第19話
サニー・アージェントは、子どもを食事に連れていくのが得意ではなかった。
そもそも、誰かを世話することに向いていない。訓練ならできる。必要な技術を叩き込み、危険を見せ、死なない範囲で痛みを覚えさせることなら、いくらでもやれる。だが、合格祝いだの顔合わせだの、そういう柔らかい名目で場を用意するのは苦手だった。
それでも、必要だと思った。
特別クラスの四人は、同じ場所に放り込めば勝手に仲良くなるような組み合わせではない。
アージェント家の娘。
西部領の次代。
東部領の次期領主候補。
未来から落とされた出自不明の少女。
肩書きだけ並べれば、胃もたれする。
だから肉を食わせることにした。
単純でいい。強い生き物を狩り、焼き、食べる。緊張した子どもたちを同じ卓につかせる理由としては、それなりに分かりやすい。
王都の裏通りにある店は、サニーの古い知人が経営している。外観は小さな酒場に見えるが、奥には防音と防炎の魔法処理を施した個室があり、持ち込み食材にも対応できる。たまに第七班の連中が面倒な獲物を持ち込むので、店主も慣れたものだった。
「サニー、また厄介な肉持ってきたな」
「ドラゴン」
「見れば分かる。どこで狩った」
「仕事のついで」
「お前の仕事のついで、いつも食材の規模じゃないんだよ」
店主は文句を言いながらも、手際よく肉を厨房へ運ばせた。修理費の見積もりを先に出すべきだったかもしれない、とサニーは後で思うことになる。
個室に通された四人は、それぞれ分かりやすく反応が違った。
桐子は、石造りの個室と鉄板付きの大きな卓を見比べ、異世界の焼肉屋という顔をしている。アイギスは席順と退路と店員の動線を確認していた。リュウガは食材に興味を示しつつも、礼儀正しく姿勢を保っている。
クロエは、店の空気を値踏みしていた。
育ちが出る。
悪い意味ではない。彼女は常に、自分がどこでどう見られるかを気にしている。西部領の娘として、弱く見えないように。安く見えないように。雑に扱われないように。
「今日は合格祝い兼、顔合わせ」
サニーは席に着きながら言った。
「細かい作法はいらない。食べなさい。話しなさい。喧嘩は店の外で」
「喧嘩前提なんですか」
桐子が言った。
「しないならそれが一番」
「教官の言い方だと、しそうに聞こえます」
「しそうな面子でしょ」
否定する者はいなかった。
ドラゴンの肉が運ばれてくると、空気が変わった。厚く切られた赤身は、鉄板に置かれた瞬間、低い音を立てて脂を弾いた。普通の牛肉とは匂いが違う。魔力を多く含む獣肉特有の重さがあり、香辛料と合わさると、食欲より先に本能へ訴える。
桐子は真剣な顔で肉を見ていた。
「これ、本当にドラゴンなんですよね」
「そう」
「ドラゴンって、食べていいんですね」
「食べられるものは食べられる」
「雑」
アイギスが小さく笑った。
リュウガは焼け具合を見て、感心したように頷く。
「東部領でも竜種の肉は扱うが、この大きさは珍しい。かなりの個体だったのでは」
「まあまあ」
サニーが答えると、桐子が嫌そうな顔をした。
「サニーさんのまあまあ、信用できない」
「学習が早い」
クロエは肉そのものより、別のものに興味を示していた。厨房から運ばれてきた小さな瓶。濃い赤色の液体が入っている。
「肉があるなら、血もあるでしょう?」
その声に、サニーは嫌な予感を覚えた。
「一度飲んでみたかったの」
「やめときなさい」
即答する。
クロエの眉がわずかに上がった。
「理由は?」
「現時点のあんたより格上の生き物の血だから」
「吸血鬼が血を恐れてどうするの」
「恐れろとは言ってない。酔うって言ってる」
「少量なら問題ないわ」
その自信は、どこから来るのか。
サニーは店主へ視線を送った。店主は肩をすくめる。止めるなら客同士でやれ、という顔だった。
クロエは小さな杯にドラゴンの血を注いだ。濃い赤が、光を受けて黒く揺れる。桐子が不安そうに見ている。アイギスは何かあった時に盾を出せるよう、すでに指先へ魔力を集めていた。リュウガは止めるべきか迷っている顔だ。
サニーはため息をついた。
「一口だけ」
「分かっているわ」
クロエは杯を口へ運んだ。
数秒、何も起きなかった。
クロエは静かに杯を置き、優雅に微笑んだ。
「ほら、問題な——」
言葉の途中で、紫の瞳が据わった。
サニーは椅子から立った。
「全員、下がれ」
次の瞬間、クロエがテーブルを跳び越えた。
速い。だが、酔っているせいで軌道が雑だった。桐子が悲鳴を上げるより先に、アイギスの盾が展開される。クロエの手が盾へぶつかり、銀色の光が揺れた。
「ちょ、クロエさん!?」
「肉があるなら、もっと血もあるでしょう!」
「会話が成立してない!」
桐子が横へ転がる。リュウガが椅子を蹴って立ち、店員を庇う位置へ入った。アイギスは盾を二枚、三枚と増やして被害を卓の周辺に閉じ込めようとする。
特別クラスとしては悪くない反応だ。
店の備品としては最悪だった。
クロエが雷光を纏いかけた瞬間、サニーは踏み込んだ。
首根っこを掴む。
床へ落とす。
魔力の流れを押さえる。
以上。
クロエは床に押さえつけられたまま、しばらくじたばたしていた。吸血鬼の身体能力は高いが、酔った子どもの暴走を止めるくらいなら、サニーにとっては難しくない。
「離しなさい、私は西部領の」
「はいはい、次期領主次期領主」
「雑に扱うなさい!」
「噛んだ」
桐子が小さく呟き、アイギスが真面目な顔で首を横に振った。笑うなという意味だろう。リュウガは店員へ深々と頭を下げている。良い子だが、たぶんその謝罪はサニーの財布を救わない。
結局、壊れた椅子二脚、ひびの入った卓一台、壁の装飾少々が修理費に追加された。
サニー持ちである。
経費で通るかどうかは、明日の自分に任せることにした。
* * *
クロエが正気に戻った頃、会食の空気は少しだけ柔らかくなっていた。
失態を晒した本人は、耳まで赤くして黙っている。桐子はそれを見ないようにしながら肉を食べ、アイギスは淡々と水を差し出し、リュウガは何事もなかったように話題を変えようとしていた。
悪くない。
恥をかいた時に、周囲が笑い潰さず、しかし腫れ物にもせず、適当に流す。そういう関係は、戦場で意外と役に立つ。
食事が一段落した後、サニーはクロエを店の裏手へ呼び出した。
夜風が少し冷たい。裏口の石畳には、厨房から漏れる熱と香辛料の匂いが薄く流れている。表の個室では、桐子たちが店主に出された追加の菓子を囲んでいるはずだ。
クロエは腕を組み、まだ少し気まずそうにしていた。
「修理費は、後で西部領に」
「私が払う」
「そういうわけには」
「いい。飲ませた私の責任」
「止められましたけれど」
「止めきれなかった」
サニーは壁にもたれた。
クロエは強情だ。誇り高く、弱さを見せるのが下手で、立場に自分を縛りつける。ローザによく似ているところもあれば、似ていないところもある。
似ていないところは、ローザがいなかった時間の形なのだろう。
「クロエ」
名前を呼ぶと、クロエの表情が少し改まった。
「何かしら」
「ローザのこと」
その名を出した瞬間、夜風の温度が変わった気がした。
クロエの指先が強張る。
サニーは続けた。
「守れなかった。悪かった」
短い言葉だった。
それ以上を飾るつもりはなかった。ローザを救えなかった。そう思っている。事情があった。作戦があった。敵が想定より多かった。言い訳はいくらでも並べられる。
だが、クロエにとって必要なのは、言い訳ではない。
クロエはしばらく黙っていた。
「今さらですね」
「そう」
「母を知っている人は、皆、そういう顔をするわ。守れなかった。助けられなかった。申し訳ない。私にそう言って、それで少しだけ楽になろうとする」
言葉は鋭かった。
だが、サニーは受けた。受けるべきだと思った。
「そう見えるなら、そうなんでしょうね」
「否定しないの」
「否定できる立場じゃない」
クロエはサニーを見た。紫の瞳に怒りがある。悲しみもある。だが、それ以上に、崩れないための意地があった。
「私は、母のようになります」
「そう」
「西部領を背負えるくらい強くなる。誰にも、弱いとは言わせない」
その言葉は、祈りというより呪いに近かった。
サニーは少しだけ目を伏せる。
「強くなるのはいい。でも、ローザの代わりになる必要はない」
「分かったようなことを言うのね」
「分かってないから言ってる」
クロエが眉を寄せる。
サニーは夜空を見上げた。王都の明かりで星は薄い。それでも、いくつかは見える。
「分かってると思い込んで言う大人よりは、ましでしょ」
クロエは答えなかった。
沈黙が落ちる。
謝罪は受け入れられていない。たぶん、それでいい。今ここで簡単に許される方が、よほど不自然だ。ローザという名前は、クロエにとって軽く扱えるものではない。
「戻るわ」
クロエが言った。
「皆が待っているもの」
「そうしなさい」
クロエは店の中へ戻っていった。
サニーは一人、裏口に残った。
ローザ。
その名を胸の中で呼ぶと、古い記憶がざらついた。
葬儀。
土。
棺。
残された遺体。
あの時は、考える余裕がなかった。作戦の失敗、死者の確認、クロエの保護、西部領への説明。やるべきことが多すぎて、違和感を違和感のまま押し流した。
吸血鬼は、死ねば灰になる。
なのに、ローザの遺体は残っていた。
丸ごと。
あれは本当に、ローザだったのか。
サニーは目を細めた。
夜風が、厨房の熱を少しずつ奪っていく。店の中から、桐子の慌てた声と、アイギスの落ち着いた返事が聞こえた。リュウガが何か真面目に謝っている。クロエは、たぶん怒った顔で席へ戻っただろう。
子どもたちは、まだ知らない。
ローザの死に、何かが引っかかっていることを。
サニーは壁から背を離した。
今はまだ、言わない。
疑念だけを胸にしまい、店の扉へ手をかける。
中では、修理費の追加請求書が待っている気がした。
それはそれで、かなり現実的な恐怖だった。




