第16話
リュウガ・シノノメは、白銀桐子の敗北を最後まで見ていた。
勝者はクロエ・シュヴァリエ。結果だけ見れば、順当だった。西部領の次期領主と目される吸血鬼の令嬢が、出自不明の候補者を制圧した。それだけの話だ。
だが、内容はそれほど単純ではない。
桐子の動きは、魔界の武人のものと少し違っていた。武具創造で生み出す槍は未熟で、真っ直ぐですらない。魔力運用も荒い。普通なら、そこを突かれて終わる。
彼女は、そこで終わらなかった。
アトラトルを用いた投槍。距離を詰める足運び。武器を失ってからの体捌き。相手の関節と重心を見て、身体ごと崩しにいく技法。どれも洗練されきってはいないが、根にあるものが違う。
原始的、と言えば聞こえは悪い。
けれど、リュウガにはそうは見えなかった。
槍を投げる。近づく。掴む。崩す。倒す。
魔法や血統で飾る前の、武の根に近いものがそこにあった。
東部領の武は、武器の種類を選ばない。山も川も市街地も、戦場になる場所によって必要な道具は変わる。剣だけを磨く者もいれば、槍や棍を好む者もいるが、シノノメ家の者は使えるものを使うことを恥じないと教えられてきた。
だからこそ、桐子の投槍器は目を引いた。
洗練された名剣ではない。由緒ある武具でもない。だが、届かない距離へ届かせるために、身体の外へもう一つの関節を足す発想がある。未熟な魔法を、道具と技で補う意地がある。
その意地は、リュウガの知る武に近かった。
「面白いものを使う」
リュウガは小さく呟いた。
隣にいた東部領の従者が、首を傾げる。
「あの投槍器ですか」
「それもだ。だが、それだけではない」
桐子は負けた。
クロエが霧化を使った時点で、勝負は決まった。生物と非生物の境目をほどき、霧となって移動する。吸血鬼としては知られた能力でも、あの年齢で試験の場に実戦投入できる練度は尋常ではない。
クロエは強い。
そして桐子は、その強さに一手を使わせた。
リュウガは自分の掌を見た。幼い頃から武器を握ってきた手だ。東部領シノノメ家の者として、龍の血を引く者として、兄の背中を追う者として、鍛錬を怠ったことはない。
それでも、胸の奥にはいつも足りなさがある。
兄なら、どう見ただろう。
その思考が浮かんだ瞬間、リュウガは奥歯を噛んだ。比べるなと思う。だが、比べずにはいられない。兄なら、もっと正しく判断した。兄なら、もっと早く動いた。兄なら、そもそも誰かに庇われて死なれるような未熟は晒さなかった。
その考えを、リュウガは胸の奥へ押し込めた。
今は試験中だ。
自分の番が来る。
表示板が更新された。リュウガ・シノノメの名前が、次の戦闘区画に表示される。相手は二人。個人戦ではなく、短時間の変則戦闘だった。実戦では一対一だけを想定できないという、養成所らしい試験である。
リュウガは控え区画から歩き出した。
観客席のざわめきが近づく。東部領の名は、それなりに知られている。シノノメ家の者がどう戦うのか、見たい者も多いのだろう。
期待は重い。
だが、重いからこそ背負う意味がある。
結界内に入ると、相手の二人が武器を構えた。一人は槍、一人は短剣と小盾。遠距離からの魔法支援はない。ならば、先に流れを取る。
開始の笛。
リュウガは踏み込んだ。
基本は長短の二刀。右手の長剣で槍の穂先を払い、左手の短剣で間合いの内側を押さえる。相手が引こうとした瞬間、リュウガは長剣を捨てた。観客席がどよめく。
捨てたのではない。
槍を奪うために、手を空けた。
槍持ちの柄を掴み、踏み込みと同時に捻る。相手の腕から力が抜ける。奪った槍をそのまま横へ振り、短剣使いの進路を塞ぐ。小盾で受けられるが、受けた位置が悪い。盾ごと押し込む。
相手の武器を使う。
相手の不得手を作る。
乱戦になればなるほど、武器は落ち、位置は乱れ、選択肢は増える。リュウガにとって、それは混乱ではない。戦場に置かれた道具が増えるだけだ。
槍を投げる。
短剣使いが避ける。
その足元へ、さきほど捨てた長剣があった。
相手の視線が一瞬下がる。リュウガはすでに懐へ入っていた。肩からぶつかり、体勢を崩し、首元寸前で短剣を止める。
試験官の笛が鳴った。
終了。
息は上がっていない。だが、リュウガは自分の胸の奥にある焦りまでは抑えきれなかった。
勝った。
勝っただけだ。
もっと強くならなければならない。
結界の外へ出ると、観客席から拍手が起きた。東部領の従者が誇らしげに頭を下げる。リュウガは短く応じ、控え区画へ戻った。
その途中で、クロエ・シュヴァリエと行き合った。
彼女は戦闘後とは思えないほど整った姿で立っていた。金髪に乱れは少なく、紫の瞳も涼しい。だが、先ほど桐子と戦った時の熱の名残が、ほんのわずかに残っているように見えた。
「見事な試合だったわ、シノノメ」
クロエが言った。
「そちらこそ。霧化まで使わせるとは、白銀も大したものだ」
「ええ。少し、予想外だった」
クロエは認めた。
その率直さに、リュウガはわずかに目を細める。誇り高い相手ほど、自分の評価を簡単には曲げない。クロエがそう言うなら、桐子の善戦は本物だったのだろう。
「ところで」
クロエは何気ない声で続けた。
「東部領には優秀なお兄様がいるのでしょう? 機会があれば、顔つなぎをお願いしたいわ。西部領としても、東部領との関係は軽く扱えないもの」
リュウガの呼吸が、ほんの少しだけ止まった。
兄。
その言葉は、いつも突然に来る。
悪意はない。クロエは知らないのだろう。知らないからこそ、何気なく触れられる。
リュウガは表情を崩さなかった。
崩すわけにはいかなかった。
「いない相手を紹介は出来ないな」
短く答える。
クロエの目が揺れた。理解したのだろう。けれど、踏み込みすぎたと気づいた顔を、彼女はすぐに整えた。
「……そう。失礼したわ」
「気にしなくていい。知らなかったのなら、責める理由はない」
声は、思ったより硬くなった。
リュウガはそれを自覚しながらも、柔らかく直すことができなかった。強がりだ。だが、ここで痛みを見せれば、自分が兄の影に押し潰されていることまで晒すことになる。
それだけは、したくない。
クロエは少しだけ頭を下げた。
「では、別の形で縁を作りましょう。特別クラスの候補として、あなたとは今後も関わりがありそうだもの」
「そうだな」
リュウガは頷いた。
特別クラス。
通常の枠に入れにくい者たち。進路がすでに決まっている者、第七班候補、領地の後継、異質な力を持つ者。そこに自分が入り、クロエが入り、アイギスが入り、おそらく桐子も入る。
桐子。
リュウガは控え区画の端で治療を受けている少女へ視線を向けた。彼女はアイギスに何か言われ、悔しそうな顔で反論している。負けた直後なのに、目はまだ折れていない。
あの戦い方は、東部領の武とも違う。
だが、学ぶものはある。
リュウガは自分の手を握った。
兄の代わりでは足りない。
兄の名に縋るだけでは、何も守れない。
もっと強くならなければならない。武器を選び、状況を読み、誰かの前に立てるだけの強さを。
そのためには、同年代の強者を知る必要がある。
クロエの雷。アイギスの盾。桐子の異質な武。どれも東部領で見てきたものとは違う。違うからこそ、目を逸らすわけにはいかなかった。兄ならどうしたかではなく、自分なら何を学べるかを考えなければならない。
会場の歓声が、次の試験開始を告げていた。
リュウガはその音を聞きながら、胸の奥に沈めた痛みを、もう一度硬い決意で覆った。




