39話 出会い、1/7
――十年前。
雪が降っていた。
白く染まった街。
吐く息は白く、歩道には冷たい雪が積もっている。
そんな街の片隅に、一人の小さな少女が座り込んでいた。
三歳ほどの少女。
まだ幼い彼女には、自分がどうしてここにいるのか、自分が何者なのか。
そして、これからどうすればいいのか。
そんなことは何一つ分からなかった。
ただ、寒かった。
怖かった。
そして、寂しかった。
「……」
小さな身体をぎゅっと抱き締める。
周囲にはたくさんの人が歩いている。
けれど、誰も足を止めない。
誰も声を掛けない。
幼い陽菜にとって、それは当たり前の光景だった。
世界には、助けてくれる人なんていない。
そう思っていた。
その時だった。
「……あれ?」
幼い少年の声が聞こえた。
「大丈夫?」
少女がゆっくりと顔を上げる。
そこに立っていたのは、一人の男の子。
まだ程の少女より少し年上なだけの、小さな少年だった。
少年は心配そうに少女を見つめている。
「……」
陽菜は何も答えない。
知らない人。
怖い。
そう思い、ただ黙って俯いた。
「えっと……」
少年は困ったように頭を掻く。
「寒い……よね?」
そう言うと、自分の着ていた上着を脱ぎ始めた。
もちろん、五歳の少年に余裕なんてない。
彼の頬も真っ赤で、吐く息は小刻みに震えている。
それでも。
「はい」
少年は上着を陽菜へ差し出した。
「これ着て」
陽菜は驚いたように目を丸くする。
「……あなたは?」
「俺?」
少年はにこっと笑った。
「俺は大丈夫!」
そう言ったものの、声は少し震えていた。
その姿を見て。
陽菜は初めて思う。
(この人も……寒い)
なのに。
どうして。
自分に上着をくれるんだろう。
「……どうして?」
小さな声だった。
それが陽菜が久しぶりに口にした言葉だった。
「どうして助けるの?」
少年は少しだけ考えてから、当たり前のように笑う。
「困ってるから」
「……」
「困ってる人がいたら助けるんだって、お母さんが言ってた!」
その言葉は、とても単純だった。
だからこそ。
少女の胸に、真っ直ぐ届いた。
「名前は?」
少年が尋ねる。
少女は少しだけ考える。
だが、どれだけ考えても思い出せない。
「……分かんない」
「えっ?」
少年は目をぱちくりさせた。
「自分の名前が分からないの?」
「うん」
「そっかぁ……」
少年は困ったように笑う。
「俺は巧!」
「桑原巧!」
その笑顔を。
陽菜は、生涯忘れることはなかった。
―――――
「えーっと……つまり」
巧は腕を組み、小さな頭を一生懸命働かせる。
「名前も分からないし、お家も分からないってこと?」
「うん」
「うーん……」
五歳の少年には、どうすればいいのか分からない。
目の前の女の子を助けたい。
でも、その方法が分からなかった。
『おーい、巧ー!』
遠くから男性の声が響く。
『どこ行ったんだー?』
「あっ、お父さん!」
巧はぶんぶんと手を振った。
雪を踏みしめながら、一人の男性が近付いてくる。
「巧、勝手に走って行くなって……ん?」
男性は陽菜を見るなり表情を変えた。
「どうした?」
「お父さん!」
巧は慌てて事情を説明する。
「この子、名前も分からないんだ!」
「お家も分からないし、ずっと一人だった!」
「記憶消失の迷子なの!」
「記憶喪失な」
父親は苦笑しながら訂正した。
それからゆっくりしゃがみ込み、陽菜と目線を合わせる。
『こんにちは』
「……」
突然話し掛けられ、陽菜はびくっと身体を震わせた。
そのまま反射的に巧の後ろへ隠れる。
「あっ」
巧が苦笑する。
「お父さん、この子怖がってる」
『そりゃそうだ』
父親は少し考えた後、にやりと笑った。
「だったら、とっておきだ』
何も持っていない右手をぎゅっと握り締める。
『よーく見てて?』
そう言って手を開く。
―――すると、何もなかった掌の上に小さなチョコレートが現れた。
「――っ!」
陽菜の目が大きく見開かれる。
『イッツ・マジック!』
「すごいでしょ?」
巧は得意げに胸を張った。
「お父さん、マジック得意なんだ!」
陽菜はチョコレートと男性の顔を何度も見比べる。
するとほんの少しだけ、その小さな口元が緩んだ。
『おっ、笑った』
父親は嬉しそうに笑う。
『よし』
優しい声で続けた。
『まずは交番へ行こうか。君のお父さんやお母さんも、きっと心配して探してる』
「……」
陽菜は小さく俯く。
探してくれる人。
その言葉に、なぜか胸が少し痛んだ。
「大丈夫!」
巧が陽菜の前へ立つ。
「俺も一緒に行く!」
そう言って、小さな手を差し出した。
「一人じゃないから」
「……」
陽菜はその手を見つめる。
冷たくなった自分の小さな手。
そして、自分に向かって差し出された、温かい小さな手。
ゆっくりとーー本当にゆっくりと。
陽菜はその手を握った。
「よし!」
巧は嬉しそうに笑う。
「行こう!」
その日、雪の街で交わされた小さな手と小さな手。
それが二人が兄妹になる物語の、始まりだった。




