表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いずれ空へと続く道  作者: 白銀スーニャ
第2章:東の死と不死と未来
66/71

EX23

 リリーは黒峰の屋敷に残っていた。

 コーイチには事務所へ戻ってもらった。留守番と後処理と報告書の整理が必要であり、人間界側の窓口として待機する者も必要であり、なにより彼がいると実験が途中で止まる。最後の理由は口に出さなかったが、リリーの中ではかなり大きな比重を占めていた。

 黒峰の一室には、畳の上に低い机が置かれている。

 その上には、リリーが持ち込んだ簡易観測具、魔力反応を見るための小型水晶、魔導具ではない紙の記録帳、黒峰側が用意した古い巻物が並んでいた。魔界の研究室とは違い、配線も大型装置もない。だが、そういうものがないからこそ、ここで起きていることの異様さが際立つ。

「魔力波形なし。魔術式なし。体内から発して一点へ集まり、空間に圧を作る。さっきの観測結果を前提にすると、気は魔法を消しているわけではないわね」

 リリーが記録帳に書き込むと、理沙が柔らかく笑った。

「押し返している、という表現の方が近いかもしれませんね。もっとも、私たちは昔からそういうものとして扱っているので、言葉にすると少し妙な感じがします」

「その妙な感じが大事なの。既存の言葉で雑に包むと、未知の部分が見えなくなるから」

 リリーは小型水晶に指を乗せ、低出力の魔力を流した。水晶の中に淡い光が灯る。徹心はその向かいに座り、片手を膝の上に置いたまま動かない。

 年老いた男の所作は静かだった。

 静かすぎて、何かが起きる前の刃に見える。

「では、まず接触しない距離での反応から」

「承知した」

 徹心が息を吐いた。

 水晶の光がわずかに歪む。触れていない。魔法でもない。だが、水晶の中に満ちていた魔力が、内側から押されたように偏った。

 リリーは目を輝かせた。

「そう、それ! もう一回! 今度は角度を変えて!」

「リリーさん」

 理沙が穏やかに呼んだ。

「畳を焦がさない範囲でお願いします」

「もちろん。私は研究者よ。研究環境を破壊するような雑な真似はしないわ」

 言いながら、リリーは別の観測具を取り出した。

「それは?」

「低出力の魔力膜を作る道具。これに気を当てた時、膜が消えるのか、歪むのか、裂けるのかを見る」

「壊れるのでは?」

「壊れたら、それはそれで分かることがある」

「研究者の方は便利な言い方をしますね」

「あなたたち黒峰に言われたくないわ」

 理沙はにこりとした。

 否定はしないらしい。

 魔力膜は、机の上に薄い硝子板のように展開された。光は弱く、触れれば指先で破れそうに見える。理沙が手をかざし、ゆっくりと気を練る。

 リリーには魔術式が見えない。

 魔力の流れもない。

 それなのに、空気の厚みだけが変わった。

 魔力膜の表面がへこむ。水面に指を押し込んだ時のように、中央から外へ波紋が広がった。消えていない。打ち消されてもいない。形を保ったまま、成立する場所そのものを押し退けられている。

「アンチ・マジックとは違う」

 リリーは呟いた。

 魔法無効化装置は魔術式の構築を阻害し、発動済みの魔法すら巻き込んで消す。忌々しいが、理屈としては分かる。どれほど嫌悪すべき代物でも、観測できる枠内にある。

 だが、これは違う。

 消すのではない。

 魔法がそこに在るための場を、別の理屈で押し返している。

「なるほど。つまり、魔法と気が同時に体内で暴れた場合、内側で似たような押し合いが起こる可能性があるわけね」

「生身で試すと内臓が壊れますよ」

 理沙が言った。

「でしょうね」

「経験がおありで?」

「推測よ。推測だけど、かなり嫌な精度で当たると思う」

 リリーは記録を続けた。

 その横で、徹心が魔力膜を見下ろしている。

「次は、刃を作れるか」

「刃?」

「押し返すだけではなく、裂く」

「いいわね」

「いいんですか?」

 理沙の問いに、リリーは胸を張った。

「治療可能な範囲なら、観測価値の方が上よ」

「先ほど現地協力者との距離管理について、厳しいお話をされていた方の言葉とは思えませんね」

「それとこれとは別。行政手続きと研究倫理は別々に守るものなの」

「研究倫理は守れているのでしょうか」

「守る努力はしている」

 理沙はまた否定しなかった。

 徹心が人差し指を立てる。

 魔力膜の一部が、音もなく裂けた。

 破れた、というより、そこだけ存在する場所を奪われたように見えた。リリーが身を乗り出す。観測具の針が振れ、記録帳の上に置いていた紙片がふわりと浮いた。

 次の瞬間、膜の裂け目から弾けた魔力が理沙の手首を浅く切った。

 血が滲む。

 リリーは動きを止めた。

 理沙は傷口を見て、少し首を傾げる。

「浅いですね」

「浅いけど、負傷よ」

「治療できます」

「そういう問題ではない、と言うべき場面なのは分かっているわ」

 リリーは手早く魔力膜を解除した。理沙は懐から布を出し、慣れた手つきで手首を押さえる。慌ててはいない。痛みを無視しているというより、痛みを情報として扱っている目だった。

 それがまずい。

 非常にまずい。

 リリーは自分を棚に上げて、黒峰という家の危うさを少し理解した。

「出血量、痛み、切断面の具合から見て、魔法由来の損傷ではありません。刃物で切られた時に近いですね」

「あなた、傷の報告をしながら嬉しそうにしないで」

「リリーさんも嬉しそうですよ」

「私は研究者だから」

「私も黒峰ですので」

 会話が成立しているようで、成立していない。

 徹心は裂けた膜の残滓を眺め、静かに頷いた。

「なるほど。もう少し細くできる」

「待って」

 リリーは片手を上げた。

 自分が止める側に回るとは思わなかった。コーイチがここにいたら、たぶん額を押さえていたはずだ。

「本日はここまで」

「まだ余地がある」

「余地があるから止めるの。これ以上は観測具が足りない。あと、あなたたちが負傷を成果扱いするから危ない」

「リリーさんに言われるのは少し不思議ですね」

「私もそう思う」

 リリーは記録帳を閉じた。

 理沙の手首には布が巻かれている。徹心は無傷。部屋の畳は少しだけ焦げ、魔力膜用の観測具には細い亀裂が入っていた。

 被害は軽微。

 成果は大きい。

 そして、危険性は成果と同じくらい大きい。

「正式な観測計画を立て直すわ。次は第3班の設備、記録員、治療担当、あなたたち黒峰側の協力範囲を明文化してから」

「明文化すると、できることが減りませんか」

「減らすために明文化するの」

 理沙は残念そうに微笑んだ。

 徹心は不満を表に出さない。ただ、その沈黙が、まだ試したいことがあると言っている。

 リリーは二人を見て、深く息を吐いた。

 神に関する伝承を追うために来たはずだった。

 それが今は、魔術式を介さない力の観測に足を取られている。

 横道だ。

 だが、横道の先にしか見えないものもある。

 リリーはひびの入った観測具を箱に戻し、記録帳を胸に抱えた。

「帰ったら会議ね」

 その声は、反省よりも期待に近かった。

 自覚はある。

 だからこそ、リリーは自分の足取りが少し軽くなっていることを、誰にも指摘されないようにした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ