第18話
試験翌日の掲示板前は、思ったより静かだった。
もっと大きな発表があるのかと思っていた桐子は、拍子抜けした気持ちで人の流れに混ざっていた。昨日あれだけ観客が入り、賭け札が飛び交い、歓声と悲鳴が渦巻いていたのだから、結果発表も何か派手な式典になるのかと思っていたのだ。
だが実際には、養成所の中央棟に設置された大きな掲示板と、各自の端末へ送られる資料だけだった。
受験者たちが集まり、自分の名前を探し、喜んだり、肩を落としたりしている。入所そのものを受ける者もいれば、入所後の所属クラスを決めるために試験を受けた者もいる。だから反応は一様ではない。
桐子は端末の操作にまだ慣れていないので、掲示板を直接見ることにした。
隣にはアイギスがいる。
「緊張しているか」
「昨日も聞かれました、それ」
「今日は別の緊張だ」
「してます」
「私もだ」
アイギスはやはり落ち着いた顔で言う。
その顔で緊張していると言われても、桐子にはまだ判別が難しい。けれど昨日の試験で、アイギスも緊張するし、疲れるし、痛みに耐えるのだと知った。だから今は、その言葉をそのまま信じられる。
掲示板の一角に、特別クラスの項目があった。
例年、特別クラスは多くないらしい。卒業後の進路がすでに決まっている者、通常クラスでは扱いづらい適性を持つ者、第七班候補として個別に見る必要がある者。そういう生徒を、少人数で鍛えるための枠だと聞いている。
普通の生徒なら、成績や適性に応じて既存のクラスへ振り分けられる。基礎を学び、実地訓練を受け、卒業後の配属希望を出す。そこには競争もあるが、道筋はある程度決まっている。
特別クラスは、その道筋から少し外れた場所にある。
優秀だから選ばれる者もいる。面倒だから隔離される者もいる。あるいは、どちらとも言い切れない者もいる。桐子は自分がどれに当たるのか考えかけて、すぐにやめた。考えたところで、たぶん胃が痛くなるだけだ。
今年の対象者。
アイギス・アージェント。
クロエ・シュヴァリエ。
リュウガ・シノノメ。
白銀桐子。
自分の名前を見つけた瞬間、桐子は息を止めた。
「あった」
「ああ」
アイギスは静かに頷いた。
「同じだな」
「はい」
嬉しい、という言葉が最初に出てこなかったのは、同時に胃の辺りが重くなったからだ。特別クラスに入るということは、つまりサニーの訓練が続くということでもある。昨日の試験で傷だらけになった身体が、その事実を理解して震えた気がした。
「ようこそ、地獄へ」
背後から声がした。
桐子は振り返る前に、声の主を理解した。
サニーが、いつものだるそうな顔で立っていた。片手には紙の資料を持っている。昨日の試験で暴れたわけでもないのに、なぜか疲れて見えるのは、おそらく書類仕事のせいだ。
「その歓迎、二回目です」
「何度でも言う。慣れなさい」
「慣れたくないです」
サニーは薄く笑い、掲示板を見上げた。
「資料は公開されてる。大きな発表はなし。変に目立ちたくない家もあるし、変に目立つと面倒なやつもいる」
最後の視線が、桐子に向いた。
「私ですか」
「他に誰がいるの」
「否定してほしかった」
サニーは資料を差し出した。
桐子はそれを受け取る。特別クラスの選抜理由が簡潔にまとめられていた。アイギスは防衛適性と集団戦闘支援能力。クロエは西部領後継者としての進路と高い魔法戦闘能力。リュウガは東部領次期領主候補としての進路と多武器対応能力。
桐子の欄で、目が止まる。
異質な近接戦闘適性。
未知環境への適応力。
後見上の個別管理の必要性。
将来的な第七班運用適性の観察対象。
武具創造という言葉は、そこにはなかった。
「これ、私のことですか」
「そういうことにした」
「でっち上げ?」
「言い方。事実を都合よく並べた」
「それをでっち上げって言うんじゃ」
「合ってるからいい」
サニーは悪びれなかった。
桐子はもう一度資料を見る。武具創造を理由にされなかったのは、意図的なのだろう。まだ不安定で、出自とも結びつきやすい。公開資料に書くには余計な情報が多すぎる。
代わりに並んでいる言葉は、どれも間違いではない。
間違いではないが、自分が立派な候補者に見えるよう加工されている。
「サニーさん、こういうの得意なんですね」
「生きてると必要になる」
「嫌な説得力」
その時、近くでざわめきが起きた。
クロエ・シュヴァリエが掲示板の前へ来ていた。金髪を整え、今日も隙のない立ち姿をしている。彼女の周囲には自然と空間ができる。西部領の次期領主という肩書きは、ここでも十分に重いらしい。
少し遅れて、リュウガ・シノノメも姿を見せた。赤銅色の髪と、真っ直ぐな姿勢。彼もまた、周囲の視線を受け慣れているように見えた。
四人の名前が、同じ欄に並んでいる。
昨日、格上だと思った相手たち。
勝てなかった相手。
それでも、同じ場所に置かれた。
クロエが資料を見て、桐子へ視線を向けた。
「あなたもなのね」
「みたいです」
「妙な選抜理由」
「私もそう思います」
クロエは少しだけ目を細めた。
「否定はしないのね」
「できるほど詳しくないので」
「そういうところ、本当に妙だわ」
棘はある。だが、昨日の試合前ほど冷たくは感じなかった。
リュウガが資料を確認し、桐子とアイギスへ向き直る。
「これから同じクラスになる。よろしく頼む」
「よろしくお願いします」
桐子が頭を下げると、リュウガも真面目に返した。
「昨日の戦い、見ていた。負けはしたが、あの投槍と体術は見事だった」
「ありがとうございます。リュウガさんの試合も見ました。武器、あんなに変えるんですね」
「使えるものは使う。戦場で武器を選り好みしている余裕はないからな」
言葉が硬い。だが、嫌な硬さではなかった。真面目すぎるくらい真面目な人なのだろう。
アイギスが一歩前に出る。
「アイギス・アージェントだ。改めて、よろしく頼む」
「クロエ・シュヴァリエよ」
「リュウガ・シノノメだ」
「白銀桐子です」
四人が名乗る。
それだけのことなのに、桐子には何かが始まったように感じられた。
人間界では、真希と二人で道場に立つ時間が長かった。真希は親友で、ライバルで、桐子にとって強さの基準だった。その真希を、桐子は刺した。今も生死すら知らない。
ここにいる四人は、真希の代わりではない。
代わりになど、なるはずがない。
それでも、桐子はこの場所で誰かと並ぶことになった。
その事実が、少しだけ怖くて、少しだけ救いだった。
「さて」
サニーが手を叩いた。
「顔合わせも済んだところで、今日は合格祝い」
「合格祝い?」
クロエが眉を上げる。
「王都の店を押さえた。ドラゴンステーキ」
その言葉に、周囲の空気が少し変わった。
リュウガが真顔で頷く。
「ドラゴンか。豪勢だな」
アイギスも目を瞬かせた。
「教官、費用は」
「経費」
「本当に通るんですか」
「通す」
サニーは短く言い切った。
桐子はドラゴンステーキという言葉を頭の中で何度か転がした。ドラゴン。ステーキ。異世界らしいのか、食文化として受け入れていいのか、判断に困る。
「ドラゴンって食べるんですか」
「食べる」
「誰が狩ったんですか」
「私」
サニーは何でもないことのように答えた。
桐子は、もう驚くのを少し諦めた。
特別クラス。
サニー教官。
クロエ、リュウガ、アイギス。
ドラゴンステーキ。
地獄の入口にしては、妙に賑やかだった。
それでも桐子は、掲示板に並んだ四人の名前をもう一度見た。
ここから始まる。
たぶん、本当に。




