37話 エストファミリア③
『何故、貴方が魔術士どもに肩を持つのですかっ!? ――【ミシマ】さんっ!!』
その一言は、冬の住宅街に鋭く突き刺さった。
「…………え」
月菜の思考が止まる。
今、何て言った?
聞き間違いじゃない。
確かに聞こえた。
「……ミシマ?」
震える声が漏れる。
【魔人】
世界から脅威とみなされた際の呼び名。
エヴァから教えられた、忘れようにも忘れられない名前だった。
「……な、なんで」
ゆっくりと視線が兄へ向く。
いつもの制服姿、そしていつもの横顔。
ついさっきまで「シチューが冷める」とぼやいていた兄。
その兄が、魔人の名で呼ばれている。
「う、嘘……」
月菜の喉が震えた。
「そんなの……嘘だよね、お兄ちゃん?」
返事はない。
タクローは男たちを見据えたまま、一言も発しなかった。
その沈黙が、月菜の胸を締め付ける。
「お兄ちゃん……?」
もう一度呼ぶ。
お願いだから違うと言って。
人違いだと笑って。
いつもみたいに「何言ってんだ」って呆れて。
そうしてくれるだけでいいのに。
なのに。
タクローは何も言わなかった。
「そんな……」
エヴァも目を見開いていた。
「あり得ません……」
学院にも魔人に関する事は必ず習う。
【ミシマ】
その名は、危険指定された破魔士の一人として記録されていた。
その危険度は最高位のSクラス。
だからこそ理解できない。
どうして同級生にしてら友人の京田琢郎が、その名で呼ばれるのか。
「月菜」
陽菜が小さく声を掛ける。
しかし、その声にも僅かな動揺が滲んでいた。
「俺が怖いか?」
「……!」
月菜は涙を浮かべる。
怖いのは事実。
しかし、月菜の記憶には優しいタクローの姿しか残っていないのである。
「ま、こればかりはしゃーないか……」
タクローは困った様子で頭を掻いた。
そして、黒衣の男は血を吐きながらも立ち上がる。
『ようやく……ようやく見つけました』
歓喜すら滲ませる声だった。
『貴方ほどのお方が、何故そのような偽りの生活を送っているのです』
タクローは静かにため息を吐く。
「偽り?」
『そうです』
男は刀を支えに立ち上がる。
『魔術士などという穢れた者どもと馴れ合い、ただの一般人として暮らす必要などありません』
その言葉を聞いた瞬間だった。
タクローの目が僅かに細くなる。
空気が変わった。
冷たい。
さっきまでとは比べものにならないほど冷え込んだような錯覚。
『本来なら貴方は――』
「黙れ」
低い声だった。
怒鳴っていない。
それなのに、男は言葉を失う。
まるで喉を掴まれたように。
タクローはゆっくりと男へ歩み寄る。
「その名前で呼ぶな」
『……っ』
「俺はもう、その名前じゃない」
男が歯を食いしばる。
『しかし貴方は――』
「聞こえなかったか」
静かな口調。
それだけなのに、黒衣たちは誰一人として動けない。
「今の俺は」
一拍置く。
そして、後ろを振り返った。
涙を流しながらこちらを見つめる月菜。
傷だらけの陽菜。
苦しそうに息をするエヴァ。
三人を見た瞬間だけ。
タクローの表情が少しだけ柔らかくなる。
「京田琢郎だ」
その言葉は短かった。
けれど、月菜には何よりも重く聞こえた。
「お兄ちゃん……」
その名前は知っている。
ずっと呼び続けてきた。
大好きな兄の名前。
でも。
今、その名前の裏に、自分の知らない過去があることを知ってしまった。
「……どういうことなの」
涙が止まらない。
「ねぇ、お兄ちゃん」
何も分からない。
どうしてそんなに強いの?
どうして【ミシマ】って違う名前で呼ばれているの?
どうして何も教えてくれなかったの?
聞きたいことが溢れてくる。
しかし、タクローは何も答えない。
代わりに小さく肩を竦めた。
「後で話す」
「……え」
「今は」
拾った刀をゆっくり構える。
「先にこいつらを片付ける」
その一言で、黒衣たちが一斉に霊式を展開した。
『構えろ!!』
『囲め!!』
『ミシマ様を取り戻せ!!』
白い霊力が夜を照らす。
十数人の破魔士が一斉に駆け出した。
それでも。
タクローは微動だにしない。
ただ一度だけ。
背中越しに月菜へ言った。
「月菜」
「……っ!」
「少しだけ待ってろ」
その声は。
朝起こしてくれる時と何も変わらない。
優しい兄の声だった。
だからこそ月菜は、涙を流しながら頷くことしかできなかった。
「……うん」
返事をした瞬間。
タクローの姿が、その場から掻き消えた。




