40話 魔人④
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「ひゃあぁぁっ!! 日本人の女の子ですよぉっ!!」
ジャティス本部の案内を終えた後。
エヴァンジェ・ソトは、なぜか桑原家へ遊びに来ていた。
理由は単純。
本人曰く――
『巧さんの妹さんと、ぜひお会いしてみたいです!』
とのことだった。
そして現在、桑原家の玄関先。
エヴァは、目の前に立つ一人の少女を見つめながら、完全に興奮しきっていた。
「……えっと、どちら様ですか?」
陽菜は困惑した表情を浮かべる。
「わ、私はエヴァンジェ・ソトです。巧さんの妹さんの陽菜ちゃんですね?」
「は、はい……」
「本当に日本人ですか?」
「……そうですね」
「すごいです! まさかこんなところで日本人の女の子に会えるなんて!」
「いや、俺も日本人なんだけど」
隣に立っていた巧が、呆れたように口を挟む。
「巧さんは別です!」
「なんで?」
「だって、もうお会いしていますから!」
「……」
確かに理屈としては間違っていない。
だが、どうにも納得できない。
「それに――」
エヴァは再び陽菜を見る。
「女の子です!」
「そこ重要?」
「とても重要です!」
エヴァは力強く頷いた。
「日本文化を研究する者として、日本の女の子と直接お話しできる機会は大変貴重なのです!」
「……文化研究って、そういうものなの?」
「そういうものです!」
「絶対違うと思う」
「むぅ……」
巧が呆れたように肩をすくめる。
そんな二人のやり取りを見て、陽菜は小さく笑った。
「ふふっ」
「陽菜?」
「ううん」
陽菜は首を横に振る。
「お兄ちゃんが困ってるの、ちょっと面白くて」
「妹が兄を笑うなよ」
「だって珍しいんだもん」
「何が?」
「お兄ちゃんが誰かに振り回されてるところ」
「……」
巧は何も言い返せなかった。
確かに。
普段なら大抵のことを器用にこなす巧だが、目の前の少女だけはどうにも扱いに困っている。
そんな兄を見て、陽菜は楽しそうに笑った。
「えっと……」
陽菜は改めてエヴァへ向き直る。
「初めまして」
「はい! 初めまして!」
エヴァは勢いよく頭を下げた。
「エヴァンジェ・ソトです!」
「私は桑原陽菜です」
「陽菜さん!」
「はい?」
「とても素敵なお名前ですね!」
「ありがとうございます……?」
少し戸惑いながら、陽菜が答える。
すると。
エヴァの目が、さらに輝いた。
「その名前も日本風ですね!」
「え?」
「陽菜という漢字には、どんな意味があるのですか!?」
「えっと……」
陽菜は困ったように巧を見る。
「……俺に聞くなよ」
「お兄ちゃんにも分からないの?」
「陽菜が元々持っていたハンカチに刺繍されていた名前だからな」
巧は少しだけ遠い目をする。
「名前の由来までは分からない」
「なるほど……」
エヴァは顎に手を当てて考え込む。
そして。
「……むむっ?」
「どうしたんですか?」
「もしや、お二人は血の繋がっていない兄妹なのですか?」
「ああ」
巧はあっさり答えた。
「俺たちは血の繋がった兄妹じゃない」
「でも」
陽菜が続ける。
「ずっと一緒に暮らしてるから、あんまり気にしたことないよ」
「……」
エヴァの瞳が、キラリと光った。
「なんてラノベ的展開っ!!」
「……は?」
巧が固まる。
陽菜も固まる。
エヴァは両手で顔を覆っていた。
「血の繋がらない兄妹……幼い頃から一緒……そして西欧で暮らしている……!」
「エヴァさん?」
「素晴らしいです!」
「何が?」
「設定が!」
「設定って言うな」
巧のツッコミが飛ぶ。
しかしエヴァは完全に自分の世界へ入っていた。
「……これは日本文化研究者として、ぜひとも詳細を――」
「エヴァさん」
「はい?」
「変なこと聞くの禁止」
「……はい」
巧の低い声に、エヴァは素直に引き下がった。
どうやら兄としての威厳は、まだ健在らしい。
「では、陽菜さん!」
「はい」
「日本の学校について教えてください!」
「学校?」
「はい!」
エヴァは身を乗り出す。
「制服はありますか!? 給食は!? 部活動は!? 体育祭や文化祭は本当にあるのですか!?」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
陽菜が慌てて手を振る。
「私は日本の学校に通っていませんし、学校そのものに行ったことがないです」
「なんと!?」
エヴァの顔が驚愕に染まった。
「それでは勉強はどうしているのですか!?」
「それは――」
陽菜は隣にいる巧を見る。
「お兄ちゃんが教えてくれてます」
「……」
エヴァは巧を見る。
「……」
巧もエヴァを見る。
「……何?」
「いえ」
エヴァはゆっくり頷いた。
「それはそれでアリです!」
「何が!?」
「お兄ちゃん先生……!」
「その呼び方やめてくれ」
巧は頭を抱えた。
陽菜はそんな二人を見て、また笑う。
「お兄ちゃん、大変だね」
「他人事みたいに言うなよ……」
「だって面白いから」
「陽菜まで……」
普段なら、こんな調子で終わる一日だっただろう。
しかし。
この日の桑原家には、まだ一つの大きな問題が残っていた。
「それで、エヴァさん」
「はい?」
「どうして俺の妹に会いたかったんですか?」
巧が尋ねる。
エヴァは一瞬だけ考える。
「……日本に行ったことがないからです」
「?」
「私は、日本が大好きです」
エヴァは窓の外へ視線を向ける。
「だから、日本人の方ともっとお話してみたかったのです」
その表情には、先ほどまでの騒がしさとは違う、純粋な憧れがあった。
「日本のことをもっと知りたい」
そして、再び陽菜を見る。
「だから、陽菜さんとも仲良くなりたいです!」
「……うん」
陽菜は嬉しそうに頷いた。
「私もエヴァさんと仲良くなりたい」
「本当ですか!?」
「はい」
「ありがとうございます!」
エヴァは満面の笑みを浮かべた。
その日の夕食は、いつもより少しだけ賑やかなものになった。
巧が料理を作り。
陽菜が手伝い。
エヴァが目を輝かせながら日本料理について質問する。
「これは何ですか!?」
「肉じゃが」
「ニクジャガ!」
「そんなに興奮するものか?」
「日本の家庭料理ですよ!?」
「……そうだけど」
「素晴らしいです!」
そんなやり取りが、夜遅くまで続いた。
笑い声。
食器の音。
くだらない会話。
それは、どこにでもあるような穏やかな時間だった。
だからこそ誰も気づかなかった。
この時間が、永遠に続くわけではないことに。
やがて三人の運命を大きく変える出来事が、この西欧の地で起きることを。
――この時の三人は、まだ知る由もなかった。




