37話 エストファミリア⑩
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白銀の世界。
果てなく広がる氷原を、吹雪が容赦なく叩きつける。
その極寒の大地に、不自然なほど巨大な観測基地が建っていた。
――某国の南極観測基地。
だが、それは表向きの姿に過ぎない。
基地の地下深く。
一般人どころか各国政府ですら存在を把握していない巨大施設。
その最奥の牢獄に、一人の少年が囚われていた。
「……寒いな」
壁にもたれながら、少年は小さく呟く。
桑原巧。
陽菜の兄である。
両腕は特殊な拘束具で封じられ、身体中には幾筋もの傷跡が残っている。
絶望的な状況であるが、その瞳は少しも死んではいなかった。
「陽菜……元気にしてるといいんだけどな」
「自分の事より妹の心配か? 随分余裕だな」
突然、薄暗い闇の中で低く響く声を聞き、巧は顔を上げる。
鉄格子のの向こうから、一人の男が姿を現した。
雪のような白髪。
岩のように鍛え上げられた巨体。
獣を思わせる鋭い眼光。
ただ歩くだけで、空気そのものが重く沈む。
「はっ、レグルス……俺に会いに来るなんて暇そうだな」
魔人の一人。
【怪物】レグルス・クレイマー。
「そんな軽口が叩けるとは、まだまだ余裕そうだな」
巧は鼻で笑う。
「捕虜相手に威張る趣味でもあるのか?」
その言葉に周囲の兵士たちが殺気立つ。
『貴様……』
『レグルス様に向かって――』
しかし、レグルスは片手を軽く上げるだけで兵士たちを黙らせた。
「構わん」
口元を僅かに歪める。
「普通なら恐怖で膝を折る。だが貴様は違う」
レグルスは巧を見下ろす。
「恐れるどころか、俺を睨んでいる」
「俺は【ジャティス】だからな」
巧は即答する。
「お前ら魔人を相手にするのが生業だ。今さらお前程度で震えるかよ」
「ガハハッ! そうかそうか。お前ら【ジャティス】は魔人を狩る事を生きがいにしている小蝿のように鬱陶しい組織だ。だが、その度胸だけは認めてやろう」
笑みを消し、レグルスはふと口を開く。
「それよりも、桑原陽菜だったな。貴様の妹は」
その瞬間、巧の表情が変わった。
「……どうして陽菜の名を知っている?」
「情報などいくらでも手に入る」
レグルスは椅子へ腰掛ける。
「陽菜に何かしてみろ!! 俺はお前を殺すっ!!」
巧は睨む。
「この状態でか?」
レグルスは巧に繋がれた鎖に視線を写した。
「まぁ、慌てるな。俺はお前を気に入っているのだ。部下になるのであれば妹に手を出そうとは思わんーーが……」
レグルスは立ち上がり、ゆっくりと檻の中へ足を踏み入れる。
「お前が部下になる事を断り続けるなら、妹の安全は保証されないな。つい先ほども破魔士の残党どもをけしかけてやった」
「っ!! この野郎っ!!」
鎖を鳴らし、巧が飛びかかる。
ーーーしかし拘束具が身体を引き戻した。
「しかし、貴様の妹は運が良いようだな。魔術士どもと、そして【ミシマ】に邪魔をされたようだ」
「……ミシマが」
自分の故郷日本を縄張りとするエストファミリアの最高幹部にして魔人の一人【ミシマ】。
当然、巧はその名を知っていた。
「奴らは自分の縄張りを荒らされるのを嫌っている。妹は運が良いみたいだ。何故、魔術士たちと共にいるのかは分からんがな」
レグルスは興味なさげに肩を竦める。
だが、巧はその言葉に、小さく息を吐いた。
「……そうか」
「安心したか?」
「少なくとも、お前よりは信用できる」
「ほう?」
「ミシマは敵だ」
巧はレグルスを真っ直ぐ見据える。
「だが、相手を意味もなく殺すような男じゃないって話くらいは聞いてる」
その言葉に、レグルスは一瞬だけ目を細めた。
「面白いことを言う」
低い笑い声が響く。
「敵を信用するか」
「信用じゃない」
巧は首を横へ振る。
「強い奴には強い奴なりの流儀がある。それだけだ」
「流儀、か」
レグルスはゆっくり立ち上がる。
「確かに奴には妙な甘さがある」
窓のない天井を見上げる。
「だからこそ理解できん」
「力を持ちながら、何故あそこまで弱者へ肩入れするのか」
「……簡単だ」
巧は即答した。
「守りたいものがあるからだ。守りたいものがあるから、人は強くなれる」
その一言に。
レグルスは静かに笑う。
「くだらんな」
レグルスの声が低くなる。
「力ある者は力で示せばいい。弱者など踏み越えて進むものだ」
「だから、お前には誰も付いてこないんだよ」
巧は笑った。
「部下はいても、仲間はいない」
その瞬間。
部屋の空気が凍り付く。
周囲の兵士たちが思わず武器へ手を掛けた。
『無礼だ!』
『黙れ!!』
怒号が飛ぶ。
しかし。
「下がれ」
レグルスが静かに命じると、兵士たちは口を閉ざした。
「……貴様は面白い」
レグルスは鉄格子の目前まで歩み寄る。
「死を恐れぬ者は嫌いではない」
その大きな手が、巧の頭を掴んだ。
「だが、その目だけは気に入らん」
ギリッ。
指に力が入る。
それでも巧は眉一つ動かさない。
「どうした。その程度か?」
巧は不敵に笑う。
レグルスの口角が吊り上がった。
「挑発も一流だな、【ジャティス】」
「訓練の成果だ」
「惜しい男だ」
レグルスは手を離し、背を向ける。
「俺の部下になれば、その力を存分に振るわせてやれるものを」
「断る」
即答だった。
「俺はジャティスだ」
「魔人を狩るために生き、魔人を倒すために鍛えてきた。お前らの犬になるくらいなら死んだ方がマシだ」
レグルスは足を止める。
そして――豪快に笑った。
「ガハハハハッ!!」
地下施設全体へ響き渡るような笑い声。
「いいだろう!」
振り返ったその目は獲物を見る猛獣そのものだった。
「ならば、その誇りごと叩き潰してやる!」
その時だった。
部屋の外から、一人の兵士が慌ただしく駆け込んでくる。
『レグルス様!』
「騒がしいな」
『先ほど日本で敗走した部隊が帰還しました!』
「……ほう」
その報告にレグルスの目が細くなる。
「敵前敗走。つまりーーー処分せよ」
『ーーーはっ!』
獣のような笑みを浮かべながら、レグルスは静かに呟く。
「ミシマ、今度こそ決着をつけようではないか」
その名を聞いた巧は、静かに目を閉じた。
(……陽菜)
胸騒ぎがする。
あの妹のことだ。
自分を助けるためなら、無茶をする。
そんな嫌な予感だけが、どうしても拭えなかった。




