表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いずれ空へと続く道  作者: 白銀スーニャ
第1章:西の不死と死と過去
44/61

EX13

 リリー・セヴァライドは、届いた封印容器を前にしてしばらく黙っていた。

 黙っていたのは、感動していたからではない。

 面倒なものが来た、と思っていたからだ。

 第7班から回ってきた回収品は、いつもだいたい面倒だ。壊れた魔導具、未知の毒、変な魔獣の角、サニーが説明を省略したまま投げてくる何か。今回は西部領で使われた魔法無効化装置と、別枠で扱えと赤字で書かれた微細な残滓だった。

 書類の端に、サニーの短い注記がある。

 魔力でも気でもない。たぶんあんた向き。

「雑」

 リリーは呟いた。

 だが、否定はしない。

 自分向きであることは、封印容器を見た時点で分かっていた。

 まず魔法無効化装置を確認する。

 こちらは既知の範囲だ。過去に開発された、忌々しい研究の系譜に連なる装置。不滅の魔石の破壊を目的とした研究から派生し、魔術式の構築を阻害し、発動済みの魔法すら維持不能にする。照明型の据え置き装置と、体内埋め込み型の小型装置。どちらも構造は嫌らしいが、未知ではない。

 解析は必要だ。

 量産経路、改造手術の手順、資金の流れ、どの程度まで不滅の魔石を使っているか。確認すべき項目はいくらでもある。

 不愉快でもある。

 人の身体を装置の容器にする発想そのものは、研究史の中に何度も顔を出してきた。効率、適性、戦場での運用性。そういう言葉で包めば、倫理の腐臭は少し薄まる。だが薄まるだけで消えはしない。

 リリーは倫理的に清廉な研究者ではない。

 それでも、雑な外法は嫌いだった。

 だが、リリーの興味はすぐ隣の容器へ向いていた。

 透明な結晶板の上に、見えない傷のようなものが残っている。

 光ではない。

 魔力でもない。

 気でもない。

 それなのに、そこに何かがあったことだけは分かる。

「なるほど」

 リリーは椅子に座り直した。

 興味深い。

 とても興味深い。

 そして、少し怖い。

 怖いと思えるものは貴重だ。リリーは大抵のものを理解できる。理解できなければ分解し、分解できなければ観察し、観察できなければ条件を変えて再現を試みる。世界の多くは、その手順のどこかでリリーの前に膝をついた。

 だが、これは違う。

 膝をつかせる対象なのかどうかも分からない。

 リリーは記録用の魔導具を起動しようとして、やめた。

 魔導具の記録に乗る保証がない。むしろ、機械的な観測を先に当てると、何かを取り逃がす気がした。

 まず、自分の目で見る。

 魔女としてではなく、研究者としてでもなく、ただ未知を前にした一個の生き物として。

 残滓は静かだった。

 サニーの報告によれば、白銀桐子という少女の手に槍の形で現れ、黒く変質した対象を貫いたという。アンチ・マジックの影響下でも消えず、不滅の魔石による強化を削った。発現者は詳細を理解していない。

 魔力ではない。

 気でもない。

 なら、何か。

 第三の力、という言い方は簡単だ。

 だが、簡単な言葉は危険だ。分類できた気になって、分かったつもりになる。リリーはそれを嫌う。未知は未知のまま、できる限り正確に置いておくべきだ。

「神威、ね」

 報告書の別紙に、その語があった。

 誰が最初にそう呼んだのかは曖昧だ。発現者本人の感覚か、現場で聞いた者の解釈か、古い資料に残る語と偶然一致したのか。まだ分からない。

 神。

 その文字を見た瞬間、リリーの指先が少しだけ止まった。

 神という概念は面倒だ。

 信仰の対象としての神。

 世界の仕組みを人格化した神。

 観測できないものを仮置きするための神。

 あるいは、本当にそこにいる何か。

 リリーは、最後の可能性を笑わなかった。

 笑えなかった。

 魔女として生まれた自分が、何を目的としているのか分からない。おおよそ何でもできる。だからこそ、何をすべきなのか分からない。その問いは、いつもリリーの内側にある。

 もし、神と呼ばれるものが本当にいるなら。

 もし、その領域から力の一部が落ちてきたのなら。

 そこには、自分の問いに触れる手がかりがあるかもしれない。

 同時に、存在ごと消し飛ばされる危険もある。

 リリーは笑った。

 怖い。

 楽しい。

 怖いから楽しい、という言い方は倫理的にどうかと思うが、事実なので仕方がない。

 ただし、今すぐ発現者本人に会うべきではない。

 白銀桐子は負傷している。精神的にも、戦場で人を殺した直後だ。そんな相手へ研究者が目を輝かせて踏み込むのは、さすがに友人たちに怒られる。

 サニーには確実に蹴られる。

 ローザにも嫌な顔をされる。

 ステラがいたら静かに圧をかけてくる。

「今回は我慢」

 リリーは自分に言い聞かせた。

 我慢できる自分は偉い。

 誰も褒めてくれないので、自分で褒める。

 代わりに、残滓だけを見る。

 結晶板へ、非接触式の観測術式を組む。魔力を当てるのではなく、周辺の変化だけを読む。水面の波で、沈んだ石の形を推測するようなものだ。

 反応は薄い。

 だが、ゼロではない。

 術式の外側に、何かがある。こちらの問いに答えるのではなく、問いそのものを眺め返しているような感触。観測しているはずのリリーが、逆に観測されるような違和感。

 背筋が震えた。

 リリーは術式を止めた。

 興奮で指が少し冷えている。

 観測を続けたい。

 もう一段だけ深く触れたい。

 その欲求は、喉元まで来ていた。だが、ここで踏み込む研究者は長生きしない。未知に対して礼を失った者から順番に死ぬ。リリーはその程度には、自分の好奇心を信用していなかった。

「これは、順番を間違えると死ぬやつ」

 独り言が研究室に落ちる。

 軽い言い方になったが、判断は本気だった。

 神威らしき残滓には、魔法無効化装置のような既存研究とは違う危うさがある。分解して理解する対象ではなく、接触の作法から考えなければならない対象。

 なら、人手がいる。

 魔術式を普通とは違う形で見る者。

 人間界側の視点を持ち、魔界の常識に染まりすぎていない者。

 コーイチ。

 リリーは端末を引き寄せた。

 まだ詳しい内容は送らない。神だの神威だのと書けば、向こうで余計な警戒を生む。まずは軽く、調査の依頼として投げる。

 人間界側で、神に関する伝承と、魔術式を介さない異常現象の記録を拾ってほしい。

 そこまで打って、リリーは一度手を止めた。

 少しだけ楽しくなりすぎている。

 倫理観を机の端へ追いやる癖は、自覚している。だから、今回は一行足した。

 発現者本人への接触は保留。負傷回復と本人の同意を待つこと。

「よし」

 リリーは頷いた。

 研究者としては遅い。

 友人としては、たぶん正しい。

 封印容器の中で、見えない傷のような残滓は静かに沈黙している。

 その沈黙が、リリーには呼び声のように聞こえた。

 まだ触れるな。

 けれど、いずれ来い。

 そんな都合のいい解釈だと分かっていても、胸の奥は高鳴っていた。

 神がいるのかどうか。

 いるなら、何を見ているのか。

 そして自分は、何のために生まれた魔女なのか。

 答えはまだ遠い。

 だが、初めてその方向へ続く細い線が見えた気がした。

 リリーは封印容器に視線を戻し、その細い線を切らないよう、慎重に記録を始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ