39話 出会い、1/7⑤
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それから、さらに一年の月日が流れた。
桑原家の庭。
朝早くから、乾いた金属音が響いていた。
キィンッ!
「――っ!」
巧の振るった刀が、父の構える模擬剣と激しくぶつかる。
『まだ甘い!』
「分かってる!」
弾かれた刀を握り直し、巧は再び踏み込んだ。
右。
左。
そして正面。
幼い頃から積み重ねてきた訓練によって、その動きは以前とは比べ物にならないほど洗練されている。
だが――。
『遅い!』
「ぐっ!」
父の一撃が巧の肩を捉えた。
巧の身体が大きく弾かれ、そのまま地面へ転がる。
「……痛ぇ」
『実戦なら今ので終わりだ』
「分かってるよ」
巧は顔をしかめながら立ち上がり、肩をぐるりと回す。
「でも、前よりはマシになっただろ?」
『それは認める』
父は模擬剣を下ろした。
『魔甲を使わず、ここまで動けるようになったのは大したものだ』
「じゃあ――」
巧が顔を上げる。
『だが、まだジャティスにはなれん』
「……分かってる」
父は笑った。
『焦る必要はない。ジャティスってのは、魔甲を身に纏って戦えるだけでなれるものじゃない』
「……」
『自分の命を魔甲に預けられるほど理解し、そして魔人と戦う覚悟を持って初めて一人前だ』
巧は、自分の手に握られた刀を見る。
【ハヤテ】。
二年前、父から渡された魔甲の核となる刀。
「いつか……」
巧は静かに呟いた。
「俺もジャティスになる」
『ああ』
父は頷いた。
『その時が来たら、お前は俺を超えていけ』
「絶対にな」
その言葉が。
二人にとって最後の訓練になるとは、この時の巧は知る由もなかった。
――その日の昼。
訓練の休憩中。
突然、通信機からけたたましい警報が鳴り響いた。
『緊急通信! 魔人が出現した!』
「……!」
巧が顔を上げる。
父はすぐさま立ち上がった。
「父さん!」
『巧、そこを動くな』
「でも!」
『今回の相手は、お前が戦えるような奴じゃない』
「……!」
父の声は、いつもより低かった。
『いいか。まだお前はジャティスじゃない』
「……分かってる」
『だから、俺の帰りを待っていろ』
「……分かった」
『それでいい』
父はそれだけ言うと、装備を手に取って走り出した。
「父さん!」
巧は追いかけようとした。
だが、足が止まる。
父の言葉が頭に残っていた。
――まだお前はジャティスじゃない。
悔しかった。
自分には何もできない。
ただ、去っていく父の背中を見送ることしかできなかった。
「……絶対、帰ってこいよ」
それが。
最後の会話になった。
――数時間後。
日が傾き始めても、父は帰ってこなかった。
家では陽菜も一緒に、父の帰りを待っている。
「……遅いね」
「ああ」
巧は何度も時計を見る。
連絡はない。
それでも、きっと帰ってくる。
そう信じていた。
――コンコン。
玄関からノックの音が響いた。
「……!」
巧はすぐに立ち上がった。
「父さん!」
玄関へ駆け寄り、扉を開ける。
だが。
そこに立っていたのは、父ではなかった。
ジャティスの制服を着た、一人の隊員。
『……君が桑原の息子だね?』
「……はい」
嫌な予感がした。
隊員は一度目を伏せる。
『……残念だが、君の父親が――』
言葉が途切れる。
「……どうしたんだよ」
『……魔人との交戦で、戦死した』
「…………」
一瞬。
何を言われたのか理解できなかった。
「……嘘だろ?」
『……』
「だって……」
巧の声が震える。
「帰ってくるって……」
隊員は答えなかった。
「父さんは、俺に帰りを待ってろって……」
重い沈黙が玄関を包む。
巧はゆっくりと俯いた。
「……そうか」
それだけだった。
泣かなかった。
叫びもしなかった。
ただ、握り締めた拳だけが小さく震えていた。
その夜。
桑原家は、いつも以上に静かだった。
「……お父さん」
陽菜は父の写真の前に座っていた。
まだ、二人は父親の死を受け入れられるほど、大人ではない。
「……帰ってこないの?」
「……」
巧には答えられなかった。
陽菜の隣に座り、ただ写真を見る。
そこには、いつものように笑っている父がいた。
陽菜が巧の袖を掴む。
「……お兄ちゃん」
「……ん?」
「私たち、どうなるの?」
「……」
巧は答えを持っていなかった。
父がいなくなった。
これからどうすればいいのか、何をすればいいのかは何も分からない。
ただ、父の言葉が蘇った。
『その時が来たら、お前は俺を超えていけ』
そして。
『いつか、お前もジャティスになる』
巧はゆっくりと立ち上がった。
「……陽菜」
「なに?」
「俺がいる」
陽菜が顔を上げる。
「父さんがいなくなっても」
巧は拳を握った。
「俺が陽菜を守る」
それは少年が自分自身に言い聞かせるような言葉だった。
まだジャティスではない。
まだ父の背中には届かない。
それでも――。
いつか、その背中に追いつくために。
父が守ろうとしたものを、自分も守るために。
巧は【ハヤテ】を手に取った。
「……父さん」
窓の外では、静かに雪が降り始めていた。
「俺、絶対にジャティスになるから」
その決意を、もう父に聞かせることはできなかった。
―――――
それから数日後。
巧はジャティス本部を訪れていた。
父がかつて所属していた場所。
何度も話に聞いていた場所だったが、実際に足を踏み入れるのは初めてだった。
『……そうか』
応接室。
向かいに座る中年の男性は、巧をじっと見つめていた。
『君が桑原の息子なんだな』
「はい」
巧は背筋を伸ばす。
「父が大変お世話になりました」
『……こちらこそだ』
男性は窓の外へ視線を向ける。
『すまない……としか、私には言えない』
そして、静かに続けた。
『桑原は優秀な部下だった』
一度、言葉を止める。
『……いや。私にとっては、大切な友人だった』
「……」
『だからこそ、私にできることがあるなら言ってくれ。できる限り力になろう』
巧は迷わなかった。
「――なら、俺をジャティスに入隊させてください」
『……』
男性の目が細くなる。
『十分分かっているとは思うが、ジャティスに入るということは、常に死と隣り合わせになるということだぞ?』
「分かっています」
巧は【ハヤテ】へ手を添えた。
「それでも、俺は父を超えたい」
男性はしばらく黙っていた。
やがて。
『……分かった』
静かに頷く。
『君の気持ちを尊重しよう』
そして、少しだけ表情を和らげた。
『ちょうど今、ジャティスも世代交代の時期に入っていてな』
「世代交代?」
『ああ。近いうちに新しい総隊長が就任する』
男性は資料へ目を落とす。
『かなり若い人物だ。それに――』
一拍。
『史上初の女性総隊長になる』
「……女性?」
『そうだ』
男性は頷いた。
『彼女にも話を通しておこう』
「ありがとうございます」
巧は深く頭を下げた。
こうして、父を失った少年は、父と同じ道を歩き始めた。




