表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いずれ空へと続く道  作者: 白銀スーニャ
第2章:東の死と不死と未来
64/66

第43話

 黒峰の屋敷に入った時、リリーはそこが道場ではなく、家の内側に隠された稽古場なのだとすぐに理解した。

 表の看板はない。門下生が出入りする気配もない。外から見れば古い屋敷の一つで、武術の名門が公に人を集めているようには見えなかった。

 しかし、奥へ進むほど空気が変わる。

 床板の沈み方、壁に染み込んだ汗と木の匂い、廊下の曲がり角に残る足運びの癖。ここは人を鍛える場所だ。しかも、ただ健康のために身体を動かすような場所ではない。

 生き残るための技術が、長く磨かれてきた場所だった。

「こちらです」

 理沙が案内する。

 柔らかな声、整った所作、そして底にある油断ならない気配。リリーは彼女を見ながら、魔界側の軍学校にも似た種類の人間がいたことを思い出した。笑顔で相手を安心させながら、必要ならその笑顔のまま急所を潰せる人間。

 コーイチが隣で妙に大人しいのも、理解できる。

 この屋敷では、彼は完全な部外者ではない。だが、主導権を握れてもいない。

 稽古場には、黒峰徹心が待っていた。

 年齢を重ねた男だった。派手さはない。けれど、立っているだけで場の中心がそこへ寄る。魔力の圧ではない。体格の威圧でもない。もっと内側から整えられた、動き出す前の刃のような気配。

「リリー・セヴァライドです」

 リリーは礼を取った。

「魔界側として、先日の件についてお詫び申し上げます。サーシャの行動については、こちらでも手続き上の問題として扱います」

 徹心は静かに頷いた。

「謝罪は受け取る。こちらも、踏み込んだ」

「その点についても、改めて確認させてください。コーイチの目の性質を、黒峰側が強く求めていることは把握しています」

「求めている」

 徹心は隠さなかった。

「見えぬものを見る目は、武にとって価値がある」

 その言い方に、リリーは少しだけ興味を引かれた。

 魔術式を視認する目。

 コーイチの能力は、魔界側の研究者から見ても価値がある。だが黒峰は、それを魔法技術ではなく武の文脈で見ている。視点が違う。

 違うから面白い。

 コーイチが横でこちらを見た。

 楽しそうにしすぎるな、という目だった。

 リリーは表情を整えた。

「謝罪と確認は以上です。ここから先は、可能であれば技術的な話を」

「気か」

 徹心が言った。

 リリーの指先が止まる。

「話が早いですね」

「コーイチから聞いた。お前たちは、魔法の外側を探している」

「外側というより、魔術式を介さない力の分類を確認したい。黒峰流の気は、魔力と別の体系に見えます」

 徹心はわずかに笑った。

 笑ったと言っても、口元が少し動いた程度だ。

「見せた方が早い」

 理沙が一歩下がる。

 コーイチも壁際へ移動した。

 リリーは息を整えた。

 徹心は構えなかった。

 ただ立っている。

 次の瞬間、稽古場の空気が細く絞られた。

 魔力ではない。

 リリーはすぐにそう判断した。

 魔界の大気には魔力が満ちている。人間界では薄いが、それでも魔石を持つ者なら魔力の有無や流れを感じ取れる。だが、徹心の周囲で動いたものは、魔力の波形を持っていなかった。

 体内から外へ押し出される何か。

 筋力でも、熱でも、呼吸でもない。身体の内側にある流れが、一点へ集まり、空間に圧を作る。

 徹心が足元の板へ軽く触れた。

 音はほとんどしない。

 だが、離れた場所に置かれていた薄い木片が弾けた。

「……なるほど」

 リリーは思わず呟いた。

 術式はない。

 魔力変換もない。

 少なくとも、リリーの知る汎用魔法の構造では説明できない。

「今のは?」

「気を通しただけだ」

 徹心が言う。

 理沙が補足する。

「黒峰では、身体の内側にある流れをそう呼んでいます。古い文書には、魔法や妖術に対する記述もありますが、用語はかなり揺れています。世界観が違えば呼び方も変わるのでしょう」

「妖術と魔法は、こちらから見るとほぼ同じものとして扱っていいかな」

「ええ。少なくとも古文書の文脈では、外側の力を借りて現象を起こすもの、という扱いです」

 リリーは頭の中で分類表を組み替えた。

 魔力は外にある。

 魔石を介して魔法へ変換される。

 気は内にある。

 身体を基点に流れ、魔力とは別の性質で現象へ干渉する。

 桐子が事故を起こした理由が、少しずつ形を取っていく。魔石を持った身体で、気の修練を行った。外なる力と内なる力がぶつかり、身体の中で噛み合わなかった。

「試しても?」

 リリーは言った。

 コーイチの肩が少しだけ落ちた。

 理沙の目が輝いた。

 徹心も断らなかった。

 最初は安全な範囲から始めた。

 リリーが手のひらにごく薄い魔力を集める。魔法として発動させる前の、ただの魔力の流れ。徹心が気を近づけると、互いに押し返すような感覚が生じた。

「反発している」

 リリーは言った。

「混ざらない。いや、混ぜようとすると、接触面で乱れる」

「魔石を持つ者が気を扱うと、内側でそれが起きるのでしょう」

 理沙が穏やかに言う。

「かなり危険だね」

「危険です」

「君、危険ですって言い方が軽い」

「黒峰ですので」

 何の説明にもなっていない。

 だが、コーイチ以外はそれで納得しかけていた。

 次に、リリーは小さな光を作った。

 魔法として成立した現象に対し、気がどう触れるか。徹心は指先で空間をなぞるように動かした。光は揺れ、形を崩し、術式の維持が不安定になる。

「魔法そのものを消すわけではない」

 リリーは観察結果を口にした。

「でも、式に干渉するというより、現象の成立する場を押し返している。アンチ・マジックとはまるで違う。これは阻害ではなく、別の力の接触だ」

「照明で試しますか」

 理沙が言った。

 稽古場の隅に置かれた小型の照明魔導具を示す。通信端末ではない。壊れても仕事に支障のない、古い予備品だった。

「いいね」

 リリーは即答した。

 コーイチが顔をしかめる。

「いいね、じゃないんですよ」

「仕事用の端末ではないから大丈夫」

「そこじゃない」

 照明魔導具は、魔力を通すと柔らかい光を放った。徹心が気を近づけると、光が瞬き、内部の術式が乱れる。完全に止まるわけではない。だが、出力は明らかに落ちた。

 リリーは紙に記録を取る。

 人間界へ持ち込んだ端末もあるが、この場では紙の方が早い。指先が勝手に式の形を追い、観測結果を分類していく。

「面白い」

 呟いた瞬間、コーイチが警戒するのが分かった。

 リリーは咳払いした。

「興味深い」

「言い換えても同じです」

 だが、もう少しだけ試したい。

 魔力、発動済みの魔法、魔導具。

 では、攻撃性を持つ魔法はどうなるのか。

「低出力で一発だけ」

 リリーは言った。

「リリーさん」

 コーイチの声が低くなる。

「一発だけ。衝撃を伴う光弾系。物理的な干渉が難しいから、気でどう受けるかが見やすい」

「聞けば聞くほど止めたくなる」

「低出力」

「そういう問題じゃ」

「私が受けよう」

 徹心が言った。

 その声は落ち着いていた。

 理沙も止めない。むしろ、少しだけ楽しそうに見える。

 コーイチだけが頭を抱えた。

 リリーは出力を絞った。

 光弾を作る。明るさは控えめだが、衝撃を伴う。人に当たれば痛む。鍛えていない者なら転ぶ程度の力はある。危険すぎず、観測には足りる。

「行くよ」

 徹心が頷く。

 リリーは光弾を放った。

 まっすぐ徹心の胸元へ向かう。

 次の瞬間、徹心の手が動いた。

 触れていない。

 少なくとも、物理的には触れていない。だが、光弾の進行方向がわずかに逸れた。力の向きを変えられたように、光が横へ流れる。

 光弾は徹心の身体をかすめもせず、稽古場の壁際へ着弾した。

 鈍い音が鳴る。

 壁面の一部が焦げ、床板の端が砕けた。

 徹心は無傷だった。

「……今の」

 リリーは目を見開いた。

 理沙も壁の損傷を見て、静かに頷く。

「受け流しましたね」

「ああ」

 徹心は手を下ろした。

「強い魔法なら、こう簡単にはいかない」

「でも、干渉はできる」

 リリーの声が少しだけ早くなる。

「物理的に触れにくい光弾の軌道を、気で逸らした。式を壊したわけじゃない。現象の向きへ干渉した。いや、衝撃の芯をずらした? 魔力との反発を利用して、接触面を作ったのか」

「近いかもしれません」

 理沙が言う。

「ただ、黒峰では理屈より先に身体で覚えるものなので」

「理屈にしよう」

「できますか」

「する」

 徹心の口元がわずかに動いた。

「面白い女だ」

「あなたも十分面白い」

 リリーは返した。

 理沙が紙を覗き込み、徹心が壁の損傷を確認し、リリーは次の実験項目を頭の中で組み始める。

 魔力との反発。

 術式外干渉。

 魔導具への出力阻害。

 攻撃魔法の軌道変更。

 桐子の身体で起きた衝突。神威らしき力への接続可能性。黒峰流の歴史。古文書の表記揺れ。

 情報がつながる。

 つながりかけている。

「よし、次は」

「やめましょう」

 コーイチの声が稽古場に落ちた。

 リリーは振り向いた。

 コーイチは腕を組み、かなり真面目な顔をしていた。

「過度な接触を控えるよう注意しに来たんじゃないのか?」

 その言葉で、リリーは口を閉じた。

 理沙も瞬きをした。

 徹心も、少しだけ視線を外した。

 稽古場の壁は損傷している。

 低出力とはいえ、魔法を一発撃った。

 黒峰側の二人は明らかに乗り気で、リリーも完全に前のめりだった。

 コーイチが正しい。

 非常に不本意だが、正しい。

「……そうだね」

 リリーは紙を畳んだ。

「今日はここまでにしよう」

「賢明です」

 理沙が柔らかく言う。

「理沙さん、あなたも止める側ですよね?」

「今回は観測側でしたので」

「役割分担が便利すぎる」

 コーイチの疲れた声に、リリーは少しだけ笑った。

 黒峰流の気。

 それは魔法ではない。

 魔力とは反発し、魔術式を介さず、身体の内側から現象へ干渉する力。

 今日分かったことは多い。

 そして、分からないことはもっと増えた。

 研究者としては、これ以上なく良い日だった。

 魔界側の管理者としては、胃の痛い日だったかもしれない。

 リリーは損傷した壁面を見た。

 逸れた光弾の痕が、木と壁材に残っている。

 そこには、魔法ではない力が魔法へ触れた証拠があった。

 桐子の中で起きていることも、きっとここから少しずつ見えてくる。

 だが、焦って壊してはいけない。

 桐子本人にも、黒峰にも、コーイチにも、まだ守るべき線がある。

「次は、正式な手順で」

 リリーは言った。

「観測計画を作るよ」

「やっぱり次はあるんですね」

 コーイチが呻く。

「当然」

 リリーは紙を鞄へしまった。

 魔法ではない力を見つけた。

 神に関する伝承を追うはずの調査は、黒峰流という横道へ逸れたように見える。だがリリーには、その横道がいつか本来の目的地へつながる予感があった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ