05. 不意に吐露する言の葉は
オーフェンの訪問から数日。
ぐ、と伸びをすると、ノック音と共に「おはようございますー!」という元気な声が聞こえてくる。
あの日から少し変わったことがいくつかある。
「お嬢ォ、今いいですかィ?」
ティーカップを片手に寛いでいると、ランドールがひょこっと顔を覗かせる。
「……どうかした?」
屋敷の中にいるランドールを見るのは久しぶりだなと思いながら問うと、彼は「王宮からの書状でさァ」と一通の手紙を差し出してきた。
私が受け取ったのを確認すると、彼は頭をガシガシと掻きながら「それにしても」と少し困ったような顔を見せる。
「エルの坊主、最近何してんですかィ? 探してもいねェんですよ」
「さぁ……? 呼べば来ると思うわよ」
あの日以来、エルはあまり姿を見せなくなった。
とはいえ実際、いないなと思った途端背後にいるので今となっては興味も失せたが。
書状を開封しながら言うと「そらァお嬢だから出来ることですぜ」とランドールは快活に笑うのが聞こえる。何を言っているのかさっぱり、とスルーしつつ私は内容を確認した。
しかし、やはり王宮からの話題は一つしかないようで、つい肘をついてしまう。
復縁に関する正式な打診に向け、調整が進められている。
静かに、それでも確実に、水面下では動いている。
あの時のエルの問いに対する答えは、未だ何が正解なのか分からない。
王子との再婚約と、その後の結婚。
第一王子が国王になれば王弟妃、ならなければ王太子妃。
やがて見据える国の未来。
(あぁ、ダメね……)
───真っ暗だ。
以前出来ていたことが、今では出来なくなっている。あの頃想像していた未来が、今では黒く塗り潰されてしまっていた。
やり方は違わないはずなのに、何も見えない。
じわじわと気付かぬうちに、心地よい毒が身体も思考も全てを蝕み、書き換えて、私をダメにしていく感覚。
きっと貴族然としているためには、エルの問いやルシアの言葉に耳を傾けるべきではなかった。
私は恐らく、この謹慎が終わるまでずっと悩み続け、最後に復縁を選ぶだろう。結局、持っているモノに縋って今までの自分を肯定することしか出来ない。
この数日間、ずっとそういう風に考えていた。
「……ねぇ、ランドール」
なのに、ここ最近は───。
「どうしたらいいんでしょうね」
毒の回りが、妙に早い。
困ったような笑みを浮かべて言うと、彼は驚いたような顔を見せるが、すぐに優しく微笑んでくれる。
「復縁の件ですかィ?」
オーフェンが去った後、あの日私はルシアの拒否とエルの拒絶により、王子との復縁について悩みに悩んでいた。
庭で一人、あまりに悶々としているものだからランドールが心配し、それを機に私はこれまでの事情を打ち明けたのである。
隠し事をする子供みたいな意地が自分の中で見え隠れしていた私は、話が出来たあの時どこかほっとしていたのを覚えている。
こくり、と小さく頷いた私を見てランドールは「お嬢、無礼は後で詫びやすんで」と言いながらこちらに近付いてきた。
そうして伸びてくる手に少し驚いて硬直した途端、頭をわしゃわしゃ撫でくりまわされる。
「っちょ、何で」
何をする気かと思っていれば、と少し拍子抜けであるが、質素な髪型とは言えくしゃくしゃにされてはルシアに文句を言われそうである。
しかし久々の感覚に拒むこともできず、それを甘受しているとランドールは「お嬢」と呼んだ。
「やっぱり優しい子ですねェ、お嬢」
「……っ」
刹那、いつかの光景がフラッシュバックしたように思う。
いつだったか、彼は今のようにこうして私の頭をぐしゃぐしゃに掻き回しながら『優しい子』と褒めてくれた気がする。
あれは確かと思い出そうとすると、彼はまた「お嬢」と呼んだ。
「強くねェと優しくなれねェと俺は思いやす。人ってのは大体、自分のことしか考えられねェように作られてる」
そしてランドールは撫でる手を止め、次は優しくぽんぽんと短く撫でて手を離す。
小さな名残惜しさに、思わず彼を見上げると、彼は穏やかに微笑んでいた。
「だからこそお嬢のそれは、ある種の怠慢でさァ」
「……やり方が分からないのよ」
拗ねたように言うとランドールは「分かってるでしょう?」とくすくす笑ってくる。
「分からねェなら、聞けばいい。お嬢はそれが出来てる」
「……矛盾してるわ。人は自分のことしか考えられないんでしょう?」
自分のことは自分で考えるべきだと言ってくれた方が納得がいく。答えを出したいくせに、そういう言葉を吐く私でも、彼は「そうでさァ」と穏やかに返してくれた。
「でも人ァ沢山いる。それぞれが自分のこと考えてモノを言うんだ、一個くれェお気に召す答えってのァあると思いやすぜ」
いざとなれば責任転嫁も出来る、とか続けるランドールに思わず半目になる。快活に笑う彼に、参考までに意見を聞いた。
「俺は反対しやすぜェ、復縁なんぞ。王子ひっぱたいてやりやしょうか?」
「……もうしてるわよ」
わざと言っているのか、と不機嫌を丸出しにするとまたもや頭を撫でくりまわされた。
午後のこと。
部屋に差し込む光は穏やかで、どこか眠気を誘う静けさだった。
机の上に置かれた一通の封書には、王宮の紋章。今朝ランドールから受け取ったものではなく、先ほどエルが持ってきた別の手紙だ。
気乗りせず暫く放置していたが、そろそろ頃合いだろうと指先で封をなぞり、それを開ける。
中には二枚ほど手紙が入っていた。
一枚目、見慣れた筆跡で書かれていたのは夜会での出来事を謝罪。復縁の話は一切記されていなかった。
(……『妙な甘い香りが思考を鈍らせたように思う』ね)
醜い言い訳のようで、どこか既視感のある感覚。やはり早々に探りを入れるべきだったか、と二枚目を読み始める。
そこには他愛もない昔話が語られていた。
幼い頃、共に庭で遊んだこと。
ぎこちなく手を引かれたこと。
何でもない約束を、大切そうに楽しみにしていたこと。
「……ふ」
思わず笑みを溢した。
相変わらず意味の分からない男だと思う。なぜ急にこの話をしたのか。
懐かさから、手紙の文字をそっとなぞった。
ただ思い出がふっと浮かんで、そこには苦しさも未練も何もなく、それらは遠い昔の穏やかな記憶として回想される。
(……あぁ、そうね)
胸の奥にあったものがすとんと落ちる。
自分の中に、答えが出た。
「……何か」
途端、背後から声が落ちた。
びくりと肩を揺らし、振り返るとそこにはエルが控えている。いつの間に、と問う前に彼は「お変わりがございましたか」と静かに訊いた。
いつも通りの微笑みだが、含みのある視線がじっとこちらに向けられている。
変な気配に「……別に」何でもないように答えつつ、手紙を机に置いた。
「王子からのよ」
何気なく言ったその刹那、わずかに変わったように思える。一瞬の違和感は「左様でございますか」というエルの言葉でかき消されそうになった。
「……昔のことが書いてあってね」
穏やかに、静かに続ける。
「子どもの頃の話」
くすり、ともう一度笑うと「くだらないことばかりで」と視線で手紙を撫でた。
「少しだけ、面白かったわ」
暫くの沈黙の後「……そうでございますか」というエルの低い声が聞こえる。ほんの少しだけ温度が落ちているような気がした。
「本当、殿下って───」
「随分と、楽しげにお見受けいたしました」
もう聞く気はないとでも言うように、エルは言葉を被せてくる。拗ねている時とも違う、妙な声色は畳み掛けるように続ける。
「未だ、殿下のことを想っておられるのかと」
一瞬、意味が分からず「……は?」と間の抜けた声が出た。思わず振り返るが、彼は変わらない笑みを向けている。
「違うのですか」
いつもより少しだけ早く、どこか強い口調に驚きよりも呆然とした。
こんな言い方をするのは、初めてだった。
「違うわよ……?」
さも当然のように「懐かしかっただけ」とはっきりと否定する。溢した笑みの理由は本当にそれだけだった。
何かを測るような視線と「左様でございますか」という淡々とした台詞とが返ってくる。
その視線に私は笑うでもなくすっと目を細めた。
(何なの……)
エルの目的が分からない。最初からそうだったが、最近はますます行動が読めない。
ただ妙に、空気が冷たい。
するとエルは「ですが」と一歩、距離を詰めてくる。
「そのようなお顔を、なさらないでいただきたい」
低く落ちる声に私はまたもや「……は?」と言うしか出来なくなった。
意味が分からずどんな顔だ、と眉をひそめながら問うと、彼は「先ほどのような」と言って一瞬間を置く。
「他の男を思い出して、笑うようなお顔でございます」
驚きのあまり言葉を失った私を、彼はさらに追い詰めるようにまた一歩こちらに寄ってきた。
「好ましくありません」
はっきりと言い切る彼の表情から笑みが消え、私は呼吸すら詰まった。あまりに強くて、あまりにも個人的すぎる言葉に、何と返すべきなのだろう。
迷っているうちにエルは微笑みを取り戻し「お嬢様」と言葉を続けた。
「過去を懐かしむことは否定いたしません」
穏やかな声の裏に、何か別の感情が滲んでいるように思える。それらは言葉を重ねる後とに強くなっていき「ですが」と放った言葉に、それがはっきり見えた気がした。
「それを、他者に見せる必要はございません」
───独占。
ぞくり、背中を何かが走る。
これはもう忠告ではない。ましてや従者の言葉では、絶対にない。
「……お前、誰なの」
思わず出た声は少し掠れていたが、エルは余裕なのか微笑みを崩さず距離は近いままだった。
「謹慎中、お嬢様をお守りする護衛騎士にございます」
「ならルウェラでも良かったはずよ」
白々しい態度に眉をひそめながら、きっぱりと返す。
ルウェラは、以前から私の専属護衛騎士をしていた女性騎士のことである。彼女はあの夜も同行しており、この謹慎の事情もその目で実際に知っていた。その上、彼女とは十年ほど付き合いもあり、故に彼女が情と同じくらいの厳しさを持った誇り高き騎士であることも知っている。
要するに、何処ぞの騎士を護衛とするより安心且つ何倍も楽だったはずなのだ。
「なのに、お父様はあえてお前を選んだ」
私は挑発するようにすっと立ち上がると、エルの顔が更に近づく。彼の瞳が少し見開いたように見えたのは、気のせいだろうか。
身長の高い彼を、私はほぼ真上を見上げるようにして「もう一度訊くわ」と睨み付けた。
「お前は誰なの」
穏やかな微笑みを浮かべて沈黙したエルの瞳は、私だけを映していた。感情の読めない深緑は、無機質で鏡みたいにそれだけを映しているものだから、少し居心地が悪くなる。
元々良いものではないが、と従者と間近で見つめ合う自分に突っ込んだ。
暫くして、彼は困ったように眉を下げると「つまり」と言って少しだけ首を傾げて見せる。
「間者であると疑っておられるのですか」
「それはないわ」
即答する私に、エルはきょんとした顔をした。
「……あの親父が少しでも疑わしい奴を私につけるわけないもの」
私は嫌なモノの話をするみたいに、淑女らしからぬ顔をしながら言うと、チラリとゴミ箱の紙くずに視線を向ける。父親の手紙から察するに、彼も当然会ったことがあるのだろう。
エルは心底納得したように「なるほど……」と呟いていた。会えば分かるらしい。
すると、エルはそっと私から離れ「では」と掌を胸に当てる。
「お話しさせて頂きます、私について」




