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いずれ空へと続く道  作者: 白銀スーニャ
第1章:西の不死と死と過去
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EX17

 この資料は、人間界派遣員に配布される業務手引きの抜粋である。

 正式名称は、対人間界派遣任務における基本行動指針。現場では長すぎるため、単に手引き、または派遣員マニュアルと呼ばれることが多い。初任者が最初に読むことを想定しているため、文面は公的文書としての体裁を保ちつつ、必要以上に難解な表現を避けている。

 一、渡航について。

 魔界から人間界へ移動する際は、必ず派遣先に応じた所定のゲートを使用すること。個人判断による迂回、未承認経路の使用、同行者の追加申請漏れは禁止する。

 ゲートは各領都および一定規模以上の居住区に設置されている。存在そのものは一般に知られているが、渡航審査は厳格であり、通常の旅行感覚で利用できるものではない。任務外渡航を希望する者は、別途行政窓口で申請すること。なお、任務外渡航の許可率は低い。低い理由について窓口担当者に詰め寄らないこと。

 日本を含む東アジア周辺への派遣では、原則として東部領側のゲートを経由する。西部領、北部領、中央のゲートから直接向かえる場合もあるが、派遣先、偽装身分、現地協力者の配置状況により使用経路は変わる。派遣員は、配布された渡航指示書に従うこと。

 二、身分と戸籍について。

 人間界で使用する偽装身分、戸籍、職歴、居住記録は、魔界行政側が用意する。魔王軍所属者であっても、身分偽装は魔王軍単独で処理しない。行政記録、現地協力者、必要に応じて第3班による書類・術式調整を経て初めて成立する。

 戸籍や経歴は、現地社会に溶け込むための最低限の土台である。雑に扱えば、本人だけでなく同地域で活動する他の派遣員にも迷惑がかかる。任務上の都合で職歴を追加したい場合、趣味で妙な資格を盛りたい場合、または過去設定を格好よくしたい場合も、必ず申請すること。

 繰り返す。

 格好よさは申請理由にならない。

 三、魔法および魔導具の使用について。

 人間界では、魔法および指定された魔導具のみ使用可能とする。使用の基本方針は秘匿優先である。

 派遣員は、魔法が便利であることを知っている。扉の解錠、傷の応急処置、物品の移動、記録の改竄、追跡、隠蔽。いずれも魔法を使えば早い。しかし、人間界の大多数は魔法の存在を知らない。便利だから使う、見られていないと思ったから使う、あとで何とかなると思ったから使う。この三つは事故報告書でよく見る文言である。

 見られていないと思う時ほど、見られている。

 あとで何とかなると思う時ほど、何とかならない。

 任務遂行上必要な場合、または秘匿維持のために使用しなければより大きな露見へ繋がる場合に限り、魔法の使用を認める。ただし使用後は必ず記録を残し、上長または担当窓口へ報告すること。

 指定魔導具は、外観偽装と魔力漏れ対策を施したものに限る。現地の電子機器に似せた通信端末、記録媒体、携行式の簡易結界具などがこれに該当する。未指定の魔導具を持ち込む場合は、事前審査を受けること。

 土産物として魔導具を持ち込まないこと。

 現地の家電製品と魔導具を勝手に接続しないこと。

 人間界の機械が壊れたからといって、魔力で直したものをそのまま返さないこと。返却後に妙な性能向上が発覚した事例がある。

 四、現地協力者について。

 現地協力者は、公的組織および地域における有力者に限られる。公的組織には、治安維持、災害対応、特殊事案処理に関わる部署が含まれる。ただし組織全体が魔界の存在を知っているとは限らない。窓口となる一部の人員のみが把握している場合も多いため、派遣員は相手の所属だけで判断しないこと。

 地域有力者には、古くから特定地域で影響力を持ち、異常事案への対処経験を有する家系や団体が含まれる。黒峰一族は、この分類に該当する。

 協力者は便利な道具ではない。

 協力者には協力者の生活、立場、守るべきものがある。魔界側の事情を押し付ければ、関係は容易に壊れる。特に地域有力者は、公的な命令系統ではなく信頼関係によって動く。礼を欠けば、次に困るのは後任の派遣員である。

 五、事件対応について。

 人間界で発生する魔界由来の事件は、大きく三つに分類される。

 第一に、魔界から流出した物品や魔導具による事故。

 第二に、無許可渡航者または逃亡者による犯罪。

 第三に、人間界側の異常存在、信仰、土地の力、その他未分類事象との接触。

 第一と第二は、原則として派遣員が処理する。第三は、判断を急がないこと。魔界の常識で分類できないものを、無理に魔法現象として扱えば見誤る。必要に応じて第3班、現地協力者、上級派遣員へ確認を取ること。

 神、神域、神威、またはそれに類する言葉が現地記録に現れた場合、安易に否定しないこと。

 安易に信じる必要もない。

 記録し、照合し、関係者の証言を集めること。判断はその後でよい。

 六、生活上の注意。

 派遣員は、人間界の生活水準に慣れる必要がある。魔界と同程度に便利な地域もあるが、魔力を前提としない社会である以上、細部は大きく異なる。

 通貨、交通、通信、医療、行政手続き、住居契約、学校、職場。分からないことを分かったふりで進めないこと。現地の手続きは、魔法で解決しようとするとかえって面倒になる場合がある。

 食事については、地域差が大きい。任務上の制限がない限り、現地の食文化を学ぶことは推奨される。食事は情報源であり、関係構築の入口でもある。ただし、種族特性に関わる摂食が必要な者は、必ず事前に申請し、定められた範囲内で処理すること。

 勝手に吸血しない、魅了しない、呪わない。

 以上は過去の事故件数が多いため、あえて明記する。

 七、緊急時の秘匿方針。

 秘匿は優先される。

 ただし、秘匿のために救える命を見捨てることを推奨するものではない。派遣員は任務目的、現地協力者の有無、露見範囲、被害拡大の可能性を総合的に判断すること。

 判断に迷った場合、現場で最も命を救える選択を取り、その後の秘匿処理を上位機関へ投げることを認める。

 投げられた上位機関は怒る。

 それでも死者は戻らない。

 この順番を間違えないこと。

 八、最後に。

 人間界派遣は、魔界の常識を外へ持ち出す任務ではない。別の世界に入り、その世界の規則を尊重しながら、必要な範囲で魔界側の責任を果たす任務である。

 人間界の者たちは、魔法を知らない。

 だから弱い、という意味ではない。

 魔法を知らないまま築いた制度、技術、武術、信仰、共同体がある。そこには、魔界側が学ぶべきものも多い。

 派遣員は、自分が異物であることを忘れないこと。

 異物であるからこそ、慎重に振る舞うこと。

 そして、どうしても判断に迷った時は、記録を残すこと。

 記録があれば、次の誰かが少しだけましな判断をできる。

 以上。

 なお、本手引きは過去の失敗をもとに随時更新される。新しい失敗を増やした者は、次版で遠回しに書かれる可能性がある。


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