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いずれ空へと続く道  作者: 白銀スーニャ
第2章:東の死と不死と未来
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第66話

 リュウガが行政庁舎の広間へ入ると、武闘会場とはまるで違う静けさが待っていた。

 会場の歓声も、刃の音も、龍真の身体が床に沈む重さもここにはない。代わりにあるのは、紙をめくる音、印を押す音、低く交わされる確認の声だった。東部領の行政は、いくつもの種族の代表によって運営されている。武を尊ぶ土地でありながら、武だけで物事を決めないための仕組みでもあった。

 その仕組みの一部だった伯耀は、すでに席を失っている。

 捕縛の瞬間は、あっけなかった。

 龍真の身体が止められ、不滅の魔石が破壊された後、伯耀の周囲にいた者たちが一斉に距離を取った。手続きを盾にしていた男は、手続きが崩れた瞬間、ただの罪人になった。サニーが動き、抵抗の芽を折り、東部領の警備が引き継いだ。そこに大きな見せ場はない。

 罪人は罪人として扱われる。

 それだけだった。

 広間の奥には、現在の行政担当者たちが並んでいる。名を覚えるべき相手なのだろう。だが、この場で個々の名が前に出ることはなかった。東部領として、次代を認める。その形式が必要なのだと、リュウガは理解していた。

 席の配置にも、東部領らしさが出ていた。

 狐、龍、鬼、鳥、猿、蛇。種の違いを隠すのではなく、それぞれが見える形で座っている。声の大きい者だけが支配するのではない。強い者だけが決めるのでもない。だからこそ、武闘大会の結果を行政の場で改めて言葉にする必要がある。

 リュウガがこれから背負うのは、剣で斬れる相手だけではない。

 アイギスは少し後ろに立っている。サニーも壁際にいた。腕を組み、眠そうな顔をしているが、何かあればすぐ動ける位置だ。

 古都子の姿はない。

 この場へ立つよう打診があったと、リュウガは聞いていた。彼女は断ったらしい。東部領の未来を視た者として、あるいは龍真の選択に関わった者として、ここに立つ資格があると考える者もいたのだろう。だが古都子は、表に立つより先に片付けるべきものがあると言った。

 それでいい、とリュウガは思った。

 彼女の罪も、役目も、他人が壇上で都合よく使うべきものではない。

 進行役の行政担当者が、一歩前へ出た。

「東部領次期代表選定に関する一連の審査について、行政評議会より結果を告げる」

 広間の空気が締まる。

 武闘部門は定形通りでは終わらなかった。候補者の一人は死体を利用した不正な参加者であり、その背後には評議会内の者が関わっていた。通常なら選定そのもののやり直しもあり得る。

 それでも、この場で結論を出す必要があった。

 東部領は揺らいでいる。揺らいだまま放置すれば、伯耀が作った混乱は別の形で広がる。誰かが立たなければならない。

 リュウガは拳を握りかけ、すぐに開いた。

 力むな。

 サニーに何度も言われた言葉が、身体の奥で響く。力を入れれば強くなるわけではない。背負うものが重いからといって、肩にだけ力を入れても潰れる。

「筆記、素行調査、行政理解、各地区からの照会、ならびに武闘部門における最終評価を総合し、評議会は東雲龍牙を次代の代表候補として公的に認める」

 代表候補。

 まだ正式な継承ではない。だが、その一言は重かった。

「異例の事態ではあった。だが、異例の事態においてこそ、候補者が何を選び、誰と共に立つかは明らかになる。東雲龍牙は、過去の名声に寄りかからず、現在の己と仲間によって、東部領へ向けられた歪みを退けた」

 リュウガは頭を下げた。

「謹んで、お受けいたします」

 声は思ったより落ち着いていた。

 少年のように焦っていた自分は、まだ消えていない。兄の背中を追い、兄の代わりになろうとしていた自分も消えない。だが、そのままでは立てないことを知った。

 兄は兄だ。

 自分は自分だ。

 東部領の次代として立つなら、誰かの代わりではなく、東雲龍牙として立たなければならない。

 行政担当者が続ける。

「今後、評議会は継承に向けた調整を進める。東雲家、および各地区代表との協議を経て、正式な手続きへ移行する」

 紙の上では、まだ多くの段階が残っているのだろう。

 だが、空気は変わった。

 リュウガを見る目が、次期候補の一人を見るものから、次代へ向かう者を見るものへ変わっていく。その視線は期待だけではない。試す目もある。疑いもある。龍真の身体が使われたことへの痛みもある。

 そのすべてを受ける。

 リュウガは顔を上げた。

「東部領を乱した者たちへの処分と調査には、全面的に協力します。兄の身体が利用された件についても、身内の情で判断を曇らせるつもりはありません」

 喉の奥が痛んだ。

 それでも言う。

「ただし、東雲龍真の名は、罪人の道具としてではなく、東部領のために生き、東部領のために死んだ者として扱っていただきたい」

 広間の奥で、誰かが小さく頷いた。

 アイギスの気配が、背後で少しだけ柔らかくなる。見なくても分かった。彼女は何も言わないだろう。けれど、盾のようにそこにいる。それが今のリュウガにはありがたかった。

 サニーが壁際であくびを噛み殺している。

 緊張感がない、と言いたくなる。だが、その姿を見て、リュウガは少しだけ肩の力を抜けた。世界のすべてが重苦しくなる必要はない。重いものは重いまま、持ち方を覚えればいい。

 式は長く続かなかった。

 必要な言葉が交わされ、印が押され、書類が整えられる。武の場で決まったものを、行政の場で形にする。東部領はそういう土地なのだと、リュウガは改めて知った。

 広間を出る直前、行政担当者がリュウガへ小さく頭を下げた。

「若すぎる、と言う者もいるでしょう」

「分かっています」

「ならば、若いまま立ってください。老いた者の真似をしても、東部領は変わりません」

 リュウガは一瞬だけ返答に迷い、それから頷いた。

「肝に銘じます」

 外へ出ると、東部領の空は夕方の色に変わり始めていた。

 庁舎の外では、正式な発表を待つ人々が遠巻きにこちらを見ていた。拍手はまだない。歓声もない。龍真の件があった直後だ。祭りのように祝える空気ではなかった。

 それでいい。

 軽く受け取られるより、よほどいい。

 リュウガはその視線を一つずつ受け止めた。期待、疑念、安堵、恐れ。すべてに応える言葉はまだ持っていない。けれど、逃げずに立つことならできる。

 少年の時間が終わったわけではない。

 けれど、少年のまま逃げる時間は終わった。

 リュウガは背筋を伸ばし、東部領の街を見下ろした。

 屋根の向こうには、代表戦の会場がある。さらに遠くには、龍真の墓がある。どちらも今日のリュウガを作った場所だった。

 兄の影から出た、と言い切るには早い。

 それでも、影の中で立ち尽くすだけの自分ではなくなった。

 リュウガは拳を握らず、開いた手で欄干に触れた。東部領の石は、昼の熱をまだ少し残している。その温度が、これから背負う土地の重さのように手のひらへ伝わった。

 逃げない。

 口に出さず、胸の内だけで誓った。

 その誓いは、龍真へ向けたものでも、古都子へ向けたものでもある。

 そして何より、これから自分を見上げる東部領の人々へ向けたものだった。

 リュウガは、その人々の前で初めて、次代として息を吸った。

 その息は、もう逃げるためのものではなかった。


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