第13話
試験前日の夕方、桐子の手の中には、また歪な金属塊が生まれていた。
槍、と呼ぶには無理がある。
長さだけはそれらしい。棒状ではある。だが途中でゆるく曲がり、表面は波打ち、先端は鋭いというより欠けた杭に近かった。力を込めると少しだけ形が整うが、集中が途切れた瞬間に崩れていく。
桐子は息を吐き、魔力の流れを止めた。
金属塊が銀の光になって消える。
「また駄目だ」
自分で言って、嫌になる。
一週間、訓練した。
サニーに叩きのめされ、アイギスと走り、基礎魔力操作を教わり、手のひらが熱を持つほど武具創造を繰り返した。最初に比べれば、出せる時間は伸びた。形も少しだけ槍に近づいた。
だが、明日の試験で使えるかと聞かれれば、答えは苦しい。
まともな武器を持つ相手と戦うには頼りない。魔法を使う相手なら、なおさらだ。
訓練場の端で、アイギスが浮遊盾の配置を確認している。彼女の盾は、まだ数も位置も不安定だが、一週間前とは別物になっていた。手に持つ盾。足元を守る盾。少し離れた場所に置く盾。すべてを完璧に扱えているわけではない。それでも、守る範囲は明らかに広がっている。
桐子も成長していないわけではない。
けれど、成長しているからこそ、足りなさが見える。
「悩んでる顔」
サニーが言った。
桐子は振り返った。サニーは訓練場の柵にもたれ、片手に紙袋を持っている。中身は焼き菓子らしい。訓練中に食べるものではないと思うが、この人に常識を期待しても仕方ない。
「悩んでます」
「なら出かける」
「今からですか」
「今から」
サニーは紙袋を桐子へ投げた。
受け取ると、甘い匂いがした。
「食べなさい。歩きながら」
「餌付け?」
「燃料補給」
言い方が軍だった。
桐子はアイギスに声をかけ、サニーの後を追った。
王都の夕方は、人間界の街に少し似ていた。仕事を終えたらしい人々が店へ流れ、学生たちが制服姿で笑い合い、屋台からは香辛料と焼けた肉の匂いが漂っている。石造りの街並みと魔導具の光が混ざる景色にも、桐子は少しずつ慣れ始めていた。
慣れることに、ほんの少し罪悪感がある。
真希がいない世界に、慣れてしまうみたいで。
桐子は焼き菓子を小さくかじった。甘さが舌に広がる。美味しいと思ってしまう自分が、少しだけ嫌だった。
「ここ」
サニーが立ち止まったのは、大通りから少し外れた店だった。
看板には鍛冶屋を示す意匠があり、扉の向こうから金属を打つ音が聞こえる。中へ入ると、壁一面に武器が並んでいた。剣、槍、斧、短剣、弓。人間界の道場ではまず見ない種類の武器まである。
桐子は思わず足を止めた。
武器屋という場所には、もっと物騒な印象を抱いていた。だが店内は整然としていて、道具屋に近い。農具や調理器具が使い道ごとに並ぶように、武器もまた目的に応じて置かれている。
奥から、煤けた前掛けをした職人が出てきた。年齢は分かりにくい。魔族の見た目をそのまま信じていいのか、桐子にはまだ判断できなかった。
「珍しいな、サニー。壊す方じゃなく買う方か」
「今日はこの子」
サニーが桐子を指す。
職人の視線が桐子へ向いた。値踏みというより、体格や手の形を見ている目だった。
「武器は」
「槍、のはずです」
「はず?」
桐子は手のひらに魔力を集めた。
歪な銀の槍が生まれる。店内の明かりを受けて光るそれを、職人は黙って見た。笑うでもなく、驚くでもなく、ただ観察する。
「なるほどな。創ることはできるが、整えるのが追いついていない」
「はい」
「投げたことは?」
「少しだけ」
「当てたことは」
「……訓練では」
サニーに当たったことはない。掠らせることも難しい。
職人は棚の一つから、奇妙な形の道具を取り出した。短い棒のように見えるが、先端に引っかける部分がある。桐子はそれを見て、記憶の奥にある知識を探った。
「投槍器?」
「知ってるのか」
「名前だけ。アトラトル、でしたっけ」
「そうだ」
職人はそれを桐子へ渡した。
思ったより軽い。手に持つと、棒というより腕の延長のような感覚がある。
「槍が歪でも、投げる瞬間に使う長さと重心が読めれば飛ばせる。お前の魔法は『創る』ことだ。なら、生み出した武器を最も効率よく運用する術を考えろ」
その言葉が、桐子の胸に落ちた。
創ること。
桐子はずっと、まともな槍を作ることばかり考えていた。真っ直ぐで、鋭く、誰が見ても槍だと分かる形。そうでなければ戦えないと思っていた。
だが、今の自分が作れるものが歪な槍なら、歪な槍の使い方を考えるべきなのかもしれない。
「これで、遠くから投げる」
「それだけじゃない」
職人は別の棚から、短めの槍を数本取り出した。
「予備だ。魔法が乱れた時、手元に何もないと死ぬ。創った武器に頼るのはいいが、創れない時のことも考えろ」
桐子は短槍を手に取った。こちらは本物の金属だった。重さがある。握りの感触も、刃の冷たさも、魔法で生み出したものとは違う。
「買います」
即答してから、桐子はサニーを見た。
「お金」
「経費」
「便利ですね、経費」
「便利に見える時は、だいたい後で書類が来る」
サニーは嫌そうな顔をした。
職人は少しだけ笑い、桐子の手に合わせてアトラトルの握りを調整してくれた。短槍は背負えるように束ね、訓練着に固定するための簡易具も用意される。
その間、桐子は店の奥にある試し投げ用の小さな区画を借りた。
最初の一投は、ひどかった。
短槍は的の上を大きく越え、壁の防護膜に弾かれて落ちた。二投目は地面に刺さった。三投目で、ようやく的の端に当たる。
アトラトルを使うと、腕だけで投げるよりも速く、遠くへ飛ぶ。その代わり、力の伝わる瞬間が難しい。黒峰流で身につけた体重移動を合わせようとすると、道具のしなりと噛み合わない。
桐子は何度も投げた。
肩が熱くなる。手首が痛む。だが、不思議と嫌ではなかった。自分の体と、道具と、槍の重さ。その三つを合わせていく感覚は、道場で技を磨いていた時に近い。
真希と打ち合っていた時間が、ふいに蘇る。
真希なら、初見でどこまで見抜いただろう。
そう思って、胸が痛んだ。
桐子は次の短槍を取る。痛みごと、足を踏み出す。
放つ。
短槍が的の中央近くへ刺さった。
「悪くない」
職人が言った。
サニーも腕を組んで見ている。
「明日の試験で勝てますか」
桐子が聞くと、サニーは少しも慰めなかった。
「相手による。強い相手には普通に負ける」
「ですよね」
「でも、負け方は変わる」
その言葉に、桐子は顔を上げた。
「何もできずに倒れるのと、相手に一手使わせて倒れるのは違う。相手に一手使わせられるなら、次は二手使わせる可能性が出る」
「負け前提」
「今のあんたはそれでいい」
サニーの声は冷たいようで、突き放してはいなかった。
負けることを許されているのではない。
負けても、そこから拾えと言われている。
桐子はアトラトルを握り直した。
「もう少し投げます」
「腕を壊すな」
「壊れる前にやめます」
「壊れてから気づく顔してる」
否定できなかった。
職人が短く笑い、予備の短槍を追加で持ってきた。
試験前日の夕方は、金属の匂いと、的に槍が刺さる音で過ぎていった。桐子の武具創造は、まだ歪なままだ。真っ直ぐな槍にはならない。鋭い穂先も、安定した柄も、思うようには生まれない。
けれど、手の中にはアトラトルがある。
背には本物の短槍がある。
自分の体には、黒峰流で叩き込まれた動きがある。
何もないわけではない。
何もできないわけでもない。
店を出る頃、王都の空は濃い藍色に沈んでいた。街灯代わりの魔導具が道を照らし、石畳に薄い光を落としている。
桐子は背中の短槍の重さを確かめた。
明日の試験で、自分はきっと負ける。
だが、ただ負けるつもりはなかった。




