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いずれ空へと続く道  作者: 白銀スーニャ
第2章:東の死と不死と未来
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第63話

 リュウガは薙刀の重さを手の中で確かめながら、目の前の黒い龍真から視線を外さなかった。

 兄ではない。

 そう言い聞かせても、身体が先に覚えている。肩の角度、踏み込みの深さ、刃を振るう直前にわずかに沈む膝。幼い頃、何度も真似した動きだ。真似て、届かなくて、悔しくて、それでもまた真似た。

 その動きが、今は自分を殺すために向かってくる。

 黒い龍真が薙刀を振るった。

 刃が横へ走る。リュウガは柄で受けず、踏み込みを外して半身になった。まともに受ければ押し負ける。力そのものは生前の記憶より重い。不滅の魔石が、死体の筋肉を無理やり動かしている。

 アイギスの盾が背後に浮いた。

 逃げ道ではなく、踏み直すための壁だ。

 リュウガはかかとで盾を蹴り、前へ戻った。薙刀の間合いで後手に回れば、そのまま削られる。懐へ入るしかない。

 黒い龍真は、リュウガが前へ出ることを知っていたかのように柄を引いた。

 生前の兄なら、ここで笑ったかもしれない。よく来た、とでも言うように。だが目の前のものは笑わない。命じられた動きと、肉体に刻まれた反射だけで、もっとも効率よくリュウガの命を取りに来る。

 その無言が、声よりも刺さった。

 黒い龍真の柄が落ちる。

 リュウガは肩をかすめさせた。痛みが走る。血が散る。だが、足は止めない。短く詰め、柄を押さえ、膝を入れる。

 手応えは硬い。

 人の身体を打った感触ではなかった。

 黒い龍真はよろめかない。首だけがわずかに傾き、空いた片手でリュウガの喉を掴みに来る。

 盾が割り込む。

 アイギスの声が飛んだ。

「離れて」

 リュウガは従った。

 薙刀の刃が空を切る。距離が開く。黒い龍真の肩口に入った傷は、黒い筋を引きながら塞がっていく。血ではなく、煤のようなものが裂け目を埋める。傷が治っているのではない。壊れた部分を、不滅の魔石の力で無理やり動かせる形に戻している。

 なら、どこかに核がある。

 リュウガは呼吸を整えた。

 気は使わない。

 使えば、速く終わるかもしれない。魔力に対して強い力を持つあれなら、不滅の魔石にも何かしら届くかもしれない。だが、それでは駄目だ。兄の身体を止めるために、自分の足で届かなければならない。

 龍真を追いかけてきた自分が、龍真を越えられないまま、別の力で蓋をするわけにはいかない。

 会場の床が再び開いた。

 今度は戦鎚が二振り。

 観客席がざわめく。伯耀の声が遠くで響いた。

「龍真様は武器を選ばない。東部領の武とは、かくあるべきだ」

 リュウガは薙刀を捨て、戦鎚を取った。

 重い。

 だが扱えない重さではない。東部領式の武器術は、武器を選ばないことを美徳とする。長短の二刀も、薙刀も、戦鎚も、相手と場に合わせて使う。兄はそれを当然のようにできた。リュウガは、それを追ってきた。

 黒い龍真が戦鎚を担ぐ。

 その姿を見て、リュウガは理解した。

 自分の戦い方は、兄と似ているのではない。

 自分が兄に似せたのだ。

 憧れた。

 追いつきたかった。

 兄の代わりにならなければならないと思った。

 だが、目の前にいるのは兄ではない。兄の身体を使った、伯耀の人形だ。人形に命じられた動きが、リュウガの記憶を突いてくるだけだ。

「アイギス」

「何を」

「押し込む」

 短い言葉だけで、アイギスは盾の位置を変えた。

 戦鎚同士がぶつかる。

 音が重かった。刃物の澄んだ音ではない。骨と床と空気をまとめて揺らすような衝撃だ。リュウガの腕が痺れる。黒い龍真は止まらない。二撃、三撃。力で押し潰しに来る。

 観客の声はもう遠い。伯耀の言葉も、会場のざわめきも、リュウガの耳には届きにくくなっていた。聞こえるのは、武器がぶつかる音と、自分の呼吸だけだ。

 兄ならどうするか。

 その問いを、リュウガは捨てた。

 今の自分ならどうするか。

 問いを変えた瞬間、足の置き方が変わった。兄をなぞる動きではない。サニーに叩き込まれた基礎、アイギスの盾が作った余白、ここまでの失敗で身についた粘り。それらが、ようやく一つの動きとして噛み合う。

 リュウガは受け続けなかった。

 四撃目で柄を滑らせ、肩を入れて軌道をずらす。戦鎚の頭が床へ落ち、石が割れた。その瞬間、アイギスの盾が黒い龍真の足元を塞ぐ。ほんの一拍。踏み直しが遅れる。

 リュウガは戦鎚を放し、床の二刀へ手を伸ばした。

 最初の武器。

 自分が最も長く扱ってきた形。

 黒い龍真も同じように二刀を拾う。動きが重なる。兄の影を追っているのか、自分が兄の影になっているのか、分からなくなるほど似た構えだった。

 リュウガは踏み込んだ。

 長剣を合わせ、短剣を合わせる。

 火花が散る。

 黒い龍真の刃は速い。だが、意思がない。こちらが何を思っているかを読まない。ただ、身体に残った最適に近い動きを繰り返す。なら、ずらせる。

 リュウガは、兄に勝つためではなく、人形を止めるために動いた。

 一手目は昔の癖をなぞる。

 二手目でわざと遅らせる。

 三手目で、兄なら絶対に嫌がる間合いへ入る。

 黒い龍真の短剣がリュウガの脇腹を裂いた。

 痛みが白く弾ける。

 だが、リュウガの長剣は黒い龍真の胸へ入っていた。

 心臓付近。

 傷口が塞がる前に、短剣を逆手に持ち替える。黒い肉の奥で、硬いものに触れた。石だ。肉と骨の間に埋め込まれ、死体を動かしている核。

 黒い龍真の手がリュウガの肩を掴む。

 骨が軋む。

 アイギスの盾が四方から押さえ込んだ。腕、胴、足。盾が次々に重なり、黒い龍真の動きを封じる。

「今です!」

 リュウガは歯を食いしばり、短剣をさらに押し込んだ。

 肉を抉る。

 骨に刃が当たる。

 硬い石が、刃先に引っかかる。

「龍真兄上」

 返事はない。

 それでいい。

「返す」

 リュウガは短剣を引いた。

 琥珀色の石が、血とも煤ともつかないものにまみれて胸から抜けた。次の瞬間、黒い龍真の身体が大きく震えた。アイギスの盾が軋む。だが、押さえ込みは解けない。

 黒い龍真の動きが、少しずつ鈍る。

 膝が落ちる。

 首が垂れる。

 それでもまだ、死体は動こうとした。命令を果たそうと、空になった胸で前へ出ようとする。

 サニーが近づいた。

 観客からは見えない角度。アイギスの盾と、リュウガの身体で隠れる位置。

「離すな」

 サニーの声は低かった。

 リュウガは石を差し出す。

 サニーはそれを見た。ほんの一瞬、何かを確かめるように目を細める。次に、銀の光が走った。

 音はなかった。

 ただ、不滅のはずの石が、細く割れた。

 割れ目から黒い光が漏れ、すぐに消える。石は砂のように崩れ、サニーの手の中で形を失った。

 黒い龍真の身体が、完全に動きを止めた。

 会場に、遅れてざわめきが戻る。

 誰かが息を吐き、誰かが祈るように手を合わせた。東部領の人々にとっても、龍真の名は過去のものではなかったのだろう。英雄ではない。だが、次代を期待された武人だった。その身体が辱められ、今ようやく止まった。

 リュウガは膝をついた。

 痛みも、疲労も、遅れて押し寄せてくる。だが、それより先に、胸の奥にあった重いものが一つ落ちた。

 兄を倒したのではない。

 兄の身体を、ようやく止めた。

 リュウガは床に額をつけるようにして、長く息を吐いた。


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