EX5
サニー・アージェントは、申請書の空欄を見つめていた。
項目名、支出理由。
その下には、まだ何も書かれていない。書けないのではない。正直に書くと落ちるから、書くべき言葉を選んでいるだけだ。
事実だけを並べれば簡単だった。
特別クラス合格祝いとして王都の店を利用。ドラゴン肉を持ち込み、食事会を実施。クロエ・シュヴァリエがドラゴンの血を飲み悪酔い。店内備品破損。椅子二脚、卓一台、壁面装飾一部。修理費発生。
落ちる。
確実に落ちる。
サニーはペンを置き、向かいに座るナタリーを見た。
「案」
「はい、お姉様」
ナタリー・ヴァーミリオンは、すでに複数の資料を用意していた。こういう時だけでなく、こういう時も仕事が早い。
「支出理由は、『特別クラス初期連携構築を目的とした実地食材処理および突発的魔力過剰摂取事案への対応訓練』でいかがでしょう」
「長い」
「長い方が通ります」
「嫌な実務知識」
「実際、食事会によって四名の関係性は改善しました。クロエ・シュヴァリエの暴走に対し、アイギス・アージェントは即座に盾を展開。リュウガ・シノノメは店員を保護。白銀桐子は回避行動を取りつつ状況把握。お姉様は完璧な制圧を実施。これは訓練成果と言えます」
「最後の私のところ削って」
「完璧な制圧を?」
「そこじゃない」
サニーは額を押さえた。
ナタリーは真剣だった。真剣に、修理費を経費で落とすための理屈を組み立てている。そこにサニーへの賞賛が混ざるので厄介なだけで、副官としては非常に頼りになる。
「飲食費はどうする」
「『特別クラス構成員の相互理解促進に必要な福利厚生費』」
「ドラゴン肉は」
「お姉様が任務中に確保した危険生物素材の有効活用」
「血は」
「吸血種構成員に対する高魔力血液素材の耐性確認」
「事前計画じゃない」
「事後的に訓練意義を確認した、で通します」
「強い」
ナタリーは胸を張った。
「お姉様のためなら、書類上の戦場でも勝利してみせます」
「戦場にするな」
サニーは申請書へ向き直った。
支出理由。
特別クラス初期連携構築を目的とした実地交流会、および突発的高魔力素材摂取事案への対応確認。
思ったよりまともに見える。
まともに見えることと、まともであることは違う。だが書類においては、まずまともに見えることが大事だった。サニーは長く軍にいるので、その程度には諦めている。
「破損理由」
サニーが言うと、ナタリーは別紙を差し出した。
「『吸血種構成員が格上魔獣由来血液素材を少量摂取した結果、一時的な酩酊および身体能力制御不全を発症。教官による即時制圧により人的被害なし。備品破損は訓練環境外での突発事案として発生したが、対応行動の迅速性により被害を最小限に抑制』」
「事実ではある」
「はい。事実を都合よく並べました」
「私の教育が行き届いてる」
「お姉様のご指導の賜物です」
「褒めなくていい」
サニーは書き写した。
書きながら、昨夜の光景を思い出す。クロエが卓を跳び越え、アイギスが盾を出し、リュウガが店員を庇い、桐子が転がりながら叫んでいた。
悪くない反応だった。
修理費さえなければ。
「金額」
サニーが聞くと、ナタリーは少しだけ目を逸らした。
「椅子二脚、卓一台、壁面装飾、清掃費、防護魔法再調整費、迷惑料」
「最後」
「店主様からの正式請求です」
「あいつ」
「お姉様の知人なのでしょう?」
「知人だから遠慮がない」
金額を見る。
サニーは無言で紙を伏せた。
ナタリーが心配そうに身を乗り出す。
「お姉様?」
「経費で落とす」
「はい」
「落ちなかったら」
「落とします」
「頼もしい」
二人は無言で頷き合った。
そこからの作業は早かった。ナタリーが文面を整え、サニーが署名し、余計な情緒表現を削り、必要な軍務上の意義を足す。ドラゴンステーキ会食は、書類の上でいつの間にか特別クラス初期連携確認および高魔力素材取扱時の危機対応観察に変わった。
嘘は書いていない。
全部は書いていないだけだ。
「これなら通るでしょう」
ナタリーが言った。
「たぶん」
「たぶん?」
「経理はたまに強い」
「お姉様より?」
「別方向に」
サニーは申請書を提出用の封筒に入れた。
* * *
翌日、申請書は戻ってきた。
却下。
理由、私的飲食および備品破損は通常経費として認められない。高魔力素材摂取に関する耐性確認は事前計画および許可がないため、訓練費への振替不可。危険生物素材の有効活用については、食材持ち込み先が軍施設外の飲食店であるため対象外。
追記。
ドラゴン血提供は教育上必要と認められない。
サニーは無言で却下通知を机に置いた。
ナタリーも無言だった。
部屋の空気が、少しだけ重くなる。
「負けた」
サニーが言った。
ナタリーは拳を握った。
「経理部、手強いですね」
「言ったでしょ」
「再提出しますか」
「無理」
「文面をさらに整えれば」
「追記で刺されてる」
ドラゴン血提供は教育上必要と認められない。
その一文は、妙に力強かった。経理担当者の固い意志を感じる。サニーは、こういう相手と長期戦をする気力がなかった。
「私が払う」
「お姉様」
「飲ませたの私。止めきれなかったのも私。店も私の知り合い」
「ですが」
「いい」
サニーは請求書を引き寄せた。
金額を見る。
見なかったことにしたくなる。
見なかったことにはできない。
ナタリーがそっと言った。
「お姉様、分割交渉なら私が」
「しなくていい」
「では、せめて店主様に迷惑料の減額を」
「あとで殴る」
「物理交渉は経費で落ちません」
「知ってる」
サニーは署名欄へ名前を書いた。
書類仕事は嫌いだ。
だが、子どもを食事に連れていくのが苦手だからといって、もう二度とやらないとは思わなかった。あの四人が同じ卓で少しだけ距離を縮めたなら、それには意味があった。
意味があった。
経費では落ちなかった。
その二つは、悲しいほど両立する。
ナタリーが真剣な顔で言った。
「お姉様、次回からは軍施設内で実施しましょう」
「次回」
「はい。次回の特別クラス親睦訓練です」
「親睦訓練」
「経費で落ちやすくなります」
サニーはしばらくナタリーを見た。
それから、少しだけ笑った。
「あんた、本当に優秀ね」
「お姉様に褒められました!」
「うるさい」
ナタリーは嬉しそうに敬礼した。
机の上では、却下通知が堂々と存在感を放っている。
サニーはそれを裏返し、次の申請書の余白に小さく書いた。
次回、軍施設内。
その下に、さらに小さく付け足す。
血は出さない。




