37話 エストファミリア⑦
ひとしきり笑い声が落ち着くと、地下アジトには再び静かな空気が流れ始めた。
タクローは人数分のコーヒーや紅茶を机へ並べ、自分も空いている椅子へ腰を下ろす。
湯気がゆっくりと立ち昇る。
つい先ほどまで命のやり取りをしていたとは思えないほど、不思議と穏やかな時間だった。
「……さて」
その一言だけで場の空気が変わる。
ショージは椅子へ深く座り直し、ユウゲンも腕を組んで姿勢を正した。
ミアは壁へもたれたまま静かに目を細め、エヴァや陽菜も自然と表情を引き締める。
月菜は思わず唾を飲み込んだ。
「……やっと話してくれるの?」
「全部は無理だな」
タクローは苦笑しながらカップを持ち上げた。
「話せないこともある」
「またそうやって誤魔化す!」
「誤魔化すわけじゃない」
一口だけコーヒーを飲み、静かに息を吐く。
「順番ってもんがある」
「順番?」
「ああ」
机へ肘をつき、全員を見回した。
「まず一つだけ訂正しておく」
その言葉に視線が集まる。
「俺たちエストファミリアは、世間で言われてるような秘密結社でもテロ組織でもない」
「そこ重要である!」
ユウゲンが勢いよく立ち上がる。
「我らは正義を執行する――」
「自称だけどな」
「ぐぬぅ……」
一瞬で撃沈した。
「じゃあ何なの?」
月菜が首を傾げる。
タクローは少しだけ考える素振りを見せたあと、肩を竦めた。
「便利屋」
「…………」
沈黙が流れる。
そして次の瞬間。
「「「「「はぁぁぁぁぁっ!?」」」」」
地下室中へ見事なツッコミが響き渡った。
「いやいやいや!」
ショージが机を叩く。
「もっとこう……裏社会を牛耳る秘密組織とかさ! 伝説の退魔集団とかさ! ロマンあるだろ!」
「実際そんな大層なもんじゃねぇし」
タクローは平然としている。
「依頼受けて、人助けして、妖を退治して、賞金首を捕まえて、迷子の犬探して――」
「最後だけ町内会なのよ!」
「依頼は依頼である!」
ユウゲンが胸を張る。
「しかも成功率百パーセントだ!」
「胸張るところじゃないでしょ!」
ミアが額へ手を当てる。
エヴァは苦笑しながら尋ねた。
「つまり……依頼内容を選びながら活動している独立組織、という認識でよろしいのですか?」
「まあ、そんな感じだな」
「資金源は?」
「依頼料もあるけど、一番大きいのは――」
タクローは親指でユウゲンを指した。
「こいつ」
「世界のアズマは伊達ではない!」
ユウゲンがふんぞり返る。
「スポンサー兼ボス兼財布である!」
「最後だけ生々しい!」
ショージが即座にツッコむ。
笑いが広がる中、エルンストは感心したように頷いた。
「なるほど……だから各国にも所属せず、独立して動けるのか」
「国の事情なんて面倒だからな」
「そこはもっと志があってもいいんじゃないかな……」
「平和ならそれで十分だろ」
あっさり言い切るタクローに、エルンストは苦笑するしかなかった。
その時だった。
「はいはいはーい!」
星菜が勢いよく手を挙げる。
「質問!」
「なんだ?」
「タク先輩って、本当はいくつ?」
「ぶふっ!」
ショージがコーヒーを吹き出した。
「おまっ、そこ聞くか普通!」
「だって気になるじゃん!」
星菜は悪戯っぽく笑う。
「高校生なのに破魔士を素手で倒して、日本刀は達人で、エストファミリア最強なんだよ? 本当に十六歳?」
「私も気になります」
エヴァも頷く。
「普通では説明がつきません」
「私も」
月菜が小さく手を挙げた。
「……知りたい」
タクローは頭を掻きながら天井を見上げる。
「十六歳」
「本当に?」
「本当」
「絶対嘘」
「だから本当だって」
星菜はじーっと睨み続ける。
「じゃあ経験値がおかしい!」
「それは認めるわ」
ミアが静かに口を開いた。
「戦闘経験だけなら、私たち三人を合わせてもタクローには敵わない」
「まあ……長いからな」
何気なく返した一言。
それだけで部屋の空気が変わった。
笑い声が止み、静寂が地下室を包む。
タクローはカップを机へ置き、小さく息を吐いた。
「初めて刀を握ったのは……物心つく前だった」
静かな声だった。
けれど、その重みだけは誰にも伝わる。
「学校へ通ったこともなかった」
月菜の瞳が揺れる。
「え……?」
「月菜の家に来るまでは、教室って場所すら知らなかった」
淡々と語る。
感情を交えないからこそ、その言葉は重かった。
「遊び方も知らない。友達の作り方も知らない。朝起きて、刀を振って、飯食って、また刀を振る。それだけだった」
誰も口を開かない。
静寂だけがゆっくりと流れていく。
「だから最初は困ったよ」
タクローは少しだけ笑った。
「ショージなんて初対面で爆弾投げてくるし」
「挨拶だ!」
「普通は名刺だ」
「私はそのショージを狙撃してたわね」
ミアがさらりと言う。
「賞金首だったもの」
「愛ゆえだな!」
「違う。賞金ゆえよ」
即答だった。
地下室に再び笑いが戻る。
ユウゲンも肩を揺らしながら頷いた。
「我も覚えておるぞ。最初のお前たちは犬猿の仲であった」
「よくグループになったよな」
「今では腐れ縁だけどね」
「最高の腐れ縁だ!」
ショージは親指を立てて笑う。
その様子を見つめながら、月菜は静かに兄を見る。
知らなかった。
兄には、自分の知らない時間があった。
知らない戦いがあり、知らない名前があり、知らない過去があった。
きっと、これからも知らないことはたくさん出てくる。
それでも――。
朝になると起こしてくれて。
お弁当を作ってくれて。
帰れば「飯できたぞ」と笑ってくれる。
その人は、今も変わらず目の前にいる。
(……お兄ちゃんは、お兄ちゃんなんだ)
胸の奥が、少しだけ軽くなった。
まだ聞きたいことは山ほどある。
【ミシマ】という名前のこと。
エストファミリアのこと。
そして兄が歩んできた過去。
けれど、それは今じゃなくてもいい。
いつか兄自身が話してくれる。
そんな気がした。
その時、タクローが立ち上がる。
「さて」
空になったカップを持ち上げながら、いつもの調子で言った。
「デザートでも食うか」
「あるのっ!?」
月菜の目が一瞬で輝く。
「プリン」
「やったぁぁぁ!」
さっきまで泣いていたとは思えない笑顔だった。
その笑顔を見て、タクローも小さく笑う。
――その光景を見ながら、エルンストだけは静かに考えていた。
(【ミシマ】……いや、京田琢郎。君は、一体どれだけのものを背負って生きてきたんだ……)
その答えが語られる日は、まだ少し先の話だった。




