第5話
サニー・アージェントは、長椅子で眠る少女を見下ろしていた。
白銀桐子。黒髪に、赤みのある黒い目をした少女は、今は目を閉じている。自分の上着にくるまっているせいで身体の線はほとんど分からず、袖は余り、裾も足りない。ひどく不格好だった。
それでも、生きている。
呼吸は浅いが乱れていない。傷も応急処置で済む範囲で、魔力酔いに近い反応はあるが、命に関わるほどではなかった。
市街地外縁の危険区域に裸で放り出されて、その程度で済んでいるのだから、運が良いのか悪いのか分からない。
サニーは椅子に腰を下ろした。
リーゼロッテからの指示は、いつも通り唐突だった。
通信具が鳴ったのは、日付が変わる少し前だった。
サニーはその時、報告書の山を前にしていた。第七班に回される案件はいつも雑多だ。地方軍の穴埋め、危険区域の確認、魔獣の異常発生、研究所からの護衛依頼。どれも面倒で、どれも放っておくと誰かが死ぬ。
そこへ、魔王直通の通信が割り込んだ。
嫌な予感しかしなかった。
少女を一人回収しろ。名前は白銀桐子。未来から来る、お前のひ孫にあたる、親友を刺している。必要なら保護しろ、鍛えろ、そして殺すな。
最後の一文が一番腹立たしかった。
殺すな、ではない。あの女はいつも、こちらが何をするか分かっているような言い方をする。
サニーは舌打ちした。
「ひ孫ね」
小さく呟く。
娘を産んだ覚えはないし、そもそも、そんな人生を送った覚えもない。家族を作り、子を産み、孫を見て、さらにその先まで繋がるような、穏やかな道を歩いた覚えがない。
だが、桐子の中に眠るものは見えた。
銀。
アージェントの血筋に連なる武具創造の気配があり、しかも形は槍に偏っている。本人は何も知らず、制御もできない。だが、暴発で人を貫く程度の出力はある。
厄介だった。
それ以上に、放っておけなかった。
親友を刺した。その言葉を聞いた時、サニーは面倒な案件だと思った。
実際に会ってみれば、もっと面倒だった。
桐子はまだ、自分が壊したものを受け止めきれていない。真希という少女が死ぬはずがないと信じている。信じていなければ立っていられない。そういう顔だった。
あの顔は、よくない。
戦場でよく見る、助かった者の顔だ。自分だけが生き残った理由をどこにも見つけられない者の顔であり、謝る相手が遠くへ運ばれていき、追うこともできず、立っているだけで周囲から責められる者の顔だった。
桐子はまだ子どもだった。
だが、子どもだからといって壊れないわけではない。
壊れる寸前の人間は、ああいう目をする。
サニーは何人も見てきた。
見捨てた相手もいる。間に合わなかった相手もいる。助けたつもりで、余計に壊した相手もいる。
サニーは首の後ろを揉んだ。
「ほんと、ろくでもない」
誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。
リーゼロッテか、自分か、眠っている少女か。
窓の外では、夜の危険区域が静かに鳴っている。遠くで魔獣の声がした。あの程度の獣なら問題ない。だが桐子一人なら、間違いなく死んでいた。
サニーは右手を開いた。
指先に、銀の薄い光が生まれる。
銀閃。自分の固有魔法として扱っているものだが、正確な由来を考えると気分が悪くなるので、普段は考えないようにしている。
万物を切る、というのは便利な言葉だ。
実際には、便利というには燃費が悪すぎる。最大出力など一日に一度が限度で、身体が先に悲鳴を上げる。
それでも、殺すには向いている。
守るには、あまり向かない。
桐子の銀は、何を作るのだろう。
サニーは光を消した。
長椅子の上で、桐子が小さく呻いた。
「真希」
寝言だった。
サニーは動かなかった。
桐子の手が毛布を掴み、爪が布に食い込む。涙が一筋だけ頬を伝ったが、声は出さない。起きている時と同じで、泣くことすら下手だった。
サニーは目を逸らした。
同情は役に立たないし、慰めも今は邪魔だった。
必要なのは、起きた時に死なないための手順だった。
魔力の知覚、魔石の位置の確認、外界から魔力を取り込む感覚。武具創造の発動と停止、暴発時の逃がし方、最低限の身体強化、危険区域での生存判断。
そして、自分が何をしたのかを忘れないこと。
忘れさせる気はなかった。
忘れたところで、また同じことをするだけだ。
サニーは机に置かれた通信具を見た。
リーゼロッテへ報告を入れる必要がある。桐子を回収した。生存、負傷軽微、精神状態は不安定。固有魔法の素質あり、訓練へ移行。
そんな定型文で済ませることもできる。
だが、今はあの女の声を聞きたくなかった。
何を言われるか分かっている。
面白い。きっと、そう言う。
桐子の罪も、真希の血も、サニーの苛立ちも、全部ひっくるめて盤面の駒として見る。そういう女だった。
昔から、なんとなくむかつく。
理由は説明しにくい。
説明する前に殴りたくなる。
「明日でいいか」
サニーは通信具から目を離した。
報告は明日でいい。
リーゼロッテが急かすなら、その時に文句を言えばいい。
問題は桐子だった。
未来から来た十五歳で、人間界育ちの魔族。気を知り、魔力を知らず、親友を刺した少女。
ひ孫。
その言葉だけは、やはり飲み込めなかった。
血筋であることは認める。固有魔法の性質を見れば、否定する方が無理だ。
だが、家族として扱えと言われても困る。自分は娘を産んでいないし、孫を抱いた覚えもなければ、曾孫に情を向ける人生も知らない。
なら、教官として見る。それが一番ましだった。
サニーは立ち上がった。
棚から予備の水筒と簡易食を出す。明日の分だ。訓練施設の申請も必要になる。軍所有の施設なら、サニーの権限でどうにでもなる。部外者でも利用できる場所を選べば、桐子の身分を細かく突っ込まれることも少ない。
初日は魔力を感じさせ、二日目は出し、三日目は止める。できなければ倒れるまで繰り返す。
死ななければ成功。
乱暴な予定だという自覚はある。
だが丁寧に時間をかける余裕はない。桐子の中にあるものは、放置すればまた暴れる。本人が知らない力ほど危険なものはない。
まして、あの子は気を知っている。リーゼロッテの言葉を信じるなら、人間界で黒峰流に触れている。魔力と反発する内側の力を、何も知らない魔石持ちが扱っていたのなら、事故が起きたこと自体は不思議ではない。
不思議ではない。
だからといって、許されるわけでもない。
サニーはそこで少しだけ考えた。
桐子は死にたがってはいない。
罪悪感で潰れかけてはいるが、帰りたいと思っている。真希に会いたいと思っている。その願いがあるうちは、まだ引っ張れる。
なら、使う。
生き延びる理由になるものは、何でも使う。
綺麗な教え方ではない。
だがサニーは、綺麗な教官になった覚えがなかった。
長椅子の上で、桐子の呼吸が少し深くなった。
眠りが落ち着いたらしい。
サニーは詰所の明かりを一つ落とした。
完全には暗くしない。起きた時、自分がどこにいるか分からなくなる顔を見たくなかった。
「まだ終わってない」
誰に聞かせるでもなく言った。
桐子は眠っている。
返事はない。
サニーは壁に寄りかかり、腕を組んだ。
外では、また魔獣が鳴いた。
明日から地獄だ。
少なくとも、死ぬよりはましな地獄にしてやる。




