38話 出発②
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南極へ向かう当日。
まだ太陽が水平線から顔を覗かせたばかりの早朝。
港には巨大な一隻の船が静かに停泊していた。
表向きは、南極観測を目的とした民間調査船。
しかし、その正体はアズマグループが極秘に運用する特殊船舶。
一般人が足を踏み入れることなど決して許されない船だった。
「……本当に来ちゃったね」
巨大な船を見上げながら、月菜はぽつりと呟いた。
あまりにも大きい。
近くで見ると、まるで海に浮かぶ要塞だった。
「当たり前」
隣で陽菜が静かに答える。
「お兄ちゃんを助ける」
その一言に迷いはない。
月菜は苦笑しながら肩を竦めた。
「そういう意味じゃないんだけどなぁ」
「ここまで来たら、もう引き返せないねって意味」
「……うん」
陽菜は小さく頷いた。
その横では、大きなリュックを背負った星菜が感心したように船を見上げていた。
「いやー、デカいねぇ」
「写真で見るより迫力ある」
「ねぇ星菜ちゃん」
月菜はそのリュックを指差す。
「その荷物、本当に全部必要なの?」
「もちろん!」
星菜は胸を張る。
「防寒着、保存食、懐中電灯、ロープ、救急セット」
「うんうん」
「それと漫画二十冊」
「多いよ!?」
「移動時間長そうだし」
「遠足じゃないんだから!」
月菜のツッコミに星菜はけらけらと笑う。
「それとトランプもあるよ?」
「なんで!?」
「暇になったら遊ぼ?」
「ならないよ!?」
月菜は思わず頭を抱えた。
これから向かう場所は魔人の本拠地。
命懸けの潜入だというのに、この少女は旅行気分である。
ある意味、一番肝が据わっているのかもしれない。
「……ところで」
陽菜が静かに二人を見る。
「家族には?」
その一言で、空気が少しだけ変わった。
月菜は視線を泳がせる。
「えっと……」
少し言いづらそうに頬を掻いた。
「友達の家に泊まりに行くって」
「タクローさんに?」
「……うん」
月菜は小さく俯く。
「本当は言いたかったんだけどね」
「絶対止められるもん」
それは確信だった。
兄は何よりも自分を優先する。
だからこそ、今回は嘘をついた。
胸の奥が少しだけ痛んだ。
「でも」
月菜はぎゅっと拳を握る。
「陽菜のお兄ちゃんを助けたい気持ちは本当だから」
「私も行くって決めたの」
陽菜は静かに月菜を見つめる。
「……ありがとう」
短い言葉だった。
だが、その一言だけで十分だった。
「星菜は?」
陽菜が尋ねる。
「私?」
星菜はあっけらかんと笑う。
「何も言ってない!」
「えぇっ!?」
月菜が思わず声を上げる。
「だってクソ兄に言ったら百パー止められるし」
「まぁ……そうだろうね」
「だから置き手紙だけ置いてきた!」
「それも十分問題だよ!」
「帰ったら怒られるかなぁ」
「絶対怒られるよ!」
「ま、その時はその時!」
星菜は笑って親指を立てた。
相変わらずの楽観的な性格だった。
その明るさに、月菜の緊張も少しだけ和らぐ。
「……時間」
陽菜が腕時計を見る。
「そろそろ動く」
「いよいよだね」
三人は港の倉庫の陰へ身を隠した。
船員たちは積み荷の確認で慌ただしく動き回っている。
今なら死角が多い。
「もう一回確認するよ?」
月菜は小声で二人を見る。
「これ、正式な乗船じゃないからね?」
「うん」
「許可もない」
「うん」
「つまり密航だからね?」
「そうなる」
「陽菜ちゃん!」
そこ否定してほしかった。
月菜は思わず頭を抱える。
一方、星菜はどこか楽しそうだった。
「人生初の密航かぁ」
「なかなか出来る経験じゃないよね」
「経験したくないよ!」
「細かいことは気にしない!」
星菜は笑いながらコンテナの陰を指差した。
「あっちなら船員から見えないよ」
「行く」
陽菜が先頭に立つ。
三人は大型コンテナの影を利用しながら、少しずつ船へ近付いていく。
心臓の鼓動が速い。
見つかったら終わり。
そんな緊張感の中、ようやく船尾の荷物搬入口へ辿り着いた。
「ここ」
陽菜が静かに呟く。
「船内へ入れる」
「よく調べたね……」
「必要だったから」
「その言葉万能すぎるよ……」
扉には簡単な電子ロックが付いていた。
星菜はそれをじっと眺める。
「うーん」
「どう?」
「壊せば開く」
「駄目ぇぇぇ!」
月菜は慌てて止めた。
「絶対バレる!」
「冗談だって」
星菜は苦笑しながら端末を操作する。
カチッ。
小さな音と共にロックが解除された。
「え?」
月菜が目を丸くする。
「開いた……」
「この程度なら簡単簡単♪」
「何者なの星菜ちゃん……」
「クソ兄の英才教育かな?」
「全然嬉しくない教育だね!」
三人は顔を見合わせる。
そして、ゆっくりと船内へ足を踏み入れた。
薄暗い通路。
響くエンジン音。
鉄と油の匂い。
船の内部へ入った瞬間、外の喧騒が嘘のように遠ざかる。
その静けさが、かえって三人の緊張を高めていた。
陽菜は静かに拳を握る。
(お兄ちゃん)
必ず助ける。
そのために、ここまで来た。
「さて」
星菜が辺りを見回す。
「問題は」
「どこに隠れるかだね」
月菜が青ざめた。
「……もしかして」
「そこまで考えてなかった?」
「…………」
「…………」
「必要だと思わなかった」
「そこは必要だよぉぉぉっ!!」
月菜の悲鳴にも似たツッコミが、静かな船内へ小さく響いた。
こうして三人の少女による、前代未聞の密航作戦が幕を開けた。
―――――
ゆっくりと港を離れていく巨大な船。
白い航跡を残しながら、南極へ向けて静かに進み始める。
その様子を少し離れた埠頭から、四人の男女が見送っていた。
「……無事に乗れたみたいだな」
タクローが小さく息を吐く。
その視線の先には、すでに沖へ向かい始めたアズマの船があった。
「そういえばさ」
ショージが頭を掻きながら口を開く。
「日本から南極って、どれくらい掛かるんだ?」
「えーっと……」
ミアはスマホを確認しながら答える。
「普通の観測船なら二〜三週間くらい掛かる場合もあるみたいね」
「うわぁ……」
ショージが顔をしかめる。
「月菜ちゃんたち、その事知ってんのか?」
「……知らぬであろうな」
ユウゲンが腕を組み、ふっと笑う。
「だが心配は無用」
得意げに胸を張る。
「何を隠そう、あの船はアズマグループが総力を挙げて建造した高速特殊船である!」
「また始まった」
ミアが呆れたように肩を竦める。
「最高速度なら二日もあれば南極へ到着する」
「二日!?」
ショージが目を丸くした。
「どんな船だよ、それ!」
「企業秘密である!」
ユウゲンは高らかに笑う。
「ふははははっ!」
「……相変わらず何でもありだな」
タクローは苦笑するしかなかった。
すると、ミアが横目で彼を見る。
「それより」
「本当に良かったの?」
「何がだ?」
「月菜ちゃんを行かせて」
その問いに、タクローはしばらく黙って海を眺めた。
やがて、小さく肩を竦める。
「……良くはねぇよ」
苦笑混じりの声だった。
「友達の家に泊まるって言われた時から、目ぇ泳ぎっぱなしだったしな」
「嘘が下手なのね」
「昔からな」
思い出したように笑う。
「バレバレなのに本人だけ隠せてるつもりなんだよ」
「なら止めればよかったではないか?」
ユウゲンの問いに、タクローは首を横へ振る。
「止めても行くさ」
「月菜も、陽菜ちゃんも」
「そういう奴らだからな」
その言葉には、妹への信頼が滲んでいた。
「ま、帰ってきたら母さんたちには俺からちゃんとフォロー入れねぇとな」
「苦労するわねぇ」
ミアがくすりと笑う。
「妹を持つ兄ってのも楽じゃないわ」
「羨ましいぞ!」
ショージが勢いよく肩を叩く。
「妹に振り回される人生!」
「お前には絶対分からん」
「何でだよ!」
「一人っ子だからだ」
「ぐはっ!」
痛いところを突かれ、ショージはその場に崩れ落ちた。
そんなやり取りを見ながら、ユウゲンが静かに口を開く。
「安心せよ。船員にはすでに話を通してある。月菜嬢たちを見つけても知らぬふりをしろ、と。食料や寝床についても、自然に誘導するよう指示済みである」
「悪りぃな」
タクローは軽く手を挙げる。
「助かる」
「構わぬ」
ユウゲンは不敵に笑った。
「部下の家族を守るのも、ボスの役目だからな」
「だから俺は部下じゃねぇって」
即座にツッコむタクロー。
港には、いつもの軽いやり取りが響いた。
だが、タクローの視線だけは、ずっと遠ざかる船を追い続けている。
「……ま、保険も掛けてあるしな」
誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。
その言葉の意味を知る者は、この場には誰もいない。
ただ一人、タクローだけが静かに笑みを浮かべた。
「月菜、ちゃんと帰ってこいよ」
その願いを乗せるように、船は白い海原の彼方へと姿を消していった。




