある。リリーが黒峰で観測したばかりのそれを、リュウガは別の道から見ていた。

「なぜ使わない」

 リュウガは言った。

 その声には、純粋な疑問があった。

 そして、苛立ちもあった。

「使えるなら、なぜ使わない。お前はもっと強くなれるはずだ」

 桐子の胸の奥で、古い感覚が揺れた。

 畳。

 外部大会の会場。

 真希の腹を貫いた銀の光。

 自分の中で暴発した何か。

 魔法を学び始めてから、桐子は気の訓練をやめていた。意識して遠ざけた。魔力と魔法に慣れることを優先したからでもある。けれど、それだけではない。

 気に触れれば、あの日の感覚が戻ってくる。

 自分の身体の中で、制御できなかった力。

 真希を刺した原因は魔法だった。今ならそう説明できる。魔石を持った身体で、気に近い運用をして、魔力と衝突し、銀の槍を暴発させた。理屈としては分かる。

 だから恐怖ではない。

 少なくとも、ただ怖いから避けているわけではない。

 もっと厄介だった。

 触れれば、使える気がする。

 使えば、今より強くなれる気がする。

 それが分かってしまうことが、怖い。

「リュウガは」

 桐子はベッドの上の彼を見た。

「それを使おうとして、倒れたの?」

 リュウガは答えない。

 沈黙が答えだった。

 クロエが低く言う。

「馬鹿なの?」

「否定はしない」

「否定しなさいよ、そこは」

「結果がこれだ」

 リュウガは自分の胸元を見た。

「魔力と反発した。魔力を絞れば扱えると思ったが、絞り切れなかった。内側でぶつかって、身体の方が持たなかった」

 桐子は喉の奥が乾くのを感じた。

 リュウガの言葉は、未来の自分の失敗を先に聞かされているようだった。

 魔力と気が反発する。

 リリーもそう言っていた。黒峰で観測した結果として、魔法とは違う力だと。アンチ・マジックのように消すのではなく、現象の成立する場を押し返すものだと。

 自分の身体の中で、それが起きたらどうなるのか。

 今、目の前に答えがいる。

「使わない方がいい」

 アイギスが言った。

 桐子は振り返る。

 アイギスの声は冷静だった。だが、冷たくはない。

「少なくとも、独力では。リュウガの状態を見る限り、魔力との反発は想像以上に危険です」

「分かってる」

 桐子は言った。

 分かっている。

 それでも、胸の奥で何かが動く。

 黒峰流は、自分の根だ。魔界に来てから、桐子は魔法を覚えた。武具創造も少しずつ形になってきた。だが、身体の奥に染みついているのは、徹心に叩き込まれた黒峰の動きで、真希と向き合うために磨いた体捌きだった。

 そこへ戻れば、何かが変わる。

 そう思ってしまう。

「お前は」

 リュウガが言った。

「どうしてそこまで抑えていられる」

「抑えられてないよ」

 桐子は小さく笑った。

 笑いというより、息に近かった。

「今、使えるなら使いたいって思ってる」

 リュウガの目がわずかに動く。

「じゃあ」

「でも、使わない」

 桐子は自分の手を見た。

「今は」

 あの日、真希を刺した。

 今度は自分を壊すかもしれない。あるいは、誰かを巻き込むかもしれない。強くなるために必要なものだとしても、制御できないまま触れていいものではない。

 拳を握る以上は、命を奪う覚悟を持て。

 黒峰の教えは、敵に向ける時だけのものではなかった。力を握るなら、それが何を壊すか知っていなければならない。

 リュウガは目を伏せた。

「俺は、急ぎすぎたか」

「うん」

 桐子は即答した。

 リュウガが苦い顔をする。

「少しは気を遣え」

「怪我人だから?」

「そうだ」

「じゃあ、かなり急ぎすぎた」

「言い直して悪化させるな」

 クロエが呆れたように息を吐いた。

 アイギスはほんの少しだけ表情を緩めた。治療室の空気が、わずかに緩む。

 その時、扉が開いた。

 サニーが入ってくる。

 場の温度が変わった。

 怒っているわけではない。少なくとも、声を荒げてはいない。だが、リュウガを見る目は訓練場で刃を抜く前のように静かだった。

「面会はそこまで」

 サニーは言った。

 桐子は立ち上がる。

「サニーさん」

「桐子」

 呼ばれた瞬間、背筋が伸びた。

「あなたも、しばらく気に触らないこと」

 桐子は息を止めた。

 サニーは続ける。

「使うな、では足りない。訓練もしない。試さない。思いつきで呼吸を変えない。身体の内側を探らない」

「……はい」

「返事が遅い」

「はい」

 今度はすぐに答えた。

 サニーはリュウガを見る。

「あなたは後で話がある」

「説教か」

「説教で済むと思っているなら、まだ元気ね」

 リュウガは黙った。

 桐子は治療室を出る前に、もう一度だけ彼を見た。

 焦っている顔。

 悔しそうな顔。

 自分と同じように、どこかへ届きたくて仕方がない顔。

 扉が閉まる。

 廊下に出ると、桐子は手を開いた。

 そこには何もない。

 槍も、気も、神威らしきものもない。

 けれど、身体の奥では、忘れたふりをしていた流れが、静かに呼吸をしているような気がした。

 使ってはいけない。

 今は。

 桐子はその言葉を、何度も自分に言い聞かせた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ