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いずれ空へと続く道  作者: 白銀スーニャ
第1章:西の不死と死と過去
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第6話

 サニーが用意した訓練着は、色気も飾りもない灰色の上下だった。

 生地は厚く、擦れても破れにくい。袖口と裾は動きの邪魔にならないよう絞られていて、桐子の体には少し大きかったが、森で借りた上着一枚よりはよほどましだった。

 それでも、袖を通した時に安心より先に違和感が来た。

 昨日までの自分は、道着を着て畳の上にいた。真希と向き合い、勝つことだけを考えていた。今は、知らない世界の軍用施設で、見知らぬ訓練着を着ている。

 その事実が、布の重さよりも身体にまとわりついていた。

「似合ってるとは言わないけど、動けるでしょ」

 サニーはそう言って、訓練場の扉を開けた。

 そこは、軍が所有する訓練施設の一室だった。部外者でも申請すれば利用できる施設らしいが、壁は厚く、床には傷が無数に残り、天井には用途の分からない魔導具が埋め込まれている。公共施設というより、壊しても構わない部屋に見えた。

 受付では、職員らしい男がサニーの顔を見るなり、少しだけ表情を硬くした。利用申請そのものは通っている。だが、サニーが使うと分かった瞬間、隣の訓練室を予約していたらしい数人が静かに時間をずらした。

 桐子はその様子を見て、聞かない方がいいこともあるのだと理解した。

「ここなら多少暴発しても死ににくい」

「死ににくい」

「死なないとは言ってない」

 サニーは軽く言った。

 桐子は何も返せなかった。

 初日に教えられたのは、魔力を出すことではなく、感じることだった。

 魔界の空気には魔力が満ちている。息を吸うたび、皮膚からも肺からも、見えない重さが身体の奥へ染み込んでくる。その流れを、体内にある魔石へ通す。サニーはそう説明した。

 言葉としては分かる。

 だが、身体は分からない。

 黒峰流の稽古なら、まだ身体の使い方に置き換えられた。重心、呼吸、踏み込み、相手の視線。痛みと失敗を積み重ねれば、少しずつ答えに近づいていける。

 魔力は違った。

 目に見えず、触れず、しかし確かに身体の中にある。桐子はその曖昧さに苛立ち、苛立つたびに流れを乱した。

 桐子が気を練ろうとすると、魔力は逆向きに膨らみ、胸の奥で流れが濁る。試合の日と同じ感覚が立ち上がり、反射的に力を押し込もうとした瞬間、サニーの指が額を弾いた。

「押すな。見るだけ」

「痛い」

「死ぬよりまし」

 昨日も聞いた言葉だった。

 桐子は額を押さえ、呼吸を整えた。

 気ではない。魔力を見る。使おうとしない。流れを探す。

 何度も繰り返すうちに、身体の奥に硬い核のようなものがあると分かった。石と言われれば、たしかに石に似ている。だが無機質ではなく、熱を持ち、呼吸に合わせてかすかに脈打っていた。

「そこが魔石。あんたが人間界で知らないまま抱えてたもの」

 サニーの声が、少し遠く聞こえた。

 桐子はその核に意識を向けた。

 真希の腹を貫いた銀の光を思い出す。思い出したくなくても、目を閉じるたび戻ってくる。あれがここから出たのだと考えた瞬間、手のひらに汗がにじんだ。

「怖がるのはいい。止める理由にはならない」

 サニーは、逃げ道を作らなかった。

 最初の武具創造は、槍とは呼べないものだった。

 桐子が手の中に形を思い描くと、銀色の光が一瞬だけ滲み、次に金属のような塊が床へ落ちた。棒状ではある。長さも、人を刺せなくはないかもしれない。だが全体は蛇のように曲がりくねり、先端は丸く潰れていた。

 サニーはそれを拾い上げ、しばらく眺めた。

「槍?」

「聞かないでください」

「いや、本人の認識は大事だから」

 真面目な顔で言われたせいで、桐子は余計に傷ついた。

「まあ、殺傷力が低そうで何より」

「慰めてます?」

「事実」

 サニーは歪な金属塊を軽く振った。棒の途中で妙に重心が偏っているらしく、持ち手がぶれる。

「これで人を刺そうとしたら、たぶん刺す前に手首を痛める」

「最低ですね」

「最低から始めれば、上がるしかない」

 その言い方は乱暴だったが、少しだけ救いでもあった。

 一週間、桐子はその訓練場に通った。

 二日目には、棒の形を保つ時間がわずかに伸びた。歪みはひどいままだったが、床に落ちる前に手で掴めるようになった。

 三日目には、出すより消す方が難しいと知った。力を抜けば勝手に消えると思っていたが、魔力の流れが残ると、歪な槍は手の中で暴れるように震えた。サニーに「消せない武器は自分に刺さる」と言われ、桐子は半日かけて停止の感覚を覚えた。

 四日目には、身体強化を試した。脚に魔力を通した瞬間、踏み込みが予想以上に伸び、壁へ激突しかけた。サニーは止めなかった。止める代わりに、床へ転がった桐子へ水筒を投げた。

「死ななかった。成功」

「それ、成功なんですか」

「最初はね」

 五日目には、魔力と気を同時に動かそうとして吐き気を起こした。胸の奥で二つの流れがぶつかり、視界が揺れ、真希の倒れる姿が一瞬だけ重なった。

 桐子は膝をついた。

 声を出さないよう歯を噛んだが、呼吸は乱れた。

 サニーはその前にしゃがみ、覗き込むでも慰めるでもなく、ただ待った。

 やめろとは言わない。

 大丈夫とも言わない。

 桐子が吐き出した息を整え、もう一度立つかどうかを決めるまで、何も奪わずに待っていた。

 その沈黙が、妙にありがたかった。励まされたら崩れていたかもしれない。許されたら、そこで止まっていたかもしれない。

「また、やります」

 桐子が言うと、サニーは短く頷いた。

「なら立ちなさい」

 六日目には、歪な槍の先端に、ほんの少しだけ鋭さが生まれた。まだ武器としては信用できない。だが、金属の塊ではなく槍になろうとしていることだけは分かった。

 七日目の夕方、桐子は初めて、自分の意思で槍を出し、自分の意思で消した。

 ほんの数秒だった。

 形は曲がり、長さも足りず、先端は不格好なままだった。それでも、暴発ではなかった。

 出す前に息を整え、出した後に力を抜き、消す時には怖さで押し潰さない。たったそれだけの手順に一週間かかった。

 だが、その一週間で桐子は理解した。

 魔法は、勝手に誰かを傷つける災害ではない。少なくとも、災害のまま放置するしかないものではない。

 手のひらに残った銀の感触を、桐子はしばらく見つめていた。

「一応、進歩」

 サニーが言った。

「一応」

「調子に乗ると死ぬ」

「乗りません」

「ならいい」

 サニーは壁に寄りかかり、端末のような魔導具を操作した。何かの申請書類らしい画面が浮かび、桐子の名前がそこに入力されている。

「明日、王都へ行く」

 桐子は顔を上げた。

「王都」

「魔王軍本部と養成所がある。あんたを正式に放り込む場所」

「放り込む」

「丁寧に言うと、保護と訓練を兼ねた特別クラスへの入所」

 言い直されても、あまり優しくは聞こえなかった。

 桐子は手のひらを握った。

 真希の腹を貫いた光と、今日の歪な槍は同じものだった。そう認めるのは苦しい。だが、同じものなら、扱い方を覚えられるかもしれない。

 呪いではなく、力として。

 まだ、そう言い切れるほど強くはない。

 それでも、知らないままではいられなかった。

「行きます」

 桐子は言った。

 サニーは少しだけ目を細めた。

「他に選択肢ないけど」

「それでも、私が行くって言います」

 手の中に、また銀の光がわずかに灯った。

 曲がりくねった槍の先端は、今にも折れそうで、頼りなくて、けれど確かに桐子の意思に応えていた。

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