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いずれ空へと続く道  作者: 白銀スーニャ
第1章:西の不死と死と過去
37/62

EX6

 ナタリー・ヴァーミリオンが西部領外縁部の葡萄畑へ到着した時、空はまだ燃えていなかった。

 城のある中心部とは違い、このあたりの天候は穏やかだ。海からの風は届くが、雲は薄く、斜面に並ぶ葡萄の葉が月明かりを受けて細かく揺れている。西部領の中でも、ここは血の匂いより土と果実の匂いが濃い土地だった。

 畑の管理小屋には避難した農夫たちが集められている。第7班の隊員が数名、入り口と裏手を固めていた。

「被害状況」

 ナタリーが問うと、隊員が即座に答えた。

「北側の棚が一部焼けています。主区画への侵入はまだ。作業員は全員確認済みです」

「上出来です。主区画を落とされたら、西部領の酒蔵が泣きます」

 軽い言い方にしたが、状況は軽くない。

 西部領の葡萄畑は単なる農地ではない。城のある中心部が不安定な天候に覆われる分、外縁部の畑は領地の食と酒、そして外との交易を支える場所だ。その一部では、新酒のごく少量に「処女の生き血」という物騒な名が付けられる。

 名だけ聞けば悪趣味だが、土地の者にとっては誇りでもある。ローザ・シュヴァリエが好んだという話も聞いたことがあった。

 ここを焼かせるわけにはいかない。

 軍の任務としても、領地の資産保護としても、答えは同じだ。

 ただ、ナタリーは数字だけでこの畑を見たくなかった。棚の間には手入れの跡があり、支柱の結び目一つにも人の癖が残っている。葉の陰にはまだ小さな実があり、収穫まで何度も天候と病気と獣を越えなければならない。そうしてようやく酒になるものを、火と刃で一晩のうちに奪わせるのは気に食わなかった。

 もちろん、サニー・アージェント隊長が命じた任務だからという理由が一番にある。けれど、それだけではなく、ナタリーは土地を守る戦いを嫌いではなかった。人が暮らし、働き、明日の食事を得る場所を守る。そのための軍だ。

「北側から来ます」

 隊員の声と同時に、畑の向こうで白い光が揺れた。

 魔導具の光ではない。形も明るさも揃っていない。細い筒、角張った箱、手に巻き付けた小型の灯り。シュヴァリエ城から報告されていた、バッテリー式のライトだ。

「通常兵です。数、十二」

「こちらの魔法は?」

「問題なく使えます」

「では、私が前に出ます。皆さんは作業員と主区画の防衛を優先。私の投擲線上へ入らないように」

 ナタリーは一歩前へ出た。

 掌に魔力を集める。

 赤い光が斧の形を取った。柄は短く、刃は片側に寄る。手投げ斧、フランシスカ。ヴァーミリオン家の武具創造としては剣や大斧ほど派手ではないが、ナタリーの手にはこれが一番合っていた。

 さらに炎を薄く巻く。

 刃が燃えるのではない。炎は斧の輪郭をぼかし、軌道を隠し、夜の畑に偽の残像を作る。

 教団兵が柵を越えた。

 ナタリーは最初の斧を投げた。

 炎が右へ走る。

 斧は左へ曲がる。

 先頭の兵が盾を構えた時、刃はすでに盾の縁を抜けていた。肩口へ食い込み、そこで爆ぜる。殺す火力ではない。だが、鎧の継ぎ目を砕き、腕を使えなくするには十分だった。

 二本目、三本目。

 炎の軌道を見せ、斧の軌道を隠す。着弾点で爆破し、足を止める。倒れた者を踏ませ、隊列を崩す。

 教団兵は暗所戦闘に慣れている。魔法使い相手の距離の詰め方も知っている。だが、畑の地形を知らない。葡萄棚の低さ、支柱の位置、土の柔らかさ。ナタリーは来る途中で全部見ていた。

 戦場は、見た分だけ味方になる。

「西側、二名回り込み」

「三班、止めてください。棚は壊してもいい。根は焼かせない」

「了解」

 隊員が動く。

 ナタリーは四本目のフランシスカを生成した。

 サニーなら、もっと速い。

 サニーなら、ここまで敵を近づけない。

 そう思いかけて、胸の中で軽く叱った。今この場にいるのはナタリーだ。隊長の背を追うことと、隊長の真似をすることは違う。

 自分の仕事をする。

 教団兵の第一波は、三分もかからず崩れた。

 だが、終わりではなかった。

 畑の奥、低い石垣の向こうから、新しい足音がした。数は少ない。四つ。だが空気が違う。

 ナタリーの皮膚の下で魔力がざらついた。

「止まって」

 隊員たちが即座に足を止める。

 新たに現れた兵は、先ほどより装備が軽い。剣と短槍、腕には小型の盾。外套の下に何かを隠しているようには見えない。だが、近づいてくるほど周辺の魔力が細かく削られる。

 ナタリーはフランシスカを生成しようとした。

 形になる。

 ただし、輪郭がわずかに乱れた。

 照明型ではない。

 据え置きの装置なら、範囲はもっと広く、一定の場所を中心に広がる。これは違う。兵の身体にぴたりと貼り付いた、狭く濃い妨害だ。

 体内埋め込み型。

 その言葉が頭に浮かんだ瞬間、ナタリーの声は冷えた。

「近接禁止。触れる距離に入らないでください。あれは身体そのものがアンチ・マジックの発生源です」

「体内ですか」

「可能性が高い。殺傷より拘束優先。ただし、拘束が味方の被害に繋がるなら処理を許可」

 言いながら、ナタリーはフランシスカを二本同時に作った。

 埋め込み型の効果範囲は狭い。なら、距離で潰す。

 炎を大きく広げる。

 斧を見せないためではない。敵の視界を奪い、足を止めるためだ。葡萄棚の支柱の間を縫って投げた一本目が、兵の足元で爆ぜた。二本目は盾へ当てる。爆発で盾ごと腕が跳ねる。

 残り三人が散った。

 判断が速い。

 訓練されている。

 ナタリーは畑の斜面を下がりながら、隊員へ通信を飛ばした。

「第7班全域へ。敵精鋭に体内埋め込み型アンチ・マジックの疑い。効果範囲は肉体近接、触れる距離で魔法を乱します。照明型とは別種。近接職は間合い管理を徹底。隊長へ優先共有」

 返答を待たず、ナタリーは次の斧を投げた。

 兵の一人が炎を抜けてくる。魔法が削れる距離へ入られかける。ナタリーは生成済みの斧を手放し、腰の実物ナイフを抜いた。

 刃と刃が触れる。

 魔法ではない鉄の感触。

 相手の目は濁っていた。恐怖と優越感が混じった、見ていて気分の悪い目だ。

「魔法がなければ、何もできないと思いましたか」

 ナタリーは笑わなかった。

 膝で相手の腿を潰し、手首を捻り、ナイフの柄で顎を打つ。体勢が崩れた瞬間、距離を取る。追ってきた相手の足元へ、すでに投げておいたフランシスカが刺さっていた。

 爆ぜる。

 兵が倒れた。

 残り二人は隊員たちが距離を保ったまま制圧している。主区画への火は届いていない。北側の棚が少し焼けたが、根は生きている。

 守った。

 ナタリーは息を吐き、畑を見渡した。

 月明かりの下、葡萄の葉はまだ揺れている。

 北側の棚には焦げ跡が残った。明日になれば、管理者たちは渋い顔で被害を数えるだろう。失われた枝も、割れた支柱もある。けれど、主区画は生きている。根は焼けていない。来年へ繋ぐものは残った。

「負傷者確認。装置持ちは死体も含めて隔離。触れる時は非魔導具の器具を使ってください。畑の被害は管理者に記録を」

「隊長から返信です」

 隊員が端末を見た。

「『了解。葡萄畑は任せる。こっちは回る』」

 短い文だった。

 それだけで、ナタリーの胸に熱が灯る。

 任せる。

 サニーがそう言った。

 なら、この場所は絶対に落とさない。

「聞きましたね」

 ナタリーは振り返った。

「ここは私たちが守ります。一本たりとも余計に焼かせません」

 隊員たちが頷く。

 西部領の夜風が、血と焦げた葉の匂いを運んでいく。

 その中で、葡萄畑はまだ生きていた。


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