39話 出会い、1/7④
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「おにいちゃんっ! 起きて!」
桑原家が西欧へ戻ってから、八年の年月が過ぎた。
すっかり朝、陽菜が巧を起こすことは、桑原家の日常となっていた。
「……あと五分」
布団の中から、少年の眠そうな声が返ってくる。
「昨日もそれ言ってた」
「昨日の五分と今日の五分は違う」
「意味分からないよ」
陽菜は呆れながら、カーテンを開ける。
窓から差し込む朝日が、部屋を明るく照らした。
「ほら、もう朝ご飯できてるよ」
「……」
「おにいちゃん?」
「……分かった」
ようやく起き上がった少年。
八年前、雪の街で陽菜に「お兄ちゃん」と呼ばれた、あの小さな少年は。
今では立派な少年へと成長していた。
十三歳、背も伸びて顔立ちも少し大人びてきた。
しかし。
「眠いものは眠い」
その部分だけは、昔から変わっていない。
「もう……」
陽菜は小さく笑う。
「昔は『陽菜は俺が守る!』って言ってたのに」
「……」
巧の動きが止まる。
「それ、まだ覚えてるの?」
「もちろん」
陽菜は即答した。
「あの日から、ずっと」
「……そっか」
巧は少し照れたように笑う。
その笑顔は八年前の雪の日と、何も変わっていなかった。
朝食を終えた後。
『巧、いよいよ今日からだな』
「あぁ、そうだな」
「何が?」
巧と父はお互い理解したようであるのたが、陽菜はサッパリである。
「……そうだな。陽菜にも伝えとかないとな」
父は神妙な面持ちである。
『俺と巧は見た目は日本人であるが、生まれも育ちもここ西欧なんだ』
「えっ、そうなの?」
『あぁ、今は無き妻も純粋な日本人だな』
「それは父さんが浮気したからだろ」
『こらっ、巧っ!』
「…………」
陽菜は父へ冷ややかな視線を向けていた。
『……まぁ、それは置いておいて』
父は咳払いを一つする。
『今日から巧は、魔甲士としての訓練を始める』
「魔甲士……?」
陽菜が首を傾げる。
『知らないのも無理はない。一般に知らないものだからな。魔甲士とは魔力を持たずとも、特殊な装甲――魔甲を纏い、魔人や異形と戦う者たちがいる。それが魔甲士だ』
「おにいちゃんもそうなるの?」
『あぁ、そうだな。これは桑原家代々とそれを成しているからな』
「……じゃあ、おにいちゃんは戦場に行っちゃうの?」
陽菜は涙声で言う。
『それはないな。巧は十三歳になった今魔甲士の見習いとしてスタートだ。まだまだ俺のようにはなれんよ』
父は首を横に振る。
「いずれは父さんを超えてみせるから」
『まだまだ俺の目が黒いうちはお前に抜かれる気はしない』
父は袋から一振りの刀を取り出した。
『この刀の名は【ハヤテ】。お前の魔甲になる刀だ』
「これが俺の魔甲……」
『おっと、間違えても魔甲を発動させるなよ。まだまだ未熟なお前が使ったら多分死ぬぞ?』
「そんな物騒なもんをなんで渡したんだよ!」
巧は、手の中の【ハヤテ】を静かに見つめた。
まだ抜くことすら許されていない一本の刀。
それでも、不思議と手に馴染む気がした。
「……これが俺の魔甲になる刀」
思わず呟く。
父は満足そうに頷いた。
『そうだ。だが勘違いするな』
「?」
『今日から魔甲士見習いとして歩き始めるだけだ』
父の声は穏やかだったが、その眼差しは真剣だった。
『魔甲を扱えるようになったからといって、一人前ではない』
「……うん」
『これから体術、剣術、魔甲制御、実戦訓練……覚えることはいくらでもある』
巧は静かに頷く。
『そして、その先にあるのがお前の目指す場所だ』
「目指す場所?」
父はゆっくりと笑った。
『――ジャティスだ』
「ジャティス……」
その名を聞いた瞬間、巧の表情が引き締まる。
西欧の裏側で、その名を知らない者はいない。
魔人討伐を専門とする最強の魔甲士部隊。
世界各地へ派遣され、幾度となく人々を救ってきた英雄たち。
幼い頃から何度も話だけは聞いてきた存在だった。
『だが、勘違いするなよ』
父は人差し指を立てる。
『まだお前はジャティスにはなれん』
「……」
『今のお前は、ようやくスタートラインに立っただけだ』
その言葉に、巧は少しだけ悔しそうな表情を浮かべる。
「分かってるよ」
『ジャティスになるには、魔甲を自在に扱えるだけでは足りん』
父は《ハヤテ》を軽く叩く。
『技術、判断力、精神力。そして何より――』
一拍置いて、静かに告げる。
『仲間を守る覚悟が必要だ』
「守る覚悟……」
『そうだ。力だけでは人は守れん』
父は巧の肩へ手を置いた。
『だから焦るな』
『一歩ずつ積み重ねろ』
『そうすれば、いつかお前も胸を張ってジャティスを名乗れる日が来る』
巧は刀を強く握り締めた。
「……その時は」
真っ直ぐ父を見る。
「父さんより先に魔人を全部倒してやるよ」
『ははっ、威勢だけは一人前だな』
「いつか絶対追い抜く」
『だったら、その日を楽しみにしている』
二人が笑い合う。
その様子を見ていた陽菜は、まだ【ジャティス】という言葉の重みを理解できてはいなかった。
それでも。
兄が夢を見るような目で刀を見つめていることだけは分かった。
「おにいちゃん」
「ん?」
「頑張ってね」
その一言に、巧は照れくさそうに笑う。
「ああ。いつか必ず、ジャティスになってみせる」
それはまだ十三歳の少年が抱いた、小さくて大きな夢だった。




