37話 エストファミリア⑧
タクローは立ち上がると、部屋の隅にある小さな冷蔵庫を開けた。
中からガラス製の小さな器を人数分取り出し、テーブルへ並べていく。
「ほい」
「わぁ……!」
月菜の目がぱっと輝いた。
透明な器の底には琥珀色のカラメル。
その上では、つやつやとしたプリンがぷるりと小さく揺れている。
見ただけで分かる。
絶対に美味しいやつだ。
「今日のデザートは特製プリン」
「やったぁ!」
さっきまで兄の正体に頭を悩ませていたとは思えないほどの笑顔で、月菜は器を受け取る。
「現金な妹だな」
「甘いものは別腹なの!」
「いや、お前さっきシチュー三杯食っただろ」
「それとこれは別!」
月菜は勢いよくスプーンを入れ、一口頬張る。
「~~~~っ!」
思わず両手で頬を押さえた。
「お、おいしいぃぃぃ……!」
「だから太るんだぞ」
「太らないもん!」
「その食生活でよく言えるな」
「ひどい!」
兄妹のやり取りに、その場の全員が思わず笑みを零した。
戦場だった空気はすっかり消え、地下室には穏やかな時間が流れている。
陽菜も静かにプリンを口へ運んだ。
「……美味しい」
「でしょ!」
何故か月菜が胸を張る。
「いや、お前作ってないだろ」
「えへへ」
エヴァも一口食べ、小さく目を見開いた。
「これは……本当に美味しいですね」
もう一口。
ゆっくり味わうように頬張る。
「お店に並んでいても不思議ではありません」
「だろ?」
ショージが腕を組み、得意げに頷く。
「こいつ料理だけなら世界征服できるぞ」
「料理”だけ”って何だよ」
「だけじゃないから困るのよ」
ミアが肩を竦める。
「家事全般、戦闘、裁縫、修理……全部できるじゃない」
「万能すぎるんだよなぁ」
「万能家政夫だな」
「だから違うって」
タクローは呆れたようにため息を吐いた。
その何気ないやり取りに、地下室は再び笑いに包まれる。
しかし、その空気を静かに切り替えたのはエルンストだった。
「……さて」
カチャリ、とスプーンを置く。
「そろそろ本題へ戻ろうか」
その一言だけで、全員の表情が引き締まる。
タクローもプリンを食べる手を止め、静かに視線を上げた。
「今日、君たちを襲撃した破魔士たち」
エルンストは全員を見渡す。
「彼らは間違いなく【エストファミリア】を名乗っていた」
「ああ」
タクローが頷く。
「偽物だ」
ユウゲンも腕を組み直した。
「あのような者たちは我らの仲間ではない」
「ですが」
エヴァが静かに口を開く。
「彼らは、自分たちこそ本物だと本気で信じていました」
「洗脳というより……そう教育されているのでしょうね」
ミアも頷く。
「問題は、誰が何の目的でそんな集団を作ったのか」
一瞬、地下室が静まり返る。
その沈黙を破るように、ユウゲンは懐から一枚の写真を取り出し、机へ置いた。
そこに写っていたのは、白髪の巨漢。
鍛え上げられた肉体と、獣のような鋭い眼光。
写真越しですら圧倒されるほどの存在感だった。
「この男に見覚えはあるか?」
エヴァが息を呑む。
「……この人は」
「知っているのか?」
「ええ」
エルンストが静かに頷く。
「魔人の一人――【怪物】レグルス・クレイマー」
その名を聞いた瞬間、月菜の肩が小さく震えた。
エルンストですら警戒する相手。
そんな存在が今回の事件に関わっている。
「ほぼ間違いない」
タクローが写真を見つめながら言う。
「あいつが裏で糸を引いてる」
「理由は?」
「俺たちだ」
短い返答だった。
「正確には、エストファミリアを潰したい」
ショージの笑みが消える。
「俺たちの名前を利用したのも」
ミアが続けた。
「信用を失わせるため」
「そして最終的には」
ユウゲンが写真を指で軽く弾く。
「あやつは脳筋に見えて存外頭が切れる。内部から信用を崩し、エストファミリアそのものを瓦解させるつもりなのであろう」
写真が机の上を静かに滑る。
その鋭い視線が、まるでこちらを睨み返しているようだった。
タクローは写真を手に取り、小さく息を吐く。
「こいつとは昔から何度もやり合ってる」
写真を見つめたまま呟く。
「……そろそろ決着をつける頃合いかもな」
その言葉に、陽菜が勢いよく顔を上げた。
「……タクローさん」
「ん?」
「レグルスの居場所……知っているんですか?」
「まあな」
タクローが答えるより先に、ユウゲンが胸を張る。
「このアズマの情報網を甘く見るでない」
陽菜は立ち上がった。
拳を強く握り締める。
「お願いします!」
声が震えていた。
「私の兄が……レグルスに捕まっているんです!」
部屋が静まり返る。
その想いを知っているからこそ、誰も軽々しく口を開けなかった。
「陽菜」
エルンストが静かに制止する。
「以前も言ったはずだよ」
「……」
「レグルスは魔人だ。今の君が挑める相手じゃない」
陽菜は唇を噛み締める。
何も言い返せない。
今日の戦いだけでも、自分たちと魔人との実力差は嫌というほど思い知らされた。
タクローも静かに頷く。
「正直に言う」
真剣な表情で陽菜を見る。
「今日の戦いを見る限りじゃ、今のまま助けに行っても全滅する」
残酷な言葉だった。
だが、嘘ではない。
だからこそ誰も否定できなかった。
「陽菜ちゃん……」
エヴァはそっと陽菜の肩を抱く。
「巧さんを助けたい気持ちは私も同じです」
優しく微笑む。
「だからこそ、焦ってはいけません」
「……エヴァ」
「必ず機会は来ます。その時まで力を蓄えましょう」
陽菜はゆっくりと頷いた。
「……うん」
地下室に静かな空気が流れる。
タクローはパンと手を叩いた。
「よし」
いつもの調子へ戻る。
「今日はここまでだ」
月菜へ視線を向ける。
「さっき母さんには連絡しといた。今日はここへ泊まるぞ」
「えっ、本当に!?」
「夜も遅いしな」
月菜は嬉しそうに笑う。
「他のみんなは?」
「私は遠慮しておくよ」
エルンストが立ち上がる。
「流石にエストファミリアのアジトへ泊まる勇気はない」
「あたしも帰るよー」
星菜が手を振る。
「泊まりたいけど、クソ兄が絶対うるさいし」
「私は理事長と少し話があります」
エヴァが陽菜を見る。
「陽菜ちゃんは?」
「私は……」
少しだけ迷った、その時だった。
「陽菜、一緒に泊まろうよ!」
月菜が満面の笑みで手を差し出す。
「今日は一人にしたくないから」
その言葉に、陽菜は少しだけ目を丸くする。
そして、小さく笑った。
「……うん」
「じゃあ、お言葉に甘える」
その返事を聞いた月菜は、心から嬉しそうに笑った。
こうして、長くて慌ただしい一日は、ようやく静かに幕を下ろそうとしていた。




