第29話
サニー・アージェントがシュヴァリエ城へ到着した時、戦闘はまだ終わっていなかった。
終わりかけてはいる。
だが、終わっていない。
城の外壁には傷が走り、城門の機構は半分死んでいる。中庭には教団兵が倒れ、廊下の奥からはまだ金属音が響いていた。西部領全域で同時に起きた蜂起への対応に第7班を散らした結果、城への到着が遅れた。
判断としては間違っていない。
全域を捨てて城だけを守るわけにはいかない。
だが、子ども三人を危険の中心に置いた事実は消えない。
サニーは舌打ちした。
「報告」
隣にいた隊員が短く答える。
「外周の主力は鎮圧済み。残党が城内に集結。アンチ・マジック、複数稼働を確認。照明型は一部破壊しましたが、まだ残っています」
「面倒」
サニーは歩きながら指を鳴らした。
魔法の流れがざらついている。嫌な感覚だ。魔術式を組む前に崩される。武具創造の系統なら特に相性が悪い。普通なら、こんな場所で戦うべきではない。
普通なら。
サニーの指先に、銀色の光が生まれた。
魔法無効化の圧が、光の輪郭を削ろうとする。
削れるより早く、サニーは振った。
銀閃。
廊下の向こうにいた教団兵の武器だけが、まとめて断たれた。剣が落ち、槍の穂先が床へ転がり、クロスボウの弦が切れる。兵たちが反応するより早く、サニーは距離を詰めた。
首。
手首。
膝。
殺す必要のある者は殺す。情報を取れそうな者は動けなくする。迷う時間はない。
残存戦力の練度は高い。
だが、今さらだった。
サニーは三人目の兵を壁に叩きつけ、四人目の喉元へ銀閃を通す。最大出力ではない。肉体に負荷を残すほどの斬撃でもない。それでも、この程度の残党を片付けるには十分だった。
最大出力を切る必要はない。
使えば早い。だが、あれは一日に何度も振るうものではない。サニーの身体は強いが、無限ではない。ここで消耗し切れば、この後にまだ残っているかもしれない本命へ対応できなくなる。
だから、最小の出力で、最短の軌道を選ぶ。
敵に手順を作らせない。魔法無効化装置の範囲へ深く入る前に、武器と関節を落とす。必要な相手だけ殺す。
廊下の奥へ進むほど、空気が変わる。
魔法無効化装置の気配とは別のものがある。
異常で、異質な力の残滓。
魔力ではない。気でもない。サニーの知っているどの技術体系にも、きれいには収まらない。
そして、その中心に白銀桐子がいた。
桐子は立っていた。
血まみれで、肩で息をし、今にも膝から崩れそうなくせに、まだ前を見ている。足元には黒く変質した男の死体。少し離れた場所でクロエが壁にもたれ、アイギスが壊れた扉の残骸を持っている。
サニーは一瞬で状況を見た。
ルシアン・シュヴァリエは死んでいる。
クロエは生きている。
アイギスも生きている。
桐子も、生きている。
それなら、まずは十分。
本当は十分ではない。
子どもたちがこの場で戦うことになった時点で、サニーの到着は遅い。クロエの城は傷つき、アイギスは盾を奪われ、桐子は正体不明の力を握って人を殺している。後で処理すべき問題はいくらでもある。
だが、今その全部を顔に出せば、立っているだけで限界の子どもたちが崩れる。
だから、サニーはいつもの顔を作った。
「下がりなさい」
サニーは言った。
桐子がこちらを見た。
「サニーさん」
「話は後」
残っていた教団兵が動いた。サニーは視線も向けずに銀閃を飛ばした。武器を持つ腕が落ちる。別の兵が叫びながら突っ込んでくる。腹を蹴り、壁へ沈める。
最後の一人が逃げようとした。
サニーは指先を振った。
銀色の線が走り、足元の床だけを裂く。男は転び、そのまま隊員に押さえ込まれた。
それで終わりだった。
少なくとも、この場の戦闘は。
サニーは桐子の前へ立った。
桐子は何か言おうとしたが、言葉になっていない。疲労と痛みと緊張で、意識が半分ほど抜けかけている顔だ。
「よく生きてた」
サニーは短く言った。
本当は、もっと言うべきことがある。
無茶をするな。勝手に人を殺すな。知らない力を握るな。叱る言葉はいくらでも浮かぶ。だが、そのどれも今ではなかった。今必要なのは、生き残った事実を先に置くことだ。
桐子は、少しだけ目を見開いた。
「褒められた」
「そこで驚くな」
いつもの調子で返すが、声は抑えた。軽くする場面ではない。床に残る血の匂いは濃く、クロエの顔色は悪い。アイギスの腕も震えている。桐子は立っているのが不思議なくらいだ。
サニーは床に残る光の痕を見た。
もう消えかけている。
だが、確かにあった。
槍の形をした、何か。
サニーの背筋に、薄い寒気が走る。
知らない。
分からない。
分からないものは嫌いではないが、今ここで向き合うには面倒すぎる。
「こういうのが好きなのは……リリーか」
サニーは低く呟いた。
今はそれだけでいい。あの研究狂いに投げれば、嫌な顔をしながら喜んで解析するだろう。後で面倒な説明を求められるのは確定しているが、それも今考えることではない。
「医療班を呼べ。アンチ・マジックは潰し切るまで不用意に近づけるな。回収班、照明と死体を分けて記録」
隊員たちが動く。
サニーは最後にもう一度、桐子を見た。
黒峰徹心。
その名前が、ふと頭をよぎる。
桐子の動きには、あの男の影があった。型の癖、踏み込み、敵を人間として扱いすぎない冷たさ。よりによって、あのロクでもない男の技術が、ここで子どもを生かした。
笑う場面ではない。
だから、サニーはその場では笑わなかった。
* * *
負傷者の搬送と最低限の鎮圧が終わった後、サニーは控え室代わりに使われている小部屋で桐子の応急処置を見ていた。
桐子は椅子に座らされ、肩を固定されている。疲れすぎて抵抗する元気もないらしい。血を拭われ、包帯を巻かれ、医療班から何度も寝ろと言われているのに、目だけはまだ落ち着きなく動いていた。
「黒峰流、だっけ」
サニーが言うと、桐子は目だけを動かした。
「はい」
「先生は?」
「真希のおじいさんです。黒峰徹心先生」
サニーは数秒、黙った。
そして、耐えきれずに吹き出した。
「あいつが」
「え」
「あのロクでもない奴が、先生」
「知り合いなんですか」
「知り合いというか、昔ちょっと」
昔ちょっと殺しかけた、とは言わなかった。
桐子が困惑している。痛みと疲労で青い顔をしているくせに、その表情だけは妙に年相応だった。
サニーは笑いを押さえようとして、また少し笑った。
最悪の戦場の後で、最悪の旧知の名前が出てくる。
世界は本当に、性格が悪い。
「帰ったら詳しく聞かせなさい」
「今じゃなくていいですか」
「いい。今は寝ろ」
桐子は素直に目を閉じた。
サニーはその顔を見下ろし、笑みを消す。
生きている。
それだけで、今はいい。
扉の外では、まだ隊員たちが慌ただしく動いている。装置の回収、負傷者の搬送、捕縛した教団兵の確認。西部領全域の報告も、すぐに積み上がるだろう。
だが、この小部屋の中だけは一瞬だけ静かだった。
サニーはその静けさを、子ども一人が眠るための最低限の安全として確保した。




