40話 魔人⑥
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――西欧某所。
薄暗い廃墟の中に、一人の男が立っていた。
「……ここも違うか」
レグルス・クレイマー。
魔人の中でも、とりわけ肉弾戦に秀でた男。
その巨体に似合わず、手にした一枚の紙をじっと見つめている。
そこには、いくつもの場所と名前が記されていた。
街。
学校。
孤児院。
医療施設。
魔術師の研究所。
そのほとんどには、赤い線が引かれている。
「ったく……」
レグルスは紙を握り潰した。
「手間かけさせやがって」
足元には、同じような紙が何枚も散らばっている。
どれも目的の場所には辿り着けなかった。
「情報を追っかけるのは、性に合わねぇな」
レグルスは首を鳴らす。
「こういう時は――」
そして、ニヤリと笑った。
「俺の勘を頼った方が早ぇ」
握り潰した紙を放り捨てる。
「……こっちだな」
レグルスが歩き出した。
その先に何があるのか。
何を探しているのか。
それを知る者は、まだいない。
ただ一つ。
彼が目指す場所だけは、確かに存在していた。
――同じ頃。
ジャティス本部。
「レグルスが、こちらへ向かっているとの情報が入った」
緊急招集を受け、集められた隊員たちの間にざわめきが広がる。
『レグルス・クレイマーが……?』
『なんの目的で本部へ?』
『まさか、単独で攻め込むつもりじゃ……』
「静粛に」
ヴィクトリアの一言で、会議室が静まり返った。
「目的は不明」
彼女は淡々と告げる。
「だが、奴がジャティス本部のあるこの地区へ向かっていることは確認されている」
ヴィクトリアは机の上に置かれた資料へ目を落とした。
「我々はこれを、敵対行動と判断する」
『……!』
空気が張り詰める。
「レグルス・クレイマー」
ヴィクトリアは、その名を口にした。
「魔人の中でも、特に危険度の高い存在よ」
魔人。
人ならざる力を持ち、人々の脅威となる存在。
その中でもレグルスは異質だった。
魔術による特殊な攻撃。
複雑な能力。
そういったものに頼ることなく。
ただ己の肉体だけで、幾多の敵をねじ伏せてきた。
ゆえに、彼を知る者たちは、こう呼ぶ。
――肉弾戦最強。
『正面からぶつかれば、こちらにも相当な被害が出るでしょう』
『総隊長、迎撃部隊は?』
「すでに編成を始めている」
ヴィクトリアは地図を広げた。
「第一、第二部隊は本部防衛。第三部隊は正門。第四部隊は東側区域を担当」
『了解』
「そして――」
ヴィクトリアの視線が、隊員たちを一巡する。
「訓練生は全員、施設内で待機」
『全員ですか?』
「ああ」
即答だった。
「今回の相手はレグルス・クレイマー。半端な実力で戦場へ出れば、戦力になるどころか足手まといになる」
『……』
「それと――」
ヴィクトリアは一枚の資料を手に取った。
「桑原巧」
『桑原も、ですか?』
「あの子も待機させる」
『ですが、桑原はすでに正式なジャティスでは?』
「ええ」
ヴィクトリアは静かに頷く。
「だからこそ、死なせるわけにはいかない」
その言葉に、誰も反論できなかった。
「彼の実力は認めている」
ヴィクトリアは資料を置く。
「しかし、レグルスを相手にするには、まだ早い」
『了解しました』
「そして、もう一つ」
ヴィクトリアの声が低くなる。
「レグルスを発見しても、単独で交戦するな」
『はい』
「必ず報告し、複数部隊で対応する」
そこで一拍。
「――絶対に追うな」
その命令だけは、強く念を押した。
「今回の任務は討伐ではない」
ヴィクトリアは全員を見渡す。
「本部の防衛よ」
『了解!』
――同じ頃。
ジャティス本部から数キロ離れた街。
人混みの中を、一人の大男が歩いていた。
「……こっちか」
レグルス・クレイマー。
筋骨隆々の巨体。
白髪。
そして、近づくだけで本能的な恐怖を覚えるほどの異様な気配。
すれ違う人々が、自然と道を開けていく。
「……妙だな」
レグルスは足を止めた。
ポケットから一枚の紙を取り出す。
そこには、一人の少女についての情報が記されていた。
名前。
年齢。
現在の居住地。
そして――過去の経歴。
「……ここにいるはずなんだがな」
『おい、兄ちゃん』
突然、声を掛けられた。
振り返るとそこには、数人の屈強な男たちが立っていた。
『随分とデカいツラして歩いてるじゃねぇか』
「……」
レグルスは無言で男たちを見る。
『無視してんじゃねぇぞ!』
一人がレグルスの胸ぐらを掴んだ。
レグルスは、その手を見下ろす。
「……丁度いい」
『あ?』
「お前らに聞きたいことがある」
『だったら最初からそう言え――』
次の瞬間、レグルスの手が男の頭を掴んだ。
『――っ!?』
「俺は弱ぇ奴には興味がねぇ」
レグルスは笑う。
「だが――」
ほんの少しだけ力を込める。
『い、痛ぇっ!』
「噛みついてくるなら、振り払うだけだ」
男の顔から血の気が引いた。
『わ、分かった! 何でも聞いてくれ!』
「そうか」
レグルスは手を離す。
「なら、この辺りに住んでいるらしいんだが知らないか?」
一枚の写真を男に見せた。
『そ、そいつなら――』
男が震える手で方向を指す。
『あっちだ……!』
「そうか」
レグルスは満足そうに笑った。
「助かったぜ」
そして、指差された方向へ歩き始める。
「ようやく見つけた」
その呟きは、誰の耳にも届かなかった。
――桑原家。
「……遅いですね」
エヴァは時計を見る。
夕方を過ぎても、巧は帰ってこない。
「今日はジャティス本部で訓練だって言ってたけど……」
陽菜も時計へ目を向ける。
「いつもなら、もう帰ってくる時間なのに」
「……そうですね」
エヴァは窓の外を見る。
夕暮れの街。
いつもと変わらない景色。
いつもと変わらない時間。
なのに。
「……」
エヴァの表情が僅かに曇った。
「エヴァ?」
「……はい?」
「どうしたの?」
「いえ」
エヴァは笑顔を作った。
「少し……嫌な予感がしただけです」
「嫌な予感?」
「はい」
陽菜が首を傾げる。
その時だった。
――コン、コン。
「……?」
玄関からノックの音が響いた。
陽菜が立ち上がろうとする。
だが。
「陽菜ちゃん」
エヴァが、それを制した。
「……?」
「私が出ます」
声が違った。
いつものエヴァではない。
ふざけることも、日本の話で興奮することもない。
真剣そのものの顔だった。
「陽菜ちゃんは、ここにいてください」
「……エヴァ?」
「お願いします」
陽菜は戸惑いながらも頷いた。
「……うん」
エヴァは玄関へ向かう。
懐からカードを取り出す。
そして。
「……誰ですか?」
返事はない。
ただ、もう一度。
――コン、コン。
エヴァは静かに息を吐いた。
ドアの向こうから感じる気配。
尋常ではない。
「……この魔力」
エヴァの瞳が鋭くなる。
「まさか……」
ゆっくりと扉へ手を伸ばす。
そして――鍵を開けた。
「――」
扉を開いた先。
そこに立っていたのは巨大な男だった。
「よぉ」
レグルス・クレイマー。
その顔に浮かんでいるのは、獲物を見つけた獣のような笑み。
「ここに居るのは分かってる」
エヴァの身体が強張る。
「……何の用ですか?」
「用?」
レグルスは笑った。
「決まってんだろ」
一歩、玄関へ踏み込む。
「――小娘を出せ」
その瞬間、エヴァの表情からいつもの柔らかな笑顔が消えた。
「……お断りします」
奥の部屋では陽菜が息を殺していた。




