03. やがて帯びるは温もりか
朝の光が穏やかに差し込んでいた。
目を開けた瞬間、いつも通りの静けさの中に、ほんのわずかな違和感を覚える。
ゆっくりと身を起こし視線を巡らせるが、やはりいなかった。いないからといって何か問題があるわけではないし、と知らず知らずの内に眉をひそめながらシーツを払う。
すると、コンコンとノックする音が聞こえた。
「おはようございますー、リズベラ様!」
耳を澄まして損をした。大きな声にびくりと肩が揺れる。
「……うるさい、ルシア」
扉を開けると、そこには申し訳なさそうな顔をしたルシアが立っていた。
「す、すみません……! お屋敷の時は上手く出来てたのに……数日エルさんに任せてたからですかね?」
彼女は反省の色を滲ませながらも「まぁあれはあの人の独断でしたけどね!」と、またもや元気に言い放つ。
取り敢えず、デコピンした。
そうして額を赤くしながら髪を結っているルシアを眺めながら、でもまさかと内心思う。
「忠告したら本当に聞いてくれたんですね。流石はリズベラ様!」
まさにそれだった。返事は胡散臭いくせに、ちゃんと言うことは聞いてくれるのかもしれない。
機嫌良く「ありがとうございます!」と繰り返すルシアを見ていると、本当に好き勝手やっていたのだろうなと少し哀れになった。
「ヴェルザスさんに辞められたら、私泣き崩れてましたもん」
知らない名前に私がきょんとしたことに気付くと、彼女は満面の笑みを絶やすことなく続ける。
「このお屋敷の料理人さんです! とってもハンサムで優しい方なんですよ~!」
どこか黄色い声色に、私は思わず「料理人……」と呟いた。それを聞き逃さなかったルシアは、嬉しそうにヴェルザスの良さについて語り始める。
右耳から左耳に流しつつ記憶を探った。
何分幼い頃の記憶も曖昧なので、以前いた使用人すらあまり憶えていない。
髪を結い終わってもなお、顔も知らぬ料理人のカッコ良さや優しさについて語られたため、私はもう一度デコピンした。
因みに、部屋を出るとエルが控えていたのは言わずもがなである。
「……なに」
朝食を終えて、紅茶を運んできたエルが何か言いたげにこちらに笑みを向けながら佇んでいた。
彼は「いえ」と短く答える。
「本日のご予定、よろしければお聞かせいただけますか」
「…………」
今日は使用人達の様子を見て回ろうと思っていた。邪魔をするつもりはないので、出会えたらいいなみたいな軽いものだが。
「……別に、今日は付いてこなくていいわ」
なんと言うか、エルの前で人に話し掛けるのがすごくやりづらい感じがした。
しかしやはり「ですが」と食い下がってくるので、ルシアを付けるからと顔を背ける。護衛を常に視界に入れておく必要もないはずだ、と。
「……分かりました」
そして、それを伝えたときのルシアは以下である。
「えっ !? 私いつかエルさんに殺されそうですね! なんちゃっ───アデッ」
◇◆◇◆◇
「そうですねー……この時間だと、庭師さんが会いやすいんじゃないですかね?」
額の赤みも引いてきた頃、ルシアは屋敷の使用人たちの紹介となれば、と息巻いていた。彼女も私と一緒に公爵邸から来たので少し不安になったが、流石に仕事なので覚えたらしい。
この前エルと散歩した裏庭は、静けさがあり落ち着きのある雰囲気の庭園だったが、今歩いているのは前庭である。こちらは明るめの花が多く咲き誇っており、鮮やかな色彩があちこちに見えた。
(ここを全部、一人で……)
聞けばこの屋敷にいる庭師はたった一人だと言う。公爵邸より手狭ではあるが途方もない作業だな、と感心しているとルシアが「あっ」と叫ぶ。
いきなり見付けたのかと思って振り返ると、彼女の姿がない。少し戸惑いながら辺りを見渡すと、脇の小さな木からガサガサ物音がした。
「……?」
ゆっくり近づき、下から音がするので屈んで覗き込むと、いきなり何かが飛びかかってきた。
思わず「なっ !?」と目を瞑ってしまったが、尻餅を付いた以外の痛みはない。
「大丈夫ですかィ?」
低めの、どこか懐かしい声がした。
目を開けると、目の前には猫を掴んだ五十代くらいのおじさんがこちらを心配そうに見下ろしている。
「……ランドール?」
自然と出てきた名前に、男は「んー?」と怪訝そうに私を見つめる。すると、はっとしたように手を差しのべてきた。
「リズベラのお嬢か! こいつァ失敬」
「……うん」
ランドールの手を取り、懐かしさからか気恥ずかしさが込み上げてくる。
「お嬢が来るこたァ聞いてたんですが……まさかこんなべっぴんさんだたァ思いませんでして」
彼は「思わずどこぞのご令嬢かと」と気さくに笑うと、以前よりも白髪の混じった髪を軽くかいた。
段々と頬が緩んでいくのが分かる。
すると「なー!」と元気のいい鳴き声が聞こえた。見ると、可愛らしい黒猫が首根っこを掴まれたまま、少し不機嫌そうにこちらを見上げている。
「そう言えば、この猫……」
「三日前あたりに迷い込んじまって、皆で探してたんでさァ」
気付けば遠くから「また見失いましたー !!」というルシアの声がした。姿が見えないので、未だ彼女が何処にいるか分からない。
ランドールは笑いながら「元気だなァ」と呟いた。どこか、孫を可愛がるような優しさを含んだ瞳に、訊きたいことが込み上げてくる。
「ランドール、その……」
私がここに来た理由をどこまで知っているの、と続けたかった。
弁明したいわけではない。それでも幼い頃を知っている彼に、私は何か漠然とした期待のようなものを寄せていた。
「お嬢がここに来た理由のこたァ、よく知らねェです」
ドキリ、と心臓が跳ねる。
思わず俯いた───が、一匹の毛玉が私の足元にすり寄って来ていた。
気付かぬ間に、ランドールは黒猫を手離していたようである。また逃げるのではという心配と、扱い方が分からない焦りでおろおろしてしまう。
その様子に、ランドールは思わずと言ったように噴き出した。
「知っても変わらねェ気ィしやす」
私が小さく「……うん」と答えると、彼はもう一度猫を引っ付かんだ。
◇◆◇◆◇
「うぅ……すみません。捕まえて良いところ見せようと思って……」
何と張り合ってるんだ、と言いたくなった。
黒猫はあの後、ランドールに連れられていったので、問題なく逃がされることだろう。
「もっ、もうすぐお昼ですね!」
ルシアは帰ってきて早々、ピクニックみたいに外で食べるのはどうかと提案してきたので、現在二人で厨房に向かっている。
何故か彼女は厨房に近づくにつれ、そわそわと落ち着きがなくなっていく。
(えぇと……ヴェ、ヴェ……ヴェルザス)
あれ程熱量のある説明を聞かされれば、彼女が彼に対してどんな感情を抱いているかなど想像は容易い。
とは言え、挙動不審はやめてほしい。
挙げ句「ヴェルザスさんも誘おうかな……」とか言い出しているので、これは止めた。
二人ならまだしも、何故私まで巻き込むのか。
「あっ、ヴェルザスさん!」
出会いは突然だった。
「………………」
厨房手前の廊下で、一人の巨漢と遭遇した。ルシアと並ぶと二倍くらい大きく見えるので、自然と視線が上に向かい顔を直視する。
何かの冗談だと言ってほしかった。
「あ、リズベラ様、こちらがヴェルザスさんです!」
顔がすごい怖い。彫りが深いとか、影があるとか、そういうのではなくただすごい怖い。
ハンサムと言ったのはどこの馬鹿だ。
「……こんにちは」
声もすごい低い。
私はどうにか「……ご機嫌よう」と絞り出す。
「ヴェルザスさん、あのですね───」
放心している私を他所に、ルシアは意気揚々と事情を話した。
了承してくれたようで、用件を済ませた彼女は、早速とばかりにピクニックの場所へ移動する。出来上がり次第ヴェルザスが届けてくれるらしい。
しかし良くみると、彼女はさっきまでの笑顔に曇りを含んで帰ってきていた。
「なんだかヴェルザスさん、落ち込んでましたね……」
「…………」
同意を求めないでほしい。
「……なんでお前がいるの」
庭にセットされた椅子やテーブルを綺麗に整えている人影があった。振り返ったその男は、いつものように微笑みを向けてくる。
「ヴェルザスさんのお手伝いですよ」
エルはさりげなく椅子を引いて見せた。
不機嫌そうにしながら大人しく座ってやると、彼は「料理に口は出しておりません」と言って後ろに控える。
警戒したような空気を滲ませつつ紅茶を丁寧に差し出すルシアをに、エルはにこにこと対応している。
「本日は体調がよろしいようで、安心いたしました」
昨日のことを言っているのか、と尚更不機嫌そうにしてやった。彼はそれをくすくす楽しそうに笑って流す。
「……お前、今日はなにしてたの」
すると「おや」とわざとらしく肩をすくめた彼に、おもむろに視線を向けた。
「ご自分は教えて下さらないのに?」
ぴくりと右目が痙攣する。
(こ、こいつ───)
「え、エルさん拗ねてるんですか?」
私は思わず「ん"っ」と噴き出してしまう。そう言えば今日は、正直な馬鹿がいた。
静かに瞳を細めるエルを見て、ルシアはぎょっとしながら謝罪するが「えっ !? でもそういうことですよね !?」と追い討ちをかける。
ダメだこの子、と肩の震えが止まらない。
「ふふふっ……お前、随分可愛らしいのね?」
少し煽ってみることにした。お付きの侍女は可愛すぎるので、まだ死んでほしくない。
するとエルは一度目を瞑って、言葉を発する。
「……お嬢様、私は───」
「あの」
しかし彼の言葉は低く這うような声に遮られてしまう。
「ヴェルザスさん!」
エルの隣に控えていたルシアは破顔し、とことこ駆け寄った。ヴェルザスの引いてきたカートワゴンを覗き、彼女は嬉しそうに会話しながら配膳を手伝う。
「……可愛いでしょう、あの子」
傍にいるエルに、小さく自慢した。
少し間を置いてから「そうですね」と返ってきたので、また笑いがぶり返してくる。
「ふふ、今日は良く笑いますね。リズベラ様」
種類のある籠を置きながら、ルシアが微笑んでいた。
「……そう?」
「はい! 日に日に表情が柔らかくなってきてますよ」
畳み掛けるように「可愛いです!」と言うものだから、お前の方が可愛い、と口にせずデコピンする。
ルシアは「なんで !?」と言わんばかりの表情だ。恒例の出来事をヴェルザスは初めて見たのか少し驚いていたが、ルシアの表情を見て戯れだと気付いたのか、何もせずそのままそこに控えている。
そして私は何もなかったように、お弁当の蓋をあけた。
「これは……」
驚いて思わずヴェルザスの方を見る。相変わらず怖い顔で、何を考えているのか分からない。
「……可愛いわね」
中身は、黒猫を基調とした可愛らしいお弁当だった。
褒めると、隣のルシアは何故か自慢げになる。
良く見ると、ヴェルザスの表情も若干だが緩んでいる気がする。気のせいと言われればそれまでだが、雰囲気が何となく優しくなった気がした。
◇◆◇◆◇
あの後ルシアに、何故黒猫だったのか問うと以下の回答が返ってきた。
「さっきランドールさんが逃がしちゃったじゃないですか、あれがちょっぴり寂しかったみたいですよ」
料理長は乙女だった。




