第11話
翌朝、桐子は訓練場の土の上で、自分の考えが甘かったことを知った。
サニーが容赦ないという話は聞いていた。アイギスも真剣な顔で警告してくれた。だから桐子は、覚悟していたつもりだった。
つもりだっただけだ。
銀色の影が視界の端で揺れたと思った瞬間、腹に衝撃が入る。息が詰まり、体が浮き、背中から地面へ叩きつけられた。訓練場に敷かれた特殊な土が衝撃を吸ってくれなければ、今ので骨の何本かは折れていたかもしれない。
「起きなさい」
サニーの声は平坦だった。
桐子は咳き込みながら身を起こす。涙が滲むほど痛い。だが、目の前のサニーは汗一つかいていなかった。
少し離れた場所では、アイギスも膝をついていた。彼女の前には半透明の盾が二枚、かろうじて形を保って浮かんでいる。浮かんでいると言っても、アイギスの腕に支えられた大きな盾と、足元を守る小さな盾だ。どちらも縁が欠け、魔力の光が不安定に揺れていた。
サニーは一人しかいない。
なのに、桐子とアイギスは同時に追い詰められている。
サニーは桐子へ踏み込み、投げ飛ばし、次の瞬間にはアイギスの盾を殴っていた。距離も、姿勢も、流れも関係ない。まるで訓練場全体がサニーの間合いで、桐子たちはそこに置かれた的でしかないようだった。
「桐子、武具創造」
「はいっ」
桐子は手のひらに意識を集めた。
銀の光が滲む。棒状の金属が手の中に生まれようとして、途中で曲がった。槍と呼ぶにはあまりに歪で、先端も鈍い。昨日よりは長く保てている。だが、武器として信用するにはまだ遠かった。
それでも、握る。
サニーが来る。
桐子は黒峰流の足運びで半歩引き、歪な槍を斜めに構えた。正面から受ければ潰される。流す。受けず、ずらす。真希と何度も打ち合った時の感覚を、必死に引き出す。
サニーの手が槍の側面を叩いた。
金属が悲鳴を上げる。桐子の手首が弾かれ、体勢が崩れた。次の瞬間、足払いが来る。
見えた。
見えたのに、避けられなかった。
背中から落ちる。肺の空気が抜ける。
「見えてから動くな。動く前に見ろ」
「無茶言わないでください」
「無茶を通すために訓練してる」
サニーはそう言って、振り返りもせずに腕を伸ばした。
離れた場所で、アイギスの盾が砕けた。サニーが投げた小石が、盾の中心を正確に撃ち抜いたのだと気づくまで、桐子には少し時間がかかった。
小石。
ただの小石で、盾が割れた。
アイギスはすぐに次の盾を作る。だが、額には汗が浮かび、呼吸は荒い。盾を構え続けるだけでも相当な負担があるのだろう。
「アイギス、盾を増やすのが遅い」
「はい」
「守る場所を考えてから作ってる。遅い。考える前に候補を置け」
「はい」
サニーの指示は短い。
褒めない。慰めない。できていないところだけを正確に突く。
桐子は立ち上がりながら、アイギスの動きを見た。アイギスは大きな盾を両手で支え、もう一枚を肩の高さへ出している。どちらも手で扱うことを前提にしているように見えた。
守る人間が、守る場所へ盾を持っていく。
当然の動きだ。
けれど、サニーは速すぎる。持っていくより先に攻撃が来る。桐子も同じだ。槍を構えようとした時には、もう間合いを潰されている。
桐子は息を整えながら言った。
「その盾、持たなきゃダメなの?」
アイギスの動きが、わずかに止まった。
サニーの目が桐子へ向く。
「続けなさい」
「え、今の、怒られる流れじゃないんですか」
「いいから」
桐子は慌ててアイギスへ視線を戻した。
「いや、私の魔法は槍だから、手に持つしかないって思ってたんだけど。アイギスの盾って、出した瞬間からそこに置けるなら、別に腕で持ってなくてもいいんじゃないかなって」
言葉にしながら、桐子自身も考える。
槍は刺すもの。盾は守るもの。だが、武具創造は手に持つ武器だけを作る魔法なのだろうか。サニーは、武具を創る魔法だと言った。なら、創った後の扱い方は本人次第なのかもしれない。
アイギスは、自分の手元の盾を見た。
「持たずに、配置する」
小さく呟く。
次の瞬間、サニーが動いた。
桐子は反射的に構えたが、サニーの狙いはアイギスだった。拳が真っ直ぐにアイギスの肩へ向かう。今の体勢では、大きな盾を持ち上げても間に合わない。
だが、アイギスの目の前に、小さな盾が生まれた。
手から離れた位置に。
光の板が拳を受け、嫌な音を立てて砕ける。防ぎきれてはいない。衝撃はアイギスの肩へ届き、彼女は後ろへ数歩下がった。
それでも、直撃ではなかった。
サニーの口元が、ほんの少しだけ動いた。
「遅い。でも発想は悪くない」
それは、たぶん褒め言葉だった。
アイギスは肩を押さえながら、息を吐いた。
「もう一度、お願いします」
「言わなくてもやる」
サニーが踏み込む。
そこからの訓練は、さらに酷くなった。
桐子は歪な槍を出しては壊され、手首を打たれ、転がされ、立たされた。アイギスは盾を持つ形と、空間に置く形を何度も試し、そのたびにサニーに隙を突かれた。二人が互いを庇おうとすれば、サニーはその庇い方ごと潰してくる。
「庇うなら、庇われる側の動きまで決めなさい。勝手に助けに入るな。助けられる側も止まるな」
言われて、桐子は歯を食いしばる。
アイギスの盾が自分の前に出る。その瞬間、桐子は盾の陰へ沈み込むように体勢を低くし、横へ抜けた。サニーの視線が一瞬だけ盾に吸われる。その間に、桐子は歪な槍を投げるのではなく、短く握って踏み込んだ。
当たらない。
サニーは首を傾けるだけで避けた。
だが、避けさせた。
それだけで、桐子の中に小さな熱が灯る。
「今のはいい」
サニーが言った。
桐子は驚いて返事が遅れた。
「はい」
「でも遅い」
「はい」
褒められたのか落とされたのか分からない。
それでも、次はもっと速く動ける気がした。
昼を過ぎる頃には、桐子の足は震えていた。握力はほとんど残っておらず、歪な槍を作ろうとすると指先が痙攣する。アイギスも膝に手をつき、肩で息をしている。彼女の周囲には砕けた盾の光が雪のように散って、消えていった。
サニーだけが平然としていた。
「今日はここまで」
その言葉を聞いた瞬間、桐子は地面に座り込んだ。アイギスも、少し遅れてその場に腰を下ろす。
訓練場の空は高かった。異世界の空も、人間界の空と同じように青い。そんな当たり前のことが、今はひどく遠く感じる。
「生きてる?」
隣からアイギスの声がした。
「ぎりぎり」
「同じだ」
アイギスは真面目に頷いた。
桐子は笑おうとして、腹の痛みに顔をしかめた。
「アイギスの盾、さっきのすごかった」
「桐子の発言のおかげだ。持たなくていいという発想はなかった」
「思いついただけで、やったのはアイギスだから」
「そうか」
アイギスは少しだけ考え、それから言った。
「なら、互いの手柄ということにしよう」
「共同戦果?」
「共同戦果」
軍の言葉らしい響きに、桐子は少し笑った。
痛い。体中が痛い。サニーとの実力差は、遠いどころではない。空と地面ほど離れている。自分の力はまだ武器と呼ぶにも頼りなく、アイギスの盾も完成にはほど遠い。
それでも、昨日より一つだけ分かったことがある。
自分たちは、ひとりで殴られているわけではない。
隣で同じように息を切らしている相手がいる。庇い、庇われ、失敗して、また立つ相手がいる。
サニーが訓練場の端から言った。
「休憩終わり。午後は基礎体力」
桐子は空を見たまま固まった。
アイギスも固まった。
「今、今日はここまでって」
「午前の部が」
サニーは悪びれなかった。
桐子はアイギスを見た。アイギスも桐子を見た。
そこに言葉はなかった。
ただ、同じ絶望があった。
それでも二人は、ほとんど同時に立ち上がった。
立ててしまったことが、少しだけ悔しかった。




