第14話
入所試験の会場は、桐子が思っていたよりもずっと騒がしかった。
養成所の大闘技場。
そう呼ばれる場所へ足を踏み入れた瞬間、歓声とざわめきが波のように押し寄せてくる。円形の戦闘区画を囲む観客席には、軍関係者だけでなく、一般客らしい人々も大勢詰めかけていた。制服姿の生徒、受験者の家族らしき者、商人風の男女、腕組みをした兵士たち。売店まで出ていて、肉を焼く匂いと甘い飲み物の香りが混ざっている。
試験というより、祭りだった。
だが、中央の戦闘区画を覆う淡い光だけは、祭りの空気から少し浮いていた。目に見えるほど薄い膜が、地面から観客席の手前までを包んでいる。結界だと説明された。致命傷や後遺症を防ぎ、受験者が外へ出ると損傷の多くを軽減する。細かな仕組みは分からないが、少なくとも運営は安全だと判断しているらしい。
それでも、痛みはある。
恐怖も、敗北も、消えない。
桐子は背中の短槍と、腰に固定したアトラトルを確認した。手のひらには汗が滲んでいる。
「緊張しているか」
隣でアイギスが言った。
「してないって言ったら嘘になります」
「私もだ」
意外で、桐子はアイギスを見た。
アイギスの表情はいつも通り落ち着いている。だが、よく見ると指先に力が入っていた。彼女も緊張するのだ。当たり前のことに、少しだけ安心する。
「賭け札の締め切りは、第一試合開始五分前まででーす!」
遠くで係員が声を張り上げていた。
桐子は耳を疑った。
「賭け?」
「公認だ」
アイギスは淡々と答えた。
「毎年恒例の行事でもある。収益の一部は軍と養成所の運営費に回される」
「試験で賭け事」
「次世代への期待、娯楽、一攫千金。王都ではそういうものとして受け入れられている」
異世界の文化は、時々とても近代的で、時々ひどく豪快だった。
観客席の表示板には、受験者の名前や簡単な公開情報が並んでいる。桐子は自分の欄を見つけた。
白銀桐子。
後見人、サニー・アージェント。
出自欄は空白に近い。
それだけだった。
周囲の受験者たちが、ちらちらとこちらを見る。サニー・アージェントの名前は、それだけで目を引くらしい。出自不明という空白も、噂を呼ぶには十分だった。
「あれがサニー教官の秘蔵っ子?」
「聞いたことない名前だな」
「後見人ってことは、どこかの隠し子か?」
「倍率、妙に荒れてるぞ」
好き勝手な声が、背中に刺さる。
桐子は聞こえないふりをした。気にしても仕方ない。自分の本当の事情を、彼らが知ることはない。知ったところで、たぶん理解できない。
観客席の一角に、サニーの姿があった。試験官席ではなく、教官や関係者が並ぶ席だ。合否に直接口を挟む立場ではないと聞いている。ただ、クラス分けには意見を出せるらしい。
サニーは腕を組み、退屈そうに会場を見下ろしていた。
あの人が退屈そうな時ほど、何かを見ている。
桐子はそう学び始めていた。
試験官の説明が始まる。第一段階は集団戦闘。複数の受験者が二組に分かれ、一定時間内の戦闘継続能力、連携、判断力を評価される。純粋な勝敗だけではなく、役割の理解や危機対応も見るらしい。
桐子とアイギスは同じ組だった。
ただし、戦力表を見る限り、こちらの組はやや不利だった。相手側には事前評価の高い攻撃役が二人いる。こちらは人数こそ同じだが、前に出られる者が少ない。
「狙われるな」
アイギスが言った。
「私が?」
「いや、私たち全体が。相手は火力で押せる構成だ。こちらは崩れたら一気に持っていかれる」
「じゃあ、崩れないようにする」
「そうだ」
アイギスは静かに頷いた。
戦闘区画へ入ると、足元に淡い光が走った。結界の内側に入ったのだと分かる。空気が少し重い。音も、観客席から一枚隔てられたように聞こえた。
試験開始の合図が鳴る。
相手側が動いた。
早い。
前衛二人が同時に踏み込み、後衛が魔法の光を構築する。桐子は反射的に短槍を取ろうとしたが、その前にアイギスの盾が前へ出た。
手に持った盾ではない。
空間に置かれた盾だった。
半透明の銀色の板が、桐子の前、味方の前、少し離れた斜め上に次々と生まれる。相手の魔法弾が盾に当たり、光を散らした。直後、別の前衛が横へ回り込もうとする。
「左」
アイギスの声。
桐子は迷わず動いた。
盾の陰から横へ抜け、アトラトルに短槍を掛ける。投げる瞬間、サニーに何度も言われた言葉が頭をよぎった。
見えてから動くな。
動く前に見ろ。
桐子は相手の足の向き、肩の開き、視線の流れを見る。狙うのは胴ではない。踏み込もうとした足元。
放つ。
短槍が地面すれすれを走り、相手の足元へ刺さった。直撃ではない。だが、踏み込みは乱れる。そこへ味方の一人が魔法を合わせた。
相手が後退する。
歓声が上がった。
桐子の心臓が跳ねる。
当たったわけではない。倒したわけでもない。それでも、相手の動きを止めた。戦いの中で、自分の一手が意味を持った。
「次、右上」
アイギスが言った。
桐子は反応する。
空中から落ちてきた魔法弾を、アイギスの盾が斜めに受け流した。防ぐだけではない。角度をつけて逸らし、味方の射線を開ける。彼女は戦場全体を見ていた。誰が押され、どこが薄く、どこに盾を置けば一秒を稼げるのか。
優秀な盾役の凄さは、目立つ攻撃では分からない。
崩れない。
崩させない。
相手が強引に突破しようとするたび、アイギスの盾がそこにある。完全に止められなくても、角度をずらす。威力を落とす。味方が立て直す時間を作る。
その時間を、桐子が使う。
アトラトルで投げる。届かない距離なら走る。歪な槍を短く出して相手の武器を弾き、接近されたら黒峰流の足運びで外へ逃げる。まだ未熟だ。正面から勝てる相手ではない。だが、アイギスの盾があると、無茶に見える動きのいくつかが選択肢になる。
「あの盾役、誰だ」
「アージェント家の子だろ」
「硬いな」
「いや、硬いだけじゃない。配置が上手い」
観客の声が結界越しに滲む。
アイギスの名が、少しずつ会場に広がっていく。
桐子は誇らしさに似たものを感じた。自分のことではないのに、胸が熱い。
その一瞬、相手の前衛が桐子へ踏み込んだ。
速い。
桐子は短槍を捨て、歪な槍を手の中に生む。棒状の金属は相変わらず曲がっていた。だが、今はそれでいい。相手の剣を受けず、柄の側面でずらし、体を沈める。
懐へ入る。
黒峰流の肘が、相手の防具へ叩き込まれた。
結界内の防護が衝撃を鈍らせる。それでも相手の呼吸は乱れた。桐子はすぐに離れ、アイギスの盾の陰へ戻る。
長くは戦えない。
だが、短くなら戦える。
試験官の笛が鳴った。
終了の合図だった。
桐子はそこで初めて、自分の息が荒くなっていることに気づいた。腕が震えている。肩も痛い。結界の中で受けた細かな傷が、外へ出れば軽くなると聞いていても、今この瞬間の疲労は本物だった。
結果は、判定で桐子たちの組の勝ちだった。
観客席が湧く。賭け札を握った誰かが叫び、別の誰かが頭を抱えている。軍関係者らしい者たちは冷静に記録を取り、試験官たちは評価用の端末へ何かを入力していた。
「勝った」
桐子が呟くと、アイギスは小さく息を吐いた。
「皆が持ちこたえたからだ」
「アイギスが持たせたからでしょ」
「桐子も、よく動いていた」
褒められると、どう反応していいか分からない。
桐子は照れ隠しにアトラトルを腰へ戻した。
戦闘区画を出ると、結界の内側で受けた痛みがふっと軽くなった。擦り傷のように残った箇所はあるが、深い損傷は消えている。便利だと思う。便利すぎて、少し怖いとも思う。
控え区画へ戻る途中、会場の別の戦闘区画で大きな歓声が上がった。
桐子はそちらを見る。
金髪の少女が、雷のような光をまとって立っていた。華奢な体つきなのに、周囲を圧する存在感がある。相手の魔法を霧のように避け、次の瞬間には雷撃で制圧する。その姿は、美しく、怖かった。
「クロエ・シュヴァリエ」
アイギスが言った。
「西部領の次期領主と目されている」
別の区画では、赤銅色の髪をした少年が武器を持ち替えながら相手を崩していた。長短の二刀を使っていたかと思えば、落ちた槍を拾い、次には相手の剣を奪っている。動きは派手ではないが、乱戦の中で妙に強い。
「リュウガ・シノノメ。東部領の次期領主候補だ」
どちらも強い。
先ほどの集団戦で得た小さな自信が、あっさりと現実に押し返される。
桐子は自分の手を握った。
勝てるとは思わない。
それでも、見ているだけで終わるつもりはない。
表示板が更新された。
次の試験組み合わせ。
白銀桐子。
クロエ・シュヴァリエ。
観客席が、また大きくざわめいた。
桐子はその名前を見上げ、喉の奥で息を呑んだ。
祭りのような会場の真ん中で、次に自分が立つ場所だけが、急に遠く見えた。




