06. 紛ぐる影へと手を伸ばす
執務室にて、エルは机を挟んだ向こう側に移動していた。私とまっすぐ向き合うように佇んでいる彼は懐中時計を確認すると、それを仕舞いながら「とはいえ……」と困ったように微笑む。
「お嬢様のお父上様、並びにオーフェン様より、詳細な情報の開示は許可されておりません」
「……そう」
不服ながら、父親が有能であることは認めざるを得ない。どれだけ怪しかろうが、アレが認めた人間なのだから味方であるという一定の信用があった。
アレが手紙に記さなかったのは、私に知られたくないことだからか、はたまた知る必要などないからか、理由は皆目見当つかないが正直どうでもいい。
(……ただ、知りたい)
彼がどう言葉を紡ぐのか、何を語り、どんな表情をするのか。
───あの言動や行為の理由は何か。
その一端でも見つけられたのなら、それで十分だろう。
私は切り替えるように瞑った目をゆっくりと開き、エルを見据えた。彼も彼で、それを確認すると一歩下がり「申し遅れました」と言って、改めるように深く頭を垂れる。
すっと空気が変わるのを感じた。
さらりと流れ落ちる銀の前髪に奪われた視線は、自然とその奥の深緑と交差する。
「私は、伯爵位を預かる者にございます」
「…………は?」
思考が停止した。
意味が分からないと言うより、理解が追いつかない。
「現在は密命のもと、身分を伏せておりました」
淡々と続けられる説明に「……ちょっと待って」と額を押さえた。
掌を見せ、考える時間を暫く貰う。
まさか爵位持ちだとは思わなかったし、ますます行動理念が分からなくなった気がする。
(伯爵様が護衛騎士の真似事をしていたと……?)
もう一度エルの顔を観察するが、申し訳ないことに彼の顔に見覚えは無い。もしかしたら会ったことはあるのかもしれないが、他人同然の人間に護衛を任せた理由とは何か、それがエルである必要はどこにあるのか。分からないことは募るばかりで、様々な思考がぐるぐると頭の中を駆け巡った。
思わず「意味分かんない……」と溢す。
絞り出すような声で家名を訊いても、エルは教えてくれなかった。
爵位のみ開示して家名を明かさないという微妙な線引きは、私の胸に蟠りを残していく。
「……なら密命っていうのは何?」
多分教えてくれないだろうな、と思っていると少し温度を下げたような声が「お嬢様が望むのならば」と返した。
「え、いいの?」
家名がダメで密命が良いとは何事か。
自分から訊いておいて何だが、拍子抜けしている私にはエルの声色の変化など微塵も気にならなかった。彼は頷くと「簡潔に申し上げますと」と微笑む。
「私が命じられたのは、夜会での一件についての調査とお手伝い、と言ったところでしょうか」
「…………」
何というか、ここまで来るとイメージ通りだった。
伯爵ということは下級、上級貴族のネットワークにアスセスが効くだろうし、エルの年齢を推測するに父親より断然単独行動がしやすそうである。その上護衛騎士を任されたということは、多少腕も立つのだろう。とはいえ、彼である決定的な必要性はさっぱりだが。
「……調査について、教えてくれるのかしら」
問えばエルはそうする気満々だったようで「勿論にございます」と一礼した。因みにこういう態度を改める気は毛頭ないらしいので、私も今まで通り接しているのである。
訊けば、これ以上正体を隠したまま調査をするのは不都合が多かったようで、私が訊かずともそろそろ打ち明ける予定だったのだとか。最近姿を見なかったのも、調査が立て込んでいたかららしい。
「まずは、判明している事実から」
切り替えたエルは、まるで報告書を読み上げるかのように淡々と語り始めた。
「男爵家は、裏で奴隷商に手を染めております」
あまりにもあっさりと告げられた言葉に眉を顰める。
「また近頃は法の見直しが進められており、違法取引の摘発についても、今後さらに強化される見込みでございます」
つらつらと述べ続けるエルの言葉に、一先ず余計な思考を排斥しつつ耳を傾けた。
曰く、男爵家はそれに先立って、家格の上昇と後ろ盾の確保を図ろうとしたらしい。そこで、第二王子の婚約者に娘を据えようとしたのだ。そしてその障害となるのが、当時婚約者であったこの私で、その後の行動は自分がよく知っている内容である。
「……証拠は?」
問いかけると、エルはわずかに視線を伏せた。
「直接的なものは、まだ」
私が『まだ』という言葉に反応すると、エルは「しかし」と言って一歩だけ踏み込んでくる。以前のような近さではなく、続けた「いくつかの引っ掛かりがございます」という言葉を強調するための行為のようであった。
「今回の鍵は“香水”にございます」
不意にあのときの香りが蘇るような感覚がする。妙に甘ったるい、不快な香り。
「使用されていた原料は、外国産の特殊な花のようです」
『イロードコア』と呼ばれる、普通の流通では手に入りにくい珍しい植物らしく、我が国では中々に育ちにくいのだとか。
しかし、そこで私は「そう言えば……」と呟く。
「あのおん───男爵家の領地って、海沿いにあったわよね」
ぽつりと静かに落とした言葉は「はい」と芯を持った声によって拾われた。
ルベリオ男爵領に限らず、海沿いの領地は外来種の流入が多く、異種植物の自生地として知られている。育て方云々は置いておいて、その花が入手出来る可能性は十分にあるというわけだ。
「加えて、男爵家は近頃、獣人奴隷の取引量を増やしているようです」
「……何ですって?」
獣人───その名の通り、獣とヒトが混じり合ったような見た目の生物である。私は実際に見たことはないが、獣とヒトどちらの姿にも変身出来るらしい。
この国には生息しておらず、詳しい生息地はあまり知られていなかった。しかし数年前、とある獣人の群れが隣国の保護下に置かれたという知らせが広まった。その国の森に独自の集落を形成して暮らしているのだとか。
おそらく、確実な生息地はそこしか知られていないはずだ。
「……因みに、香水と何か関係が?」
「はい。その香料には、大きく二つの作用がございます」
一つはヒトに使用した場合。
これは通常よりも強く匂いを嗅がせる必要があるらしい。曰く、嗅いだも者の意識を朦朧とさせ、判断を鈍らせる作用があるのだとか。
酷く覚えのあることだ。
(嵌められた……とはいえ、ね)
引っ叩いてしまったのは、私の精神力が足りなかった所為もあるということ。確実な冤罪とも言えまい。
自分の弱さを咀嚼しながら、話を聞いた。
もう一つの作用は獣人使用した場合。
ほんの少し嗅がせるだけで昏睡し、その種によって───死に至る。効率的に制御するため、利用していたと考えられるそうだ。
そう告げたエルの声は異様に静かで重かった。
(……気分の良い話ではないものね)
不快そうに黙り込む私に、彼は以上の内容が今のところ分かっていることだと言う。
調査の報告としては、十分な内容だった。
私がこの屋敷に来て今日で三週間が経つ。あの夜会から謹慎処分が下されるまでに数日を要したとはいえ、こんな短期間でここまで調べ上げているとは思わなかった。
後は証拠さえ押さえれば、確実にあの男爵家を潰せる。
故に今後の調査を強化するとエルは語った。
ため息を溢しながら「……ねえ」とこめかみを押さえつつ問う。
「伯爵ってだけで、ここまで出来るものなの?」
父親も関与しているならば、色々と融通は効くだろうが、彼の口ぶりからして単独行動の方が多そうに思えた。
彼はわずかに沈黙し「出来ぬこともございます」と穏やかに答える。
「貴女様のためであれば、多少の無理は通しております」
「…………お前ねぇ」
一瞬言葉を失ったが、流石に今日ばかりは慣れた。
伯爵が言っていい台詞ではないだろうに、それを咎めようと「差し支えございません」と涼しい顔で返されるものだから、頭が痛くなる。
「……本当に何なの」
結局、"エル"については分からないまま。
彼はほんのわずかに目を細め「幼少の折、一度だけ」と声を低く落とす。
「貴女に、救われております」
「…………は?」
今日何度目か分からない声が出た。
しかし彼はそれ以上語らず、ただ深く一礼し「それだけにございます」ときっぱりと告げる。
それだけで済むはずがないものを、と口を開くには、今の私は疲れすぎていた。
◇◆◇◆◇
湯浴みを終えた私が長椅子へ腰掛けると、ルシアは待っていたと言わんばかりに背後へ回り、ふわりと大きな布で髪を包み込んだ。
湯気を含んだ部屋はまだ暖かく、火の灯りもやわらかい。濡れた髪を優しく拭かれる感触に、張っていた肩の力が少しずつ抜けていく。
「リズベラ様、疲れてますー?」
「……誰のせいだと思ってるの」
眉間に皺を寄せるとルシアは「あっ、あの怪しい男のせいですね !?」と即答した。言い方どうこうについては、別に合っているので咎める気はない。
鏡越しにルシアが、布越しに髪をわしわしと拭きながら、唇を尖らせるのが見えた。
「前々から思ってました。エルさん、只者じゃないって」
傍から見ていても、ルシアとエルの関係が良好ではないことは明白だったしなと思い返しつつ「……例えば?」と問うてみる。
「歩く音がしないんです!」
こくこくと頷いて見せると、彼女は嬉々として続けた。
「気づいたら後ろにおります」
「……それ嫌よね」
思わず洩らした共感にルシアは「ですよねっ!」と嬉しそうな声で言う。
「あと、お茶を淹れるのが上手すぎます」
それは無関係に近いのでは、とは言わない。
「隙がないですし」
ルシアでもそういうのが分かるのか、と少し感心していると「なんとなくですけど」という呟きが聞こえ、ふっと小さく笑みを溢した。
こうして馬鹿馬鹿しい話をしていると、胸の中に渦巻いていた重たいものが少し軽くなる気がする。
「あとは……目、ですかね」
ルシアは布を外し、今度は櫛を手に取る。
丁寧に髪を梳きながら、鏡越しにこちらを見た。
「目?」
聞き返すと彼女はうーんうーんと言い方に悩みながら答えてくれる。
「大事なお菓子を取られそうな人の目……みたいな」
「……お菓子?」
「えっと……こう、取られたくない感じの!」
ルシアは満足げに頷いた。
「我ながら良い例えでございます」
「全然よくないわ」
全く伝わっていない。
脳内を『?』で満たされた私を差し置いて、ルシアは「そうですか?」と少し残念そうにする。
暫くの沈黙が落ち、私の髪は艶やかに整えられた。ルシアが初めて屋敷にやって来て、こうして身支度をしてくれたのはいつのことだったか。もうずっと前のことに想いを馳せた私は「……ねぇルシア」と呟いた。
「……私、幼い頃に誰かを助けたことなんてあったかしら」
「え? うーん……いっぱいありますね!」
小道具を仕舞いながら答えたルシアは続ける。
「転んだ子に手を貸したり、迷子を叱りながら送り届けたり……あ、泣いている子にお菓子を押しつけたりもしてましたね!」
「…………」
何て可愛げのない言い方なんだろうと思いながら微妙な顔をした。すると彼女は慌てて「リズベラ様らしくて可愛らしかったですよ !?」とフォローしてくれるが、気恥ずかしいのでデコピンしておく。
「……でも、そんな大層なことをした覚えはないのよね」
ぽつりと溢した言葉にルシアはポカンとした顔を見せた。彼女は静かに考え込む私に「うーん、よく分かりませんけど……」と首をかしげつつ言う。
「お相手には一つきりだったのかもしれません」
鏡越しにはっと顔を上げると、ルシアは「あっ、見当違いでしたかね !?」と顔を赤くしながら謝罪してきた。
別にいい、と言いながらルシアを下がらせると、部屋はゆっくりと暗くなる。
私は寝台に潜りながら、胸の奥に残る熱とルシアの言葉をゆっくりと咀嚼した。




