40話 魔人⑧
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ジャティス本部の医務室。
白い天井を見上げながら、エヴァはベッドの上でため息をついていた。
「……暇です」
「怪我人が暇とか言うなよ」
「巧さん!」
突然聞こえた声に、エヴァが顔を向ける。
そこには、制服姿の巧が立っていた。
「お見舞いに来たよ」
「……陽菜さんのことですか?」
「…………」
巧は答えなかった。
その沈黙だけで、エヴァには十分だった。
「やはり……」
「エヴァ」
「はい」
「陽菜を連れ去った時のことを教えてくれ」
巧はベッドの横にある椅子へ腰を下ろした。
「何でもいい。レグルスは何を言っていた?」
「……」
エヴァは少しだけ目を伏せる。
「レグルスは、最初から陽菜さんを狙っていました」
「最初から?」
「はい。私が戦った時も、私にはほとんど興味を示していませんでした」
「……そうか」
「私が陽菜さんを守ろうとしたから、邪魔になっただけのようですね」
巧の拳が膝の上で強く握られる。
「つまり……陽菜を連れ去ることが目的だった」
「おそらく」
「何のために?」
「それは分かりません」
エヴァは首を横に振る。
「ただ――」
「ただ?」
「レグルスは、陽菜さんを見た時……何かを確信したような顔をしていました」
「……確信?」
「はい」
エヴァは記憶を辿るように目を閉じる。
「まるで、ずっと探していたものをようやく見つけたような……そんな顔でした」
「…………」
巧は黙り込む。
嫌な予感が、さらに大きくなる。
「巧さん」
「ん?」
「助けに行くつもりですか?」
「……」
巧は答えない。
「総隊長から待機命令が出ているようですが?」
「分かってる」
「なら――」
「分かってるんだよ」
少し強い声だった。
エヴァが黙る。
巧は俯いたまま、拳を握り締めていた。
「待機しろって言われた」
「はい」
「レグルスを追うなって。俺じゃ相手にならない」
そこで巧は顔を上げた。
「……全部、分かってる」
悔しさが滲んでいた。
「俺だって馬鹿じゃない。レグルスが……魔人がどれだけ強いのかも分かってる」
「……」
「だけどさ」
巧は立ち上がった。
「陽菜が連れて行かれたんだ」
その声は震えていた。
「俺の妹が」
幼い頃。
雪の中で出会った小さな少女。
朝になると自分を起こして。
笑顔で送り出して。
帰ってくれば笑顔で迎えてくれる。
血の繋がりなんて関係ない。
巧にとって陽菜は――唯一の家族だった。
「俺が何もしないで待ってるなんて……できるわけないだろ」
「巧さん……」
「父さんの時もそうだった」
巧は静かに呟く。
「帰ってくるって言われて……俺は何もできなかった」
あの日。
父は帰ってこなかった。
「もう、同じことは嫌なんだ」
巧は腰に手を伸ばす。
そこには【ハヤテ】があった。
「俺はジャティスになった」
刀の柄を握る。
「誰かを守るためにーー何より陽菜を守るために」
エヴァは何も言えなかった。
その表情を見て、巧の決意が変わらないことを悟ったからだ。
「……巧さん」
「ん?」
「一つだけ約束してください」
エヴァは真剣な顔で巧を見る。
「死なないでください」
「……」
「私は、陽菜さんを守れませんでした」
エヴァは自分の手を見つめる。
「だから……今度は巧さんまで失いたくありません」
「エヴァ」
「レグルスは、本当に強いです」
「ああ」
「私が今まで戦った相手とは、次元が違いました」
「……それでも行く」
「どうしても?」
「ああ」
巧は迷いなく答えた。
「俺は兄だから」
それだけだった。
エヴァはしばらく巧を見つめ――。
「……分かりました」
「え?」
「私は止めません」
エヴァは小さく笑う。
「だから、必ず陽菜さんを連れて帰ってきてください」
「……ああ」
巧は頷いた。
「約束する」
そして踵を返す。
「巧さん」
「ん?」
「その……」
エヴァは少しだけ躊躇してから。
「お気をつけて」
「ああ」
扉が閉じる。
エヴァは一人、天井を見上げた。
「……本当に、似ていますね」
誰のことを言ったのか。
それは彼女自身にも分からなかった。
――医務室を出た巧は、廊下を歩いていた。
足取りに迷いはない。
しかし、正面から一人の隊員が歩いてくる。
『桑原』
「……はい」
『どこへ行く?』
「少し外へ」
『総隊長から待機命令が出ているはずだが』
「分かっています」
巧は立ち止まる。
「だから、これは命令違反です」
『……何?』
隊員が目を見開く。
巧は腰の【ハヤテ】を確かめる。
「俺は陽菜を助けに行きます」
『待て、桑原!』
「すみません」
巧は振り返らない。
「俺には……待っているなんてできません」
そのまま走り出す。
廊下を抜ける。
階段を駆け下りる。
そして、ジャティス本部の外へ。
冷たい風が頬を撫でた。
「……陽菜」
巧は空を見上げる。
「今、助けに行くからな」
その瞳に迷いはなかった。
たとえ命令に背くことになっても。
たとえ勝てない相手だとしても。
――妹を助ける。
それだけが、今の桑原巧を動かしていた。




