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いずれ空へと続く道  作者: 白銀スーニャ
第1章:西の不死と死と過去
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第37話

 リリー・セヴァライドは、白銀桐子が研究室へ入ってきた瞬間、椅子から立ち上がりかけた。

 正確には、立ち上がりかけたところで肩を掴まれた。

「座ってなさい」

 サニーの声が背後から落ちる。

 リリーは不満を込めて振り返った。

「まだ何もしてない」

「しそうだったから止めたの」

「信用がない」

「あるわよ。信用してるから先に止めてる」

 ひどい理屈だった。

 だが、サニーが同席している理由は分かっている。白銀桐子は西部領で負傷し、戦場で人を殺し、さらに本人にも理解できていない力を発現させたばかりだ。研究者が目を輝かせて突っ込んでいい相手ではない。

 理屈では分かる。

 理屈では。

「白銀桐子です」

 少女が少し緊張した顔で頭を下げた。

 黒髪。黒い瞳。身体はまだ完全には戻っていない。肩の動かし方に庇う癖が残り、歩幅も少し慎重だ。だが、目は逃げていなかった。

 リリーはその目を見て、少しだけ姿勢を正した。

「リリー・セヴァライドよ。第3班の隊長をしているわ。今日は来てくれてありがとう」

「サニーさんに連れてこられました」

「正直でいい子ね」

「褒めてます?」

「もちろん」

 桐子は判断に困った顔をした。

 サニーが横でため息をつく。

「先に確認。体調は」

「痛みは残ってますけど、医療班からは短時間なら問題ないと言われています」

「本人の同意は」

「聞きたいこともあります。分からないままにしたくないので」

 桐子の返事は早かった。

 リリーは頷く。

「なら、今日は観察と聞き取りだけ。採血もしない。魔力を流し込む検査もしない。痛みが出たら中止。分からない質問には分からないと答えていい」

「思ったよりちゃんとしてる」

 桐子が小さく呟いた。

 サニーが口元を押さえた。

 リリーは聞こえなかったことにした。聞こえてはいたが、研究者としての尊厳を守るために聞こえなかったことにした。

「まず固有魔法から確認しましょう。武具創造・槍。今、出せる?」

「短いものなら」

「無理はしないで」

 桐子は右手を開いた。

 魔力が動く。

 リリーの目には、術式の立ち上がりが見えた。汎用魔法のように外側へ組む式ではない。身体の奥にある魔石を起点に、本人の性質を通って形を取る。槍という概念へ寄ることで、魔力消費が軽くなる構造。まだ粗い。輪郭の固定が甘い。けれど、方向性は明確だった。

 桐子の手の中に、短い槍が生まれた。

 金属の棒に近い。以前の報告にあった歪な塊よりは、だいぶ槍らしい。先端は鋭すぎず、訓練用に抑えているのか、本人の制御がそこまでなのかは判断が分かれる。

「ふむ」

 リリーは身を乗り出した。

 肩を掴まれた。

「近い」

「見えない」

「その距離で見えるでしょう」

「見えるけど近くで見たい」

「駄目」

 サニーの手が強い。

 桐子は短槍を持ったまま、困ったように笑っている。

「えっと、近づけますか?」

「あなたが動かなくていい」

 サニーが言う。

「リリー、見るだけ」

「はいはい」

 リリーは術式記録用の魔導具を起動した。非接触で周辺の魔力変化だけを拾う。西部領で回収した神威らしき残滓とは違い、こちらは魔法として観測できる。安心するくらい魔法だった。

「武具創造としては、かなり素直ね。本人の武術経験が槍の運用へ寄っているから、形は槍へ定まりやすい。ただ、作ることと扱うことの間に、まだ大きな段差がある」

「段差」

 桐子が繰り返す。

「ええ。あなた、武器を作る魔法を、武器を使う身体で補っているでしょう。魔法の完成度だけで戦っていない。だから面白い」

「面白い」

「褒めてるわ」

 また判断に困った顔をされた。

 サニーが呆れた声を出す。

「リリーの褒め言葉はだいたい変だから、まともに受け取らなくていいわよ」

「変じゃない。希少性と運用価値を正しく評価してるだけ」

「それが変なの」

 リリーは少しだけ唇を尖らせた。

 だが、今日の本題はそこではない。

「次に、西部領で出た槍について」

 空気が少し変わった。

 桐子の指が、短槍の柄を握り直す。サニーの視線もわずかに鋭くなった。

「報告では、魔法無効化装置の影響下でも消えなかった。魔力でも気でもない。黒く変質したルシアンを貫き、不滅の魔石による強化を削った。本人の感覚としては?」

「自分の力じゃない、と思いました」

 桐子はゆっくり答えた。

「でも、勝手に暴れた感じでもないです。手の中にあって、握ることを許された感じというか。借りた、渡された、みたいな」

「誰に?」

「分かりません」

「声は聞こえた?」

「聞こえてません」

「姿は」

「見てません」

「何か、意志の向きは感じた?」

「……止めろ、というより、止めたいなら使え、みたいな感じです」

 リリーは記録を取る手を止めた。

 その言い方は重要だった。

 命令でも支配でもなく、使用許可に近い。

「神威」

 リリーは小さく言った。

「そう呼んでいいかは、まだ分からないけれど」

「私も、なんとなくそう呼んでるだけです」

「それでいいわ。名前は仮置きでも、現象を扱う足場になる。ただし、仮置きの名前を正体だと思い込まないこと」

 リリーは自分にも言い聞かせた。

 分解して理解する対象ではない。

 少なくとも、今は。

「西部領から届いた残滓を見た時、こちらが観測しているはずなのに、逆に観測されているような感触があったの」

「観測される?」

「見られている、と言ってもいい。ただし、誰かの目というより、こちらの接触の仕方そのものを測られている感じ」

 桐子の表情が強張る。

 サニーがリリーを睨んだ。

「脅かすな」

「必要な範囲よ」

「今は、分かっていることだけでいい」

「これも分かっていること」

「言い方」

 リリーは少し考え、言葉を選び直した。

「危険ではある。けれど、すぐにあなたを害するものとは限らない。少なくとも西部領では、あなたの意志と、クロエちゃんの願いと、状況に応じて現れた。だから、まずは接触の条件を整理しましょう。何を守ろうとした時に出たのか。何を止めようとした時に出たのか」

 桐子は頷いた。

 怖がってはいる。

 だが、逃げていない。

 リリーはその姿勢を好ましいと思った。好ましい、とそのまま口に出すとサニーに睨まれそうなので黙っておく。

「気については?」

 リリーが尋ねると、桐子の表情が少し曇った。

「今は使ってません。魔法の訓練を始めてから、やめています」

「正解ね」

「正解なんですか」

「少なくとも今は。魔力と気は相性が悪い。あなたの場合、両方の素質があるぶん、下手に混ぜると内側から傷つく可能性がある」

 サニーが横から口を挟む。

「その話はここまで」

「まだ概要だけ」

「ここまで」

「はいはい」

 リリーは両手を上げた。

 桐子は少し驚いた顔で二人を見比べている。サニーが止めなければどこまで話が進んでいたか、想像したのだろう。正しい想像だ。リリー自身、自分が興味でどこまで踏み込みたがるかはよく知っている。

 だから、止める相手がいるのはありがたい。

 腹立たしいが、ありがたい。

「今日の結論」

 リリーは記録を閉じた。

「あなたの固有魔法は、武具創造・槍として順当に成長している。神威らしき現象は、魔力でも気でもなく、現時点では分解して理解する対象ではない。接触の作法、発現条件、本人の意志との関係を優先して調べる。気の運用は、今は再開しない」

「分かりました」

 桐子は短槍を消した。

 その消え方は魔法として自然だった。だからこそ、西部領の槍がどれほど異質だったかが際立つ。

「また、来た方がいいですか」

「もちろん」

「リリー」

 サニーの声が低くなる。

「本人の回復と同意を確認してから、必要な範囲で」

「よろしい」

 サニーはようやく頷いた。

 桐子は少し笑った。

「サニーさん、保護者みたいですね」

「保護者よ」

「教官じゃなくて?」

「どっちも」

 サニーは即答した。

 そのあまりの自然さに、桐子が目を丸くする。リリーは少しだけ笑った。

 サニーは情が移ると雑になる。

 その雑さは、たぶん本人が思っているよりずっと分かりやすい。

「白銀ちゃん」

 リリーは言った。

「分からないものを怖がるのは正しいわ。怖がらない研究者は早死にするし、怖がらない戦士は周りを巻き込む。だから、怖いまま調べましょう」

 桐子はしばらく考えた。

 そして、ゆっくり頷く。

「はい。知らないままにしたくないので」

「いい返事」

 リリーは満足した。

 満足したところで、サニーに襟首を掴まれた。

「今日は終わり」

「まだ質問が三十個くらい」

「終わり」

「十個」

「終わり」

「三個」

「終わり」

 桐子が小さく吹き出した。

 研究室の空気が、少しだけ軽くなる。

 神威の残滓を前にした時の、背筋を撫でるような恐怖はまだ消えていない。むしろ、本人と会ったことで線は太くなった。これは本当に、どこかへ続いている。

 神と呼ばれるものへ。

 あるいは、リリー自身が何のために生まれた魔女なのかという問いへ。

 だが今日は、ここで止める。

 発現者本人が、自分の足で帰れるところで止める。

 リリーは記録を保存し、封をした。

「次は、もう少しだけ詳しく聞かせてね」

「少しだけなら」

 桐子の返事に、サニーが満足げに頷いた。

 リリーは思う。

 少しだけ、の定義は人によって違う。

 もちろん、その場で口には出さなかった。


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