表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いずれ空へと続く道  作者: 白銀スーニャ
第1章:西の不死と死と過去
36/61

第31話

 桐子は、夜明け前の海を見ていた。

 シュヴァリエ城の一角にある小さな露台だった。医療班には寝ていろと言われたが、眠れる気がしなかった。肩は固定され、身体のあちこちが痛む。少し動くだけで、ルシアンに壁へ叩きつけられた衝撃が戻ってくる。

 それでも、部屋で横になっているよりはましだった。

 空はまだ暗い。

 海だけが、月の残り光を拾って青白く揺れている。崖下で波が砕ける音が、遠くからずっと聞こえていた。

 西部領は、死者の灰を海風へ撒く土地だと聞いた。

 不死の吸血鬼が治める領地で、死は海へ返される。

 その場所で、死んだはずのローザは生きて戻ってきた。

 父であるはずのルシアンは、桐子の手で死んだ。

 十一年前の過去は終わっていなかった。城の壁の中に、使用人の顔の下に、照明の奥に、ずっと残っていた。

 不死と、死と、過去。

 その三つが、昨夜の城で一度にぶつかった。

 桐子は自分の右手を見下ろす。

 もう槍はない。

 神の槍。

 そう呼ぶしかないものだった。魔力ではない。気でもない。手の中にあったのに、自分のものではなかった。握ることを許され、振るうことを許され、役目が終わると消えた。

 あれは何だったのか。

 考えても分からない。

 ただ、あの槍でルシアンを殺したことは分かる。

 桐子は息を吐いた。

 吐く息が震えるかと思ったが、震えなかった。

 怖くないわけではない。

 何も感じていないわけでもない。

 けれど、昨夜のあの瞬間に戻っても、自分は同じことをするだろうと思った。クロエは助けを求めた。西部領は壊されようとしていた。ルシアンは止まらなかった。

 なら、止めるしかなかった。

 命を奪う覚悟。

 黒峰流で何度も聞いた言葉は、もっと重く、もっと遠いものだと思っていた。だが実際には、派手な決意ではなかった。手を止めないこと。逃げないこと。相手が命をかけて敵対した時、その結果から目を逸らさないこと。

 桐子は、真希を思い出した。

 あの試合の日。

 銀の槍が暴発し、真希の腹を貫いた瞬間。

 あれは違う。

 今なら、そう思える。

 真希を傷つけたことが軽くなるわけではない。許されるわけでもない。罪が消えるわけでもない。

 ただ、恥じるべきものの形が、少しだけ変わった。

 拳を握ったことではない。

 力を持っていたことでもない。

 制御できなかったこと。

 向ける先を、自分で選べなかったこと。

 それが、桐子の罪の中心にある。

 真希を刺した時、桐子は何も選んでいなかった。

 焦り、恐怖、劣等感、積み上がった不調。その全部が内側で絡まり、銀の槍になって外へ飛び出した。止める意思も、向ける先を選ぶ意思も、そこにはなかった。

 昨夜は違う。

 分からない力を握った。借り物だと感じた。怖いとも思った。それでも、クロエの声を聞き、ルシアンを止めると決めた。

 その違いだけは、誤魔化してはいけない。

「ここにいたのか」

 背後から声がした。

 振り返ると、アイギスが立っていた。腕には包帯が巻かれている。顔色は良くないが、背筋はいつも通り伸びていた。

「寝てろって言われませんでした?」

「言われた。白銀もだろう」

「はい」

 二人は少しだけ黙った。

 その沈黙が、以前より気まずくなかった。

 アイギスは桐子の隣に立ち、海を見た。

「クロエは、ローザ殿と話している」

「大丈夫そうですか」

「大丈夫ではないだろう。だが、話せる相手が戻ってきた」

「それは、良かったです」

 本当にそう思った。

 クロエがローザへ駆け寄った時の顔を、桐子は忘れられない。強がりでも、領主の顔でもない。置いていかれた子どもの顔だった。

「ルシアンのこと」

 アイギスが言った。

 桐子は手すりを握る。

「はい」

「私は、白銀がしたことを責めるつもりはない」

「ありがとうございます」

「礼を言うことではない。あの場で必要だった」

 アイギスの声は落ち着いていた。

「ただ、必要だったことと、何も残らないことは違う」

 桐子は海を見る。

 波が砕ける。白い泡が、すぐに闇へ溶ける。

「まだ、よく分からないです」

「今すぐ分かる必要はない」

 アイギスはそう言った。

「だが、一人で抱える必要もない」

 桐子は少しだけ笑った。

「アイギスさん、そういうこと言うの上手いですね」

「そうか?」

「はい。盾みたいです」

 アイギスが瞬きをした。それから、少しだけ口元を緩める。

「昨日は、その盾が消えた」

「でも、守ってくれました」

「扉や家具でな」

「かっこよかったです」

「あまり褒められる戦い方ではない」

「そうですか? 私は好きです」

 桐子が言うと、アイギスは困ったように視線を外した。

 夜明け前の風が、二人の間を抜ける。

 遠くで鳥の声がした。少しずつ、空の端が明るくなっていく。

「白銀」

「はい」

「昨日の槍は、何だった」

「分かりません」

 桐子は正直に答えた。

「でも、自分だけの力じゃないことは分かります。借りた、というか、渡されたというか」

「怖いか」

 桐子は考えた。

 怖い。

 あんなものが、また自分の手に現れるかもしれない。自分が理解していない力で、誰かを殺せるかもしれない。それは怖い。

 でも、真希を刺した時の恐怖とは違う。

 あの時は、何が起きたのか分からないまま、力だけが暴れた。

 昨夜は、分からない力を握りながら、それでも自分で前へ出た。

「怖いです」

 桐子は言った。

「でも、知らないままにしたくない」

 アイギスは頷いた。

「なら、戻ったら調べよう」

「サニーさんがリリーさんって人に投げるって言ってました」

「リリー殿か」

 アイギスの表情が少しだけ複雑になる。

「何か問題が?」

「問題というか、研究者として優秀すぎる方だ。覚悟しておいた方がいい」

「何をですか」

「観察される」

 桐子は嫌な予感を覚えた。

 サニーが変人と言っていた理由が、少し分かった気がする。

 それでも、道はある。

 神威。

 魔力。

 気。

 自分の中にあるものと、外から借りたもの。

 まだ何も分かっていない。

 けれど、分からないから終わりではない。分からないなら、向き合うしかない。

 逃げれば、また暴れる。

 目を逸らせば、また誰かを傷つける。

 ならば、知らなければならない。魔法を。気を。昨夜、自分の手に現れた神威という言葉を。自分が何を握り、何を選び、どこへ向けるのかを。

 真希に会った時、胸を張れる自分でいたい。

 許してほしいからではない。許されるかどうかを決めるのは真希だ。それでも、再び向き合うなら、何も分からないまま泣いているだけの自分ではいたくなかった。

 いつか再戦を望むなら、その前に自分の力を自分で知る必要がある。

 海の向こうから、朝日が昇り始めた。

 光が、崖と城壁を照らす。

 西部領の事件は、まだ完全には終わっていない。けれど、少なくとも一つの夜は明けた。

 桐子は手すりから手を離した。

「戻りましょう」

「ああ」

 アイギスと並んで歩き出す。

 身体は痛い。心も軽くはない。

 けれど、痛みがあるなら、自分はまだここにいる。

 失敗も、選んだことも、抱えたまま歩ける。

 だから桐子は、前へ進む足を止めなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ